水色のスモックを来た幼児が薄明かりの中で俯いていた。
碇シンジは少し離れた視点から幼児を見ており、その視界は端がぼやけている。
碇シンジは夢の中で、まだ小さな子供だったころ、淡島カイと出逢う前の自分を見ていた。
先生に預けられた当初、唯一の肉親であった碇ゲンドウを恋するあまり、先生には迷惑をかけてばかりだった。
先生に手を引かれて連れていかれた幼稚園では子供達が碇シンジの噂をしている。
「シンジくんはパパに捨てられたんだって!だから仲良くしてあげなさいってママに言われたの」
「シンジくんはかわいそうなこなんだって!」
「ねえねえ!シンジくんのママはパパにコロされたんでしょ?」
気が付けば碇シンジは相手の子供に殴りかかっていた。
その時、保護者として先生が迎えに来てくれた。
しかし、何があろうと碇ゲンドウは碇シンジの元を訪れることは無かった。
「可哀想なシンジくんのお友達になってあげようと思ったのに!」
「シンジくん乱暴で恐い!」
母は死に。
父には捨てられた。
幾日かを泣いて過ごし、碇シンジは全てを諦めた。
それから碇シンジは他人と距離を置き、内に閉じこもるようになった。
幼稚園では教室の片隅で1人、絵本を読んでいた。
誰かが声をかけても、遊びに誘っても、体調が悪いフリをして断った。
静かで、何もない、だが穏やかな日々が訪れた。
誰かと関わることを辞めた碇シンジの心はようやく安定を得たのだった。
そんな碇シンジの元に淡島カイが現れた。
碇シンジと同じく青いスモックを来た幼児。
少し癖のある髪。
碇シンジとは違い、キラキラと好奇心に満ちた瞳
淡島カイは安定を得ようとしていた碇シンジの心の中に踏み込んで来る。
「ね!なんで1人で絵本読んでるの?」
「いっしょにあそぼうよ!」
「お外いくのやなの?じゃぼくも一緒に絵本よむね」
「ねね!ぼくはぺんぎんくんの読むからシンジくんはこいぬくんの読んで!」
「あれ?絵本読むのやめるの?それじゃお外いこうよ!」
曖昧な言葉だけ返し、まともに取り合わない碇シンジに対して、淡島カイは飽きもせず毎日話しかけていた。
しかし、ある日、淡島カイが碇シンジの元を訪れない日があった。
ようやく平穏を取り戻した碇シンジは、心に穴が空いたような、喪失感を感じていることに気が付いた。
自分を驚かそうとどこかに隠れているのかもしれないとトイレや、園のおもちゃをしまっている箱をひっくり返してみても、どこにもいなかった。
勇気を振り絞って、保育士に訪ねてみると「今日はカイくんはお休みだよ」と教えて貰えた。
淡島カイが自分に関わることを辞めたのではなく、幼稚園を休んでいるだけだったという事実に碇シンジは安堵を覚え、そんな自分に怯えていた。
翌日、淡島カイは何事もなかったように碇シンジもとへやって来た。
「えへへ、きのうやすんじゃった。あれ?シンジくんどうしたの?おなかいたいの?」
淡島カイの声を聴き、安堵のあまりしゃがみ込んだ碇シンジに慌てた淡島カイは「いたいのいたいのとんでいけー!」と一生懸命碇シンジの背中を摩っている。
「カイくんは、ぼくとともだちになってもぼくを捨ててどこかにいったりしない?」
碇シンジは俯いたまま、淡島カイのスモックの裾を小さな手で握り問いかけた。
「ともだちだもん!ずっといっしょだよ!……あれ?えーと、ぼくたちともだち……じゃなかったの?」
一瞬きょとんとした淡島カイはすぐに笑顔で答えたが、答えた後に碇シンジの言葉の意味を理解してみるみる顔が青くなっていく。
碇シンジは慌てて「ともだち!ぼくたちもうともだちだよ!」と弁解をしていた。
「そう、あの日から、僕はカイを身代わりにしたんだ。居なくなってしまった母さんや、僕を捨てた父さんの」
青いスモックを着た碇シンジが呟く。
その姿が半ズボンに白と赤の半袖のボーダーシャツを着た少年に成長していく。
俯いた顔は暗い影に覆われている。
「だから、罰が当たったんだ」
碇シンジの視界が赤く歪んでいく。
頭の中では「思い出すな」「早く目を覚ませ」と警告音が鳴り響いていた。
大破したトラック。
拉げた信号機。
