鳴り響くスマートフォンの目覚ましに目を開ければ慣れ親しんだ天井が目に入り、違和感を覚えた。
寝ぼけ眼を擦りながら室内を見渡すが毎日寝起きしている慣れ親しんだいつもの自宅。
寝台の脇に置いた小さな机には昨夜呑んでそのままにしてしまったビールの缶が積まれていた。
毎日代わり映えのしない自分の部屋をぼんやり眺めるが、魚の骨が喉に引っかかったような違和感と共に微かな頭痛を覚えた。
「う~……昨夜はそんなに吞まなかったはずなんだけどなぁ」
往々にして吞みすぎた連中が吐くような言葉をついつい呟いてしまう。
そんな俺を急かすように二度寝三度寝防止のために仕掛けていたアラームが鳴りはじめる。
「やっば、早く出かける準備しないと」
アラームを止めると、ビールの空き缶を片付け、身支度を整え、玄関の扉を開けるとこれまた代わり映えのしない見慣れた風景が視界に広がる。
暖かな、いつもと変わらない平穏な日常だ。
という夢を見た。
勘弁して欲しい。
右腕が痛い。
頭も痛い。
とりあえず全身痛い。
ただ、左手から微かに感じる温もりが、少しだけ……ほんの少しだけ苦痛を和らげてくれているように感じる。
閉じた瞼を薄っすらと開けると、見知らぬ天井があった。
左手の暖かさの正体はシンジだ。
俺の左手を掴み、俺が寝かせられている医療用寝台にうつ伏せになっている。
寝ているであろうシンジからは微かな寝息が漏れ聞こえていた。
これも夢か……とも願望が先走ったが、身体から感じる痛みが夢では無いと告げている。
目の奥が熱くなり、頬を水が伝った。
苦しみと、絶望に満ちた、いつもと変わらない日常だ。
そう思考した時、シンジの手が少しだけ強く、俺の手を握った気がした。
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NERV本部内、赤木リツコの研究室で葛城ミサトと赤木リツコは今後の親友トークに華を咲かせていた。
「彼ら、パイロットの件引き受けたんですって?」
「そ、冬月副指令の説得のお陰でね。カイ君は絶対イヤって感じだったらしいんだけど、シンジ君が乗るって言ったら、しばらく考えた後に自分も残るって言い出したんですって。シンジ君は反対したらしいけどね」
「あら、微笑ましい友情ね」
葛城ミサトの言葉に赤木リツコは煙草を燻らせつつも「微笑ましい友情」と表現したが、内心では「微笑ましい」などとは欠片も思っていない。
使徒襲来時にケイジ内の安全性も不明な冷却水に滑落した友人を助けるために、迷わず飛び出して、自身も落ちていくなど明らかに異常だ。
「けど色々条件付けられたみたい。仕方がないけど信用無いわ~」
「緊急時とは言え、使徒の目の前に射出。満足な支援、指示も出来なかった結果、カイ君は昏睡状態に陥った。しかも、使徒の撃破については初号機の原因不明な動作……」
不信の種なんて幾らでもあげられるとばかりに列挙してく。
あんな目にあってというのに、友人である碇シンジがパイロットとして残ると決めたからとはいえ自分も残ると決断するなど、淡島カイも碇シンジと同じく異常性を抱えていると赤木リツコは認識していた。
あの時、発令所内に響いていた彼の苦痛に満ちた悲鳴を聞いた職員は、彼の決断を聞くと揃って「淡島カイは正気か?」と彼の精神性を疑ったものである。
「冬月副指令からの指示で、カイ君から要請のあったパイロットになった際の訓練、各種開発計画について、現段階で見せられる範囲の資料を用意したんだけどね……チェックが厳しかったらしくて、不評だったわ。」
「パイロットに課せられる制限や遵守事項の緩和も要請あったみたいね。こっちは機密の塊なのよ……」
「冬月副指令は『仰る事は理解しますが、私たちも訓練を受けた軍人や専門家ではなく、14歳の子供です。私たちにしか出来ないというのであれば、あなた方も譲歩が必要では』と言われたらしいわよ」
「最近の14歳ってそんな感じなの?嫌だわぁ……」
子供の要求など突っぱねてしまえば良いという意見もあったが、起動確立0.000000001%、オーナイン システムと呼ばれるエヴァンゲリオンに適正がある人材が貴重なのも事実ではある。
特に初めての搭乗であれだけのシンクロ率をたたき出した碇シンジや、本来であれば碇シンジが受けるフィードバックの負荷を代わりに受けた淡島カイの特異性は今後の使徒との戦いのためにも解明したいところだ。
現状、NERV本部にはパイロットがファーストチルドレンの綾波レイしかいない事もあり、譲歩が可能な範囲であれば受け入れるべきだろう。
とは言え、使徒との初戦で感じた自分達の無力を、当事者である子供から改めて指摘されるとくるものがある。
「「はぁ」」
2人同時に溜息をつくと珈琲を呷った。
思わず目を合わせて苦笑する。
「けどそのカイ君……マルドゥック機関のリストに含まれていたって都合良すぎない?」
