覇道のドラマトゥルク   作:Okubo Masau

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アドマイヤベガは昨年の不調も原因を早期に究明できたため、今年度秋からの復帰も目前となっていよいよ練習に励んでいた。かつて彼女を怯懦へと陥らせた、2年前の夏合宿で見せつけられた不吉な予言も忘れ去るかのごとく……。


沈ませはせぬ、愛しき一等星

 テイエムオペラオーとメイショウドトウ、アドマイヤベガ、そしてナリタトップロード。彼女らは常よりの親交もあってこそ、事前の告知も無く集って並走練習へと誘い合うことが出来ていたが、本来ならばGⅠ出走ウマ娘の練習場に、他のウマ娘や担当トレーナー達が許諾なく入ることはない。

 

 当然ながら、レース本番で実施する予定の走法を、競走相手に見せるわけにはいかないからだ。

 

 トレーナー達は自分の担当ウマ娘を勝たせるため、競走相手となるウマ娘のデータを常時求め続けている。彼らに対して情報を売り渡そうとすべく侵入を試みる不届き者も、居ないわけではない。学園や、夏季中に利用される合宿所では日夜を問わず警備体制が敷かれている。

 

 そういった理由から、一流選手の練習場は、広大な敷地面積を誇るトレセン学園の合宿施設の中でも特に小高い台地の上に設営されていた。各練習コースを上から覗き込むことも出来ぬよう、周囲には二階建て以上の建物は無い。

 

 彼女らの練習エリアに向かうためには、急勾配となっている芝の斜面、ないし一定間隔で設けられた石段を上る以外に手立てはない。結果的に、GⅠウマ娘たちの居場所へ向かう者は、例外なく息を切らした姿を下からの視線に晒されることとなった。

 

 時にはウマ娘たちがトレーニングにも用いるその石の階段は、人間の体力では普通に上るだけでも相当な体力を費やすこととなる。

 

 今しも、その急な石段を這い上がるように踏んできた鷹木は、炎天下の中で絞り出された汗でシャワーを浴びた直後のごとくびしょぬれになった顔をスポーツタオルで拭いていた。

 

「暑っ……」

 

 肩に掛けたクーラーボックスには、先ほど買い足してきたスポーツドリンクがぎっしりと詰まり、重い。これが急遽必要になったのも、オペラオーの思い付きで再びいつものライバルたち相手に並走練習を実施する運びとなったためだ。

 

 運動時には人間以上に水分や塩分の補給が重要となるウマ娘たち。事前に準備した分ではとても足りるとは思えず、言い出しっぺのオペラオー……の担当トレーナーたる鷹木が買出しに向かう羽目となったのだ。

 

「ったく、オペラオーの奴。」

 

 石段を登り切れば、目の前にはこれまた広大な芝の練習コースが夏の強烈な熱射に晒されて陽炎を立てている。背景の空に立ち昇る入道雲が真っ白に輝き、乱反射する光線が的確に眼球へと刺さってくる。

 

 サングラスでも掛けてくるべきだった、と悔いながら重いクーラーボックスを担ぎなおそうとした鷹木は、疲れもあったためか少しよろめいた。

 

「うわっと……」

 

「おっと、大丈夫かい?鷹木トレーナー。」

 

 クーラーボックスの重量に引っ張られた彼の身体を、思わぬ力強さで支えていたのはナリタトップロードであった。

 

 望外の気遣いとともに、彼女の整った顔立ちに覗き込まれた鷹木は、自分の顔の赤らみが汗まみれの体温に紛れてくれたことを有難く思った。

 

「わざわざ、私たちのために買ってきてくれて済まない。私の担当トレーナーにも手伝わせれば良かったのだけれど。」

 

「いや、オペラオーが勝手に言い出したことだから……。」

 

「急な石段を上がってくるんだから、一人では危ないじゃないか。心配になって見にきてよかった。」

 

 言いながら、ナリタトップロードはごく自然な所作でクーラーボックスを鷹木から引き取り、軽々と担いで競争相手達のもとへと戻っていく。こういった気遣いの出来るウマ娘を、担当している桂崎が心底羨ましかった。

 

 陽炎に揺れる向こうでは、常時自分自身に退屈することなど無いのであろうオペラオーがドトウ相手に歌い踊って見せ、顔をそむけたアドマイヤベガがトップロードの帰りを待ちわびている。

 

 レース本番の緊張感を負わされることとは比べ物にならぬものの、覇王を称するウマ娘を担当することの易からぬ様を改めて実感した鷹木は、溜息一つ残して担当ウマ娘のもとへ向かった。

 

 来月にもなれば、秋からの本番レースが迫ることもあり、同じように練習時間を共有することは難しい。7月の期間を存分に競い合って過ごそうとするウマ娘たちの練習には今までにも増して熱が入っていた。

 

