千年樹に栄光を   作:アグナ

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或る読書家たちのエピローグ

 ──ふと、目が覚めた。

 

 いつもの朝。いつもの目覚め。

 本棚と書棚に囲まれた寝室。

 カーテンの隙間。窓から差し込む太陽の日差しを受けて()は目を覚ます。

 

 生来、夜型の人間で朝の目覚めは大抵気持ちのいいモノとはいかない俺だが、その日の目覚めは気分よく目覚められた。

 心臓に手を当てる。思わず微笑む。

 ……覚えてはいないが、何か、とても楽しい夢を見ていた気がする。

 

 目覚めたというのに夢の中にいるようなフワフワとした心地。

 不思議と高揚したまま俺は外出用の服に着替えた。

 せっかくの朝、せっかくの気分の良い目覚めだ。

 特に予定も無いまま、俺は外出することにした。

 

「──行ってきます」

 

 いつも通りの挨拶。

 ──何故か、とても懐かしいものに聞こえた。

 

 

 

 燦々と照り付ける太陽の下、道を歩く。

 季節は冬。

 時刻は通勤ラッシュの真っただ中。

 今の住まいである東京においては学校へ向かう学生や仕事に向かうサラリーマンで道行く人が溢れかえる時間帯だ。

 

 予定も無いまま公共交通機関を利用するには不便な時間。

 ──けれど、その日は不思議なことに通りがかるバスにも駅に止まる電車にも誰一人として人影はない。

 俺の貸し切りだ。運がいい。

 これならば何処へ行くのにも自由自在だ。

 

 気まぐれに思考を回す。

 無地の予定表、白紙の目的に色を塗る。

 

 ……天気もいいし、新宿御苑はどうだろう。桜だけがあの場所の取り柄ではない。自然豊かな緑の苑は寒空の下でも十分に楽しめる。苑内の熱帯の植物園には趣味人ぐらいしか興味を持たないだろうが、稀少な植物なども管理されている。

 ただ知識を蓄えるのも好きな俺にとって見て回るだけも気分が上がる。

 

 ……それとも此処は休日のルーチンワークである神保町の古書探しでもしようか。今じゃ絶版になった本もあの街区ならば探せば見つかるし、今まで知らなかった稀少な本と出合うこともある。お宝探しみたいで幼心を思い出せる。

 

 ……或いは浅草を巡るのもいい。専攻するのは考古学だが、民俗学や宗教学の単位も興味本位で集めている。そんな俺にとって浅草寺を中心とした仲見世通りは旧き良き東京文化を学べるフィールドワークスポット。商店街を冷やかしながら文化を学ぶのも悪くない。

 

 ……ああ、学ぶと言えばやはり上野だろうか。美術館に博物館、国立国会図書館の支部もある上野駅周辺は展示内容が変わるたびによく足を運ぶ。特に博物館に関しては前に『世界を変えた書物』の観覧に赴いたのが思い出深い。始まりの天体観察者(・・・)コペルニクスを始めとした科学発展の黎明期に活躍した学者たちの遺した稀少な原本、写本は硝子越しにも感動した。ギャラリーでそれを模したメモ帳を買って今もそれを大切に持っている。

 

「困ったな、行くところが多くて少し迷う」

 

 何をしよう、どうしよう。

 即断即決がモットーの俺にしては珍しい趣向だ。

 迷う、だなんて。本当に、俺らしくもない。

 

 嗚呼、けれどそういえば昔、選択肢の多い人生は充実している証だと、伝説の将棋指しも言っていたっけ。彼のような存在は俺の憧れだ。その言葉は至言に等しい。

 別に俺自身、将棋を特別に好いているわけではないが彼のように物語(・・)から飛び出してきたかのような存在は単純にジャンルに拘わらず好きと言うだけ。

 

 スポーツ、文化、科学、経済、政治、発見、偉業──。

 歴史に限らず、生きている限り一度は出会う、冗談みたいに歴史の主人公と言わんばかりに振舞う存在達。俺はそういう特別に憧れて、けれども成れなくて……せめて代わりにそういった物語を収集しようと思った。

