覇道のドラマトゥルク   作:Okubo Masau

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日経賞にて、数多の期待を集めたグラスワンダーが六着に終わった事実は、トレセン学園のウマ娘たちの多くに衝撃を与えた。が、同日、ほぼ同じ時刻。黄金世代のもう一名、キングヘイローが高松宮記念へと出走する。先を行く者たちが、次代のウマ娘たちに様々な姿を見せた日であった。


時に去らぬ王は、次代の王に威光を照らし

 オペラオーにしては珍しく神妙な表情を浮かべていたのは、日経賞の中継を見終えた直後に限ったことであった。

 

 動揺や迷いを振り切るような勢いで練習用コースを一周してきた後には、いつも通りに底抜けに明るく……そして本心をさらけ出すことのない……あの笑い声と朗らかな表情が戻ってきていた。

 

 トレーナーが何も切り出さぬうちに練習を再開する意思を見せたのだと勘違いした鷹木であったが、オペラオーの真意はそうではなかった。

 

「じゃあ、走り込みの続きを……」

 

「おっと、まだだよ!まだ、見るべきレースを全て見終えてはいないだろう?」

 

「え?今日はメイショウドトウのレースを見るのを楽しみにしていたんじゃ……」

 

「それだけじゃないさ!中京レース場からの中継チャンネルに合わせたまえ!」

 

 すっぽりと抜け落ちていた、しかし重大な何かの存在を記憶の中に感じ取った鷹木は、慌てて本日の実施レース一覧に目を通す。

 

 GⅠレース、高松宮記念。

 

 鷹木は大慌てでリモコンを手に取り、受信チャンネルを切り替える。発走は15時40分、ドトウが走り終えた日経賞を見終えてから数分後に控えていた。

 

「おやおや、まさか忘れていたわけじゃあるまいね!ボクの敬愛するキングヘイロー先輩の晴れ舞台が、これから始まるというに!」

 

「い、いろいろと忙しいんだよ、トレーナー業は。」

 

「ならば敢えて催促したのも間違いではなかった!王の名を冠する者として、見逃せはしないからね!はーっはっはっは!」

 

 とは言ったものの、鷹木もまた自分が高松宮記念の存在を意識から外していたことが多少なりと不可思議ではあった。

 

 それが、いずれ全盛期から衰えていくウマ娘の姿……ちょうど、たった今の日経賞でグラスワンダーが六着となってしまったような……を見せつけられることへの恐れに起因していることには、少し遅れて気づくわけだが。

 

 キングヘイロー。オペラオーが入学当初から尊敬の視線を向け、幾度かは直接会ってたたえ合ってきた間柄。最近は直接会える機会も減ってきたものの、依然として強い存在感を有し続ける先輩ウマ娘である。

 

 黄金世代の一角として名を馳せる彼女であったが、なかなかGⅠレースにて勝ちきれないもどかしさもまた顕著であった。

 

 マイル路線へと舵を切った昨年末からは多少戦績が上向きつつあるものの、今年二月に行われたフェブラリーステークスでは13着。芝ではなく慣れぬダートのコースではあったものの、キングヘイローの今後の展望が明るむ結果でないことは事実である。

 

 何よりも、キングヘイローは今年度からグラスワンダー同様に学園4年目へと突入するのだ。

 

(あの最強格のグラスワンダーが、六着になったのと同じ日に……それでも、お前は先輩の姿を見ようってのか?)

