春の天皇賞を制したテイエムオペラオーは、いよいよ世間の注目を集めるところとなった。昨年末の黄金世代との大勝負から、今年に入って一度も負けなしという戦績も相まって、メディアで取り上げられる頻度も目に見えて上がっている。
現役のウマ娘に対する直接的な取材は自重するよう、トレセン学園から各メディアには呼びかけられている。ファンとの交流イベントなどが設けられた機会でもない限り、レースに出走する彼女らのコンディションに影響を及ぼすような要因は悉く排除するためだ。
それでも弁えずカメラを隠し持って、あるいはいかにも公然と撮影許可を得たかのような顔をして、話題のウマ娘の姿を捉えようとするメディア関係者が来ないわけではない。
オペラオーが今までのように寮から徒歩で通うことはなくなり、可能な限りトレセン学園の敷地内にて過ごす日々が既に始まっていた。ウマ娘としての生活やトレーニングはそもそもトレセン学園内でほぼ事足りるので、本番のレースに出走する以外で外出する必要が無かったのは事実であるが。
この多少窮屈な暮らしの中で、オペラオーの奔放な精神に何らかの影響が及ぼされていないかと鷹木は案じていたが、彼女は変わらずであった。
「別に取材を受けても構わないんだけれどね!ついでに、ボクのソロオペラを丸一日かけて上演してあげてもいい!」
「冗談でもやめろ、向こうが迷惑だ。」
「はーっはっはっは!キミは、ボクとの初対面時にフルで鑑賞してくれたじゃないか!」
「あれは……ヒマだっただけだ。」
一線級の現役ウマ娘用の個人練習場に隣接した、専用の居住スペースからオペラオーが練習場へと顔を出す時刻は、通学時間がほぼ不要であるだけにいよいよ早まっていた。
きっと今までの名だたる先輩ウマ娘たちも利用したのであろう居住スペースに窮屈な印象は無く、割り当てられたウマ娘自身と学園からの許諾が得られれば他の者も立ち入ることは出来る。
オペラオーがそこに住まうことが決定した時に鷹木も中を覗いたが、最近そこそこ月給の上がった彼の住まうアパートの一室の、少なくとも10倍近い床面積に絶句したばかりであった。
「あぁ、スペシャルウィーク先輩が羨ましい!ボクも、大舞台での武勇伝をカメラの前で語りたいよ!」
「なにも自慢のために語ってるわけじゃないぞ。あれが今のスペシャルウィークの仕事だ。」
今なお現役を続けているグラスワンダーやキングヘイローとは異なり、昨年の有馬記念を最後にレースを引退したスペシャルウィーク。
トレセン学園3年目での引退は人間の尺度に当てはめればあまりにも早いようにも思われるが、しかしウマ娘の全盛期がその期を境に去っていくことは既に今年度のグラスワンダーが示している。
不本意な引退に追い込まれるような怪我や事故もなく現役時代を走り抜け、なおかつGⅠのタイトルを複数獲得している時点で十分すぎるほどのスターウマ娘であった。現在のスペシャルウィークはその持ち前の明るさとお喋り好きな性格を活かし、早くも数々のテレビ番組に出演してURAの盛況を別な形で支え続けていた。
オペラオーがそんな先輩ウマ娘の立ち位置を羨んだのは生来の目立ちたがり故だったろうが、今は現役ウマ娘として自らの出走レースに専念してもらう必要があった。次は6月、宝塚記念という一大レースが控えているのだ。
自らを取り巻く環境がかくも変わっていきながら、なおも我が道を往くテイエムオペラオー。そんな彼女のもとに、久々の来訪者があったのは五月に入ってからのことであった。
その日は既にアグネスデジタルがオペラオーに半ば連れ込まれ、半ば押しかけてきたような形で練習前の一芝居を楽しんでいたが、鷹木を驚かせたのは彼女の存在ではない。
「桂崎トレーナー。」
「どうも、ご無沙汰してます。本来は、学園の方を通さなきゃいけないんでしょうけれどね、我々トレーナー同士の面会は。」
「いや、桂崎さんと自分の間ですから……にしても、本日はどのような?」
「久々に、オペラオー君との練習がしたくなってね。」
オペラオーに負けず劣らず澄んだ声でありながら、同時に落ち着いた語調が桂崎の背後から現れる。
