リコリス・リベリオン   作:千束の笑顔が大好き

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Just trust yourself, then you will know how to live

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 目的地は、大通りから一本、路地へ入ったところにあるカフェだった。

 四人掛けのオープン・テラス席に腰を下ろし、余った一席に紙袋達を置く。

 注文を取りに来た女性店員を前に、千束は一切の迷いを見せなかった。

 

「フランボワーズ・アンド・ギリシャヨーグレット・リコッタ・ダッチベイビーケークと、ホールグレイン・ハニーコームバター・ウィズ・ジンジャーチップスで!」

「よく噛まねえよな、それ。あぁ、じゃあアイスティーとホットケーキを」

「かしこまりましたー」

 

 店員はにこやかに頷き、店内へと戻ってゆく。その背中を見送ってから、ぽつりとたきなが言った。

 

「名前からしてカロリーが高そうですね」

「野暮なこと言わない。女子は甘いものに貪欲でいいのだ」

「寮の食事も美味しいですけどね」

 

 DA本部のリコリス寮で提供されるメニューである。栄養素とカロリーがしっかり計算された食事が、三食ついてくるのだ。

 

「あの料理長、元宮内庁(くないちょう)の総料理長だったらしいよ」

「マジか」

 

 大暉が目を丸くする。

 

「すげえなそりゃ」

「そんなに凄いんですか?」

「凄いだろ」

 

 千束である。

 

「でもスイーツ作ってくれないんだよな~。永久にかりんとうだから」

「私、あのかりんとう好きです」

「そりゃあなた、最近来たからだよ。一〇年あれだけは飽きるよ?」

 

 そんな話をしているうちに、いつの間にかさっきの店員が戻って来た。手に持つトレイには、注文した料理が乗ってある。

 

「お待たせいたしました。ご注文の商品です」

 

 言いながら、店員がテーブルの上に料理を並べてゆく。

 ふっくらと膨らんだダッチベイビーケークに、色鮮やかなフランボワーズ。艶のあるヨーグレットと重なるリコッタ・チーズの上にかかっているのは、フランボワーズのジャムだろうか。

 たっぷりのハチミツがかかったパンケーキにはショウガをスライスして揚げたチップスが散りばめられている。

 

 見るからに『重そう』だ、とたきなは思った。

 同時に、比較すると大暉の注文したホットケーキが可愛く思えてしまう、とも。

 

「ぅおっほー! 美味しそ~!」

 

 千束の声が弾む。

 

「明らかに糖質の塊ですね、これは……」

「たきな!」

「いたっ」

 

 うっかり漏らしてしまった言葉に、千束から頭突きと言う名の指導が入る。

 

「人間、一生で食べられる回数は決まってるんだよ! 全ての食事は美味しく楽しく幸せであれ~」

「美味しいのはいいことですが、リコリスとして余分な脂肪はデメリットになりますよ」

「その分走るし大丈夫!」

 

 もう我慢出来ないとばかりにフォークとナイフを手にした千束は、慣れた手つきでダッチベイビーを切り分けてゆく。

 

「それだけの価値がこのスイーツにはあるのよ~」

 

 そのまま、はむ、と一口。

 次の瞬間、千束の表情が一気に弛んだ。

 

「ん~、おいひぃ~!」

 

 その横で、淡々とシロップのかかったホットケーキを切っていた大暉が、ぽそりとぼやく。

 

「この前、二キロ増えた、っつって喚いてたやつとは思えねぇ」

「ぶっ!?」

 

 幸せそうな顔から一転、千束が思いっきりむせた。

 

「ちょっ……大暉、それは言っちゃ駄目なやつ……!」

 

 穴違いを起こしたのか、げほごほと咳き込みながら。

 

「やっぱり脂肪ついてるんじゃないですか」

「それはこれから痩せるからいーの!」

 

 ほらほらたきなも食べてー、と千束がフォークを持ったままこちらへと身を乗り出した時、聞き慣れない響きの会話が耳に入った。

 柔らかく、それでいて早口なフランス語だ。男女の二人組らしく、メニューを前に首を突き合わせ、困り果てた様子で小声の会話を交わしていた。

 

 リコリスは、訓練課程で銃火器の取り扱いはもちろん、一般的な社会常識に至るまであらゆる教育を施される。

 言語も、その一つである。

 

 どうやら注文の仕方が判らないようだった。

 そして、たきなが理解した状況を目の前の相棒が気づかないはずもなく。

 にひひ、と笑って席を立つと、千束は軽やかな足取りでフランス人観光客のところへと向かっていった。そのまま流暢なフランス語で話しかけ、身振りを交えながら注文方法を説明し始めていた。