 ウォーミングアップを終えた後に行われた並走練習では、今回はオペラオーが勝っていた。前回よりも早めに仕掛けた彼女は、いち早くトップロードやドトウからも前に出て、なお加速してきたアドマイヤベガからも逃げ切ったのであった。

 

 その後も納得のいかぬ顔でアドマイヤベガがコースを流している時、昼ごろにはその気配すらなかった雨雲が頭上まで迫ってきていた。夕陽の光も褪せると同時にヒヤリとした風が流れ始め、所謂夕立というやつか、と鷹木が空を見上げたと同時に雨粒がポタリと落ちてくる。

 

 真っ暗な雲の底から見る間に篠突く雨となって降り注ぎ始め、遠くに見えていた入道雲が直上にたどり着いたのだ、と気づいたころには周囲もまるで宵を過ぎた頃のように暗くなっていた。

 

 練習場に隣接した屋内へと逃げ込みながら、ザァザァとしぶく雨音に負けぬよう、オペラオーが声を張り上げる。もとより、彼女の声は張り上げるまでも無くよく聞こえたが。

 

「はーっはっはっは!どうやら、天もボクの走りに感涙を催したようだね!」

 

「えーっと……さ、さすがですぅ、オペラオーさん……。」

 

「アヤベは、どこだ?確か、ちょうどコースの向こう側を走っていた最中だったけれど。」

 

 気づかわしげな声とともに、トップロードが大雨に煙る練習場の向こう側へと目を凝らしている。鈍い夕の日差しは豪雨にあっけなく遮られ、ほとんど暗闇となった練習場の反対側は良く見えない。

 

「アヤベさんなら、向こう正面に植えられた欅の下に向かっていったのが見えたよ!」

 

「だ、大丈夫でしょうかぁ、木の下で雨宿りしようにも、こんな土砂降りでは……」

 

「多分、雲が通り過ぎるまで待てば、そんなにかからず雨も上がるだろうけれど。」

 

 今もきっと、この豪雨を木の幹によりそって凌ごうとしているのであろうアドマイヤベガを、口々に気遣うドトウとトップロード。

 

 躊躇わずに土砂降りの練習場へと足を踏み出そうとしたのが、迷いを行動によって断ち切らんとするのが常のオペラオーであった。

 

「友を案ずるならば、今すぐにでも駆けつけようじゃないか!行こう、ドトウ、トップロード!この雨雲の向こうへと、濡れて瞬く一等星を迎えにゆこう!」

 

「え、えぇ~、この雨の中を、ですかぁ……?」

 

「アヤベのことだから、私たちが行っても迷惑がるだろうけれど……面白い決断だね。」

 

「いやいや、待ってくれ、皆。雨雲が通り過ぎるまで、待てばいいだけだろう?濡れたら風邪をひくぞ。」

 

 アドマイヤベガも雨宿り場所を見出しているのなら、わざわざウマ娘たちを雨に打たれに向かわせる必要はない。鷹木は彼女らの体調を案ずるトレーナーの立場から、止めに入ったのであった。

 

 一方、オペラオーが目にした通り、欅の木の下で夕立が収まるのを待ち続けているアドマイヤベガ。

 

 周囲は芝を叩き続ける雨粒の音に溢れ、試しに口に出してみた呟きも、自分自身の耳に届く前に遮られるほどである。

 

「夕方とはいえ、こんなに周りが暗くなるなんて……ちょっと、怖いぐらいね。」

 

 夏合宿期間における夕闇は、彼女はことさらにその様子を見せまいとしていたものの、それはかつての経験からアドマイヤベガにちょっとした恐怖を呼び起こさせる材料でもあった。

 

 2年前の夏、遭遇した奇妙な経験。合宿施設地元の、人気のない商店街にて、彼女は自分の行く末を予言するかのごとき新聞記事の貼られた掲示板を目撃していた。

 

『99年ダービー馬、アドマイヤベガ急死。 29日早朝、99年日本ダービーを制したアドマイヤベガ(父サンデーサイレンス、母ベガ)が急死した。解剖の結果、死因は偶発性胃破裂であった。28日夕方ごろから疝痛の症状を訴え……』

 

「あんなの、きっと変な夢を見たのを、記憶と混同しただけ。先のことが分かるなんてあり得ない、私の将来は私自身の実力で勝ち取っていくんだから。」

 

 そうは言ったものの、漠然とした不安は彼女の胸の奥底にしがみついたまま離れない。

 

 謎めいた新聞記事に記されていた通り、翌年に学園2年目となった彼女は東京優駿すなわち日本ダービーを制している。その後、脚の不調によって一時療養に入り、今年の宝塚記念を目指して調整を進めていたことまでぴったり言い当てられていたのであった。

 

 今年の宝塚記念への出走をアドマイヤベガが見送ったのはもちろん、GⅠで勝てるだけの本調子を取り戻せていなかったことが理由ではある。

 