美しい栗毛をなびかせながら、ナリタトップロードは以前と変わらず温和な表情を浮かべて鷹木に会釈した。
「お邪魔します、鷹木トレーナー。先日の天皇賞、オペラオーの勝利おめでとう。私も頑張ったんだけれど、やっぱり強いね、あの子は。」
「ど、どうも……。」
競争相手であったはずのウマ娘からごく自然な調子で勝利を称えられ、口ごもりながらもどうにかこうにか返答する鷹木。
一方で、彼の担当ウマ娘である当のテイエムオペラオーが示した反応は対照的であった。加えて彼の傍に控えていたアグネスデジタルの狂乱も加わり、貴公子めいて美しいウマ娘は瞬く間に覇王の茶番へと巻き込まれていった。
「あぁ!あぁ!トップロードくん!しばらくぶりじゃないか!どうだい、天皇賞でのボクの走りは!さぞ美しいことだったろう、あれだけの近さで堪能できたことを光栄に思いたまえ!」
「ひょぉぉぉ!あなた様は、ナリタトップロード先輩じゃありませんかぁ!お美しい御二方に挟まれて、デジたんは対消滅しちゃいますよぉ!」
「ははは、やっぱりここに来てよかった。いつだって賑やかだね。」
あまりにも遠慮も慎みもない、それでいてオペラオーらしい歓待に鷹木は眉を顰めつつ、桂崎トレーナーに頭を再び下げる。
「どうもすみません、その……オペラオーに、自重という観念が殆ど欠けているのはご承知のことだと思いますが。」
「いやいや、ウマ娘というのはやっぱりあれぐらいでなければ。トップロードは、ちょっと真面目過ぎるんでしょう。」
二人のトレーナーは並んで、今なお続いているウマ娘たちのじゃれ合いを見ている。とはいっても、喧しいのはほぼオペラオーとデジタルの二名であったが。
自然と周囲が華やぐ喧噪に頬を緩めている桂崎の横顔をチラと盗み見た後、鷹木は極力何気ない風を装いながら気になっていた質問を口にした。
「しかし、オペラオーと練習したいというのは……。」
「ええ、しばらくトップロードは練習のみに専念させようと考えましてね。少なくとも、今から夏までの間は。」
以前にも話題に上がった通り、本番でぶつかり合う可能性のあるウマ娘同士が、練習時点で互いに手の内を明かし合うことは無い。
すなわち、ナリタトップロードがオペラオーとの練習を再び行うようになったということは、本番の舞台に上がらない決断をしたということだ。
「ということは……宝塚記念も?」
「出しません。あの子の実力が足りないなどとは思っていませんが、今一度走り方を見直す必要があります。」
今年に入ってからのナリタトップロードは二着三着続き、昨年度の菊花賞以来一度も勝てていないのだ。とはいえ、無論、GⅡやGⅠレースで二着三着となっている時点でトップクラスのウマ娘であることに違いは無い。
が、先頭を奪われるレースをズルズルと続けるよりも、一旦は下げて走りを磨きなおすことをトレーナー共々決断したのであろう。
桂崎トレーナーの表情は、やはり彼が担当しているトップロード同様に穏やかなまま、焦りも不安も浮かべていなかった。
ウマ娘の能力が最高潮を迎える、学園3年目。その大事な年に敢えて出走を見合わせる判断を下せば、鷹木は自分がかくも平静を保っていられるなどとは信じられなかった。ことによっては、自分だけが特別メンタル面の弱いトレーナーなのではないかとも思われた。
「なので、しばらくは片桐トレーナーに倣ったトレーニング法を試してみようかと思いまして。」
「片桐トレーナーの?」
真面目で紳士的な桂崎とは全く対照的な、あの無精ひげがトレードマークの胡散臭い男の顔を思い浮かべて鷹木は首を傾げる。
そんな彼に向かって、珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべた桂崎は言葉を継いだ。
「こんな身近に、最高のGⅠウマ娘がいてくれるんですからね。」
「……毎日のように来るのはよしてくださいよ。」
「おや、片桐トレーナーはそんなことを?そうとは知らず……今日は、彼は来ていないようですが。」
「最近は姿を見せませんけれどね。」