 

 残されたテーブルで、アイスティーを飲む大暉が肩をすくめる。

 

「相変わらずだな、あいつ」

 

 そして、その視線がたきなの前に置かれた皿へと移った。

 

「今のうちに、たきなも喰ってみれば?」

「……そうですね。残すのも勿体ないですし」

 

 大暉の言葉に背中を押されるようにして、たきなはフォークを手に取る。主張が激しいスイーツを一欠片だけすくい、口へ運んだ。

 舌に触れた瞬間、ふわりとひろがる甘みと、まろやかな香りが味覚と嗅覚を刺激する。

 

「……美味しいな」

 

 素直にこぼれた感想に、大暉が小さく息を吐くように笑った。

 

「だろ? 千束のチョイス、こういう時だけは外さねぇんだ」

「こういう時だけ、ですか」

 

 冗談めかした言い方に、たきなはもう一度スイーツを見下ろす。

 見た目ほど嫌な甘さではなく、後味は意外なほど軽い。

 

「……これなら、少しくらいなら」

「少しくらい、って顔じゃねぇな」

 

 指摘され、たきなは自分でも気づかぬうちにフォークを持つ手が停まっていないことに気づく。

 思わず動きを止めると、大暉はからかうでもなく、ただ穏やかに言った。

 

「気にしなくていいって。こういうのは、楽しんだもん勝ちだ」

「ですが、リコリスとしては……」

「たまのオフだろ。張り詰めっ放しじゃ、どっかで折れる。力抜くところは抜かないと。人間、メリハリがだいじだぜ」

 

 その言葉は、説教でも忠告でもなく、経験から滲んだもののように聞こえた。

 たきなは一瞬だけ迷い、それからもう一口、フォークを口に運ぶ。

 

「では、たまに」

「そうそう。その調子だ」

 

 大暉は満足そうにうなずき、アイスティーに口をつける。

 その横顔を見ながら、たきなは背もたれへ躯をあずけ、視線を空へと逃がした。

 ビルとビルの隙間から切り取られた、澄んだ青空。昼下がりの陽光が差し込み、白い雲がゆったりと流れてゆく。

 

 任務でも訓練でもない。

 ただ時が過ぎてゆくだけの、何でもない日常という穏やかな時間。

 

 ふわっと、柔らかな風が吹き抜ける。

 

 ちょうど千束が戻ってきて、席に着くなり再びダッチベイビーに手を付け始めた。

 

「食べたら『いいとこ』に行きま~す!」

 

 ケーキを口に運ぶなり、心の底から幸せそうな笑みを浮かべる。

 なんて美味しそうに食べるんだろうか。

 見ているだけでお腹が膨れそうだが、たきなも目の前のスイーツを切り分け、口に入れる。

 

 胸の内に静かに満ちてゆくものを言葉にすることはなかったが、たきなの口元には自然と小さな笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 次に連れて来られたのは、先ほど服を買ったのと同じ商業施設内にある完全屋内型の水族館だった。

 照明は落とされ、通路の両脇に並ぶ水槽が淡い光を放つ。

 透明なガラスの向こうで、色も形も異なる生き物たちが、互いに干渉することなく水の中を行き交っている。

 

 平日だからか来館者はそう多くないが、それでも親子連れが水槽の前で立ち止まっては、子供が小さな声で歓声をあげているのが聞こえてくる。

 混雑はしていないが、閑散としているわけでもない。

 落ち着いて見て回るには、ちょうどいい人の流れだった。

 

「やっぱりな」

 

 傍らで、大暉がどこか納得したように呟く。 

 

「『いいとこ』って、ここですか?」

「うん、綺麗でしょここ。私好きぃ~」

 

 応える千束は、まるで自分の庭でも案内しているかのように自信満々な仁王立ちである。

 

「よく来るんです?」

 

 たきなの言葉に、千束は肩にかけたポーチから一枚のカードを取り出して見せる。白地をベースに、ペンギンの画像がカード右側に印刷された、それはこの押上水族館の会員カードのようだ。

 だが、ただの会員カードではない。

 

「年パスだよ~。気に入ったら、たきなもどうぞ?」

「それは追々考えるとして……やっぱり、てことは、大暉さんも?」

「まあな。こいつが頻繁に連れて来るもんだから」

 

 言いながら、大暉も入館時に使用したカードを掲げて見せる。同じデザインの、こちらも年間パスポートである。

 

