覇道のドラマトゥルク   作:Okubo Masau

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同期のエアシャカールが皐月賞に勝ち、次はいよいよ日本ダービーへ出走しようとしている一方、どうにかGⅠへの出走を果たしたものの戦績の振るわぬアグネスデジタル。一方で、同じくデビュー当初はパッとしなかったメイショウドトウは、今や一線級のウマ娘に。デビュー時の評からは推し量れぬ現状を前に、オペラオー担当トレーナーの焦りも募る。


かつて親しき大器、怒涛の如く

 5月に入り、間もなく開催された大舞台はNHKマイルカップ。トレセン学園2年目のウマ娘たちが俊足を競う東京レース場にはアグネスデジタルが向かっていた。

 

「ウマ娘ちゃんたちの最高の走りを至近距離で拝める、GⅠのレースに出られれば、私としては既に満足だったんですけどねぇ。」

 

 レース後のデジタルはそう語ったのであった。

 

 彼女の目標は芝とダートの両方で大舞台に出走することであったが、そもそもの動機はと言えばアグネスデジタル自身もウマ娘でありながら、その目でウマ娘の美しさを最高の舞台にて愛でたいという欲求である。

 

 たしかに、GⅠのレースに出走できた時点で、その目標の凡そは達成されたと言える状態であった。

 

 マイル距離を得意とする同期のウマ娘たちに周囲を囲まれ、アグネスデジタルは走り出す前から興奮を抑えられぬ様子を見せていた。涎を垂らさんばかりに口を半開きにし、対象を見つめるあの恍惚とした眼差しは、オペラオーと共にいることの多い鷹木も見慣れたものである。

 

〈スタートしました!18名ほぼそろいました、これから先行争いです。予想通り間からまずユウマ、そしてマルターズスパーブ二番手、さらにウチからは追い上げていくトッププロテクター、さらにファイターナカヤマ、二番手集団は混戦です。さらにスイートオーキッド、あるいはダイワカーソン、さらにネオポリス、ラヴィエベル固まります。直後にアグネスデジタル中団グループといった順です。〉

 

 しかし、スタートした彼女は中団につけていた。走るウマ娘たちの美しさを全て視野に入れたいのならば、後方につけるべきところであったが。

 

「さすがに、先頭を走る子達と距離が開いちゃっては、十分に堪能できませんから。それに、追い込みの子達は自然と終盤に上がってくるハズ、と考えていたんです。」

 

 その位置は、アグネスデジタルが得意とする先行の作戦に合った位置取りであった。

 

 勝つこと以前にウマ娘を愛でることとして目標を設定していたとしてもなお、彼女の脚は自分の走りやすいポジションを自然と選択していたのである。

 

〈600の標識を通過!間もなく、第4コーナーを抜け直線コースへこれから向いてまいります!直線に向いて、坂下の攻防!前は広がって、まだネオポリス先頭か、ウチで頑張っているが苦しいか!マルターズスパーブに、ダイワカーソンも追い込んでくるが……イーグルカフェが上がって来た、現在四番手、いや三番手!前は横に広がった、大接戦だ!〉

 

 実況がそう形容した通り、まさに大接戦としか言えない様相であった。

 

 コーナーを回り切ったあたりから、後方で脚を溜めていた選手たちが一気に上がってくる。

 

 逃げ、あるいは先行していた選手たちはあっという間に集団の中に取り込まれ、先頭を狙える位置に10名以上がひしめき、更に加速し、前に抜け出そうと身体を限界まで追い込んで脚を動かしていた。

 

「いやぁ、物凄かったでしょうね。観客席から見てる分には、絶対に味わえない近さ。でも、味わっていられなかったんですよ、あの時の私は必死だったんで。」

 

 そして、アグネスデジタルもまた、そんな集団の中に居たのである。

 

〈ウチからスイートオーキッドも抜けてきた!トーヨーデヘア!200の標識を通過!トーヨーデヘア、スイートオーキッドを突き放す!だが外からイーグルカフェが突っ込んできた!マチカネホクシンも続く!トーヨーデヘア先頭!イーグルカフェが迫る!トーヨーデヘア!イーグルカフェ……!二頭並んで今、ゴールイン!!〉

 

 ほんの数秒前まで先頭を駆けていたウマ娘が、後方から差しに来た追い込み選手に抜かれ、そしてコンマ秒の差で勝者が決まる。

 

 ここに至るまでの数か月、数年間の積み重ねが、時を埋め尽くす一秒、一瞬、一刹那に凝縮されているのだ。

 

「満足してる場合じゃなかったんですよ、GⅠに出走できただけのことで。推しのライブのチケットを獲って会場に来れたってだけで、何も見ずに帰るようなもんです。」

 

 実況ではアグネスデジタルの名に触れられたのはたかだか二回程度のことであり、中継映像の中でも彼女の姿をカメラがとらえていた時間はごく僅かである。

 

 が、デジタル自身は七着という順位に終わったとはいえ、あれだけ殺到した三着以降のウマ娘集団の中でそこまでの位置につくには相応の走りを実現せねばならなかったであろう。

