「カイ君、試験頑張って!また後でね」
真希波マリは、淡島カイが退室時に開いた自動ドアが閉まるまで、ご機嫌な様子で手をひらひらと振っていた。
「フォースチルドレン、まだ赤木博士のお手付きじゃないのよね?」
「何のことでしょうか。私と彼の関係は、E計画責任者とチルドレンという関係のみですが」
「そう?それじゃあたしが貰っちゃおうかな」
「正気ですか?彼はまだ中学生ですよ」
真希波マリは、勤めて無感情に振る舞う赤木リツコを、片手で口元を隠しながらくつくつと笑う。
「何か可笑しいこと、言いましたか?」
「赤木博士が彼を中学生と定義するとは思わなかった」
「事実です」
「それは最も意味がない事実という事は、赤木博士もわかっているでしょう」
「……何が言いたいんですか」
真希波マリはそれまで浮かべていた笑みを消すと、赤木リツコを見下すように目を細める。
「最も優先されるべき事実は彼がフォースチルドレンということ。次は葦船に連なるモノという所かな。これらに比べたら彼の年齢なんて最も意味が無い情報」
真希波マリは、幼子に言い聞かせるように一つ二つと指で数えてみせる。
「それに我々の感知していなかったチルドレンの新鮮な遺伝子情報は幾らあっても困らないでしょう。思春期真っ只中の彼は女の身体を味わえて、私は彼の遺伝子情報を手に入れてまさにwin-win」
誰も損をしないでしょうというように真希波マリは艶やかに笑ってせた。
「本気で言ってるのですか?」
「勿論。貴方は我々が何者か、何をすべきか、これから何をしようとしているのか理解しているのかな」
「そんな事は貴方に言われなくても理解しています」
赤木リツコは、真希波マリの言葉に激昂することも無く努めて平静に言葉を返していく。
真希波マリは一度目を瞑ると、憐れむような目で小首を傾げた。
「知らない子は論外だけど、知っているのと理解しているのは違うんだよ。本当に理解していたら彼を「中学生」なんて定義しないさ。我々がまだ手段を選べる段階にあると夢を見ているのかな。全くゲンドウ君はどういう教育をしているんだか……君、それ以上傷付く前にNERVを辞めた方がいいよ」
「……私の進退は私が決めます」
「っそ……では仕事に戻りましょう。こちらが我々の用意したエヴァンゲリオン用封印具の仕様書です。ああ、碇指令から使用許可は得ているので、既に初号機及び零号機を配置したケイジへの設置は済ませてあります」
「ええ、碇指令から話は聞いています」
真希波マリは分厚い2冊1組の仕様書を赤木リツコと伊吹マヤに手渡した。
「極秘」と押印された仕様書の表紙には、それぞれ「Heiliger Nagel」「Heilige Lanze」と記載されている。
「聖釘と聖槍ですか、まるで宗教ですね」
先ほどの会話での苛立ちか、赤木リツコの言葉には真希波マリへの棘が含まれていた。
しかし、真希波マリは嬉しそうに、満面の笑みを浮かべる。
「ふふ、余所者が自分達の管轄で勝手なことをしていたら嫌な気持ちにもなりますよね」
「いえ、失言でした」
「まぁまぁ、私達の組織なんて知らない人から見たらカルト集団みたいなものだしいいんじゃない?アダムにリリス、果てはロンギヌスの槍とか名前つけちゃうなんて、ホント笑っちゃいますよね」
「え、えぇ……まぁ」
柔和な笑みを浮かべた真希波マリの口から飛び出してきた組織批判ともとれる言葉に赤木リツコは曖昧な返事を返した。
その時、仕様書を確認していた伊吹マヤが慌てた様子で2人の会話に割り込んで来る。
「せ、先輩!これ見てください!!」
「落ち着きなさいマヤ、どうしたの?」
伊吹マヤが顔を青くしてHeilige Lanzeの仕様書に記載されている記述の一部を指さした。
その様子を口元を嬉しそうに歪ませた真希波マリが眺めている。
「これは……真希波博士、この記述はどういうことですか?」