「えー、言い方ひどくなぁい? 連れて来てあげてる、でしょ?」

「どっちでも同じだろ」

「全然違うってば! ほら、たきな。大暉はね、最初は全然乗り気じゃなかったんだよ? 魚見て何が楽しいんだ、とか言っちゃってさー!」

「言ってねぇよ」

「いいや言ったね!」

「正確には、別に嫌いじゃない、だ」

「ほーら素直じゃな~い!」

 

 やいのやいのと言い合っているが、そもそも定期的に来なければ、年間パスポートなどわざわざ持つものでもないはずだ。

 それが、こうして二人とも同じものを持っているということは……、

 

「やっぱり、お二人って仲がいいんですね」

「でしょ?」

 

 千束が得意げに胸を張る。

 

「……まあ、長い付き合いだからな」

 

 大暉も、苦笑混じりに肩をすくめて。

 

「ほらほら、立ち話してても始まんないって! さ~お魚さんのとこへ出発だー!」

 

 千束がくるりと向きを変え、通路の奥を指差す。

 ずんずん進んでゆく千束に置いていかれないように、たきなも大暉も後を追った。

 

 最初のコーナーは自然の生態系を再現した水槽が並んでいるのだが、これが中々興味深い展示だった。

 一つ一つの水槽の前で足を停めてはケースにある解説を熟読する。その中で気になることがあれば手元の携帯で検索しては、ふむふむ、とか、なるほど、とか一人で納得しては次の水槽へ歩を進めてゆく。

 そのルーティーンが崩れたのは、タツノオトシゴの展示に差しかかった時だった。

 その時たきなの口から出た言葉は、ふむふむ、でも、なるほど、でもなかったのだ。

 

「……へえ」

「どしたの?」

 

 先を行く千束が、こちらを振り返った。

 

「これ『魚』なんですって」

 

 自分でも意外だったのか語尾がわずかに上がる。

 

「マジ? ウオだったのかこいつ……」

 

 この見た目で、とでも言いたげに、千束が水槽に顔を近づける。つられるようにたきなも一歩前へ出て、同じ高さでガラス越しに展示物を覗き込んだ。

 明らかに一般的に知られている『魚』からはかけ離れた形状を持つ、けれどれっきとした『魚』であるというタツノオトシゴ。

 ふと、単純な疑問が胸に浮かんだ。

 

「この姿になった合理的理由があるんでしょうか……」

「ご、合理……? え、理由?」

「何かあるでしょ」

 

 必要に応じて発達した器官や、逆に使われなくなったことで退化した器官があるように、タツノオトシゴが今の形状に落ち着いた何かしらの理由があるはずだ。

 

「え~……」

 

 千束はしばらく水槽とにらめっこしたまま唸り、やがて助けを求めるように視線を横へ投げた。

 

「……はぁるぅきぃ~」

 

 助けを求める先は、少し奥にあるクラゲの展示エリアを覗こうとしていた大暉だった。

 その足が止まり、こちらを振り返る。

 

「え、俺?」

「助けてはるえもん」

「はるえもんってお前な……はぁ」

 

 困ったように眉を寄せるが、すぐに観念したのか、小さく息を吐いた。

 

「……フリージア」

 

 腕に付けた端末に、そのまま短く呼びかける。

 

 それから数秒ほどして、たきなの携帯が鳴った。

 千束のもだ。

 見ると、『JOIN』アプリ内の大暉とのチャット・ルームに通知が届いている。

 画面を開くと、そこには簡潔にまとめられたタツノオトシゴに関する情報が記載されていた。

 

 まとめると、

 タツノオトシゴは泳ぎが苦手なため、保護色と直立姿勢を活かして階層の茂みに紛れ込み、捕食者から逃れるために今の姿になったとのこと。

 

 どうやらフリージアは、この短時間で今のたきなと千束の会話を『聞き』、たきなの求める情報を瞬時にネットから検索・簡潔にまとめてくれたようだった。

 

「さっすがフリージア。仕事早いね~」

「こんなことに使わなくてもいいと思いますけど」

「いや、言い出したのたきなだから」

 

 千束の即答に、たしかに、とは思った。

 

 次の展示は、砂地の水槽だ。

 細長い躯を砂から突き出し、列を成して揺れている生き物達。

 それは規則正しいようでいて、どこか間の抜けた動きだ。

 チンアナゴである。

 

「これも魚ですか……」

 

