マイルチャンピオンシップを制したアグネスデジタルには、しばらく寝付けぬ日々が続いた。
夜の静けさに包まれれば、たちまち耳の奥底からよみがえってくるのは、あの京都レース場に響き渡る大歓声。
それは今まで幾度も、観客としても出走ウマ娘としても聞き慣れてきたもののはずであったが、あの瞬間からは別の大きな意味合いが加わったようにも思われた。
ただ自分が勝ったということに対する賞賛としてだけではない、何か……。
「やっと、追い求めていたキラキラに手が届いた気がするんです。おかげで……こんなにも貴重なものだったことに、初めて気づけました。」
あの響きから、もちろん勝利ウマ娘としての心地良さを拭い去ることはほぼ不可能であった。が、体を休めねばならない深夜にも否応なく心を昂らせるそれは、デジタルから安眠の時を奪い取っていった。
何故か沸き起こってくる不安にも似た想いが過去の勝利にではなく、ウマ娘として身体能力が本格化していく学園3年目に向いていることに気づいたとき、ますます彼女は悶々とした。来年の自分は、あの過去最高とも思えるレースで発揮した以上のパフォーマンスを披露することが、果たして出来るのかと。
やがて、アグネスデジタルは年内のレース出走を控える決断を下した。
十分な休息が取れない状態ではトレーニングにも全力で取り組めないうえ、未だ自分の手が届いていない領域へと再び昇り始めるだけの気力も回復を待たねばならない。
こういった小さなスランプの種を見出した時、アッサリと気分を切り替えることが出来るのはアグネスデジタル生来の長所であった。
「息を呑んでばかりもいられませんからね。レース場は、皆で盛り上がって応援するところですし!」
既に世間からのアグネスデジタルの認識は、GⅠマイルウマ娘の新星となっている。が、私服に着替え、耳を隠す帽子を被って外出した彼女はレース場にもライブ場にも通い慣れた独りの観客である。
その立場であれば、ウマ娘のレースにも気軽に顔を出すことが出来た。共に並んで声援を飛ばす仲間がいる状態であれば、なおさら自分自身が出走する時の切迫した思いなど忘れ去ることが出来た。
とはいえ同じトレセン学園の知り合いは、殆どが次なるレースへの出走に向けてトレーニングに打ち込んでおり、誘い合わせて観戦に向かえる者はまずいない。オペラオーとの対決が控えているエアシャカールは言わずもがな、キングヘイローも来月の大舞台が迫る中で鍛錬を続けている。
来月の大舞台……すなわち、有馬記念。
覇王テイエムオペラオーが当然ながら出走するその舞台で、ついに数年越しの約束、王を冠する者同士の直接対決をキングヘイローは果たそうとしているのだ。
アグネスデジタルの目から見ても、キングヘイローの勝ち目は薄かった。マイル路線に移ったことでようやく戦績を伸ばしつつあった彼女が、中山レース場の2500mに戻ってくるのは2年ぶりのことである。
しかし、不屈の王者は依然として勝つ気満々であることをアグネスデジタルは知っていた。
マイルチャンピオンシップにて、自分の背を押すように送り出してくれた礼、そして共に走れたことへの感謝を述べようとキングヘイローの練習場を一度アグネスデジタルは訪れた。が、そこでわき目もふらずトレーニングに打ち込む先輩の真剣な様子に気圧されるがまま、何も言えずに引き下がっていたのであった。
「……それにしたって、オペラオー先輩に挑む方々は、雰囲気が変わりますね。なんというか、本気モードになるっていうか……」
「そうかな?どっちかというと、極力平常心を保とうって感じなんだけれど。集中力を欠いたら、勝てないからね。」
アグネスデジタルの隣で、ナリタトップロードが答える。
レース観戦に誘える面々がほぼ居ない中、デジタルの誘いに付き合ったのはナリタトップロードであった。ジャパンカップへの出走は見送り、オペラオーとの対決はドトウやアドマイヤベガに託した彼女は、その日を休養がてら覇王のレースを直に観戦する日としていた。
今となってはその顔が露わとなれば周囲で大騒ぎを引き起こしかねない両名は、目深にかぶった帽子の鍔の下で会話を続けている。
「そりゃあ、トップロード先輩はいつも冷静沈着な走りで……あー、でも確かに、皆さんの集中力が半端ないってことには違いないですかね。」
「どんなレースでも本気で挑むのは違いないんだけれど、オペラオーくんと競走するときは自然と超本気になる、っていう感じかな?」
「皆さんの底力を引き出してるんでしょうか。普段の振る舞いからしてそうですが、やっぱりどこか不思議なお方ですねぇ、テイエムオペラオー先輩は。」
