覇道のドラマトゥルク   作:Okubo Masau

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正式に現役続行が決定したテイエムオペラオー、その担当トレーナーとしてやはり続投することとなった鷹木。が、手放しに喜んでいられる状況ではない。今後レースのたびに掛かってくるプレッシャーはもちろんのこと、オペラオーの身体に負担が蓄積することも見逃せない。そんな彼の知らぬ所で、別な意味で晴れぬ思いを抱えていたのはアグネスデジタルであった。


覇王の留まらぬを見据え、三女神に呼ばれた者は

 歴史の1ページとなった宝塚記念の熱闘から数日、鷹木は改めて秋川理事長からの呼び出しを受けていた。

 

 既に、テイエムオペラオーの現役続行、および鷹木が担当トレーナーとして続投することは決まっていたが、その決定を正式な形で通達するためである。

 

 トレーナー主任会議室の議長席にて背後の窓から後光を浴びている秋川理事長は、自らの視界を塞ぐほどの花束を小柄な体で抱えてヨタヨタしていた時とは打って変わって、一気に威厳を備えたようにも見えた。

 

「通告ッ!あの時は触れなかったが、お前には伝えておくべき件があってな。」

 

 ウマ娘には伝えられず、担当トレーナーの耳に入れられるような要件は限られていた。レース以外でウマ娘の処遇を左右する要因……すなわち、トレセン学園への出資者の意向である。

 

 昨年の有馬記念、特別観覧席の結城トレーナーと共に大型スクリーンに映し出された男の顔が、鷹木の記憶の底から呼び起こされた。

 

「やっぱり、例の方が何か仰って……?」

 

「傾注ッ!テイエムオペラオーの引退は延期すべし、とのことだ。それだけであれば、オペラオー自身の意向とも相反しないゆえ、問題はないのだが……。」

 

 いつもハキハキと喋る秋川理事長が語尾を濁すということは、今から伝えようとする内容がよほど口にしづらいものであるのだろう。

 

「……最低でも三回負けるまで、現役は続けろ、と。」

 

「出資者さんが、そう言っておられたのですか?」

 

 鷹木の質問に、秋川理事長はただ頷く。光差し込む窓を背にした彼女の表情は、ハッキリとは読めない。

 

 一度でも負ければ鷹木はオペラオーの担当を外れ、オペラオーは勇者の到来と共に引退する。かねてからのそんな予定は、既に大きく修正された形となっていた。

 

「鷹木くん。」

 

 しわがれていながらも、重々しく耳に届く声が会議室の別角から聞こえる。結城トレーナーの声である。

 

「世間では、あのメイショウドトウの勝利を展開の利があったためと考える向きも少なくはない。出資者の彼もきっと同じ考えだろう。」

 

 宝塚記念の展開は、確かにオペラオーに不利なものではあった。

 

 集団に前方を塞がれたまま最終直線へ突入したテイエムオペラオーは、大幅にコース取りを変更してからのラストスパートとなった。あのロスが無ければ、先ゆくドトウをオペラオーが抜いていた可能性が無くはない。

 

 が、ウマ娘レースにたらればはない。仮に勝因が前述のものであったとしても、集団に巻き込まれないよう立ち回り、先行していたメイショウドトウの作戦勝ちであるというだけのことだ。

 

「ドトウがオペラオーに比肩する実力を有していたことを、認めない観客は居ないだろうけれどね。」

 

 世間を圧倒的多数で占める意見を出しているのは、ウマ娘レースの素人、一般の観客である。何物にも阻まれず直線を駆け抜ける覇王の姿を彼らは望み、それに勝つ者をこそ勇者として認めようと言うのだろう。

 

 フロック、まぐれ勝ち……のように一般から見られる結果によって、世紀末覇王がレースの舞台から姿を消しては不服なのだ。

 

 ドトウ、およびオペラオー自身には、そのような評判など決して伝えまいと鷹木は考えた。全霊を賭して悲願の勝利を得たメイショウドトウについては言わずもがな、自らを破った存在が最も近しい相手であったことを知ったオペラオーの歓びにも水を差すことになる。

 

 ドトウ担当の片桐トレーナーは、きっと分かり切ったことのように笑って聞き流すのだろうが。

 

「そういった世間の評判も踏まえてか、今回の指示が下されたわけだが……。」

 

「訂正ッ!指示ではない、単なる意向であるッ!」

 

 結城トレーナーの発言を遮って、秋川理事長がすかさず言い方を改めさせる。

 

 幼げな見た目の理事長から入れられた横槍であったが、歴戦の将である結城トレーナーは恐縮した様子で頭を掻いた。

 

「あぁ、でしたね。すみません理事長、毎度あなたに頼ってばかりで。」

 