オペラオーの天皇賞出走に向けて精神的にもいっぱいいっぱいであった鷹木は意識を向けていなかったが、そういえば片桐の髭面がこの練習場を覗きに来る頻度は、近頃めっきり減っていた。
片桐が担当しているメイショウドトウは、GⅠにこそ出ていないものの戦績を伸ばしつつある。現に、天皇賞の前日に東京レース場で行われたメトロポリタンステークスにおいては、堂々の1番人気を得たうえで見事一着勝利を獲っている。
中団前方につけて足を溜め、最終直線を前にして加速し、二着とは1バ身以上のリードを保ってゴールする……お手本のような先行策を、しっかりと成功させた勝利であった。
「自分とトップロードとは逆かもしれませんね。」
「まぁ、失礼を承知で言えば、確かにお互い真逆の性格だと見えますが……」
「あぁ、それだけじゃなくて、オペラオーとの練習に来るか否か、の話ですよ。」
勘の鈍い鷹木は、そこまで告げられてようやく桂崎の洞察に気づかされた。
しばらく大舞台の本番でオペラオーとぶつかる可能性のないトップロードが練習のために姿を現したのと逆に、メイショウドトウは並走練習のために顔を出すことが無くなってきている。自らの手の内を明かさぬよう、距離を取り続けている。
すなわち、片桐は、そしてメイショウドトウは、遠からずテイエムオペラオーと大舞台の上で対決するつもりでいるのだ。
「……彼女、確かに今年に入ってからめきめきと強くなってきていますからね。」
「あんなにオドオドして自信なさげだった子が、本当にね……全く、片桐トレーナーの手腕には嫉妬してしまいますよ。」
「えっ?桂崎さんが?」
鷹木は驚いて、自分よりは少なくとも一回り先輩のトレーナーの顔を直視する。同期である自分が片桐に嫉妬を覚えることはあっても、ずっとトレーナーとしてのキャリアも長い桂崎が同様の思いを抱くとは考えが及ばなかった。
相も変わらず、穏やかな目をした桂崎の表情から、そんな後ろ暗い感情を読み取ることは出来なかったものの。
「そりゃあ、もちろん。僕もトレーナーを志した時から、周囲に優秀な同期がいっぱいいましたから。珍しい事じゃありません。」
「なるほど……。」
自分だけではなかった。自分以外のトレーナーが、自分よりもずっと上手く担当ウマ娘を指導出来ており、実績を残していることに焦るのは。
そう考えた鷹木の心は多少緊迫の色を薄めたものの、片桐の手腕によって成長したメイショウドトウがオペラオーの背後に迫りつつある不気味さは新たに頭をもたげ始めていた。
「そういや、エアシャカールも、最近はここに来ませんね。」
「あぁ、彼女もですか。今月末には東京優駿が控えていますし……。」
昨年はオペラオーが制した皐月賞を獲り、アドマイヤベガの後を継いで東京優駿でも栄冠をつかもうと躍進を続けているエアシャカール。
彼女もまたオペラオーとの練習を行わなくなっているということは、やはりオペラオーを対戦相手として認識し始めているということだ。早ければ、今年度中に対決することとなるかもしれない。
テイエムオペラオーの連勝を阻み、先に立とうとするウマ娘の多さは今さら語るまでもない。
が、かくも身近にいたウマ娘たちが遠ざかり、そして本番にて競い合う敵となっていく現実は、改めて鷹木の精神を寒風のごとく引き締めたのであった。
「さぁ、鷹木トレーナー!こちらのウォーミングアップは済んでいる、ボクたちの美しい競走を映像に収める準備はいいかい!」
オペラオーが叫んだ声が響き渡り、彼を五月の陽気のもとへと引き戻す。
見れば、既に練習用コースのスタートラインに三名のウマ娘たちが並んでいる。ともに負けず劣らず輝ける栗毛を頂いたトップロードとオペラオーが並び、至近距離で涎を垂らさんばかりの顔つきを隠そうともせずアグネスデジタルが先輩ウマ娘たちを凝視していた。
「あぁ、こっちも計測の準備は出来ている。いつでも始められるぞ。」
やがてゲートが開く音が再生され、いつ再び強敵として鎬を削り合うとも知れぬウマ娘たちは、肩を並べて駆けだした。
時は五月、既に高まりつつある初夏の気が間もなく到来する熱闘を仄めかしつつあった。