「ああ、一応言っておきますが誤植ではありませんよ?Heilige Lanzeは起動する事で搭乗者を処理し、そのままエヴァンゲリオンを封印する機能です」
「処理って貴方、自分が何を言っているか分かってるんですか?」
眉をひそめた赤木リツコの責めるような口調に、真希波マリは困ったような笑みを返した。
「日本語おかしかったでしょうか?ドイツ暮らしが長かったもので。えーっと、エヴァンゲリオンの部品であるパイロットを殺害する事で出力を低下させた後、強制的に機能停止、封印する機能ですね」
「殺害って……!」
「ああ、ファーストチルドレンとフォースチルドレンはNERV本部の備品ですものね。ご安心ください。勿論、今回の試験での使用タイミング、判断はお任せします」
「殺害」という言葉に嫌悪に顔を歪ませた伊吹マヤを、真希波マリは安心させるように「殺すタイミングはお任せします」という事を言い放つ。
「彼らは物ではありません!」
「ふふ、ファーストチルドレンを管理している赤木博士がそれを言うんですか?」
「わ、私は……」
「ああ、大丈夫ですよ。碇指令から直接聞きましたから」
真希波マリの見透かすような瞳に、碇ゲンドウの指示で行っている綾波レイの管理を行っているお前がソレを言うのかと、責められているような感覚に陥り言葉を詰まらせる。
「Heilige Lanzeはエヴァンゲリオンが我々の管理を離れ暴走をした時に、確実に止めるための封印具です。保険の保険のそのまた保険のようなものですよ。余程の事が無ければHeiliger Nagelで十分でしょう。こちらでしたらちょっと……いえ、かなり痛いぐらいのフィードバックを受ける程度でしょう」
■■■
「お邪魔しま~す」
レイ単独の初号機搭乗試験は恙なく終わり、今度は俺とレイで初号機の同乗試験だ
エントリープラグ内のL.C.L.が跳ねないように足から静かに入水する。
う~ん、L.C.L.が肺を満たすこの感覚はいつまでたっても慣れない……というか液体の中に入ってくのがきっちぃ。
インテリアに着席してる状態で、下からL.C.L.が満たされてくるのは強制感あるから諦められるんだけど、自分からL.C.L.の満たされたエントリープラグに入るとなると話は別だよな。
レイがインテリアの前席に座ってるので、俺は後席に行く。
複座式の後席は俺の指定席みたいなもんさってね。
「綾波さん、準備はいい?」
「ええ」
振り向くことなく頷くレイに、通常運転だな~と思わず苦笑する。
「2人とも準備おっけーです。いつでもどうぞ」
『エントリー、スタート』
マヤの言葉と共に、エントリープラグが初号機に挿入される。
今ではすっかり慣れた沈み込むような感触。
いつもと違うことと言えばプラグ内が煌き、光の本流に呑まれた。
ひぃん、どうしてこうなった!!
光が収まった時、そこは蒼く暗い水の中。
上方のどこかから微かな光が射しこんでいて、揺蕩う水の中でちらちらと揺らめいている。
あ、これ精神世界的な奴っしょ。
戸惑うことなく、下を見ると、下腹部よりちょい下で俺が揺れている。
たはは。
差し込んでいる光の周囲は闇が濃いが、じっと目を凝らすと幾つもの無数の人間の女がピクリとも動かず浮いていた。
それは全て、レイと同じ姿をしている。
ああ、これは全部、器か。
本当に死体、肉の塊が浮かんでいるようで気持ち悪い。
ここが調整槽だとしたら、レイは中心部にいるはずだけど、そこには光が射しこんでいるだけで何もないように見える。
本当にそうだろうか。
俺は、中心部の揺らめく光へと近づく。
「綾波さん、そこにいる?」
答えは無いた、周囲の水が微かに震えたような気がした。
「おーいいないのかー?ここって綾波さんの心の中って奴なの?」
水の中で胡坐をかき両手で足首を掴む。
こうするといい感じに俺の俺を隠せるわけですよ。
俺は見せびらかしたい変態さんじゃないからな。
別に気にしてないですよ風を醸し出してるが内心めっちゃ覆い隠したいが掌で覆うのもスマートじゃないだろ?