赤く濡れた景色に落ちているモノ。
「僕を一人にしないで」と泣き叫ぶ声が響いた。
■■■
碇シンジは熱くなった目頭を横顔を伝う液体、涙の微かな感触で目を覚ました。
白い天井、素肌に掛けられた白い肌布団。
「起きたの?」
寝台の横から声が聞こえたる。
顔を横に向けると椅子に座った綾波レイと目が合った。
目元に溜まっていた涙が鼻梁を伝い流れ落ちていき、微かな擽ったさ齎す。
「綾波……?どうしてここに?」
碇シンジが慌てて身体を起こし目元を拭うと、身体に掛けられた肌布団がずり落ちていき、淡島カイに「イケテル筋肉」と評される上半身が露わになる。
異性に素肌を見られる気恥ずかしさもあったが、今は何よりも、薄い肌布団を折り重ねて下腹部に厚みを作り男性特有の生理現象を隠す必要があった。
綾波レイは碇シンジの問いかけには答えず、ワゴンに乗せられたトレイに食事の準備を始める。
病室内には食器同士が接触することで発生する硬質な音が小さく響いていた。
碇シンジは寝起きで反応していた箇所を見られたかもしれないという羞恥心から言葉を口に出来ないでいる。
綾波レイは、コップに牛乳を注ぐと介護用テーブルを寝台まで移動させて、碇シンジの目の前にトレイを置き、一言だけ口を開く。
「食事」
再び沈黙が訪れ、碇シンジは気まずくなって顔を逸らした。
「食べたくない……そうだ……そんな事よりカイは無事なの!?」
寝起き特有の靄がかかったような鈍い思考が時間と共に整理されて、碇シンジは何が起きて自分がこのようになっていたかを思い出した。
「生きているわ。貴方が起きたら食事を摂らせるように命令されているの」
綾波レイは淡島カイの情報を端的に伝えると再度食事を摂るように伝える。
困ったような表情を浮かべているのは、碇シンジが食事を摂らないと自身が受けた命令が実行出来ないと考えているからだろう。
「『生きている』じゃわからないよ、元気なの?カイに会いたい」
「赤木博士からは貴方が食事を摂ったら連れて行っていいと言われているわ」
「それを早くいってよ!」
碇シンジは慌ててトレイに乗せられた食事に手を伸ばし口に流し込んでいく。
「食事は一口30回以上咀嚼すると良いと言われているわよ。急いで食べると喉に詰まらせるせて良くないとも言われているわ」
「そんな……悠長な……早く食べて、んぐ……み、水」
口の中に食べ物を詰め込みながらも、伝聞調で語る綾波レイに反論しようとするも、碇シンジは喉を詰まらせてしまう。
綾波レイは水差しを手に取り、新しいコップに水を注ぐと碇シンジへ差し出した。
碇シンジは胸を叩きながら水を受け取り、喉の奥へと一気に流し込む。
「ふぅ、有難う。早くカイの所に行きたかったから。そういう綾波はいつも30回も噛んでるの?」
「生命維持に必要なものは栄養剤で接種してるわ」
「か、変わってるね」
「必要な物を必要な量だけ摂れるから」
碇シンジは先ほどの失敗を反省し、パンを一口大にちぎり口に運ぶ。
しかし、30回噛むわけではなく、無理やり詰め込むのではなく、ある程度噛んだら汁物や水等で流し込んでいく。
「食べるのが嫌いなの?」
「何を食べればいいかわからないから。けど……肉は食べないわ」
「ふぅん、皆で食べるご飯は美味しいし楽しいよ」
「そう」
「良し!食べ終わったよ。早くカイのところに行こう」
碇シンジは綾波レイと会話を続けながらも用意された食事を完食した。
綾波レイはトレイをワゴンに乗せ、介護用テーブルを片付ける。
「いいわ。行きましょう」
綾波レイが片付けを終えてなお寝台から動かない碇シンジに対して呼びかけるが、碇シンジは寝台から降りることができなかった。
「あの……僕の服はあるんだよね?」
碇シンジは未だ薄手の肌布団だけで下半身を覆い、上半身が裸のままという状態が心細くなり、無意識に自分の片を抱き胸を隠す。
碇シンジの問いかけに綾波レイは少し離れたところに設置された机の上を指指す。
そこには碇シンジの服が置いてあった。
「服、着ないの?」
服の場所を示してなお動かない碇シンジに綾波レイは問いかけるが、碇シンジは顔を両手で多い俯いていた。