 誰よりも多くを知り、誰よりも多くを語り、誰よりも多くを語り継ぐ。

 こんな人が在ったのだ。こんな人が居たのだと。

 誰もが忘れたような軌跡を辿り、その道を掘り出して照らす。

 

 星に手を伸ばすように、俺は特別を追い続けたい。

 

 我ながら幸せな頭だ。

 嫉妬するでもなく、失望するでもなく。

 我武者羅に星を追いかけているだけで満足だなんて。

 だから俺はダメなんだろう。

 

 ほら、漫画でよく言う憧れてるだけじゃ何とやらって奴だ。

 ああいう者に成りたい、だなんて一方で言ってる癖して。

 ああいう者を追いかけ続けたい、と一方で思っている。

 

 ……鳥を追いかけて、空を夢見た人々を思う。

 

 いつか、いつか──そう想うだけで心は不思議と満ち足りた。

 

 そうか。走り続けられる、というのはそれだけで幸せなことなんだ。

 

「──何だ、随分と充実した人生だったんじゃないか、()は」

 

 ──決めた。無性に出掛けたいならお誂え向きの場所がある。

 行く先を決める、気まぐれな航路を定める。

 風の向くまま気の向くままに。

 俺は──最後の寄り道を決める。

 

 

 

 東京駅から徒歩五分ほど。駅前ロータリーを跨いだ向こう側に在るオフィスビルの一棟。そのビル内にある本屋が俺の目的地であった。

 全国的に展開する大型店舗を誇る本屋。販売する書籍数も然ることながら、駅近にあるということで本探しに限らず時間潰しの場所としてもよく使う愛着のあるチェーン店だ。

 

 店内に入り、そのまま迷わずエスカレーターへ。

 直通で四階にまで上がる。

 一階から四階まで各階層様々な本が収められているが、俺のお気に入りは四階だ。俺の主だった研究分野に関する本がそのエリアにある、というのもあるが理由はもう一つ。四階にはカフェが併設されているのだ。

 窓際寄りに置かれたカフェからは硝子越しに東京駅を見下ろすことが出来る。

 遠出の用事に際しては、此処から人々の雑踏や行き交う鉄道を見ながら、自分の予定時刻()が巡ってくる楽しみに本を読むのが俺のささやかな贅沢であった。

 

 旅の前の小休止。

 紅茶の一つでも頼もうかと思い、カフェを見るが肝心の人がいない。

 残念だ、と軽く肩を竦めて切り替える。

 適当に本棚から引っ張り出してカウンター席に積み、俺は本を開いた。

 

 内容はいつも通り、人類史の足跡を追う歴史本。

 今に続く大河に生きた星の航海者たちの記録。

 ……光を目指して挑んだ、偉大なる壁。

 

 ──ページをめくる。

 

『セミラーミデ』

 

 以前、『ニーベルンゲンの歌』というオペラの日本公演の帰りに見かけたポスターで知った話。紀元前に存在したというアッシリアと呼ばれた帝国を支配する女帝の物語。世界最古の毒殺者、その悲劇と軌跡を俺は書を通して初めて知った。

 

 ──ページをめくる。

 

『マハーバーラタ』

 

 後世に続く多くの神話や英雄詩の源流となった叙事詩。伝説や神話のみならず古代インドの哲学などさえも説いており、俺のような学問を専攻する者にとっては必ず何処かで触れるほど世界史に多大な影響を与えている。

 

 ──ページをめくる。

 

『イーリアス』

 

 一般にギリシャ神話と括られる叙事詩の一つ。ホメーロスが後世に残した傑作二大叙事詩の片割れで、特にイーリアスに登場するアキレウスにまつわる逸話は神話に詳しくないものでも知るほどに有名だろう。鮮烈なる彼の生き様と、その死が残した教訓はしかと受け止め胸に刻んだ。

 

 ──ページをめくる。

 

『アルゴナウタイ』

 

 ギリシャ神話と言えばこちらも忘れてはなるまい。数多の英雄たちが勇猛なる船長の下に集って旅した英雄船団。ヘラクレスを筆頭に錚々たるメンバーと彼ら彼女らが魅せる活躍ぶりは中々に胸が躍る。

 