 手元の携帯でチンアナゴを検索するたきなの視界の端に、同じようにゆらゆら揺れている『赤い何か』が映り込んだ。

 隣を見やると、千束が両腕を上げ、目を閉じたまま砂から生えたかのように立っている。

 ゆらゆらと、実に楽しそうに。

 

「……何してるんですか?」

「え? チンアナゴだけど?」

 

 いや、そういうことじゃなくて。

 

「なんだ、ワカメじゃなかったのか」

「魚じゃい!」

 

 真顔の大暉に千束がすかさず言葉を挟むが、それでも揺れることをやめる気はないようだ。

 

「人が見てますよ」

 

 実際、通路の向こうでこちらをちらちらと見ている親子連れがいることに、たきなは気づいていた。

 

「目立つ行動は控えた方が……」

「え、なんで?」

「なんでって……私達リコリスですよ?」

「制服着てない時はリコリスじゃありましぇ~ん」

「おいおい、子供の言い訳じゃないんだから」

 

 大暉が低い声でたしなめる。

 

「TPOをわきまえなさいって」

「えー、ここ水族館だよ? むしろ魚に失礼じゃない?」

「なにがだよ」

「観察される側の気持ちを体感してあげないと!」

 

 次だ次、と大暉は言った。

 

 階段で、フロアを一つ分降りる。

 少し歩いたところで、三人を出迎えたのは巨大な群青の景色だった。

 

 巨大な水槽である。しかも、ゆったりとこちら側に湾曲したガラス窓には、継ぎ目がない。柱もフレームもない、巨大な一枚のガラスだ。

 小笠原諸島の海を表現したという、約四五種四五〇点の魚達がのびのびと泳ぐ大水槽である。

 圧巻であった。

 どこまでも青く濃く、それでいて水槽は驚くべきことに透き通っている。

 

 たきなと大暉は、設えられたベンチに腰を下ろし、見上げるようにその光景を眺めていた。

 千束は相変わらずチンアナゴとして揺れ続けている。

 ゆらゆらと。

 ……いつまでやるつもりなんだろう。

 とは言え、さすがにもう注意する気力はなかった。見ると、大暉も同じように半ば諦めた視線を千束に向けている。

 だが、聞きたいことなら、ある。

 

「千束」

「んー?」

 

 ゆらゆら。

 

「あの弾、いつから使ってるんです?」

 

 非殺傷弾のことだ。

 いくら千束が卓抜した動体視力を持っているとは言え、わざわざ銃弾の雨を縫って敵に接近するというのは、あまり合理的とは言えない。それが、確実に相手に弾丸を叩き込むためだとしても、だ。

 仮にもファーストの制服を着用することを許されているのだ。おそらく、実弾であれば千束も遠距離からの射撃は問題なく行えるだろう。

 だがそれをしない『理由』が、たきなは気になっていた。

 

「……なぁに、急に」

 

 その問いは想定外だったのか、千束はぴたりと揺れを止めた。

 くるりと振り返り、大暉とたきなの間に腰を下ろす。

 

「旧電波塔の時は?」

「あの時センセに作ってもらったのよ」

 

 なんてことないように、さらりと。

 

「何か理由があるんですか?」

 

 そこまで踏み込むと、千束の口元ににやにやとした笑みが浮かんだ。

 

「なに、私に興味あんの~?」

「タツノオトシゴ以上には」

「チンアナゴよりも?」

「茶化すならもういいです」

「ちょーい! 冗談だってば」

 

 ぷい、と正面の水槽に向き直ったたきなを引き戻すように、千束に肩を叩かれた。

 

 そして、

 

「気分が良くない」

 

 彼女は、そう言った。

 

「誰かの時間を奪うのは気分が良くない。そんだけだよ」

「気分?」

「そ。悪人にそんな気持ちにさせられるのはもぉっとムカつくもん。だから、死なないていどにぶっ飛ばす! あれ当たるとめちゃくちゃ痛いのよ~。死んだ方がマシかも」

「……ふふっ」

 

 思わず、笑みが漏れてしまった。

 蓋を開けてみれば、なんてことはない。思っていたよりもずっと単純でな理由だったのか。

 

「なぁんだよ、変?」

 

 覗き込んでくる千束に、いえ、とたきなは応える。

 

「ただ、もっと博愛的な理由かと思ってたので。千束は謎だらけです」

Mysterious Girl(ミステリアス・ガール)! そうか、そんな魅力もあったか私ぃ~!」

 

 でもね、と千束は続ける。

 

「そんな難しいこと考えてるわけじゃないよ?」

「『したいこと、最優先』?」

「お、憶えてるね~!」

「まあ、大暉さんともそんな話になりましたし」

「そういや、そんなことも言ったっけな」

「おろ、そうなんだ」

 