「あの、あそこまで行くにはベッドから降りないといけなくて、その、僕いま服着てないから、綾波がいると降りれないんだけど」
「……どうして?」
「は、恥ずかしいからに決まってるだろ!いいから外で待ってて、すぐに服を着るから」
本当に不思議そうな表情を浮かべ首を傾げる綾波レイに対して、碇シンジは思わず大きな声を出してしまう。
「そう、わかったわ。部屋を出たところで待ってる」
綾波レイは碇シンジが恥ずかがる理由を理解できないまま、部屋を出て行った。
「綾波ってホント変わってるよね。おっと、僕も早く着替えないと」
綾波レイが部屋を出て扉が閉まったことを確認すると、慌てて寝台から降りて服を着ると綾波レイが待つ廊下に出る。
「お待たせ」
「行きましょ」
「うん」
短い会話の後、綾波レイが歩きだし、碇シンジはその後をついていく。
しばらくの沈黙の後、前を歩いていた綾波レイは立ち止まって振り返った。
「どうしたの?」
「さっきは何が恥ずかしかったの?」
「その話続けるの!?」
■■■
淡島カイは碇シンジと同じように寝台の上で肌布団を掛けられ寝かせられていた。
だた、碇シンジとは異なり、点滴が打たれており、大小各種モニターにて容体が計測されている。
碇シンジは、恐る恐る淡島カイの手を握ると、その手の暖かさに安堵を覚えたが、同時にその手が動かないことに不安も感じていた。
「カイは大丈夫なの?」
「フィードバックによる被害は甚大、戦闘直後は命の危険もあったらしいけど今は落ち着いていると聞いているわ」
「そう……良かった」
碇シンジが安堵の言葉を漏らす。
その時、病室の扉が開き、赤木リツコがストレチャーを運ぶ数人のNERV職員を伴って病室に入って来た。
「あら、2人とも来てたのね。シンジ君、身体はもう大丈夫?」
「はい、僕は大丈夫です。けど、カイが……」
「いいわ、フォースを運び出して」
赤木リツコは病室のモニターをチェックするとNERV職員に指示を出す。
指示を受けたNERV職員は数人で、淡島カイに掛けられている掛け布団ごと抱えるとストレッチャーに乗せた。
「カイの病室、移すんですか?」
「いいえ、これからカイ君のシンクロテストよ」
「シンクロテストって、カイはまだ意識が戻ってないんですよ!?」
予想外の言葉に対して、碇シンジは病室内にも関わらず思わず声を荒げてしまう。
赤木リツコはそんな碇シンジを咎めることはせず、諭すように言葉を続けた。
「そうね、けど必要なことなのよ」
「そんな……もし、テストが成功したらこの状態のカイも乗せるってことですか?」
「そうなるわ。けど失敗したらカイ君を乗せなくていいのよ。進行中の使徒への対策で今は時間がないから、詳しくはあとでミサトから聞いてちょうだい」
赤木リツコは碇シンジにとの会話を打ち切ると綾波レイに向き直る。
「レイ、貴方は零号機の調整に向かって」
「わかりました」
「その後、次の作戦で初号機に使用予定の狙撃用の装備、G型装備について技術開発部からの説明をシンジ君と一緒に受けてちょうだい」
「わかりました」
感情の起伏を感じさせない声音で同じように答え続ける綾波レイに対して、赤木リツコは気にせず言葉を続ける。
「レイ、貴方はシンジ君よりNERVに長くいるのだから、シンジ君を色々とサポートしてあげてね」
「わかりました。零号機の調整の後、初号機パイロットとG型装備の説明を受けます」
「それじゃ、後は宜しく」
それだけ言うと赤木リツコは慌ただしく病室から出ていく。
病室には碇シンジと綾波レイだけが残された。
碇シンジは、先ほどまで淡島カイが寝かせられていた寝台の上に手を置くと、シーツに残されていた温もりが微かに手に伝わった。
「僕たち、まだエヴァに乗らないといけないんだ……カイだってまだ意識も戻ってないのに」
「貴方は、エヴァに乗るためにNERVに残ったのでしょう。エヴァに乗る事が嫌ならどうして残ったの?」
綾波レイの言葉を受け、碇シンジはシーツに置いた手を握りしめる。
「人類の存亡とか、そんなの、よくわからなかった。けどカイを守りたかったんだ……なのにエヴァに乗っても守れなかった!」