 ──ページをめくる。

 

『アーサー王の伝説』

 

 数多の英雄集うと言えばこちらも中々に捨てがたい。偉大なる騎士王アーサー王を筆頭に揃った円卓の騎士たちは中世における騎士イメージを全世界に広め、その足跡と軌跡にロマンスを見せた。伝説は最後には叛逆の悲劇に終わるものの、それでも偉大なる王が偉大であったことに疑いはなく、伝説は長く歴史に刻まれることだろう。

 

 ──ページをめくる。

 

『スパルタクス』

 

 叛逆と言えばかの勇士を忘れるわけにはいかないだろう。奴隷の身分から仲間たちを率いて世界帝国たるローマに刃を向けた伝説の剣闘士。最期には囚われ、結局自由を手にすることは終ぞなかったものの、彼が掲げた意志は多くの人々に受け継がれた。

 

 ──ページをめくる。

 

『テンペスト』

 

 一番初めに手を触れたシェイクスピアの戯曲。稀代の劇作家の名こそ、ずっと前から知っていたが思い出深いのはやはり一番初めに触れたそれだ。劇中に登場した名言の幾つかは胸に深く突き刺さり、劇の外に在る自身に向けられたような気さえした。

 

 ──本を落とす。

 

「おっと……いけない」

 

 『百年戦争』と『島原の乱』にまつわる歴史書を手に取ろうとして、誤って床に落とす。

 いけない。未購入で冷やかしているのに流石にこれは失礼だ。後で購入しようかと思いながら手を伸ばし、拾う前に別の方向から伸びて来た手が本を拾い上げ、俺の方へと差し出した。

 

「──どうぞ」

 

「ああ、すまない」

 

 手渡される本を受け取る。礼を言いつつ差出人へと目を向ける。

 黄色人種のそれとは異なる白皙の肌に、茶色い頭髪。

 柔和な微笑を浮かべる女性、恐らくは西洋の人間だろう。

 身に纏う洋服(ドレス)は現代の流行からかけ離れたもの。

 それでいてよく似合っていた。

 

「本、好きなんですか?」

 

 見慣れない、外国の女性が問う。

 

「好きですよ。読んでいる間、過去に生きているような感じがして」

 

 問いに、俺が答える。

 

「過去に生きたかったんですか?」

 

 見慣れない、外国の女性が問う。

 

「そういうわけじゃない。ただ追体験している間は特別であることを錯覚できるから」

 

 問いに、俺が答える。

 

「──特別に、成りたかったんですか?」

 

そうだ(・・・)

 

 問いに────()が答える。

 

「私は特別に成りたかった。歴史や神話の中、或いは創作の中の物語、いっそ現実でも良い。主役が見る風景、主演が知る光景、特別な者のみが至るその境地に立ちたかった。誰もが憧れ、見上げるような星に成りたかった」

 

 光を好いた、光に焦がれた、光を目指した。

 そこに理由なんてない。

 ただ我の在り方がそういうものであっただけ。

 生来より、それを目指して走る様に設計されただけ。

 

 生まれる前から、私の魂は光を求め続けていた。

 

「馬鹿だと思うか?」

 

「思います。ただ光を目指して走るだなんて、その輝きの何たるかを考えないから勢いそのまま光に焼かれちゃう羽目になるんですよ。もっとこう、目指すなら優しい光を目標にすることだって出来たでしょうに。この考えなし」

 

「ふむ。先に問うたのは確かに俺だが想像した十倍の罵倒で戻してくるとは。少し言い過ぎじゃないか? 第一、考えなしという点に関しては君に言われたくはないな。よく事を見定めずに勝手に突っ走って黒歴史を作った君にはね」

 

「むっ、人が気にしている傷を突くのは卑怯でしょう。紳士にあるまじき行為です」

 

「生憎と、余裕をもって優雅に振舞うような魔術師じゃないのでね。それにこれは君に対する私なりのリスペクトだよ。君に倣って、私も一つ、君に傷を作ってやろうかと」

 

「天然、夢追い人(ロマンチスト)、朴念仁、女泣かせ……貴方なんてそのうち背中を刺されちゃえばいいんです。ブスっと、ナイフで」

 