 

 大きく横に広がった最終直線の集団を映した画面の中、小さく映るアグネスデジタルの表情を読み取ることは難しかったものの、その時の彼女は確実に勝とうとして走っていた。

 

「私、まだまだ気づいてないことが多かったかもしれません。ただ見ているだけではウマ娘ちゃんのキラキラを、完全に吸入することはできないんですよ!」

 

「吸入て……」

 

「はーっはっはっは!素晴らしいよデジタル!キミもまた、立派な美の求道者だ!」

 

 鷹木がデジタルの独白および独特すぎる表現を、どのような心境で受け止めるべきか分からぬままに見つめる前で、やはり共に騒がしさの波長が合うのであろうテイエムオペラオーとアグネスデジタルは戯れついでの即興劇を開始していた。

 

 テイエムオペラオーという格好の練習相手がいる環境を利用する機会があったのはアグネスデジタル、ナリタトップロードのみならず、アドマイヤベガも同様であった。

 

 とはいえさすがのオペラオーも、メイショウドトウが最近顔を見せぬ理由については分かっている様子で、トップロードがオペラオーとの並走練習を再開して間もなくアドマイヤベガに質問を投げかけていた。

 

「麗しき一等星がボクのすぐ傍を駆けるのは身に余る光栄なのだけれど、しかしアヤベさんはいつ、ボクと競い合う舞台に立つつもりなんだい?」

 

 オペラオーと並走練習し、走り方の癖を見せるということは、すなわちしばらくの間は本番のレース場で本気の競い合いをする予定が無いということである。

 

「調子が良ければ、宝塚記念には間に合わせたかったんだけれど、ダメ。」

 

「えぇ~、アドマイヤベガ先輩、もう本領発揮できる状態になってるように見えましたがぁ……?」

 

 アグネスデジタルは頓狂な声を上げる。折しも、この会話の直前に行われた練習において、アドマイヤベガはかつてのように凄まじい追い込みを見せ、オペラオーを差し切ってゴール地点を通過している。

 

 そこから数秒差でゴールすることとなっていたアグネスデジタルからすれば信じがたい宣言であったろうが、アドマイヤベガはいつも通りに怜悧な視線を向けて言い放った。

 

「ちょっと速く走れるだけのウマ娘が、勝てる場所じゃないの。GⅠという舞台はね。」

 

 きっとアドマイヤベガも、オペラオーに近しい後輩ウマ娘たちの戦績や出走レースに目を通していたのであろう。その声の冷たさには、どこか相手を諫めるような響きもあった。

 

「な……なるほどぉ……。」

 

「気負いすぎることはないさ、この場に居る時点で、私たちは同じ位置に立っているんだから。」

 

 アドマイヤベガの静かな語調に圧されたアグネスデジタルを庇うように、ナリタトップロードが柔らかく言葉を被せる。その上を、オペラオーの高笑いが走り回った。

 

「はーっはっはっは!ここに集いし面々はさしずめ、覇王討伐隊とでも称せようか!」

 

「覇王って……アンタのこと?」

 

 怪訝そうな表情のアドマイヤベガに対し、オペラオーは胸を張る。

 

「そうとも!美しき世紀末覇王とはこのボク、テイエムオペラオーに他ならない!」

 

「自分を討伐しに来るライバルを近くに置くってわけか。オペラオーくんらしいね。」

 

「ひょぉぉう、さすがはオペラオー先輩、勝負へ掛ける気持ちが本気すぎますよぉ!」

 

「そこまで考えて喋る奴だとは思わないけれど。」

 

 口々に喋りつつも、この場に集まったウマ娘たちの脳裏には、いまここに居ない者こそが覇王の背に最も近づいていることは意識されていたであろう。

 

 5月27日。中京レース場。金鯱賞の舞台に立つは、メイショウドトウであった。

 

 当然のことながら例によってトレーニング中の休憩時間を利用した観戦を希望するオペラオーであったが、今回に限っては鷹木もまた見逃すつもりはなかった。

 

「あのメイショウドトウが走るんだものな。」

 

「あぁ、彼女の走る姿は力強く、美しい!このレースにもドトウは勝ち、間もなく、この覇王の首元に手を掛けるだろう!」

 

 オペラオーはただただ単純にお気に入りの好敵手の姿を見たいがために観戦を希望したもののようであった。

 

 鷹木はしっかりと今まで記録していたメイショウドトウ関連のメモを手元に集め、金鯱賞の中継が始まるその時を自らの担当ウマ娘とは対照的な緊張感の中で待っていた。

 

 メイショウドトウは、3番人気だった。

 

 このレースで1番の人気を得たのは、やはりラスカルスズカである。ナリタトップロードには二連続で勝ち、連勝を続けるテイエムオペラオーの背に二度迫ったウマ娘。

 

〈雨が降り続いております中京レース場、芝状態は稍重となりました。2000m芝、上り坂の途中から開始されるコースです、果たして勝つのはどのウマ娘か。〉

 