「うん。ドトウも、アヤベも、私も。オペラオーが居るから、今の走りを出来てるような感じだよ。」
強い競争相手が居れば、それはすなわち自らの鍛錬の質を高める環境である。黄金世代が去った後も、現世代の更に後も、ウマ娘たちの身体能力の発達、技術の研鑽は進み、ますますウマ娘レースの質は磨かれていくのだろう。
今年度無敗を誇るテイエムオペラオーと共に走れれば、それはますます自らの糧となるはずだ。そう考えたアグネスデジタルは、勢い込んでトップロードに尋ねた。
「いずれ私も、オペラオーさんと同じレースに出たいです!今から走る、シャカールちゃんみたいに!」
「あぁ。」
しかし、ナリタトップロードは彼女に似つかわしからぬ生返事を口にするのみ。
表情に疑問符を浮かべたアグネスデジタルに顔を覗きこまれ、トップロードは初めて曖昧な笑みを浮かべながら言葉を選びつつ返答した。
「……その通りだね、確かに強い相手とぶつかれば、自分の走りを高める材料に出来るだろう。」
「ですよね、私はキングヘイロー先輩と共に走れたおかげで、自分のレースを少しつかめたような感じですし。」
「けれど、オペラオーは……ちょっと、越える目標にするには高すぎるかな。」
前向きな言葉を期待していたところに、全く質を異にする返答を得て驚いたアグネスデジタルは、いつも冷静で穏やかな先輩の表情を確かめる。
トップロードの顔つきは無論大きく変わってなどいなかったが、瞳の奥にはどこか冷たいものが宿っていた。
「でも、トップロード先輩も、オペラオー先輩とたびたび競い合っておられるじゃないですか。」
「私も、ときどき離れて休まないと。現に、今日のジャパンカップ、出走を見送ることはかなり以前から決めていたからね。」
最低限の返答だったが、トップロードの言わんとするところは、アグネスデジタルにも十分に伝わった。
本気で体力の限界まで引き出して走るレースは、あまり回数を重ねれば、それだけ身体に故障をきたすリスクが上がっていく。ウマ娘がどれだけレースに頻繁に出たとしても、1か月に1度のペースが限度である。
それを守ったとしても、現世代のトップを走るウマ娘に追いつき続けることは相当の負担を体に強いる行いなのだ。
昨年であれば、黄金世代最強のスペシャルウィークに張り合う数少ないウマ娘としてグラスワンダーが目立っていたが、彼女は疲労が蓄積した結果としての骨折により引退を余儀なくされている。
「ですけど、メイショウドトウ先輩やアドマイヤベガ先輩は……」
「あの子達こそ、覇王に並ぶ存在として相応しいのかもしれないね。ずっと付き合って来たから分かるよ、URAの頂点を争うウマ娘は、尋常じゃない能力の持ち主だって。」
当のトップロードとて、テイエムオペラオーから菊花賞の一着を奪い、今年に入ってからも覇王と互角の争いを見せるトップクラスのウマ娘である。
しかし、そのトップロード自身から聞かされた言葉は、レース前の興奮で紅潮していたアグネスデジタルの顔を冷まさせるに十分であった。後輩の表情が沈んだのを見て取ったトップロードは、慌ててフォローを入れる。
「もちろん、エアシャカールちゃんも最近はぐんぐんと戦績を伸ばしてきているからね。初の覇王との対決、見どころなんじゃないかな。」
「……ですね!ささ、早いとこ席に行きましょ、パドックでの紹介始まっちゃいますよ!」
幾万と詰めかけた観客が待ち構えるは、アナウンサーの実況、そしてスペシャルウィークによる解説。
秋の天皇賞における実況席へのスペシャルウィークの参加は好評であり、大舞台には彼女の声が響き渡ることが今後恒例化していくだろう。
〈さぁいよいよ発走の時間が近づいてまいりました、今年度のジャパンカップ。今回も解説にはスペシャルウィークさんをお招きしております、よろしくお願いいたします。〉
〈はい!皆さま、ようこそ東京レース場へ!スペシャルウィークです!〉
〈さてジャパンカップと言えば、やはり記憶に新しいのは昨年のスペシャルウィークさんの勝利です。日本総大将の称号を獲得した、あの激闘が一年前のこの場所で行われたわけであります。〉
〈ありがとうございます!ですが、今年走る子たちは更に熱いレースを見せてくれると思いますよ!〉
むろんスペシャルウィークの意識の上には、一年後輩でありながら果敢に現世代へ挑もうとするエアシャカール、あるいは昨年に引き続き今年も出走するステイゴールドの存在があっただろう。