だからこうして自然な態勢変更で隠してあげる。
完璧だ。
その時、四方からレイの言葉が響いた。
「淡島くんは周りにも私がいるのに、どうしてソコに私がいると思うの」
「周りって、ぴくりとも動かないで浮いてる人たちのことを言ってる?あの人たちは俺の知ってる綾波さんじゃないだろ」
「いいえ、彼女達も私と同じ綾波レイ。私が死んだら次の綾波レイとして、ファーストチルドレンとして活動するわ」
レイの言葉に、俺は頭をポリポリと掻き、考え込んだフリをしながら答える。
「綾波さんが死んで、次の綾波さんが来たとしても、その人は俺やシンジ、皆が知ってる綾波さんとは違う人だよ。俺達には綾波さんの、綾波レイの代わりなんていない」
レイは何も答えない。
俺はため息をついて言葉を続けた。
「綾波さんはさ、「代わりがいる」って言ったよね。それはつまり、その「代わり」は今まで俺達と一緒にいた、俺といま話をしている綾波さんじゃないってことだろ。なぁ、姿を見せてよ」
俺はレイが入るであろう中心部に目を向け、腕を差し出すと、そこには驚いたような表情を浮かべてレイがいた。
裸で。
「ぶはっっっ」
で、ですよねえええええええええ!!!
だがロリコンじゃない俺はこの程度では動揺しない。
動揺する必要はないぞ、俺よ……
ちらっと下を見るが安心安全の俺は沈黙を保ちピクリともしない。
そう、平常心。
こんな精神空間でヘタに慌てる方が良くない。
「ほら、やっぱりいた」
「私は、私達は綾波レイ。私は……」
戸惑うようなレイの言葉に悲しくなる。
シンジとの交流で、レイの心はここまで成長していた。
それなのに、やっぱりレイは「自分には代わりがいる」と認識しているんだ。
そう思うと無性に腹が立った。
俺は伸ばした手で、茫然としているレイの手を掴み抱き寄せる。
そのまま掴んだレイの掌を俺の胸に押し当てた。
「俺の心臓の音、わかる?」
「暖かい……」
「俺にとっての綾波さんは今、ここで俺の鼓動を感じている綾波さんだよ。他の綾波レイじゃない。代わりなんてどこにも居ないんだよ」
「トクトクしてる」
ってレイさん!?
掌をどけたと思ったら耳を押し当てて来ましたが!?
目を瞑って俺の心臓の音に耳を傾けてるレイは、まるで母親を求める小さな子供のようで、思わずレイの肩と頭に手を回してそっと抱きしめてしまった。
そのまま髪を梳くようにそっと頭を撫でる。
「俺達の心が、魂が、A.T.フィールドに隔たれているからこうやって人を感じることができるんだ。覚えておいて欲しい、俺やシンジにとってのレイは他の綾波レイじゃない、君という個人だ。今、俺の腕の中で俺の心臓の音を聞いている君だけだよ」
「そう……」
■■■
『どう?淡島君との同乗は』
エントリープラグ内に響くリツコさんの声に意識が覚醒する。
寝……てた?
白昼夢??
「……暖かい……淡島君の鼓動が聞こえた」
レイさん!?!?!?
夢……というより繋がってた?
『そう、数値もいいわ。シンジ君と淡島君の時と同じように、淡島君同乗によるシンクロ率の上昇も確認できました。淡島君の方は問題なさそう?』
「なんて言えばいいのか……シンジの時は自然過ぎて分からなかったのかもしれないけど、綾波さんと繋がったような感じがします」
『繋がったような感じ?』
「なんて言えばいいんだろう……精神?心、魂……イヤな感じじゃないです」
『他には何かある?』
「すみません、うまく言語化出来ないです……」
『大丈夫よ、数値も安定してる。レイとカイ君の同乗は問題なさそうね。それでは次のテストを』
無事初号機の同乗試験が終わり、エントリープラグから出ますかねって時に事件がおきました。
どっこらしょっとインテリアから立ち上がり出口に向かおうとしたらレイに手首を掴まれた。
「あ、綾波さんどうしたの?」
「……レイ」
何やら不満そうに一言だけぼそりと呟いて俺の胸に耳を当ててくる。
これは「綾波さん」じゃなくてレイって呼べってことか?
あー……あの時最後に「綾波さん」じゃなくて「レイ」って呼んだもんなぁ……
「レイ、どうしたんだよ」
「もう一度、淡島くんの心臓の音」
目を閉じて俺の心臓の音を聞くレイに思わず笑ってしまった。
「レイも、俺の事はカイって呼んで」
「……わかったわ」
そう返事をしたレイを、先ほどと同じように抱きしめた。
暖かい、生きてる人間だ。
あぁ……レイには、このレイのままでいて欲しいなぁ……。