 千束は楽しそうに笑い、再び水槽を見上げた。

 だから、

 

「だからですか?」

「え?」

 

 たきなの抽象的な質問は、きっと千束にとっても不意打ちだっただろう。

 

「DAを出た理由です。殺さないだけならDAでも出来たでしょ。それも? そうしたい、って、全部それだけ?」

「あー……」

 

 千束の口が開きかけて、閉じる。

 いつもなら本当なのか冗談なのか判らない返しをするような、あの千束が口ごもったのだ。

 眉がわずかに下がり、視線が泳ぐ。

 もしかして、とたきなは思う。

 これは訊かない方がよかったのだろうか……?

 

 だが、

 

「人探し、なんだとさ」

 

 何でもないように沈黙を破ったのは、大暉の方だった。

 

「はい?」

「ちょおっと大暉ぃ」

 

 千束が、抗議するように身を乗り出す。

 

「私より先に言わないでよぉ」

「どうせ言うだろ」

「言うけど!」

 

 それから千束は、小さく息を吐くと、ぽつりと話し始めた。

 

「……逢いたい人がいるの」

 

 遠くを見つめるように。

 

「だいじな、だいじな人」

 

 ゆっくりと、慈しむように言葉を重ねてゆく。

 

「その人を探したくて……」

 

 言いながら、千束は自身の胸元に手を当てる。

 シャツの襟元に隠れていたものを、そっと引き出す。

 

「知ってる、これ?」

 

 指先でつままれた(ふくろう)のチャームが、水槽からの灯とほのかな照明に照らされて、淡く煌めいた。

 

 

 

 ──────────────

 

 

 いつからその名前が社会に根付いていたのか、それは定かではない。

 五〇年近く前にはすでに『彼ら』に目をつけられていた者もいるという説もあれば、少なくとも一〇〇年前にはその存在を匂わせる記述が文献に記載されていたとする説もある。

 いずれにせよ、たきなもリコリコのテレビでその名前を聞いたことがあるくらいには、市井に広まっているようだった。

 

 アラン・アダムス。

 スポーツ、科学、文化など世界中の様々な分野の天才を見つけ出しては『支援』を行う、世界的な匿名支援者の呼び名である。

 

 支援の対象となるのは、才能を持ちながらも貧困や病など抱えているがためにそれを十全に発揮出来ない人々だ。その支援は金銭的なものから医療の提供や指導者の斡旋など多岐に渡り、そのどれもが見返りを求めない無償のものとなっている。

 機関から支援を受けた者達は『アラン・チルドレン』と呼ばれ、支援を受けた証として梟を模した意匠のペンダントを贈られる。

 

『彼ら』が世界的な大富豪なのか、それとも巨大な支援団体なのか、その正体についてはまだ何も判っていない。

 

 だが一つ言えるのは、これらのネット記事に掲載されたオリンピック金メダリストが身に付けているペンダントの画像と千束が持つものが瓜二つである、ということだけだった。

 

「たしかに」

 

 たきなはスマートフォンの画面と、千束から渡されたペンダントを交互に見比べた。

 

「同じですね」

 

 小笠原の水槽からは離れた、小休憩の出来るカフェ・スペースである。ソフト・ドリンクを三人とも頼んで、それぞれ腰を下ろしている。

 

「わからなぁ~い?」

 

 言いながら、千束はドリンクの入ったカップを持ったまま尻を突き出し、ボディ・ラインを強調するような艶めかしいポーズをとる。それは奇しくも、彼女の背後に貼られた炭酸飲料のポスターに載ったグラビア・モデルと同じ姿勢だった。

 

「それじゃないのは判ります」

 

 たきなと、

 

「それじゃあねぇな」

 

 大暉の容赦ない口撃に、千束は轟沈した。

 がっくりとテーブルに突っ伏して。

 天板に額を押しつけながら、ぶつぶつと言い始めた。

 

「大暉……はともかく、たきなは自分の才能が『なに』とか判るぅ?」

「何かあるといいですけど」

「そんな感じでしょ?」

 

 がばっ、と顔をあげ、そのまま親指と人差し指を立てた右手をこちらに向ける。

 

「自覚なんて、大体後付けだよ。他人に言われて初めて、あ、そうなの、ってなるやつ」

「で、見つかったんですか?」

 

 訊ねるたきなは、千束から預かったペンダントを持ち上げて。

 