が、実際にこのレースを走った彼女の予測には、既に優勝争いに加わり得るウマ娘の名はほぼ絞り込まれていた。パドックでのウマ娘紹介を終え、続々とゲートインしていったウマ娘たちが東京レース場の長大なターフに並ぶ。
〈ゲートイン完了しまして……スタートしました!ほぼ一線のスタートを切りました、ダイワテキサス内から好スタートです、1番人気のテイエムオペラオーも順調な走り出しです。マチカネキンノホシ前へ出ようとするところか……外側から一気にステイゴールド!ステイゴールドが上がってまいりまして先頭に立ちました。〉
〈このコースは一周が長いですからね、一番外の枠はコーナーの距離が長くなっちゃいます。先行して、早めにウチ側へと入る作戦でしょう。〉
序盤から一気に飛ばして前に出たステイゴールドの姿に、ホームストレッチに面したスタンドから歓声が沸き起こる。ウマ娘レースを走り続けて5年目、大ベテランの大胆な作戦であった。
スタート直後からの急展開であったが、ほとんどの出走ウマ娘たちに動揺の色は見られない。唯一、レースに集中する心に細波を立てられたような感覚を覚えたのはエアシャカールであった。
(ビビらせてくれるぜ、大先輩が。落ち着け……ペースを乱されるわけにはいかねぇ。)
しっかりと競走相手の走りの癖を読み込んでロジカルに作戦を組み立てていたエアシャカールの想定を、大きく崩す走りであったことは間違いない。ステイゴールドは、先月行われた秋の天皇賞を追い込み、最後方からの仕掛けにて挑んでいたのである。
今、それとは全く逆に、彼女が先頭に立って逃げの走りを披露する姿など、誰にも予想できなかった。
〈先頭のステイゴールドを追いまして、ジョンズコール二番手。マチカネキンノホシ、メイショウドトウ並んで三番手集団、ダイワテキサス、続きましてテイエムオペラオーといった順であります。シルクプリマドンナ、エラアシーナ、そしてイーグルカフェが外に続いて、第1コーナーへと入っていきます。〉
〈勝ちが有力視されてる子たちが、しっかりとウチ側に入っていますね!早くも最終スパートでの競り合いに期待ですよ!〉
ステイゴールドの落ち着いた走りが先導しているためか、集団はさして大きくバラけることなく、固まったままの状態でコーナーを回っていく。
出来ることなら最ウチに入りたかったエアシャカールであったが、可能な限り小回りでコーナーを抜けようとするのは他の選手も同じである。前後左右を囲まれた状態で、かろうじて接触事故を起こさないギリギリのラインを攻めながら走っていた。
(オペラオー先輩も、ドトウ先輩も、一番内側のコースは取られて入れて無ぇ。条件は同じ、ってワケだ。)
自分が焦りによって前に出てしまい、スタミナを浪費する癖があることを意識したシャカールは抑えながら脚を運ぶ。彼女にとってもう一つの予想外があったとすれば、アドマイヤベガがシャカールよりも前を走っていたことであった。
〈メイショウドトウが上がってまいりました現在三番手、1コーナーから2コーナーへと入るところであります。ウチからダイワテキサス、エラアシーナ、そして中団にテイエムオペラオー。中団から後方にかけましては、ウチを通りましてフルーツオブラヴ、シルクプリマドンナ、その外側をアドマイヤベガが回っていきます。〉
〈既に前を狙える位置についてますね!先行する選手たちに、アドマイヤベガさんの追い込みがささりそうです!〉
回っていく距離上は不利ではあるものの、前を塞がれる恐れのない大外をアドマイヤベガが進んでいる。
全国にあるウマ娘レース場の中でも、特に直線の長い東京レース場。コーナーを回り切ってゴールに入るまで、最終直線の長さは実に525mである。それだけ、先行ウマ娘がゴールにたどり着く前に後方から差せるチャンスは長いというわけだ。
大外を回った分だけ後ろに離されても、直線に入ってから十分にスタミナを残していれば一気に差し切れる。それがアドマイヤベガの狙いであろう。
(オレにも出来るか……?アドマイヤベガ先輩と、同じことが。)
みっちりと詰まった集団、なかなか間を抜け出せそうにない状況を前にして、エアシャカールの脳内ではコーナーを大外で攻略する選択肢が浮かびあがる。
ちょうど、その背後でアグネスフライトの蹄音が外側へとコース取りする様をシャカールは聞き取った。東京優駿で、そして菊花賞で競い合った好敵手の選択に、シャカールも胸中で笑む。
(なるほどな、アグネスフライト。お前も考えてることはオレと一緒か。)