「貴方はフォースを守ったわ」
「え?」
綾波レイの思いもよらぬ否定の言葉に、碇シンジは思わず呆けた声を口から漏らした。
「第7使徒の攻撃から守ったでしょ?貴方があの時、初号機を動かせていなかったらフォースは死んでいたわ」
綾波レイがこれは慰めではなく事実を述べているだけだ言わんばかりに淡々と言葉を続ける。
「それに貴方がエヴァに乗らなければ第5使徒がサードインパクトを起こしてフォースは死んでいたわ。貴方はフォースを守っている」
「僕は……カイを守れている?」
「ええ」
碇シンジの問いに、綾波レイは肯定の言葉を一言だけ口にした。
■■■
碇シンジは綾波レイの零号機調整に立ち会った後、共にG型装備の説明を受けた。
その後、不在にしている葛城ミサトに代わり、日向マコトから第7使徒第2戦となるヤシマ作戦について詳細の説明を受け、淡島カイが意識不明のままシンクロテストに成功したため、初号機に搭乗することを知った。
その後のことは覚えていない。
何も考えられなくなった碇シンジは目的もなく彷徨い、家に戻って来ていた。
扉を開けると、人が戻って来たことに気が付いたペンペンが鳴き声をあげながら玄関に向けて走ってくる。
「ただいま、ペンペン」
「クェ!」
碇シンジの言葉に、まるで「おかえり」と言うようにペンペンが一声鳴いた。
碇シンジは自室のチェロを取りに行くと、そのまま淡島カイの部屋に入る。
「カイの奴、勝手に入ったって知ったら怒るかな」
淡島カイの部屋にも碇シンジと同じくチェロがケースに収められ床に置かれていた。
チェロの調弦を済ませ、椅子を部屋の中央、淡島カイのチェロと向き合うように設置して座る。
「ねぇ、カイ。どうして僕たちはこんな事になっちゃったんだろうね」
誰も答えることの無い問いかけを碇シンジは呟くと、手にした弓でチェロを奏でる。
静かに鳴り響くチェロの音色。
四分の二拍子。
夜空に煌く星を想い奏でる。
短い曲の演奏が終わり、時計を見ると指示されていた集合時間となっていた。
しかし碇シンジは椅子から立ち上がることなく歌を口ずさむ。
あかいめだまの さそり
ひろげたわしの つばさ
あをいめだまの こいぬ
碇シンジは人の気配を感じで歌うことを辞め、部屋の入口を見る。
「ミサトさん、どうして何も言わないんですか」
そこには葛城ミサトがペンペンを抱えて立っていた。
「何か言って欲しかったの?って聞くのは卑怯かしらね」
集合時間を過ぎているにも関わらず、淡島カイの部屋にいる碇シンジを叱るわけでもなく、何事もないように笑うとペンペンをその腕に抱えたまま、葛城ミサトも淡島カイの部屋に入り、碇シンジに歩み寄る。
碇シンジは何も言う事が出来ず、チェロを抱えたまま俯いていた。
「さっきの曲、何ていう曲なの?静かで落ち着く曲ね」
集合時間になっても淡島カイの部屋にいることを責められ、叱られると思っていた碇シンジは、想定外の質問に思わず面食らう。
「星めぐりの歌。カイが好きな曲で、カイが教えてくれたんです」
「なんかカイ君のイメージと違う曲ね。赤い目玉の蠍って何?」
「さそり座……の心臓、アンタレスのことです」
「青い目玉の子犬は?」
「おおいぬ座のシリウスです」
「詳しいのね」
「カイが……教えてくれたから……」
葛城ミサトは「そうなの」と呟くと腕に抱えたペンペンを撫でる。
ペンペンは嬉しそうに「クエェ」と静かに鳴いた。
「大切な友達なんです。だから意識も戻ってないカイを初号機に乗せるって言われて、僕……どうしたらいいかわからなくて」
碇シンジは耐えきれなくなり、その口から言葉が溢れだす。
「そうよね。本当はシンクロできなくて乗れなければ良かったかもしれない。けどカイ君は意識不明のままシンクロできてしまったの。だから乗せるのよ。シンジ君、貴方を守るために」
碇シンジは予想外の葛城ミサトの言葉に俯いていた顔をあげる。
「僕をまも……る?」
「そ、カイ君がシンジ君と一緒に乗ることでシンクロ率が上がれば作戦の成功率が上がってそれだけシンジ君が安全になるのよ」