「確かにそうね。けど、碇指令がそう言ってるのでしょ。なら否応は無いわ」
「そりゃそうなんだけどさ~。実際どうなのよ。適格者がうっかりつれてきた友達が偶然にも適格者!ってどういう確率よ」
葛城ミサトは、何かに仕組まれているのではないかという思いから、なおも不満そうに言い募る。
「言いたいことは分かるけどミサトも見たでしょ。同乗者がいたにも関わらずエラーもなくスムーズな起動に初起動のシンクロ率。シンジ君の適正が高かったとしても適格者でなければありえないわ。それにカイ君がここまで来たのも、彼が自分で望んで来たんじゃなくて、シンジ君が誘ったっていうじゃない」
「わかってるわよ。偶然よね、偶然。そんなこともあるかもしれないわ~」
赤木リツコは全く納得いっていない口調ぼやきながら机に突っ伏した親友を呆れた目で見てしまう。
「あと困ったことにカイ君のご両親、というか家が政府関係らしくて説明も難航したみたい。特に母親がちょっちね」
「ご両親……政府関係者ですって?」
エヴァの適格者は母親がいないはずだ。
葛城ミサトが口にした予想外の単語に、さらに政府関係という言葉に赤木リツコは思わず聞き返す。
「彼、養子なのよ。戸籍上の姓は葦船ね。日本政府に食い込んでるあの葦船家。まぁ、幸いにも分家で、ご両親は企業勤め。本家とは縁も切れてるって話だったわ」
葦船家と言えば、所謂政治家一族だ。
政府関係者であれば知っていて当たり前と言われる一族であり、その影響力は確かに大きい。
「淡島カイは病院に拾われた時に持っていた紙に書かれていた名前みたい。淡島姓を名乗っているのは父親の方針ね、大切な名字だから二十歳になるまでは淡島を名乗って、それからどうするか決めなさいってことらしいわ。学校とかは通称姓の使用ってことで個別に調整してたみたい」
「複雑ね」
「複雑よ~。元々葦船夫妻に子供が出来ないからって引き取ったのに、翌年には男の子が生まれたらしいわ」
「あら、それじゃ葦船家にとっては邪魔になったってこと?」
子供が出来なかった夫婦が養子を取った後に実子が生まれて揉めるなんて想像に難くない。
「それがそうでもないのよ。子供が生まれても大切な長男として育てられててね、だからこそ母親が大反対。修羅場だったわ……」
冬月副指令に同伴し、葦船夫妻との会合に出席した葛城ミサトは「二度とごめんだわ」と項垂れた。
「最終的には父親がね、息子が自分で選択したならって母親を抑えてくれたんだけど、こっちも色々条件突きつけられてね~、父子揃って押しが強いわ……」
「血が繋がってなくても親子って事かしら。けどマルドゥック機関に選ばれてたといはいえ、葦船家の縁者をNERV本部内に組み込むというのは、先が不安になるわね」
本家とは縁が切れてるとはいえ、その関係者の敵にはなりたくないし、本来であればNERVの内部に入れることも望ましくないだろう。
しかし、一度内側に入れてしまった淡島カイを外に出さないためにも、ある程度の要求を受け入れてパイロットとして拘束する必要は、確かにあるかもしれない。
「「はぁ」」
赤木リツコと葛城ミサトは再び同時に溜息をつくと珈琲を呷る。
「2人を引き取るんでしょ、カイ君にそんな不信感もってて大丈夫?」
父親と住むことになると思っていた碇シンジはNERV本部内の居室に入ることになっており、1人で外に出すわけにもいかない淡島カイも同じくNERV本部内の居室に入ることになっていたのだ。
それならばと葛城ミサトは自身が保護者役兼監視役として2人を引き取る申請をしたのだ。
「カイ君本人に含むところは無いわよ。不信感は持たれてるけど、嫌われてるわけじゃないみたいだしね」
「信用されてないけど嫌われてはいないって複雑ね」
「ほんとよ~。まぁ信用されてないからこそ引き取るっていうのもあるけどね。寝食共にして信頼を勝ち取る。完璧だわ」
主にパイロットへの指揮を直接取ることになることから2人との信頼関係も構築したいと考えており、信頼関係が無いままというのは望ましくない状態であった。
2人を引き取るというのはその解消を目指すという目的もあったのだ。
とはいえ、葛城宅の惨状を知っている赤木リツコは苦言を呈す必要があった。
「呆れた。あのゴミ屋敷でどうやって信頼勝ち取るつもりなの」
「そこは初めての共同作業ってことでみんなでお掃除大作戦かしら」
そっと目を逸らす葛城ミサトをジト目で睨む赤木リツコ。
沈黙に耐えかねた葛城ミサトが言葉を繋げる。
「し、思春期の少年2人と美人女上司が一緒に暮らしたら爛れた関係になっちゃうかも~なんちゃって」
「あなた何いってるの!!」
「じょ、冗談よ!本気で怒らなくたっていいじゃない。心配しなくても子供に手ぇだしたりしないわよ!!」
「当たり前でしょ!」
話を逸らそうと軽口叩いてみたらガチで怒鳴られて葛城ミサトは涙目である。