「当然ッ!鷹木トレーナー、ここに出資者の意向は伝えるが、テイエムオペラオーに無理をさせるべきではないと判断するならば、即座に伝えてくれ!私がなんとかする!」

 

 すなわち、テイエムオペラオーの引退がますます延期されていく中で、鷹木が抱いている心配事についても秋川理事長は理解しているのだ。

 

 ウマ娘レースは、過酷な競技である。普通に暮らす分には決して掛かることのない負荷が、ウマ娘たちの脚に蓄積され続ける。レース中に直接的な接触や転倒など無かったとしても、蓄積した疲労によって骨折や靭帯の損傷が起きる事故などは少なくない。

 

 もはや歩くことすらままならぬ状態となって引退していくウマ娘の前例は珍しくないだけに、引退の時期を引き延ばす決定には誰しもが慎重にならざるを得なかった。

 

「よろしく、お願いします。」

 

 鷹木は深々と理事長に頭を下げ、会議室を退いた。この場で彼が出せる有用な意見など無く、担当ウマ娘の身を案じる一人のトレーナーとして、トレセン学園に縋ろうとする意図を示すほかに無かった。

 

 むろん、担当トレーナーとして、テイエムオペラオーの状態に細心の注意を払い続けることこそ、彼の使命である。学園の側も、鷹木がそれに専念できるよう、他の業務を押し付けたりはしていないのだろう。

 

 とはいえ、担当ウマ娘を守るため、自分に出来ることが余りにも今まで通りであることは、いよいよ鷹木に心細い感覚を抱かせた。

 

(オペラオーは今後も全力で勝ちに行くだろう。……三回負ける前に、オペラオーの脚が壊れたらどうするんだ。)

 

 会議室のある建物を出て、ウマ娘たちの練習場がある区画へ向かっていく鷹木の表情が、暗く沈んでいるのを目撃していたのはアグネスデジタルである。

 

「鷹木トレーナー……あんなに落ち込んで……。」

 

 テイエムオペラオーに勝ち、メイショウドトウが遂に宝塚記念の栄冠を手にしたことは無論デジタルも知っている。

 

 が、「自分に勝つ者が現れぬ限り走り続ける」と宣言をしていたオペラオーが、敗北したことで引退するつもりであるのか否か、明確な情報は得ていなかった。仮にその決定が下されれば、全国一斉にニュースで報道されるだろうが、音沙汰は全くない。

 

 仮に世紀末覇王が去ってしまった後も、あくまでも自分は自分の目標を定めて頑張っていくのだと自身に言い聞かせていたアグネスデジタル。

 

 とはいえ、オペラオーが本当に引退してしまうのか、あわよくば引退することなく、同じレースで自分がぶつかり合うチャンスを得られるのか、そのことばかりが頭の中を巡っていたことは事実であった。

 

 それゆえ彼女は会議室へと呼び出された鷹木トレーナーを待ち構え、下された決定について尋ねようとしていたのだが……あまりにも暗く沈んだ表情で出て来た鷹木を目の前にして、直接聞き出すことなく、推測を確信へと持ち込んでしまったのである。

 

「あぁ……本当に、オペラオーさんは引退してしまうんですね……。」

 

 同じ桂崎トレーナーに担当されているナリタトップロードがこの場に居れば、すぐに否定が入っただろうが。トップロードもまた情報を得ていなかったものの、走り終えた後のオペラオーの目の輝き具合から、彼女の引退はまだまだ先だろうと読み取れていたのだった。

 

 梅雨はあけたはずであったが、これから訪れる夏の日々を前にして、最後のひと絞りとばかりに雨雲が地面を濡らしていた。

 

 そぼ降る雨の中、アグネスデジタルはどうしても練習場へ戻ろうとしない自分の脚を、学園の中庭に向けていた。雨が降っている中では、あの庭で休憩しているウマ娘の姿もなく、ガランとしている。

 

 中庭の真ん中で、いつもは明るい芝の照り返しに浮かび上がっているような三女神像が、今日だけは雨垂れの筋を頬に描かれて泣いているようにも見えた。

 

「そういえば、ここでオペラオー先輩たちがボンヤリしてたこと、ありましたっけ……。」

 

 唐突にアグネスデジタルが思い出したのは、毎年春になっては起きていた怪現象である。

 

 幾名かのウマ娘が、何かに導かれるかのように三女神像の前へ引き寄せられ、しばらくボンヤリと立ち尽くしているのだ。傍から見れば不気味な光景ではあったが、「三女神に呼ばれたウマ娘は勝つ」との噂もまた同時に囁かれていた。

 

 事実、昨年の春は同期のエアシャカールがその場に加わっていた。そして彼女は、なかなか勝てないでいるアグネスデジタルを置いて、皐月賞、菊花賞を制している。

 

「結局、私は三女神様に呼ばれないままでしたね……。」

 

 今年もまた、オペラオーたちは三女神像の前に引き寄せられたのだろうか。あるいは、他の新たなウマ娘が?