「けど、けど僕はカイを守りたくて、それなのに守れなくて……けど綾波は僕がカイの事を守れてるっていうんです」
「カイ君がね、私たちに突きつけた条件。『碇シンジがエヴァから降りないなら、何があっても淡島カイもエヴァから降りない』ですって。だからこれはカイ君の望みでもあるのよ。カイ君はシンジ君を守りたいのよ」
「それじゃ僕がエヴァのパイロットを辞めたら」
「カイ君も自動的にエヴァのパイロットを辞めることになるわね」
「僕は……僕は……!」
葛城ミサトの言葉に「パイロットを辞めます」という言葉が喉まで出かかるが、その先を言葉に出来なかった。
「ペンペン可愛いでしょ。最近シンジ君にも懐いてるみたいだし」
「え?……あ、はい可愛いです」
葛城ミサトの言葉に戸惑いながらも肯定の言葉を返す。
「シンジ君やカイ君がこっちに来るまではこの仔と2人で暮らしてたのよ。大切なあたしの家族」
葛城ミサトは言葉を一度言葉を区切り、愛情の籠った瞳でペンペンを見つめる。
ペンペンもまた甘えるように葛城ミサトの胸に顔を寄せていた。
「頭も凄く良いし、晩酌するペンギンなんて驚いちゃうわよね。この仔、実験動物なのよ。全ての実験が終了し、廃棄処分されそうになってた所であたしが引き取ったの。この仔が殺されそになっていた時に、あたしにはこの仔を引き取るだけの余裕があった。だからこの仔だけ助けられたのよ」
葛城ミサトの「この仔だけ助けられた」という言葉に他の多くの実験動物の命が失われた事を連想した碇シンジは、言葉を返せなかった。
「それだけ聞くと善意だけの行動に聞こえちゃうわよね。あたしは家族が欲しかったの。家に帰った時に『おかえりなさい』って出迎えてくれる家族が。勿論今ではシンジ君やカイ君の事も家族だって思ってるわよ」
「ミサトさん……」
葛城ミサトはペンペンを床に下ろすと碇シンジに自分の掌を見せる。
床に下ろされたペンペンはまだ葛城ミサトに甘え足りないのか足に抱き着いていた。
「見て、私たちの手はこんなに小さいの。人類全部なんでとてもじゃないけど守り切れないわよね。私がNERVに今もいる理由は父さんの仇、使徒への復讐というのもあるけど、大切な家族が住む場所を守りたいからよ。シンジ君はどう?もしカイ君だけを守りたいなら、エヴァから降りた方がいいかもしれない。けどシンジ君は他にも守りたいものがあるんでしょ?」
「僕は……人類の存亡とか言われてもよく分からないです。けどミサトさんや冬月さん、ペンペン、トウジやケンスケ、ここで出逢ったみんなの事も守りたい。守りたいんです」
「それでいいじゃない。守りたい人たちの事を守るためにエヴァに乗る。守りたい人たちがいなくなってしまったらエヴァから降りる。カイ君はどんな選択をしてもシンジ君と一緒にいてくれそうよ」
葛城ミサトは心の中で「むしろカイ君はシンジ君以外の事は『仕方ない』って諦めそうなことがあってちょっち恐いわ」と続けた。
「使徒はね、NERV本部の地下を目指しているの。そこには第2使徒リリスが安置されているわ。他の使徒がリリスと接触することでインパクトが再度発生し、人類が滅亡すると言われてるの。だから、もし使徒が侵入した場合はインパクトを防ぐために、NERV本部が自動的に自爆するように作られてるわ」
「自爆って!それじゃミサトさんたちも」
「ソ、一緒にぽん!」
茶化すように一度握った手の平を開き爆発したような動きを見せる。
「NERV本部の皆も、命を懸けて戦ってるの。それぞれの大切なものを守るために」
「ミサトさん……僕、乗ります。カイの事も……みんなの事も守りたいから」
碇シンジはチェロをケースに戻し、葛城ミサトに向かい合う。
葛城ミサトはシンジを抱きしめると、碇シンジも恐る恐る葛城ミサトの手に腕を伸ばした。
「シンジ君、有難う。大切な人たちを守るために一緒に戦いましょ」
「はい。ミサトさん、ごめんなさい、有難うございます」
「よし!行くわよ!駆け足よー!リツコにどやされちゃうわ」
葛城ミサトと碇シンジはお互い顔を見合わせると、満面の笑みを浮かべ駆け出した。