「おい、それは君が言うと洒落にならないだろう」

 

「つーん。知りません。想われてることを自覚していながら、目の前で希望を壊した挙句、満足しながら自滅する人でなしにはこれぐらいの脅しがちょうどいいのです。この乙女心を弄ぶ鬼畜外道」

 

「……酷い言い様だ。ある意味では君も共犯者だろうに」

 

「ええ。共犯者ですとも。でもそれはそれ。これはこれです」

 

「随分と都合のいい……そんなに不平不満だったなら止める、という選択をすればよかっただろうに。無論、私の事だろうから、それでも止まらないだろうが」

 

「止めることなんて出来るわけないでしょう。私は、貴方のサーヴァントなんですから」

 

「────」

 

 顔を上げる、視線が噛み合う。

 見知らぬ顔、見知らぬ誰か。

 けれど──魂が彼女の名前を知っている。

 

「私は貴方に呼ばれ、貴方に乞われ、貴方のために刃を振るうサーヴァント。弱っちくて頼りなくておっちょこちょいで偶にミスなんかもしますけど、私は他ならぬ貴方のために此処に在るんです。ホント、自分に関しては鈍い人──これは誰でもない貴方の物語なのでしょう?」

 

 俺が憧れた光の具現。

 私の席に寄り添った記録の星。

 

 誰の運命でもない──他ならぬ、私自身に紐づけられた運命。

 

「だったら、私ぐらいはそちらに付いてあげないと。登場人物みんな敵なんて、主人公にあるまじき惨状です。ヒロインには成れなさそうですけど、相棒ぐらいは努めますとも」

 

 えっへん、と胸を張りながら満面の笑みを浮かべる少女。

 それを暫し唖然と眺めた後、手で顔を抑えた。

 

 ……なんて不意打ち。最期の最期でイイのを貰ってしまった。

 一応神様も味方してくれたんだぞ、という無粋な切り返しを思わず忘れてしまうぐらいには見事な一撃だった。

 

「……バルバルーの気持ちが少しわかったぞ、罪な女め」

 

「ふふ、意図せず最後に一矢報いることが出来たようですね。ごめんあそばせ?」

 

「全く──」

 

 嘯く彼女に苦笑して、立ち上がる。

 このままでは私にあるまじき未練が出来かねない。

 早々に、本を閉じなければなるまい。

 

「もう行くんですか?」

 

「出立の時間だ。劇的な終わりを演出した以上、いつまでも寄り道するわけにもいかないだろうさ。君はどうする? 付いてくるなら、ささやかな祈りぐらいは追加で叶えてやれると思うが」

 

「魅力的な提案ですけど、辞めておきます。私は貴方と言う例外のために呼ばれたサーヴァント。そんな例外の私が、“私”の願いを叶えるのは可笑しいでしょう?」

 

「律儀なことだな」

 

「最後に余白(別れ)を設けたマスターには負けますよ」

 

「はっ……違いない」

 

 ──私は立ち上がる。

 背中に見送るような視線を受けつつ、足早に立ち去る。

 もう残された未練はない。

 もう残された余白はない。

 我が色彩(アートグラフ)は此処に完成を見た。

 

 振り返らずして私は手を振った。

 

 

「さらばだ、アサシン──シャルロット・コルデー。私の全てを懸けた大舞台。そのトリを飾る相手が君という運命であったことに感謝する」

 

「こちらこそ、私のようなサーヴァントを貴方の物語に添えてくれてありがとうございます。自分嫌いの私ですけど、貴方のサーヴァントとして共に戦い抜けたことは誇らしく思います──いってらっしゃいませ、マスター。どうか、お元気で」

 

 

 そうして或る読書家たちの余談に、私たちはピリオドを打った。

 寄り道はそれでお終い。

 さあ──最後の勝者として、願いを叶えに行こう。




本当は「千年樹に栄光を」をの聖杯前後に挟みたかった閑話。色々と考えた結果、連載時は端折ったけれど、やっぱサーヴァントとの別れを欠くのはFate的に駄目だよねってことで遅ればせながら置いておきます。


改めまして、本作を読んでいただきありがとうございました。
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