 

 アグネスデジタルは見に行っていなかった。

 

 ただの噂話だとはいえ、三女神に呼ばれないことを自分が勝てないことの証明でもあるかのように感じていたアグネスデジタルは、この件を極力意識から遠ざけていたのだ。

 

 大きな目標の一つであった世紀末覇王テイエムオペラオーが去り、今年に入ってからは負け続き……来年になれば、もうウマ娘としての全盛期を過ぎたと言われる年齢になってしまう。

 

「GⅠをひとつ、獲れただけでも、喜ばなきゃ……」

 

 俯いて、足元で濡れている芝を見つめていたアグネスデジタルの視界が、急に暗くなる。

 

 知らぬ間に浮かんでいた涙が自分の瞼を閉じさせたのかと思い、手で拭うも明るさは戻ってこない。ばかりか、周囲はいよいよ暗くなり、まるで闇夜の中に立っているかのごとくである。

 

「え?え?」

 

 視力が無くなったわけではない、自分の身体はむしろ内部から光が湧き出ているかのようにハッキリと見える。

 

 唐突な状況に面食らっているアグネスデジタルの両脇を、光の粒子を纏って駆け抜けていくウマ娘が二名。

 

「誰……?」

 

 真っ暗な中で眩い光に目を射抜かれ、自分を追い越していったウマ娘の姿はよく見えない。ただ、どこか深く懐かしさを感じさせる存在感だけはしっかりと受け取っていた。

 

 謎のウマ娘たちが走り去っていった方向で、闇が裂かれるかのように光が溢れ出す。

 

「待ってください、私も、そっちに……!」

 

 状況にはまるで説明がつかず、理屈も分からぬままであったが、強く心惹かれる思いとともに、アグネスデジタルは光へ向かって駆け始めていた。

 

 脚は滅多にないほどに軽い。こんなにも速く走れたのは、昨年のマイルチャンピオンシップ以来である。

 

 

 

 本番でこの走りが出来れば、また、勝てそうです……。

 

 

 

「おい、おい!なァにボーッとしてやがる。」

 

「へ?あ、シャカールちゃん……。」

 

 不意に呼びかけられた声とともに我に返ったアグネスデジタルは、再び自分が雨の降る中庭の真ん中に立っている様を見出していた。

 

 先ほどと同様に三女神像は目の前にあり、先ほどと違う点があるとするならば雨粒は頭上に差しかけられた傘によって防がれていることである。

 

 午前のトレーニングを終えて昼食に向かう途中、中庭で雨に打たれるままボンヤリ立ち尽くしていたアグネスデジタルを目撃し、エアシャカールは慌てて傘を手にして駆け寄って来たのであった。

 

「レース映像でも見すぎて夜更かししてンじゃねーだろうな?風邪まで引いちまったら最悪だぜ。」

 

「いえ、私は大丈夫です、心配させちゃってすみません。……むしろ、今までになく絶好調な感じです!」

 

 意識を取り戻した自分の感覚が身体に戻ってくるほどに、アグネスデジタルは体の中心から熱い血潮が手足の先まで行きわたっていくような感覚を覚えていた。

 

 つい先ほどまで表情を失って呆然としていた彼女が、目の前でみるみる頬を紅潮させ、瞳に漲る生気を取り戻していく様を見ていたシャカールは、尚のこと不気味そうに見つめている。

 

「ホントに病気じゃねーんだろうな?熱でも出してんじゃねーか?」

 

「だーいじょうぶですって!私、今はやる気満々なんです!オペラオー先輩が引退しちゃっても、私にはまだまだ走るべき舞台がある、ってね!」

 

「あン?オペラオー先輩は引退しねーぞ?」

 

「へ?」

 

 結城トレーナーやアドマイヤベガを通じて、オペラオーに関わる情報は得ていたエアシャカール。

 

「マジ……ですか……?それは……」

 

 思わぬ形で朗報を耳にしたアグネスデジタルは、耳から入って来た内容を理解するのに数秒のラグを要した後、感情を爆発させる代わりに勢いよく鼻血を噴出させた。

 

「おいおいおい!やっぱ保健室だ!来い!」

 

「は、はひゃ、たいちょうぶ、たいじょうぶてすから……!」

 

 エアシャカールにズルズルと引っ張られながらも、感情の奔流が鼻から止まる様子のないアグネスデジタル。

 

 先ほど三女神像の前で経験した奇妙な出来事については、すっかり記憶から抜け落ちていたのであった。

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