覇道のドラマトゥルク   作:Okubo Masau

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いずれ時代の頂点たる世紀末覇王にも挑むことを夢見て、しかし現状においてはGⅠで再びの勝利を得ることが余りに重い目標となっているアグネスデジタル。京王杯での反省点を活かし、安田記念にてリベンジを図るが……。


難所は悪夢にあらず、現実に駆けてこそ

 いよいよ迎えた、安田記念の当日。

 

 マイルウマ娘たちが競い合う頂点の一つであるこのレース、無論のことながらアグネスデジタルが得意とする距離で競われるものでもあり、彼女には十分に勝機があった。

 

 京王杯に挑む直前から新たに桂崎トレーナーの指導を受け始め、自分が勝てたレースのみならず、勝てなかったレースの分析も十分に行えている。

 

 僅差で一着を競い合うところにまで持っていくだけの実力を既に有しているアグネスデジタルにとって、勝つための条件はほんの僅かに前へ出るための加速……ほんの僅かではあるものの、決定的な差を稼ぐためのスピードであった。

 

(0.6秒の差が、一着から八着までの差になる……ゴール直前の競り合い、気を引き締めてかからねばなりません。)

 

 先月から桂崎トレーナーのもとで鍛錬を重ねたアグネスデジタルの脚は、加速力を引き上げることに成功していた。クラシック級にて自己流で勝ちを手にする実力を身につけていただけのことはあって、決して付け焼刃の域に留まるものではなかったろう。

 

 とはいえ、今回得られたスタート位置は外寄りの枠であった。

 

「前の京王杯でも同じだったが、無理にウチ側に入ろうとしなくていい。最終直線で、コース取りにモタつかないことが大切だ。」

 

「はい!GⅠの一着、昨年ぶりに、もぎ取ってきます!」

 

 先月の京王杯同様、先行する集団がコーナーの内側をほぼ埋め尽くす形となるだろう。それでも最ウチを回ろうとすれば、大幅に位置を下げることにもつながり……あとは、都合よく前方に妨害が無い状況が来ることを祈る他になくなってしまう。

 

 アグネスデジタルが芝のウマ娘たちに対抗しうる作戦、追い込み。マイルという距離でそれを実行する難しさは、実戦を重ねるほどに実感の得られるものであった。

 

〈東京レース場は絶好のレース日和を迎えました。安田記念、芝1600m、間もなく発走です。3番人気ジョーテンブレーヴは昨年の皐月賞、東京優駿、菊花賞に参戦したウマ娘、先月の京王杯にて見事一着となったスティンガーは2番人気。昨年の安田記念覇者、フェアリーキングプローンは一年ぶりの出走となりますが堂々の1番人気であります。〉

 

 人気度上位には納得の優駿が揃っている。

 

 とはいえ一方、京王杯ではスティンガーと並んで一着争いを見せたブラックホークが9番人気であったのに対し、アグネスデジタルはそれを上回る6番人気である。

 

 なかなか勝つレースを見せることが出来ていないデジタルにも、期待を寄せる一定の観客が居続けているということだ。プレッシャーであることには違いないものの、アグネスデジタルは意気込んでゲートインした。

 

〈各ウマ娘揃いまして……スタートです!揃って綺麗なスタートを切りました、ブラックホーク良いスタートながら控えて後ろへと下がります。先行争いはまずウチからヤマカツスズランが飛ばしていきました、リード半バ身。二番手にはブレイクタイム、三番手にはフェアリーキングプローンとマチカネキンノホシが並んでいます。そのウチを回ってギャラクシーウィン、外からアメリカンボスが加わって、そのウチにはジョーテンブレーヴ、ダイワカーリアンも続いています、固まって混戦の模様であります。〉

 

 予想していた通り、先行のウマ娘たちがあっという間に前へと殺到していく。圧倒的に抜け出す存在など居らず、殆ど固まった位置にて競り合うウマ娘たち。

 

 勝利を掴むためには、コンマ秒も無駄に出来ないことなど皆が分かっているのだ。

 

 ブラックホークはこれを避ける形で後方へと下がっていったのだろう、アグネスデジタルも当初の予定通りに追い込みの位置についた。

 