しかしそこでめげることはなく、軽口を続けてしまった。
「あ、けどリツコならいけるんじゃない~?カイ君ってばリツコに興味深々だったわよ~、色々聞かれちゃったんだから」
「ちょっと、余計なこと言ってないでしょうね」
確かに淡島カイとの初遭遇は、水着に白衣という男子中学生には刺激が強い恰好ではあったし、その時の反応からは意識されていただろうこともわかる。
だからといって、この手のことが信用出来ない親友に無い事をあれやそれやと吹聴されても良いということではない。
「リツコさんって付き合ってる人いるんですか~、とかひょっとしてシンジのお父さんとか付き合ったりしてます?とかつい盛り上がって色々話しちゃったら、シンジ君に『ミサトさんって子供っぽいですよね』って言われちゃったわぁ」
「何でそこで碇指令が出てくるのよ……」
赤木リツコは碇ゲンドウの指示のもと、確かに後ろ暗いことをやってはいたが、決して男女の関係にあるわけでは無かった。
NERVにいる理由は、研究者として他に得難い職場ということもあるが、母が遺したMAGI、その思考パターンを移植した人格移植OSがあるという事も大きい。
「知らないわよ~。リツコはフリーだから頑張ってみたらって励ましたら『リツコさんの実験台になったら付き合ってくれますかね』って言ってたわよ、もてもてじゃない~」
「彼の恋人になる代わりに、実験台として合意の上で研究を手伝ってもらう……ありね……」
「リ、リツコ……カイ君は中学生よ?……冗談よね?」
軽い冗談のつもりが、想定外の返答と真剣に考えているような素振りにミサトは慌ててしまう。
「ふふ、冗談よ」
赤木リツコは冗談とは言ったものの、ゲンドウから出来る限りの調査はするように言われてること、研究者として淡島カイの身体に興味があるのは確かだ。
恋人ゴッコをする代わりに本人の協力を得て堂々と調べさせてもらうのはあり……いやさすがに無し……ありでもいいんじゃと悩んでいるところであった。
「勘弁してよ。真面目な顔で言うから冗談に聞こえなかったわ」
「失礼するよ赤木博士。ここにいたのかね葛城一尉、ああ2人ともそのままで良い」
密会もとい移り変わって女子トークが終る気配は無かったが、突然の冬月コウゾウの来訪により中断することとなった。
すっかりオフモードで姿勢を崩して寛いでいた二人が居住まいを正そうとするが、冬月コウゾウが静止した。
「冬月副指令、どのようなご用件でしょうか」
冬月コウゾウの言葉からどうやら自分を探していたらしいと理解した葛城ミサトは平静を装って問いかけた。
「碇シンジ、淡島カイ、両名を引き取る申請をしたらしいと聞いたのだが本気かね」
「はい。シンジ君は碇指令と暮らすのでしたら兎も角、まだ中学生の2人を本部内の居室で生活させるのは少々過酷では無いでしょうか」
冬月コウゾウから見定めるような視線を受けるが、葛城ミサトは怯むことなく言葉を返した。
「そうか。しかし君は2人を君の家に住まわせるつもりかね。実を言うと君の生活環境については私の耳にも届いているのだよ。君の家は他の人間が生活できる環境が整っていないのではないかね?」
「そ、それは……片付ければ大丈夫です!」
苦笑を浮かべながら指摘する冬月コウゾウに自身の汚部屋っぷりが伝わっていた事に顔を青くしながら答えた後に、情報源であろう赤木リツコを睨むが、自分では無いというように慌てて顔を横に振っていた。
「ふむ、君の2人を引き取るという対応には正直関心しているのだよ。寝食を共にして信頼関係を構築することも良いだろう。まぁシンジ君は本来、碇が引き取るべきだが、奴はあの調子だからな」
「は、はい!なので僭越ながら私が」
「落ち着き給え。実はパイロット専用の宿舎も準備していてね、丁度いい、君が引っ越してきたまえ」
「は、はい?」
「うむ。温泉ペンギンのペンペンだったかな。彼の引っ越しも既に終わっているから安心したまえ。住所はあとで連絡する」
言うべきことは言ったと部屋を出ていく冬月コウゾウを、葛城ミサトと赤木リツコは茫然と見送ることしかできなかった。
いや、既に温泉ペンギンペンペンの引っ越しが終っているということは、葛城ミサトの意思など関係なかったのであろう。
「どういう事なのよ……」
「知らないわよ。この機会に生活態度を改めたら?」
この後、碇シンジと淡島カイを連れて指定の住所に向かった葛城ミサトは、ペンペンと冬月コウゾウに迎え入れられて再び「どうしてー!!」と叫ぶことになる。
「カイ君のご両親からの条件の一つに信頼できる保護者が同居するという項目があってね、私がここでのカイ君の保護者となったというわけだ。しかし私も忙しい身でね、正直言うと、君も保護者役を名乗り出てくれて助かっている。君には期待しているよ」
冬月コウゾウの言葉に心の中で「ちょっち早まったかもしれない」と呟く葛城ミサトであった。