〈ますます集団が固まってまいります、後方集団にはエアシャカール、続きましてアグネスフライト。揃って外を回っていきます、やはり最終コーナーに備えての位置取りか。最後方からはレーヴドスカー、こういった展開でゆったりとしたペースになりました。残り1400mを今通過しまして、向こう正面も中ほどを過ぎましたステイゴールド先頭であります。〉
〈先頭のペースで全体が抑えられて、スタミナも皆けっこう温存しているんじゃないでしょうか!最後の仕掛け勝負に持ち込まれそうです!〉
3コーナーが接近してくるとともに、ウマ娘たちの間に放電の如く緊張感が漲り始める。
スタミナに余裕があるのは全員同じ、となれば仕掛けが少しでも遅れれば置いて行かれるということだ。一つの目安となり得るのは、向こう正面の途中に用意された上り坂である。
そこを上り切れば、あとはゴール前の上り坂以外に減速する区間はない。
(……来たか!)
シャカールの視野の隅、先行集団に囲まれたテイエムオペラオーが、動いたように見えた。
はっきりとスパートと呼べるペースに入ったわけではない。
だが、世紀末覇王の闘争の炉に、確実に点火された兆しは、全身を粟立たせる脈動のような感覚と共にシャカールまで届いたのであった。
〈中団ウチ目を進んでいきますエラアシーナ、坂を上り切りまして、テイエムオペラオーが徐々に上がっていきました。あとはイーグルカフェ、固まってフルーツオブラヴ、アドマイヤベガも前を目指し始めております……3コーナーを回っていきます、エアシャカール動いた!アグネスフライトもほぼ同時に仕掛けました!〉
〈いいタイミングですね!このペースでいけば、最終直線では前に出られるかも!〉
テイエムオペラオーのスパートに遅れを取れば、まず追いつけない。
自分の考え得る最善のタイミングで仕掛けたエアシャカールは、これまた殆ど同時にスパートに入ったアグネスフライトの気配を背に感じながら先頭を目指し始める。
選手が、広いところでは4名も横並びになって回っていく第3コーナー。アドマイヤベガの更に大外から抜いていくエアシャカールは、しかしこれが大きな賭けであることを重々承知していた。
(まだ仕掛けねぇのか、先輩方はよ……オレを見送って、それでも追いついてくる確信があるってのか。)
すぐ隣を後ろへと下がっていくアドマイヤベガからは、静かな気配だけが返されるばかりであった。
〈800の標識を通過、先頭は変わらずステイゴールドです、大外を回ってエアシャカールとアグネスフライト上がってくる、メイショウドトウはまだ三番手のまま、動く気配がない、マチカネキンノホシ、ダイワテキサス……さあエアシャカール上がって来た、中団に並んで直線へと向かう!テイエムオペラオーはバ群の中、集団内に埋もれて動かない!〉
〈いよいよ直線です、これは分からなくなってきましたよ!〉
観客席からはどよめきと歓声が入り混じった声が上がり続けている。エアシャカールはしっかりとスタミナに余裕ある状態でぐんぐんと前に上がっていく。
その一方で、大本命である覇王テイエムオペラオーは集団に埋もれ、前を塞がれたまま。メイショウドトウも三番手の位置から動こうとしていない。
遂に、覇王の連勝記録を、まさかの一年後輩のウマ娘が奪うのかと観客たちの興奮はますます高まっていった。
とはいえ、実況席のスペシャルウィークには、既にこのレースの結末は見えていたが。オペラオーならば、コーナーから直線へ出た時の僅かな集団のバラけに乗じて、前に抜け出すのも容易であろうと。
〈第4コーナーから直線!ステイゴールド先頭!マチカネキンノホシはウチに進路を変えた!さらに外から、メイショウドトウ、メイショウドトウがついにここで仕掛けた!テイエムオペラオーやって来た!テイエムオペラオーが来た!後方からアドマイヤベガ!アドマイヤベガが最後方から飛んでくる!〉
〈この長い直線で、勝負を決める形ですね!ついに来ました!覇王のライバルたち!〉
いよいよ本気のスパートを見せ始めた人気ウマ娘たちの追いこみに、観客席は更に沸き立つ。
エアシャカールの真横を、並ぶ時間もほぼ無いスピードでアドマイヤベガが追い抜いていく。
とはいえ彼女ら自身は盛り上がりのために作戦を決めているわけでは無い。直線の長さを見越し、コーナーを回り切るまで、無理にスタミナを消費する走りを避けていたにすぎない。
そのことにはエアシャカールも痛いほどに気づいていた。そして、気づいたときには遅かった。先頭争いに加わっていく先輩ウマ娘たちの、次元の違う速さにも。
(ウソだろ……遠すぎる!)