 気を緩めていられる瞬間などない、コーナーを回り切ってから位置を調整していては、またもラストスパートに出遅れてしまう。

 

 アグネスデジタルはコーナーを回り始める前から、自分が前方へ抜け出すためのルートを見出しておく必要があった。

 

〈外を突いてタイキブライドル、テスタロッサが追走しています。そこから1バ身差でエイシンプレストン、そのウチにトロットスター、続くはビハインドザマスクが行きました。ブラックホークはその後ろ、各バこれから3コーナーを通過していくところであります。後方集団はややバラけた感じになりました、先頭は依然としてヤマカツスズラン、800の標識を通過!〉

 

 ここに予想外の事態が起きていた。アグネスデジタルは、コースの最ウチを走れていたのである。

 

 無理に内側へと入ろうとしなくていい、との桂崎トレーナーからの指示を忘れたわけではない。が、幸いにも自然な流れで、アグネスデジタルよりも内側を走っているウマ娘はいなかった。

 

(これは……確実に獲らせてもらいます!)

 

 コーナーを回る半径が最も短い位置は、スタミナも節約できるうえに走るべき距離も比較的短くて済む。

 

 むろん、外側を塞がれないように気を配り続けている。最後方のウマ娘が上がってこようとするよりも先に、アグネスデジタルはコースを外側へと徐々に振り始めた。

 

 このままの勢いで直線に突入すれば、自然と前方集団を交わせる位置についているはずだった。

 

〈二番手集団固まって来た、外を突いてはダイワカーリアンがやや接近してまいりまして、三番手にはブレイクタイム、大外からタイキブライドルが上がって来た!続いてアメリカンボスも上がってくる!ジョーテンブレーヴ来た!そして中を突いてテスタロッサも突っ込んでくる!大接戦だ!ウマ娘たちが横一線に並んで、さぁこれから直線にかかります!〉

 

 4コーナーを抜けて最終直線へと向いたとき、アグネスデジタルは内側に4名が並んでいても、余裕をもってその外を抜ける位置についていた。

 

 最ウチから、綺麗に大外を差すルートは作れていた……想定外だったのは、目の前で横一線に並んでいるのが、4名どころか8名近い数のウマ娘であったことである。

 

(マジですか……!?)

 

 先頭を競り合う者たちの間に、隙間は無い。これを更に外側から抜くためには、もっと大袈裟なコース変更が必要である。

 

 それは最ウチの位置からでは無理のあるコース取りであり、当然のことながら既に直線へと向いた今になってはいよいよ遅すぎる位置調整であった。

 

〈直線の攻防はどうか!外を突いて追い込んできたのはメイショウオウドウ!ダイワカーリアンも突っ込んできた!その外を回ってタイキブライドル!大外、大外を回ってブラックホークの追い込みだ!さぁ200mを通過して先頭はどうか!先頭は、ブレイクタイムか!ウチに入ってブレイクタイム先頭か!〉

 

 前に並んでいる集団の外側に出ている暇など無い。ゴールへの最短距離を行かねば、勝つ可能性はゼロ。

 

 アグネスデジタルは、前が塞がれていることも覚悟で真っすぐに突っ走っていた。わずかな希望に懸けるならば、ゴール直前で先頭集団についた差の隙間を突くこと。

 

(道をあけて……お願いします……!)

 

 最後方から、一名抜き、二名抜き……六名抜いた時、目の前はぎっしりと詰まったウマ娘集団で塞がれたままであった。

 

〈先頭はブレイクタイムか!だが外を回ってブラックホーク!外からブラックホーク!内をブレイクタイム!大外、大外、ブラックホーク快勝だ!ゴールイン!ブラックホークです!京王杯での無念を晴らしました、ブラックホーク一着!〉

 

 京王杯では後方からライバルウマ娘に差され、あと少しのところで栄冠を逃していたブラックホーク。今回、大幅に作戦を変えて臨んだ追い込みが功を奏し、見事勝利に輝いた彼女へと惜しみない喝采が贈られる。

 

 一方で集団に紛れたまま、ゴールインしたアグネスデジタルはしばらく顔を上げられなかった。

 

 が、自らを叱咤するように無理やり視線を上げた先、着順を表示しているディスプレイに自分の名前を見出した。

 

 アグネスデジタル、十一着。

 