 

 練習用コースを一周走り終えた呼吸を整えながら、耳をぴんと立ててスクリーンへ見入っているオペラオーの背に、鷹木は視線を投げかけていた。

 

 画面内ではちょうど出走選手たちのゲートインが終わったところである。キングヘイローは、4番人気であった。

 

〈スタートしました。きれいに揃ったスタートを見せました、まず先行争いに入ります、アグネスワールド!しかしこれを制してシンボリスウォード、あるいはメジロダーリングがハナを競っています。ダイタクヤマトは四番手につけました、その後ろ1番人気ブラックホークは五番手がっちりとキープ。六番手集団にウチからタイキダイヤあるいはマイネルラヴが追走しています!〉

 

 1200mで勝敗が決するレース、実況の声も忙しくウマ娘たちの名を読み上げていく。

 

 キングヘイローは七番手、中団の一番後ろにつけていた。外側にいつでも出られる形を保って、最初のコーナーに入っていく。

 

 最初の、とはいえカーブを曲がり切れば既にゴール前の直線だ。どのレースでも変わらぬことではあるが、殊に距離の短いレースにおいてはコンマ秒のミスも許されない。

 

〈トキオパーフェクト、その後方にキングヘイロー、後ろから六頭目ぐらいといったところ。ブロードアピール、その後マイネルマックスとスピードスター、タイガーチャンプ、最後方にストーミーサンディです!各バ3コーナーに、入って600を切りました!メジロダーリング先頭、アグネスワールド二番手から前に並んでいった!〉

 

 短距離を得意とするウマ娘たちの勝負は、中距離や長距離のレースをさらに濃縮したかの如く、彼女らの熱気が叩きつけられるかのような勢いで画面越しにもぶつかってくる。

 

 コーナーを回り切ろうとするところ、キングヘイローよりも後輩のウマ娘たちが凄まじい蹄音を立てて駆けっていく。もちろんキングヘイローも負けじと食らいついて行くが、鷹木は自らの握る拳の内に冷たい汗が滲み出てきているのを感じていた。

 

 最終直線に入れば、上り坂が待っている。ウマ娘の身体能力が3年目に最高潮を迎えるのならば、キングヘイローはその難局を乗り越えてなお勝てるのだろうか?

 

 しかしオペラオーの声援に迷いの響きはなかった。

 

「勝てる、勝てるよ!超一流の王!賽は投げられ、手は出揃った!行け!行け!!」

 

〈シンボリスウォード三番手、ブラックホーク1番人気は五番手の外を回っています!タイキダイヤがそのウチ!第4コーナーから直線、キングヘイローは中団グループ!今度はアグネスワールド先頭か、アグネスワールド先頭か!ウチからディヴァインライト突っ込んできた!〉

 

 画面上では、キングヘイローは先頭からあまりにも遠く見えた。

 

 10名、いや、それ以上……キングヘイローよりも先んじて直線へと入っていったウマ娘は、出走した総数の半分以上は居たのだ。

 

 上り坂を前に、失速したか。

 

 そう考えた鷹木の視界の真ん中で、キングヘイローは確かに集団の外へ抜け、先頭を狙える位置につけていた。

 

〈ディヴァインライト突っ込んでくる!そしてダイタクヤマト!外からはブラックホーク!……キングヘイロー追い込んできた、キングヘイロー追い込んでくる!内からはディヴァインライト!外からはキングヘイロー!ブラックホーク!〉

 

「よしっっ!!」

 

 オペラオーの叫びと共に、4名のウマ娘たちがほぼ並んだままゴール板を越える。

 

「……あぁ!!」

 

 鷹木も我知らず声を上げていたが、そんな情けない喘ぎ声にしかなっていないことに数秒経って気づいた。

 

 同じトレセン学園所属のトレーナーとはいえ、担当外トレーナーの勝手な諦めと共に、しかし心のどこかで抱いていた希望をキングヘイローが現実へと変えた瞬間であった。

 

〈キングヘイロー並んだ!僅かにキングヘイローか!キングヘイロー!しかしこの競走、審議です!キングヘイローがデイヴァインライトを差し切ったかの審議です……〉

 

 実況のアナウンサーはそう告げていたものの、テイエムオペラオーは既に立ち上がって綺麗な拍手の音を響かせていた。

 

「素晴らしいよ、キングヘイロー先輩!あぁ……ボクもどれだけ、待ち望んでいたことか!今、遂に王冠を手にしたんだ!キング!!」

 

 鷹木も何か喋ろうとしたものの、まずは喉に詰まった固唾を飲みこむのに悪戦苦闘するほうが先であった。

 