エアシャカールの真横では、アグネスフライトも必死で脚を動かしていた。
一着を奪い合う、覇王と名将、そしてベガの輝きが遠のいていくばかりだと分かっていたとしても。
〈外からテイエムオペラオー!大外からアドマイヤベガ!突っ込んでくるがメイショウドトウ、メイショウドトウ!ステイゴールドにマチカネキンノホシが並ぶが、苦しいか!テイエムオペラオーが先頭に立った!テイエムオペラオーだ!しかしアドマイヤベガも追い込んでくる!並んだ!メイショウドトウはウチ側!間をテイエムオペラオー!〉
〈並んでます!凄い!〉
またも、先頭を奪い合うのは、この三名。
エアシャカールの位置からは、それが雲の彼方、空を越えた先のようにも見えた。同じウマ娘が立てる場所だとは思えなかった。超常的な何かが、計り知れぬ次元の競い合いを披露している。
現実では同じターフの上、数十メートル先の存在であったのだが。
〈メイショウドトウか!テイエムオペラオーか!アドマイヤベガか!テイエムオペラオー!クビ差だ!今ゴールイン!テイエムオペラオー勝ちました!わずかにクビ差!二着はメイショウドトウ、そしてほぼ並んでアドマイヤベガが三着です!〉
〈すごい競り合いでした!あのゴール前の攻防!私もまた走り出したくなっちゃいます!〉
その後も続く実況アナウンサーとスペシャルウィークの掛け合いを聞きながら、アグネスデジタルは固まったようにターフ上を見つめていた。
視線はゴール板にてくぎ付けとなり、彼女の視界の中を十位以降のウマ娘たちが横切っていく。その中に、ほとんど同時にゴールするアグネスフライトとエアシャカール両名の姿も混じっていた。
「凄いでしょ。オペラオーも、ドトウも、アヤベも。」
ナリタトップロードから言葉を掛けられ、初めてアグネスデジタルは金縛りが解けたように顔をそちらへ向ける。
よほど強張った表情をしていたのか、トップロードは優しく微笑んでドリンクのボトルを差し出した。
「口開きっぱなしだよ、喉乾いたんじゃない?」
「あ……はい、どうもです……。」
ウマ娘らしく冷えたスポーツドリンクは、11月の末には冷たすぎる飲み物ではあった。
が、アグネスデジタルの中で改めて熱く滾っているウマ娘の血には、心地良い冷たさだった。
「どうだった?オペラオーの走り、目の前で見たのも久々でしょ。」
「はい……!」
ボトルの口をキュッと閉じ、アグネスデジタルは笑顔とともにトップロードへと言葉を返す。
「ますます、勝ってみたくなりました!世紀末覇王、テイエムオペラオーというウマ娘に!」
滅多に驚きの表情を見せないナリタトップロードの目が、わずかに見開かれる。
その済んだ瞳で、しばらくアグネスデジタルの目の内を覗き込んでいたトップロード。やがて、返された飲料ボトルを受け取りながら、いつもの穏やかな笑みと共に口を開いた。
「本当に勝ってしまうかもしれないね、君なら。」
芝の上に、世紀末覇王の高笑いが響き渡っている。
その背にあと一歩のところまで迫り来た騎士たちを従えて、ターフの上を歩みながら悠々と観客席に手を振っている。
見つめるアグネスデジタルの瞳の輝きは、既に同じ舞台に上がる者としての戦意を宿していた。