 それを目にしたその場では、明確な感情など浮かんでこなかった。むしろ、その後のウイニングライブでのバックダンサーとしてのパフォーマンスは、京王杯の時よりも生き生きと演じられたほどだ。

 

 トレセン学園に戻るバスの中でも、練習場にて今回のレースの反省点をまとめているときも、アグネスデジタルは明るい表情をこそ浮かべなかったものの、努めて冷静に桂崎トレーナーの言葉に耳を傾けていた。

 

 その内容の殆どが、頭に入ってきていない様をトレーナーは感じ取っていたのだろう。話は早々に切り上げられた。

 

「……明日からの練習の方針は定まってる、今日はゆっくりと体を休めるんだ。」

 

「はい。」

 

 一人になったトレーニングルームで、アグネスデジタルはぎこちなく立ち上がった。

 

 もちろん体には疲れが残っていたが、今一番動かすのが難しく感じるのは表情の方であった。

 

 トレーニングルームに備え付けられているモニターのスイッチを入れ、今日収録されたばかりのレース映像、すなわち今年度の安田記念のデータを呼び出した。

 

 カメラから撮られている自分はずいぶん遠く、そしてあれだけの熱闘であったはずのレースはずいぶん短く感じる。

 

 実況の中に、自分の名前は一度も出てこなかった。出走ウマ娘は18名も居るのだから、名が挙がらないものが出てくるのは無理からぬことである。

 

 コーナーに入ってからまもなく、画面の中の自分はコーナーの最ウチを走っていた。この時は、勝利をより確実にする幸運を呼び込んだものだと思っていた。

 

 最終直線に入って、目の前が塞がれている状況に分かりやすい動揺を見せている自分が居る。今になってよく見れば、抜け出せそうな隙間が……。

 

 いや、あの位置はすぐに塞がれたんだっけ……。

 

 ガチャリ、と背後の扉が開き、廊下からの明かりが眩しく差し込んでくる。

 

 ようやくアグネスデジタルは自分が真っ暗な部屋の中、モニターの灯りだけに照らされ続けていたことに気づいた。

 

 彼女はそれだけ長いこと、繰り返し今日の安田記念の映像を見続けていたのだ。

 

 アグネスデジタルを迎えに来たのは、ナリタトップロードだった。同じトレーナーの指導を受けているウマ娘として……そして、今最もアグネスデジタルのことを気にかけている先輩として、探し回っていたのだ。

 

「よかった、ここに居たんだね。もうじき寮の門限だよ、早いとこ帰らないと。」

 

「で、です゛ね゛、い゛ま゛す゛ぐ……」

 

 咄嗟に返事をした自分の声が余りにも掠れていたことに驚き、同時にトップロードに対しては照れ笑いを見せようと口角を上げる。

 

 頬が痙攣したように不自然に震えた。乾いた涙の跡が、肌に痛く引きつっていた。

 

 映像を見続けて目が疲れた風を装って顔を拭いつつ、喉の調子を整えてデジタルは返事しなおす。

 

「スミマセン、すぐ、戻りますから……」

 

 アグネスデジタルは泣き声など上げなかった。俯き、充血した眼を見せまいとしながら、映像閲覧コーナーを片付ける。

 

 もう、涙があふれてくることなど無い、十分に落ち着いた、そう考えて顔を上げ、ずっと待ってくれているナリタトップロードの優しい視線にぶつかって、再び顔を俯ける。

 

「じゃあ、行こっか。」

 

「……。」

 

 もはや声を出すことも出来なくなったアグネスデジタルは黙ったまま、トップロードの背に引っ張られるようにして寮まで戻ったのであった。

 

 翌朝、生来の切り替えの良さを発揮して、すっかり練習への意欲も充填されたアグネスデジタル。

 

 本番レース直後であることを考慮した桂崎トレーナーが練習時間を短めにしたのを幸いに、彼女は他の先輩ウマ娘の練習場見学を申し出た。

 

 本来はウマ娘自身や担当トレーナーからの許可を事前に取得していなければ勝手に見ることは罷り通らないが、桂崎トレーナーの知己となれば別である。

 

 デジタルからの要請を受けた桂崎トレーナーが見学の許諾を得たのは片桐トレーナー、すなわちメイショウドトウの担当トレーナーであった。

 

