ひめみこ   作:転々々

5 / 88
ナル……?

 一夜明けて翌朝、私はトイレで半寝ぼけから完全に覚醒した。

 

「はぁ、夢ってオチは無かったか……」

 

 紙で拭き取る。プレパパ教室――これからお父さんになる人向けの講習会――で習ったように、前から後ろへ優しく。いや、それは大きい方の時だったか……? 小の時は軽く当てるだけでもいいんだっけか?

 

「子どものために習ったけど、自分にすることになるとは思わなかった」

 

 この独白も、昨日から何回目だろう。

 

 既に下着は渚が買ってきたものに替えている。以前とは異なり、左右対称にきちっと収まるのは、ある意味新鮮な感覚だ。

 

 この手の話で『男のプライドでこれだけは』って描写がある。

 しかし私のプライドは昨日のあの一撃で簡単に折れてしまった。この身体でトランクスはエラいことになる。ものの形には、すべからく理由があるのだ。

 そうそうあることとは思わないが、同様の経験をする諸氏には、トランクスだけは止めておくよう忠告したい。

 そう言えば、テレビに出てた男装女子は下着まで男物らしいが、どう対策してたんだろうか? その辺のことは触れられてなかったけど……。

 まぁいい。どうせこの姿に慣れなくちゃいけないし、それを意識するにはまず形からだろう。早いか遅いかの違いだけだ。

 私は自分を納得させた。

 

 鏡に映る自分の姿を見る。

 自分で言うのもアレだが、少しやつれているにも関わらず美しい。美少女と言っていいだろう。毎日見慣れた自分の姿としてではなく、四十近いオジサンの視点で客観的に見ているからだろうか、見惚れてしまう。

 私はこんなにナルシストだったのだろうか。いや、昨日とは違って、心に余裕があるからそう見えるんだろう。

 

 ふと昔のことを思い出す。

 男子トイレの前でぎょっとされたこと数知れず。街頭で、明らかに女性に配るべきティッシュを渡されたことも……。

 そして極めつけは男にナンパされたこと。高校一年のときだったが、あのときは男性であることをなかなか信じてもらえなかった。

 後で憤懣(ふんまん)を吐き出していたとき、周りの目が妙に生暖かかったのは、この外見のせいだろう。自慢していると受け取った者もいたに違いない。

 

 と、違和感に鏡を覗き込んだ。昨日は気付かなかったが、目の色が違う。

 黒目の外周が青みを帯びているのは以前からだが、私の目はむしろ黄土色に近い薄茶色だったはず。それが今は明るい群青色になっている。虎目石から猫目石に格下げだ。

 さすがに左右の目の色が違うとかじゃ無くて一安心だが、この色ではカラーコンタクトをしているイタいオジサンだ。あぁ、今は十代の姿だから許容範囲だろうか。

 

 更に観察を進めると、この三週間で新たに生えてきたらしい部分は白髪だ。残っている黒い髪も根本は白い。

 もともとサイドは白髪が目立ち始めていた。その数年前から、鼻毛と眉毛の白髪率も急上昇していた。そこに来てこの身体の変化。心身の負担で白髪になるくらいは仕方ない。とりあえず禿げてないなら良しとしよう。今の身体の年齢なら、健康を取り戻しさえすれば色は戻るだろう。

 

 

 

 タオルを頭に掛けて伸びた髪をシミュレートする。……見れば見るほど愛らしい。十代の私はこんな姿をしていたのだろうか?

 いや、随所に面影を残してはいるが違う。

 明らかに違うのは目の大きさと顔の縦横比だ。目は大きく、顔は丸顔よりの卵形。頬から顎にかけてのラインがいかにも女性的だ。いわゆる女顔ではなく少女の顔。

 

 よく見ると、目が大きくなったと言うより頭部自体が小さくなっている。特に眉から下が縦方向に小さくなっていて、少女と言うより幼児のようなバランスだ。頭蓋骨だけ見たら、宇宙人みたいなんじゃないだろうか?

 

 身体全体の骨格も小さくなっている。

 思えば、隣に座った渚の方が頭一つ大きかった。何故、気づかなかったのだろう。自分の体格の変化に気付けないぐらいテンパっていたようだ。

 とりあえず、この姿にも慣れて行かなくてはならない。

 

 

 

「小畑さん、朝食ですよ」

 

 ドアの向こうから看護師さんの呼びかけが聞こえる。

 そうだ、今日から食事は点滴じゃなくなる。

 数週間ぶりの食事への期待に、胃袋も催促の声を上げる。

 

「はいっ!」

 

 私はドアを開けた。濡れた手を行儀悪くお尻で拭いてベッドに腰掛ける。

 

「無理せず少しずつ食べて下さい」

 

「頂きます」

 

 部屋を後にする看護師さんを見送り、一人手を合わせて箸を取る。お膳の蓋を取ると豆腐の味噌汁、ご飯は白粥、青菜のおひたし、匂いからいってリンゴのゼリー……、見るからに消化の良さそうなものばかり。温泉卵あたりも付けてくれれば()(かけ)(ごはん)を食べられたのだが、贅沢は言えない。

 

 箸の先を味噌汁につけて濡らす。これも行儀は悪いが、こうすることで飯粒が箸に付きにくくなる。

 看護師さんに言われたとおり、ゆっくりと箸を進めた。

 

 

 

「ふぅ」

 

 数週間ぶりの食事は美味しかったが、長い断食で胃が小さくなったのか、食べきれない。申し訳ない気もするが、半分近く残してしまった。でも、ゼリーだけは後で小腹が空いたときのため、冷蔵庫にしまっておこう。

 

 

 

 食べ終わると所在ない。本来なら出勤している時間だ。

 あれから三週間、部品もぼちぼち揃い始めているに違いない。一部、組み始めているだろう。

 

 三次元で設計してるから「あ、あたっとる」とかは無いと思うが、ちゃんと問題なく試運転までいけるだろうか。

 こっちから連絡を取るわけにはいかない。もっとも、連絡したところで「どちら様ですか?」に違いないけど……。

 

 バッグを探ってみると携帯電話があった。充電しつつ着信履歴を見ると、入院して二、三日目に数件ずつ。さすがに昏睡状態に陥った時期以後に着信は無かった。それでも律儀にショートメッセージで経過が送られている。内容を見る限り、サーボモータと制御盤の入荷が遅れている以外は順調に進んでいる。

 

 これが『小畑昌幸』としての最後の仕事か。画竜点睛を欠いたな。

 私はため息をついた。

 

 と、着信音。母からのショートメッセージだ。十時前に来ると連絡。今後について話すことがあるらしい。

 

「今後か……。問題山積だ」

 

 時計に目をやると、十時までは三十分以上ある。とりあえずシャワーを浴びよう。とにかく脂っぽい頭を何とかしたい。

 私は風呂場の洗面道具を確認した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。