 左回り、2000mの芝のコース。2か月前の、中京記念にてドトウが勝ったのと全く同じコースであった。

 

 思えば、テイエムオペラオーが今まで一度も走ったことのない中京レース場での本番を、片桐はドトウのデビュー当時から幾度も経験させ続けていた。あらゆるレース場のコースの癖をその体に覚えさせることまで含めた、彼の計算なのではないかとも思われた。

 

〈ゲートイン完了……スタートしました!一斉にスタートしまして、まずはハナを進みますサイレントハンター、続きましてはジョービッグバン。ウチをついてサーストンフライト、更にオースミブライトと続いています。〉

 

「オースミブライト、彼女も出ていたんだね。去年は幾度となくぶつかり合ったんだが、今年はまだ姿を見ていない。」

 

「次の宝塚記念で、会えるだろう。確か、現時点での出走リストに載っていた。」

 

 昨年度は皐月賞から東京優駿、菊花賞、とテイエムオペラオーやナリタトップロードたちと競い合ったオースミブライト。昨年末以降はこれといった戦績を聞かないままであったが、今年に入って宝塚記念の出走メンバーに入っていることを知った鷹木は、やはり警戒せざるを得なかった。

 

〈続きましてラスカルスズカ、これは珍しい中団前方につけています。そのすぐ後ろにチェックメイト、メイショウドトウは外を回っています。その後マチカネフクキタル、黄金世代と共に走った彼女もまだまだ現役だ。〉

 

 マチカネフクキタルもまた、宝塚記念への出走が予定されているウマ娘であった。そして黄金世代といえば、グラスワンダーの存在も無視できない。

 

 昨年までの、いや今年の日経賞を見るまでの鷹木であれば、オペラオーが出走する宝塚記念にグラスワンダーの名を見つけた瞬間に卒倒していたであろう。むろん、日経賞の後もグラスワンダーの秘めたる実力を侮ってなどいない。

 

 が、やはり警戒の視線を外せずにいる相手となれば、ラスカルスズカ、そしてメイショウドトウの両名に対してであった。

 

 いつも得意とする追い込み策を捨て、今回はなぜか先行策を採っているラスカルスズカ。1番人気ゆえに周囲のペースを乱しうる立場を利用しての策かとも思われたが、メイショウドトウはやはり彼女が幾度もの本番を経て身に着けた走り方を堅実に守り続けるつもりのようであった。

 

〈コーナーを回り切りまして向こう正面、先頭からの順位は変わらずサイレントハンター、ジョービッグバン、サーストンフライト。外からメイショウドトウがスーッと上がってまいりました、現在三番手に着けております。ラスカルスズカは動かない、メイショウドトウが先んじて仕掛けました。この作戦が吉と出るか。〉

 

「いいね!ドトウは今まで通りの走りに忠実だ!」

 

「あぁ、他のウマ娘との競り合いに巻き込まれないよう、一息先に仕掛けている。」

 

 オペラオー共々、ドトウの作戦を肯定的に見る鷹木。

 

 が、今までのトレーナー業を経て、画面越しにウマ娘の走りを見ることにもかなり慣れてきた鷹木の眼は、明らかにドトウの走りが前までのレースと格段に違うことを読み取っていた。

 

 たしかに、先月のメトロポリタンステークスでも並みのウマ娘を凌駕する走りは披露されていた。それを差し置いてもなお足取りの力強さは、この金鯱賞の舞台にていよいよドトウの脚が完成に近づいていることを示唆していた。

 

 もはや彼女は一線級のウマ娘なのだ。

 

〈さぁ第4コーナーを回ってスタンド前直線、大きく広がった先頭、サイレントハンター、ジョービッグバン逃げる!しかし外からメイショウドトウ、これは速い、速い!ラスカルスズカ追い込んでくる!メイショウドトウが先頭に立った、先頭はメイショウドトウ!ラスカルスズカも追うがリードは広がっていく、メイショウドトウ!〉

 

 ゴール直前、追いすがる他の選手を振り切って駆け抜けるメイショウドトウというウマ娘には、勝利を確信しうるだけの迫力が伴っていた。

 

 この年に入ってから徐々に名のあるレースで好成績をたたき出していたことは鷹木も十分に意識していた。が、彼女がGⅠにて十分に先頭を競える域にまで到達していることを、かくも明白な形で突き付けられようとは思いもしなかった。

 

〈メイショウドトウ、今一着でゴールイン!圧倒的な強さを見せつけました、メイショウドトウ!〉

 

 鷹木の内心は全く穏やかではなかったが、画面越しのライバルに向けて立ち上がったテイエムオペラオーは、惜しげもない賞賛をドトウに送っていた。

 

「Brava!素晴らしいよ、さすがだ、我が最高の好敵手!やっぱりキミこそが、ボクを負かしに来る相手なんだね、ドトウ!」

 

 冗談と本気の間で語り口に差のないオペラオーであったが、今回ばかりは明らかに冗談の域で済む話ではなかった。

 

 宝塚記念に出走が予定されているウマ娘のリストに、メイショウドトウの名が載ったのは間もなくのことである。

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