トレセン学園には大晦日の雪がチラついているが、練習場にてトレーニングに励むウマ娘たちの姿が見られない日はない。
今日は少々特別な日となる予定だったが、名実ともに世紀末覇王となったテイエムオペラオーも例外なく、日々の鍛錬のため今は個別練習場に籠っている。
ウマ娘たちを個々の練習に向かわせた一方で、彼女らを担当するトレーナー達は、今日のために借りた殺風景な会議室をどうにかして華やかに飾り付けようと苦心惨憺していた。
「ダメです、この部屋の壁、貼り付けたテープが簡単に剥がれる材質です。」
「蹄鉄用の鋲でも打って、固定しちまえばいいんじゃないですか。」
「いや絶対怒られるでしょ、借りた会議室の壁を穴だらけにしちゃ。」
片桐トレーナーの大胆な発想を鷹木トレーナーが思い直させ、傍らでは桂崎トレーナーが黙々と飾りつけ作業を続けている。
普段からあれほど華やかなウマ娘たちの舞台を目にしているにもかかわらず、担当トレーナーたる男たちには祝賀用の飾りつけをする才覚が欠片も無かった。
テーブルの上には、慣れぬ手つきで歪に作られた色紙テープの飾りがいくつも放り出されている。買って来た市販のパーティグッズの方は既製品なりのクオリティを発揮していたが、そこそこ広い会議室の中をそれらだけで華やかな雰囲気にすることは至難の業である。
今しも、工作用の強粘着テープで壁に色紙の飾りを貼り付けていく途中、最初の方に貼った飾りが自然と床に剥がれ落ちていた。
その落下する動きをなすすべなく目で追った後、片桐は肩をすくめて告げる。
「開き直って、床の飾りだと言い張ることにしましょうよ。」
「オペラオーは笑ってくれるかもしれませんが、今回は他のウマ娘も顔を出すんですから……。」
そうこうしている内にも結局打開策は見つからず、練習を終えたウマ娘たちが会議室へと呼び出されるころには、ごみ箱の中に粘着力の無くなったテープの束、そして机の上にせめてもの繕いとばかりに整然と並べられた安っぽい装飾があるばかりであった。
とはいえ、仮にそれらを当初の想定通り壁面に飾ることが出来ていようがいまいが大して変わりは無かっただろう。
GⅠの舞台にまで至ったウマ娘とは、そこに存在するだけで空気を一気に変えてしまうようであった。特に、会議室に入ってくる前から歌声を響き渡らせていたオペラオーのようなウマ娘であれば、なおさら。
「テ・イ・エ・ム・オペラオー!称えよ、テ・イ・エ・ム・オペラオー!この世で最も、強く、美しい!華麗な光を~!」
彼女が周囲を憚ることなく歌うのはいつも通りであり、オペラオーに続いて入って来た面々の反応もまた平常と変わらない。
「ひ、ひかりを~……!」
本番の舞台で見せる堂々たる姿とは全く対照的に、メイショウドトウはやはりオペラオーが即興で繰り出す振り付けを見真似つつ、オドオドとついてきている。
「あなたまで律儀に歌わなくたっていいわよ、ドトウ。」
「いいじゃない、皆で盛り上がった方が楽しいんだから。」
アドマイヤベガはうるさそうにその耳をオペラオーから背け、ナリタトップロードはアドマイヤベガの隣で爽やかに笑んでいた。
が、もしも居ればきっとオペラオーに追随し、負けず劣らず高いテンションで歌っていたであろうアグネスデジタルの姿は、ここに無い。
年が明けて間もない1月5日に、早くも彼女は京都レース場にて行われる京都金杯に出走することとなったのだ。マイルチャンピオンシップ以降、年内の出走を見送っていたアグネスデジタルは、今まさに本番に向けた追い込みの真っ最中であった。
来年ともなれば、そろそろオペラオーの一つ下の世代が本格化を迎える頃だ。今年のジャパンカップではエアシャカールやアグネスフライト相手に圧勝していたオペラオーの世代であったが、時がたつにつれ全盛期を次の世代へと受け渡していくことになるだろう。
担当トレーナーたる鷹木としてはもちろんオペラオーを勝たせ続けることこそ責務であったが、かつてのような焦りはそれほど大きく膨れ上がりはしなかった。
何と言っても、今年という一年を経て、オペラオーはこの上ない戦績を残したのだから。
結局凝ったデコレーションを何もできなかったトレーナー達の手によって、会議室のホワイトボードに黒いペンで『テイエムオペラオー 年間最優秀ウマ娘 おめでとう』の字だけが書かれていた。