「これくれた人」

「いんやぁ~」

「一〇年も探して?」

「……まあね」

 

 たきなからペンダントを受け取った千束は、そのまま滑るように視線を水槽へと投げやった。

 そのまま、小さく息を吐く。

 

「もう、逢えないかもね。ただ一言、ありがとう、って言いたいだけなんだけど」

 

 いつもなら騒がしいほどに朗らかな声が、驚くほどしおらしい。

 それほどまでに彼女が『逢いたい』と願う人物がどんな人間なのか、少しだけ、たきなは気になった。

 千束につられて、たきなも同じ水槽に首を向ける。

 

 いったい、

 アクアリウムという『切り取られた海』の中で泳ぐ魚達を、彼女はいったいどんな気持ちで見ているのだろう。

 そもそも千束がアラン機関から受けた『支援』とはいったい何なのだろう。

 

 これを機に千束の謎を解決しようと思ったはずなのに、気が付けば謎が増えてしまっていたことに、思わず微笑みを浮かべる。

 訊きたいことは、まだまだたくさんある。

 でも、それはきっと今じゃない。

 ならば、と思う。

『自分』を見失いかけていた私に『居場所』を与えてくれた千束に、私が出来ることはいったい……。

 

 考えるより先に、たきなは動いていた。

 おもむろに立ち上がり、小走りで水槽の前へ出る。そのまま両手を胸の前でぴたりと合わせ、前へと突き出す。

 片足は後ろへすっと伸ばし、爪先が地面につかないよう気をつけて。

 

「……さかな~!」

 

 それは精一杯の励ましだった。

 周囲の視線が集まるのが判る。

 でも、千束が笑ってくれるならそれでよかった。

 

「おぉ……」

 

 そして、たきなの思惑は功を奏したらしい。最初こそたきなの突然の行動に目を丸くしていた千束の、その表情がふわりと弛んだのだ。

 

「さかなか~!」

 

 にんまり、だ。

 そして椅子から立ち上がると、ぱたぱたとこちらへ駆け寄ってきて、たきなの隣へ。

 

「ふふっ、じゃあ、こっちはチンアナゴだ~!」

 

 再び両腕を天に掲げて、ゆらゆらと揺れ始める。だからたきなも、負けじと腕と足をぴんと伸ばした。

 

「もっとこう……不規則に揺れた方がそれぽいです」

「え、そこダメ出し入る? 監修厳しくなぁい?」

「リアリティはだいじです」

 

 やんややんやと言い合っているうちに、いつの間にか笑い声が混ざる。それは千束の声であり、たきなのこえであり、そして一部始終を目の当たりにしていた他の客達の声であった。

 

「お前らなぁ、だからTPOを……」

 

 テーブルから見守っていた大暉が声を上げようとしたが、言いかけて、止めた。

 

「……はぁ。まあ今回はいいか」

 

 そして苦笑混じりに、肩をすくめて。

 それを合図にしたかのように、近くにいた子供が両手をひらひらと振り出した。

 

「ぼくクラゲやるー!」

「じゃあ、わたしタコさん!」

 

 小さな腕がにょきにょきと動き、くるくると回る。

 

 ぴーん。

 ゆらゆら。

 にょきにょき。

 くるくる。

 

 親達の笑い声も重なった、それはさながら即席の海である。

 

 千束が揺れながら、ちらりとこちらを見た。

 

「ありがとね、たきな」

 

 たきなは小さく、けれどしっかりと頷いた。

 

「それ、隠さない方がいいですよ」

「え?」

 

 ペンダントのことだ。

 

「そう? 目立つかなと思ってたんだけど」

「目立っていいと思います」

 

 即答だ。

 そして。

 

「めっちゃ可愛いですよ」

 

 その後、ペンギン島へ行った三人は柄にもなくはしゃいだ。

 千束はペンギンたちの可愛らしさに悶絶し、

 たきなは初めて生で見るペンギンそのものに好奇心から目を輝かせ、

 そして大暉はなぜかペンギンの方から寄って来られ、飼育員に笑われていた。

 

 

 

 ──────────────

 

 

 水族館を出る頃には、空はすっかり暗くなっていた。

 昼の熱を含んだ生ぬるい風が、頬や首筋を撫でてゆく。

 

 荷物を積もうと駐車場へ向かう途中、待ち合わせにも使った北押上駅の前を通ろうとしたところで、ふと大暉が足を止めた。

 

「……千束」

「うん」

 

 即座に返る短い返事。

 どうやら彼女も気づいているようだった。

 

「これは……」

 