「今すぐに来ても構わない、とのことだ。彼のことだから、かなり大雑把な迎え方になるだろうけれど。」

 

「気遣ってもらわないほうが、私としても気軽ですので。」

 

 アグネスデジタルはそれゆえに、メイショウドトウの練習場に入った時、片桐トレーナーがこちらに背を向けたままであったとしても戸惑いはしなかった。

 

「お邪魔します、アグネスデジタルです……」

 

「はい、スタート。」

 

 ばかりか、誰も来訪者を待ち受けているということはなく、今まさにメイショウドトウが練習用コースにてスタートを切ったところであった。

 

 ドトウが次に控えている大舞台……すなわち、宝塚記念。

 

 芝の2200mは、アグネスデジタルが桂崎トレーナーの指導を受け始めて間もなく、テイエムオペラオー、ナリタトップロードとの並走練習を行ったのと同じ条件である。

 

 片桐トレーナーが自分の到来に気づいているかどうかなど気にならず、アグネスデジタルはドトウの走りに視線を奪われていた。

 

 誰と並んで走っているわけでもなかったが、圧倒的な強さがそこにあることは一目で感じ取った。並みのウマ娘とは、練習場の空気もまるで違っていた。

 

 おそらく先行のペースで走っているのだろうが、半端な逃げウマ娘ならばあっという間に並ばれてしまうだろう直線での加速。全くスピードを落とさぬままにコーナーを回り、向こう正面においても息を入れる様子なくじわじわと速度を上げていく。

 

 あれほどのハイペースで回って来たのだから、最終直線での末脚は多少緩やかな加速となるのだろう……という甘い予測を打ち砕くように、空気の壁を破る衝撃波をも響かせんばかりに、メイショウドトウは芝を蹴って弾丸の如くゴール板前を突っ切った。

 

「2分11秒5。本番はコース取りに費やすことを考えると、もっとアレしなきゃですねぇ。」

 

 相変わらずフワッとした表現でボヤいている片桐は頭を掻いていたが、アグネスデジタルは膝の震えを抑えるので必死であった。

 

 2分11秒台は、過去のレースデータを参照しても文句なしにトップを狙えるタイムである。当然ながらレース展開次第ではもっと遅いタイムで一着になることもあり得るが。

 

 しかしデータで見せられるよりも直接目にした時の方がずっと、「いかなる走りが勝ちを獲るのか」が十分に理解できるようであった。

 

 ゴールした際の速度を徐々に緩めつつコースを一周してきたドトウは、片桐トレーナーの元へ寄ってきて初めてアグネスデジタルが訪問していることに気づいたらしかった。

 

「で、デジタルさん、来てたんですね、ども……。」

 

 後輩に対しても常にどことなく自信なさげな態度を見せる、いつも通りのメイショウドトウがそこにはあった。

 

 つい先ほどの圧倒的すぎる走りを見せつけられたばかりのアグネスデジタルは、その姿とのギャップも相まって、応答に多少時間を要した。

 

「お邪魔してます。さっきの走り、お見事でした!」

 

「は、はわわ、そんな、私なんか……」

 

「後輩にカッコ悪いところは見せられませんよ、ドトウ。じゃ、息を整えたら、次のトレーニングはですね……」

 

 やはり訪問者に気配りを見せない片桐は、アグネスデジタルが呆然と立ち尽くしているのにも気を留めず、通常通りにドトウの指導を続けている。

 

 アグネスデジタルは、最強格の先輩が見せた走りで呆気に取られていたばかりではなかった。

 

(確かに、この方は……オペラオーさんに勝てますよね……。)

 

 世間が騒ぎ立てている噂を聞く分には、それは漠然とした可能性の一種程度にしか思っていなかった。

 

 が、現在のドトウの走りは、以前デジタルが並走練習したオペラオーの脚に、確かに追いつくものであった。すなわち、自分より先に、世紀末覇王を破ってしまえる存在が目の前にいる。

 

(私に、チャンスは巡ってこないんでしょうか。)

 

 負ければ引退すると公言しているテイエムオペラオー。

 

 自分の目標の一つが、早くも消滅しかねない現実をひしひしと感じているアグネスデジタルであった。

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