 全く、ドラマチックな一幕であった。それも、作り物ではない、現実に起こされたものであると分かればこそ、今見たものに引き起こされる動悸は暫し収まる気配を見せなかったのである。

 

〈……結果が出ました、一着はキングヘイロー!キングヘイローの勝利です!今、会場も大きく湧いています……聞こえますでしょうか……!キングヘイロー、ついにGⅠ勝利!!……その栄光の瞬間を、幾万人が讃えています!〉

 

 画面の真ん中に捉えられたキングヘイローの勝負服は、やはり先行くウマ娘たちが蹴立てた土や芝によって汚れていた。

 

 が、今まで欠かさず突き上げてきたその拳は変わらず力強く突き出され、今までと比して一層の声量を増した歓喜の叫びを一心に浴びていたのであった。

 

「見たかい、鷹木!王は決してあきらめないからこそ、王なんだ!本当に、そうしたんだよ、キングヘイロー先輩は!」

 

「あぁ……」

 

 結局、ゴールの瞬間に漏れた喘ぎ声とほぼ変わらぬ呻きしか上げられぬ鷹木は、そのまま饒舌に喋り続けるオペラオーの声を浴びるほかなかった。

 

 翌日、日経賞にて三着に終わったメイショウドトウが帰ってくる。トレセン学園に戻ってきてから多少はしょげた表情を見せてはいたものの、彼女が俯いて失意の溜息を吐いていることはある種、いつも通りの姿であった。

 

 それゆえに次なるレースへ向けてのトレーニングへと気分を切り替えるのにも大して時間はかからない。いつも揺るがぬ自信を身に纏っているテイエムオペラオーとは真逆の様相でありながら、これもまたドトウ流のメンタル管理であるとも取れた。

 

 とはいえ、先の日経賞を目の当たりにしたトレセン学園所属ウマ娘たちが、一様に少なからぬ動揺を得ていたことは間違いない。

 

 黄金世代を代表するウマ娘、グラスワンダー。スペシャルウィークと並んで最強の世代を引っ張って来た彼女が、六着という結果に終わった事実を冷静なままに受け止められる者はそう居なかった。

 

 それは単に、一時代を築いたスターウマ娘が敗れたというだけの話ではない。

 

 ウマ娘の身体能力本格化、そして保たれる全盛期が、確実に限られているということ……いかなる競技の、いかなるアスリートにおいても至極当然の事実ではあったが、日経賞のグラスワンダーはかくも明白な形で示すこととなったのだ。

 

 とはいえ、グラスワンダー自身はそれきり引退するつもりなど無いらしく、少なくとも今年の宝塚記念までは出走し続ける意思を表明してはいたが。同日にキングヘイローが栄冠を手にしたのを横目に、みすみす引き下がることなど考えられぬことだろう。

 

 その日を境としてトレセン学園全体には、一種の緊張感が漲っているようであった。

 

 入学して3年目のウマ娘たちは言わずもがな、1年目、2年目の者たちも本番の大舞台に出遅れまいといよいよ真剣な眼差しでトレーニングに取り組んでいる。

 

 グラスワンダーの件のみならず、もちろんキングヘイローの収めた勝利もまた、学園所属ウマ娘たちの背を後押ししていたろう。

 

「今焦るのは全員同じことだ……この熱さを1年経っても、2年経っても忘れずにいられる奴だけが勝ち残る。」

 

 誰よりも強く焦りを感じている鷹木は、自分自身に言い聞かせるようにつぶやくばかりであった。

 

 特定の期間に集中的なトレーニングを行った所で、容易くレースに勝てるようになるものではない。仮に、勝てるコツなどというものが実在するならば、誰も苦労はしないだろう。

 

 理想通りの走りが出来たからといって、予想だにしない展開が待ち受ける本番で勝てるとは限らない。鷹木はそのことを、昨年までのオペラオーと共に嫌と言うほど思い知らされたのだ。

 