 が、あの不気味な新聞記事に沿った行動を自分が採ることを、避けよう避けようとする思いも心の隅には確かにあった。

 

「私は、まだ引退なんてしない。アイツに、オペラオーに勝つまで、諦めるつもりなんてない。」

 

 再び轟々たる雨音に遮られながらも、自分に言い聞かせるかのような言葉を口にするアドマイヤベガ。

 

 彼女の視野の端に、何か嫌なものが映ったような気がしたのと、一層ヒヤリとした風が流れて総身がけば立ったのが同時であった。

 

 今、チラと見えたものの存在を認めたくはない。

 

 が、脅威から目を逸らすべきではないという本能的な判断が、そちらに視線を向けさせた。

 

『……緊急入院。しかし、既に手の施しようがなく、翌29日午前五時ごろ、関係者に見守られるように息を引き取った……』

 

「ヒッ……!?」

 

 あり得ない、あり得ない。

 

 いかに自分の中で否定しようとも、その古ぼけて錆びた掲示板は、自分の目の前に立っていた。

 

 豪雨は降り続いていたはずだったが、その周囲だけ時間が止まり、雨音も遠のくようであった。紙の端か黄ばんで捲れ上がり、縮れた新聞記事の切り抜きは、一言一句変わらぬ文面を載せ、2年前と同じように掲示されていた。

 

『……日本ダービーにおける勝利後、翌年の宝塚記念に向けて調整を進めていた中、繋靭帯炎を発症し出走を断念。そのまま引退した矢先の出来事であった……』

 

「違う、違う……私は引退なんてしない、不調はもう乗り越えたの、またレースに復帰するんだから……!」

 

 誰に向けたわけでもないアドマイヤベガの反論を遮るように、ごうと吹き付けた突風が雨粒と共に顔面から襲い掛かり、彼女は後ずさった。

 

 バランスを取ろうとして後ろに出した足は、想定していた位置で地面を踏まない。

 

 グラリと姿勢が崩れ、アドマイヤベガの身体は背後へと倒れていく。

 

「あぁっ……!」

 

 暗闇の中、どこから注がれるとも知れぬ豪雨の粒が縦横無尽に舞い、アドマイヤベガの総身を強く打った。

 

『引退した。アドマイヤベガは引退した。走っていない。もう走らない。走ってはならない。』

 

 後ろなりに倒れ、地は足についていなかったが、アドマイヤベガの目の前に変わらずその記事は示され続けていた。

 

 まるで、彼女に見せつけ、彼女の望まぬ命運を突きつけるかのごとく。

 

「……嫌ッッ!私は……」

 

「どうも!『恐怖』とやら!バカなボクは、もうすっかり忘れてしまったけれど!」

 

 ほとんど感覚を失ったかのごときアドマイヤベガの腕に、燃え滾る太陽のごとく熱い手が絡みつく。

 

 同時に響き渡った高笑いは、聞きなれた憎たらしさとともに、今まで閉じられていたアドマイヤベガの瞼を自ずから開かせた。

 

「はーっはっはっは!目隠しされた目には夜しか見えないとは言うが、どうして目を閉じていたんだい、アヤベさん!確かに一等星に相応しき舞台だけれどね、夜は!」

 

「オペラオー……!?」

 

「はっ、はわわわわあ!オペラオーさんも、アヤベさんも、危ないですぅぅ!」

 

 ようやく正常な意識を取り戻したアドマイヤベガは、自分の身体が石段の最上段から倒れかけていることに気づく。

 

 あのまま後ずさって足を踏み外していては、石段を一番下まで転げ落ち、無事ではなかっただろう。

 

 そんなアドマイヤベガの腕を握り締め、引き留めているオペラオーはと言えば、背後でその体を支えているメイショウドトウとナリタトップロードによって、これまたかろうじてバランスを取っている状態であった。

 

「アヤベ、まずそこにしゃがみこんで。目まいがしたのなら、すぐにでも校医さんを呼ぼうか。」

 

「……大丈夫。皆、危ないところ、ごめん……それから、ありがとう。」

 

「なんと!?我が愛しき一等星から、決して口にしないであろう言葉が贈られた!おぉ、称えあれ!ボクたちを照らす太陽!称えあれ!夜から浮かび上がる光!」

 

「うるさい。」

 

「い、いつも通りのアヤベさんですぅ……。」

 

 どうにか石段を転げ落ちずに済んだアドマイヤベガは、トップロードに言われた通り、腰を下ろして足元の段に腰掛ける。ずっと豪雨に打たれ続けていたせいか、自分の額に当てる指先にもまだ体温を感じられない。

 

 むろん、かの謎めいた新聞記事を貼った掲示板などどこにもない。早くも小降りとなって来た夕立は上がり、再び差し込み始めた陽射しは既に夕の色に染まっていた。

 

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