機嫌よさげに歌いながら現れたオペラオーの目にも、さすがに部屋の様子が殺風景すぎると映っていたのだろう。彼女は何を思ったか、机に延べられていた紙テープの飾りを一束つかみ取って、くるりとマフラーのように自らの首に巻いた。
こういった工作には疎い鷹木の手になるそれはいかにも安っぽい作りであったが、テイエムオペラオーの顔を取り巻いている間、多少は豪華な装飾品のようにも見えるようであった。
「あぁ、ありがとう!このボクを祝ってくれる場を用意してくれて、感謝するよ!」
「こっちが先に『おめでとう』を言うのを待つもんじゃないのか。」
「おや、このボクに指図するというのかい?ついに世紀末覇王伝説を本物とした、このボクに!」
「いや、別に気にしなくたっていいけどさ……」
「いいだろう!キミはボクのトレーナーだからね!さあ、この大晦日パーティ杯の作戦を聞こうじゃないか!」
どこまで行っても、鷹木はオペラオーに翻弄される立場に変わりないようであった。
そんな両名の様子を、開いたままの扉から見つめていたのだろう。グラスワンダーがクスクスと笑いながら、杖の音と共に入ってくる。
「その役目に、鷹木トレーナーは不適任かもしれませんね。お祝いの場には、もう少し相応しい飾りつけがあるでしょう。」
グラスワンダーは、杖を突いていない方の手に大きな花束をふたつ抱えていた。差し出されたそれを、オペラオーは嬉しそうに受け取った。
花束に並んでしまうと、鷹木の作った紙テープの飾りはいかにもチープであった。
「おめでとう。あなたと共に走った先輩ウマ娘としても、誇らしく思いますよ。」
「本当にありがとう!しかし、あぁ、なんということだ!ボクは、グラスワンダー先輩が有馬を連覇した時、何も贈らなかったというのに!」
「それは当たり前です、その時のあなたは私の競走相手でしたから。」
ちょうど二つある花束を受け取ったオペラオーは、何を思ったか机の上に出しっぱなしになっていた粘着テープを手に、ホワイトボードへと小走りに近づいていく。
そこでは既に、ナリタトップロードと彼女を手伝うメイショウドトウの手によって、ホワイトボード上の『おめでとう』の文字に様々な装飾が描き加えられている。
「さぁ、世間よりも一足先に新春を迎えようじゃないか!覇王は、自ら春を招き入れるのさ!」
オペラオーはグラスワンダーから受け取った花束二つを、その装飾に加えるがごとくホワイトボードに粘着テープでしっかりと貼り付けたのであった。
黙って眺めていた桂崎トレーナーが唸る。
「なるほど、壁面に貼れないなら、ホワイトボードを中心にデコレーションする手がありましたか。」
「いや、あそこから綺麗に剥がすことが出来ない恐れも……」
未だに自分のウマ娘を祝うことよりも、学園の備品を汚損してしまうことを恐れている小心者の鷹木トレーナーに、アドマイヤベガからの言葉が刺さった。
「なんで祝われるはずのアイツ自身に、祝賀会場の飾りつけをさせてるのよ。」
「だな……というか、粘着テープを机の上に置きっぱなしってのも、マズかったか。」
反省して頭を掻いている鷹木にフォローを入れる、ナリタトップロードの声が温かかった。
「あはは、でもこうやって好きに動けるって感じ、オペラオーには合ってるんじゃないかな。」
ある種、鷹木とテイエムオペラオーの関係と重なり合う状況ではあった。
オペラオーの脳内には次々とデコレーションのアイデアが浮かんでくるのか、これまた会議机の上に置きっぱなしとなっていたパーティグッズやその他の飾りを手に、ホワイトボードへ向かっている。
鷹木はグラスワンダーに尋ねた。
「そういや、どうして花束が二つ?」
「私と、スペちゃんからです。スペちゃんは、やはり年末ともなれば忙しいので……。」
今年一年を振り返るウマ娘特番は、毎年恒例のようにテレビ局の目玉番組となっている。そこに姿を現さずにいられるはずもないスペシャルウィークは、せめてオペラオーに思いを伝えたいとグラスワンダーに花束を託したのだった。
なんだかんだ器用なオペラオーの手によって、それなりの形に仕上がったホワイトボードのデコレーション。
うんうんと頷いているオペラオーを背後からボンヤリ見つめるばかりのトレーナーたちの背に、先ほどアドマイヤベガが放ったのと同様のツッコミが刺さった。
「ちょっと、どうしてオペラオーさん自身に飾りつけを担当させてるんですの!」