 だからこそ四月に入った初日においても、鷹木は十分にトレーニングの準備を整えたうえでオペラオーの到着を待ち続けていたのだが……。

 

「……来ない。」

 

 去年やそれ以前であれば、またいつものごとく道中で何らかの道草を食っているものかとも思われたが、さすがに3年目に突入した今ともなれば考え難い。

 

 今さらのことではあったが、オペラオーなりに気を抜いては居られないとの自覚は得ていたのか、鏡の前に捕らわれて長時間を浪費するような真似などは既に無くなっていたのだ。

 

「だが、去年も、今ぐらいの時期に、似たようなことがあったような……」

 

 思い出すのは、エアシャカールとの初対面である。まだ四月の初頭、トレセン学園へ入学したてだった彼女は、三女神像の所に集まってボンヤリしている先輩たちを訝しがって鷹木を呼びに来たのだった。

 

 確信を得られる手掛かりではなかったものの、他に思い当たるところもない鷹木の脚は自然と三女神像の立つ場所へと向かった。

 

「うわ、居るじゃん……。」

 

 的中するとは思えなかった予想が的中し、その意外性のあまりに声を上げる鷹木。

 

 春真っ盛りの日差しに照らされ、暖かに微笑んでいる三女神像のもとに集まったウマ娘たちが一様に頭を項垂れて、ボンヤリと立ち尽くしていた。

 

 そこに集っていたのは、彼の探し求めるテイエムオペラオーをはじめとして、アドマイヤベガ、ナリタトップロード。さらには、去年この光景を不審がっていた当のエアシャカールまで参加していたことが、尚のこと意外であった。

 

 ともあれ、この異様な状況から担当ウマ娘を連れだそうと、一歩踏み出す鷹木。

 

「トレーナーさん。」

 

 が、彼を呼び止めたのは、優しげなウマ娘の声。

 

 振り返ればそこに立っていたのは、グラスワンダーであった。

 

「わ、わわっ、こ、これは、どうも……。」

 

 トレセン学園所属トレーナーである以上、ウマ娘たちに対して頭を下げる必要などないはずではあったが、黄金世代を牽引しつづけた貫禄たっぷりなグラスワンダーを前にして、鷹木は思わず腰を低くして挨拶をする。

 

 狼狽を隠そうともしていない鷹木を前に、グラスワンダーはにっこりと微笑み返して言葉を継ぐ。

 

「しばらく、あのままにしておいてあげてください。」

 

「え?……三女神像の前で立ってることに、何か意味が……?」

 

「三女神様に呼ばれた子は勝つんです。……そういう言い伝えがあるだけ、ですけれどね。」

 

 根拠も何もない噂話に過ぎなかったが、グラスワンダーの声で告げられれば謎の説得力があった。

 

 今一度、鷹木は三女神像のもとに集まったウマ娘たちの方を振り返る。いち早く我に返ったのはメイショウドトウであったらしく、春の陽気の中で未だボンヤリしているのであろう頭をフラフラとゆすっている。

 

 彼が意識を外した背後から、再びグラスワンダーの声が掛けられた。

 

「では、私はこれにて。」

 

「あ……あのっ。」

 

 どもりながらも、黄金世代ウマ娘と言葉を交わせるという稀有な機会を逃すまいと、鷹木は涸れかけた喉から声を出した。

 

「グラスさんは、今後も出走し続けるんですか……?」

 

 彼女の表明を知っていれば、聞くまでもない間抜けな質問を投げたに過ぎないことに、口を閉じた後の鷹木は気づいた。が、グラスワンダーの表情は柔らかなままに変わっていなかった。

 

「えぇ、少なくとも、戦いたい相手が居る間は。キングヘイローさんに……それから、テイエムオペラオーさんとも、お手合わせいたします。必ず。」

 

 うららかな春の日が注ぐ学園の裏庭であったが、鷹木の総身には鳥肌が立っていた。

 

 彼はただ、一時代を築き上げたウマ娘の背が去っていくのを眺めるばかりであった。

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