 たきなも、周りに視線を巡らしている。

 

 仕事終わり、買い物終わり……色んな人が行き交う、一見すればなんてことはない平日の夜の景色。

 その中に、見慣れた色が散らばって見えた。

 学生服を着た少女達が、駅の周辺に点在している。

 一見すれば、それは下校途中の女子高生にしか見えないだろう。

 問題なのは、彼女達が背負っている鞄が、たきなが背負うそれと同じ柄だということ。

 ただの女子高生ではないのだ。

 

「リコリス、だね」

 

 千束が呟きに、たきなも頷く。

 

「サードがこんなに……なんだか多いですね」

 

 リコリスは、その等級によって着用する制服の色が異なる。規格外の実力を持つファーストは赤、ファーストほどではないが優秀さと実績を持つセカンドは紺、というようにだ。

 そして今、配置されているリコリスが着ているのはベージュ。もっとも低いサードの等級である。

 比較的短期間の訓練で現場に投入されはするものの、日常的な治安維持を任されるていどの実力はある、リコリスの主要戦力だ。

 だが、それにしても数が多い。

 

 見ると、駅の入り口も昼とはその様相が違っていた。

 黄色と黒の配色のテープが、出入り口をふさぐように幾重にも張り巡らされている。

 駅そのものが封鎖されているのだ。

 おまけに、サングラスをかけた黒服の男達も数人、封鎖された駅の前に立っては周囲を警戒している様子だった。

 人の流れは滞り、立ち止まる者、引き返す者、事情も判らず様子をうかがう者など、雑多な気配が夜の空気に溶け込んでいる。

 

「なんだろうね?」

「さあな。仮にテロリストがあン中にいたとして、セカンドが出張らないのは変だ」

 

 サードだけで鎮圧出来る、本部はそう判断したのだろう。

 

「まあ、おおかた列車トラブルってことにすんだろ」

 

 大暉は、わざと軽い調子で言った。無論、それは表向きの話だ。

 駅の周りにこれだけリコリスがいるということは、おそらく駅の中……あるいは乗り入れる列車そのものに配置されている可能性はある。

 

「何かしらの故障で運転見合わせ。振替輸送をご利用ください、ってやつだ。車で来て正解だったな」

 

「だといいですけど……」

 

 たきなが続きを言いかけた、その時だ。

 

 突然、地鳴りのような轟音が、封鎖された駅構内から叩きつけるようにして響いてきた。

 爆発である。

 鼓膜を突き破るような衝撃と同時に、土煙と破砕されたコンクリート片が熱風を伴って地下から噴き上がる。

 

「やはり何かあったんでしょうか!」

 

 大暉の脇を抜けて反射的に駅の方へ駆け出そうとするたきなの腕を、

 

「私服で銃抜いたら捕まるよ」

 

 千束が掴む。

 

「制服着てない時はリコリスじゃない、って言ったでしょ。今日はもう帰ろ? 戦利品も多いし」

 

 言いながら、ほら、と千束が大暉に視線を投げる。

 三人分の服や雑貨、ついでにリコリコのメンバーへのお土産も少々……約束通り、今日の買い物の荷物のほとんど大暉が両手に提げている。

 完全に買い物帰りの一般人だ。

 

 たきなもまた、自分の手にある紙袋を見下ろす。唯一大暉が持たなかった、それは彼女の下着が入った袋だ。

 

「……判りました」

 

 しばしの逡巡の後、たきなはゆっくりと頷いた。

 大暉は何も言わず、二人を促すように歩き出す。

 

 背後では、ざわめきとサイレンが混じり合い、夜の駅を覆っていった。

 

 

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 翌日、なぜかたきなのトランクスを穿いた千束がミズキに羽交い絞めにされながら扇風機でスカートをあおられていた。

 

 

 

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 ビルとビルの隙間に挟まれた細い路地は、昼間だというのに薄暗かった。

 コンクリートの壁面に背中を預け、ほう、と息をつく。そこから、やがて自嘲とも苛立ちともつかない笑みになる。

 

「ちっきしょう……」

 

 鉛球のかすった左腕を抑えて、鈍い痛みに顔をしかめる。

 

「また俺だけ残っちまった」

 

 生き残ったのが、だ。

 連れて行った部下は全員、死んだ。

 今ごろ、崩落したホームの瓦礫に圧し潰されていることだろう。

『敵』といっしょに。

 

 そう。

『敵』だ。

 