振り返れば、キングヘイローが両腕に大きな紙袋を提げ、真面目な瞳でトレーナー達を睨んでいる。
恐縮して頭を掻くばかりのトレーナー達の代わりに弁明しながらも、オペラオーは有馬記念でも共に走ったもう一名の先輩を歓迎した。
「やぁ、キングヘイロー先輩まで来てくれるだなんて!これはボク自らのプロデュース魂が燃えた結果だから、気にしないでくれ!」
「ということは、トレーナー達に任せていたらもっと殺風景だったってわけね……。」
やれやれといった表情で、両腕に下げていた大きな紙袋を会議机の上に置くキングヘイロー。
中からはドリンク類に紙コップの束、駄菓子やボードゲームの類に至るまで、彼女なりに選んできた、この大晦日の集いを楽しく過ごすためのアイテムが次々に取り出される。
祝い事といえば食堂で高価なメニューを頼むか、外食に行くぐらいしか思いつかなかったトレーナー達は、キングヘイローの登場に大きく救われる形となった。
間もなく、キングヘイローが音頭を取る形でオペラオーの祝賀会、兼、ウマ娘たちの忘年会が始まる。
キングヘイローが持ってきたものの中にカラオケ用マイクが入っていたのを見逃さなかったオペラオーが、当然の権利のごとく会議室の真ん中で自作オペラを披露している間、鷹木は彼女の先輩ウマ娘たちからの質問攻めに遭っていた。
グラスワンダーが持ち出した話題は、当然ながら来年度以降のオペラオーの方針についてである。
「オペラオー自身の意思は、確認なさっているのですか?」
「えぇ、何度聞いても同じ答えですが。『ボクは走り続ける、ボクが勝ち続ける限り』って。」
「要するに、自分を負かす相手が出てくるまで、現役続行ってわけね。」
キングヘイローは紙コップの中身を飲み干し、一息吐くと同時に喋った。飲んだ中身はにんじんジュースであったが、オペラオーの一年上とは思えないほどに大人びた雰囲気が既に彼女には備わっていた。
この場の賑わいを味わっていたことは間違いないが、それでも彼女の瞳に浮かぶわずかな憂いが、そう見せたのかもしれないが。
「トレーナーさんに対しては釈迦に説法かもしれないけれど、オペラオーの身体の負担、ちゃんと考えているでしょうね。」
「あぁ、もちろん。トレーニングメニューは来年度の分もしっかり組んであるし……」
「そうじゃなくって、もっと長い目で見た時の話。」
各本番レース、およびそのレースに向けたトレーニングにて蓄積する疲労は、その都度休息を入れることで解消することが出来る。
キングヘイローが伝えようとしていたのはそういった一時的な負担ではなく、長期間走り続けることで蓄積していく身体構造への負担であった。
まさに、半年前の宝塚記念で骨折し、すぐ隣で今も杖を手放せない状態となっているグラスワンダーのように。
「オペラオーにいよいよ無理があると感じたら、引退するように告げるつもりではある。」
「それが出来るのですか?あなたに。」
グラスワンダーからの質問は端的であったが、鷹木から即座の返答は出なかった。
無論ながら、担当トレーナーとしては担当ウマ娘に可能な限り長く活躍してほしいと願うのが当然だ。オペラオーが勝ち続ける限り引退しないのなら、いよいよもって勝たせ続ける手助けをするのがトレーナー本来の役割である。
が、もしも、オペラオー自身も気づかぬ疲労がその脚に溜まり続けた結果、取り返しのつかない大怪我を負わせることとなったら……。
今までオペラオーの決断を翻させることに成功していない鷹木が、何よりもオペラオーが強く情熱を傾けているであろう「走ること」そのものを諦めさせる決断を告げられるのか。
それを誰よりも強く疑わざるを得なかったのは、鷹木自身であった。
彼の表情に浮かんだ翳りを見て取ったグラスワンダーは、声色を明るくして話題を変える。
「いえ、もちろんオペラオーにはまだまだウマ娘レースを盛り上げていただきたいですからね。ところで、来年度はエアシャカールと再び対決することになる、とか。」
「あぁ、大阪杯だな。シャカールもジャパンカップ以降、ますます鍛え方に磨きがかかっているらしいし……」
いつ終わるとも知れぬオペラオーのソロオペラ、いつの間にか会議室パーティー場の中心に連れ出されていたドトウのぎこちない踊りを前に、トレーナーとウマ娘たちは激動の一年最後の一日を過ごしていった。