 あの時、列車に乗っていたのは一般客ではなかった。

 年頃だけ見れば、どう考えても女子高生にしか見えない年端も行かないガキだ。

 それも、拳銃を携行した。

 迷いなく引鉄を引ける胆力と統率された射撃姿勢は、彼女達がシロウトではない証拠だった。

 爆弾がなければ、あるいは自身も危なかったやも知れない。

 全ては過ぎた話だが。

 

「あれが日本のバランスを狂わせてる奴らか」

 

 路地の奥を一瞥し、誰もいないのを確認してから、男は携帯を取り出す。

 あれだけの騒ぎを起こしたのだ、何かしら報道されていてもおかしくないだろう。

 ニュース・サイトへアクセスし、画面をスクロールする。

 速報。

 続報。

 あるいは駅、爆破などのキーワードを入れて検索もかける。

 だが、

 

「……事故?」

 

 事故。

 事故。

 事故。 

 男の視界に入ってくるのは、いずれも列車同士の衝突事故の速報のみ。

 爆発の二文字など、どこにも見当たらない。テロなどもっての外だ。

 

 駅そのものが崩落したというのに、それはあり得ない報道だった。

 

「……どうなってやがる?」

 

 呟きに、

 

『リコリスの存在は情報統制されるのさ』

 

 応える声があった。

 機械まじりの声だ。

 

 男は反射的に周囲を見回すが、それらしい人影はない。

 

「ちっ」

『手元だ手元』

 

 声に促され携帯へ視線を落とすと、いつの間にか画面が切り替わっていたことに気がついた。

 映っているのは、ロボットのマスクを被った人物だ。どうやら、映像を介して通話が繋がっているらしい。

 

「何だてめぇ」

『お前が真島だな』

 

 相手は、どうやらこちらのことについて知っている様子だった。

 

『僕はロボ太。お前を手助けする世界一のハッカーだ』

「別に頼んだ覚えはないぜ」

『クライアントからの指示だ。諦めろ』

 

 傲慢さを滲ませる喋り方がはなにつくが、こいつはどうやらこれがニュートラルらしい。それに、とロボ太は続ける。

 

『リコリスを倒すには、僕みたいな頭のいい奴が必要だぞ。僕の頭脳とお前の力で……』

 

 無言で通話を切る。

 最後まで聞く気はなかった。

 画面が暗転したのを確認し、

 

「……くだらねぇ」

 

 そう吐き捨てて携帯を仕舞おうとしたところで、

 

「おいおい、いきなり切るこたないんじゃねぇか?」

 

 軽い調子の声が飛んできた。

 路地の奥。

 暗がりの向こうから。

 

「……あん?」

 

 真島は即座に躯を反転させる。

 視界に、白が広がった。

 

「お前は……」

 

 場違いなほどに上等そうな白いスーツを着た青年が、革靴を響かせながら歩いてくる。

 まだ若い。ハタチそこそこ、といったところか。

 長身かつ細身だが筋肉質で、その所作には一切の隙がない。重心もブレがないところを見ると、相当な訓練を積んでいることが窺えた。

 プロの動きである。

 

「よう、久しぶりだな」

 

 にやり、と笑みを浮かべる男に、真島は警戒を緩めない。

 

「久しぶりぃ? 俺は初対面……」

 

 ……初対面だぞ、と言いかけて、やめる。

 暗がりのせいで初めはよく判らなかったが、大通りから差し込んでくる陽の光に照らされた彼の顔に、見覚えがあったからだ。

 たしかに、会ったことはある。

 だがそれは、久しぶり、と言うほどではない。つい最近、街で出くわしただけのはずだ。

 そして同時に、真島は目の前の男の『違和感』にも気づいていた。

 いや……、厳密にはこちらが『正常』とも言うべきか。

 

「……なんだ、どうなってやがる? てめぇはたしか……」

 

 言い切る前に、スーツの男が掌をこちらに向けて静止した。

 

「あー……なるほどな、そういうことか」

 

 どこか納得したような声。

 そして真島を一瞥すると、そのまま彼の脇をすり抜けて大通り寄りへ一歩、踏み出した。

 

「おぉ、懐かしいなぁ、あれは」

 

 言いながら青年が見上げるのは、根本から折れた旧電波塔である。

 

「俺もな、いたんだよ。あそこに」

「なに?」

「一〇年前のことだ。あんたもそうだろ?」

 

 真島は眉を顰めた。

 こいつ、どこまで知ってる……?

 だが、

 

「ついてこいよ」

 

 真島が尋ねるより早く、青年が歩き出す。

 

「パトロンがお呼びだぜ。電波塔の壊し屋さん」

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