バンド仲間の道代と温泉旅行をしていた彩だったが……

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湯上がりはしずしずと

 

 休日を利用して、彩は道代と水上温泉に来た。予約した宿は、老夫婦が営む小ぢんまりとした民家造りで、リーズナブルな料金と家庭的な料理が売りだった。道代は昔のバンド仲間で、解散してからも時々連絡し合っていた。

 

「ね、オミツはどうしてるかな」

 

 オミツは、ベースを担当していた美都子の愛称だった。

 

「えっ? 引っ越してから連絡取れないのよ」

 

 道代が心配そうな顔をした。バンドの頃は道代と美都子は仲が良かった。

 

「連絡取れたら誘いたかったね」

 

「そうだね……」

 

 道代は残念そうに目を伏せた。

 

 

 彩がヴォーカルをしていたバンドは、バンマスだけが男で、他は女性で結成されていた。バンマスの篤生がギター、道代がドラム、美都子がベースを担当していた。

 

 

 バスを降りて秋色に染まった小径(こみち)を行くと、古びた小さな宿から包丁の音がしていた。

 

 

 リュックを下ろし、窓から見える紅葉を堪能しながら(しばら)く休憩すると、宿の浴衣に着替えて温泉に行った。

 

 疲労回復に効果があるという単純温泉にゆっくり浸かりながら、こびりついた都会の垢を落とした。

 

「道代はいいな、優しいご主人がいて」

 

「まぁね。今回の旅行も、たまにはいいさって言ってくれた」

 

「私もそんな旦那さんが欲しい」

 

「彩は可愛いからすぐにできるわよ。選り好みしてるだけでしょ?」

 

「そんなことないけど、同僚にも先輩にも魅力的な人がいなくて」

 

「だったら、主人に、会社に素敵な人がいないか訊いてみようか」

 

「ホントに?」

 

「もしかして、タイプの人に出会えるかも」

 

「わぁ、楽しみ」

 

 彩は、出会いに胸を膨らませた。

 

 

 温泉から上がった時だった。

 

「あれっ! 浴衣がない」

 

 ロッカーを開けた道代が不思議そうな顔をした。

 

「嘘。他のロッカーじゃないの?」

 

「だって、持ってた鍵で開いたもの」

 

「ちょっと待ってて。フロントで借りてくる」

 

 彩はそう言ってフロントに急いだ。

 

 彩が持ってきた浴衣を着た道代は、釈然としない面持ちで客室に戻った。間もなくして夕食が運ばれてきた。

 

「私、このお笑いコンビが好き」

 

 きのこ鍋を食べながら、先刻の件を切り捨てたいかのように道代はテレビに集中していた。

 

「確かに、面白いよね」

 

 松茸ご飯を頬張りながら同調した。

 

「アハハ」

 

 道代は大袈裟(おおげさ)に笑っていた。

 

 

 それは、真夜中だった。ふと、目が覚めると、道代の姿がなかった。眠れなくて温泉にでも行ったのだろうと思っていると、慌ただしくドアが開いて、カーテンから漏れる月明かりの中に血相を変えた道代の顔があった。

 

「どうしたの?」

 

「……美都子の幽霊」

 

 魂を抜かれたかのような表情で腰を下ろした。

 

「えっ! 幽霊?」

 

「浴衣を着た美都子が女湯から出てきた」

 

「何を言ってるの?」

 

「あれは美都子よ!」

 

 道代は錯乱したように頭を抱えた。

 

「最初から話して」

 

 彩はそう言って、部屋の明かりをつけた。

 

「……ロッカーに入れたはずの浴衣がなかったのが気になって、確かめようと脱衣所に行ったの。そしたら、廊下の角を曲がった途端(とたん)、帯をした浴衣が女湯から出てきたの。体がなかった。浴衣だけが歩いていたの」

 

「えっ?」

 

「足元を見ると、足がないのにびっしょり濡れた足跡があって、しずしずと歩く度に、ベースの弦を弾くような音がしていた。あれは美都子よ! 私に復讐してるのよ」

 

 道代はそう言って、うずくまった。

 

「復讐って、何があったの?」

 

 彩の問いに、道代はゆっくりと体を起こすと語り始めた。

 

「美都子がバンマスと付き合っていたのを知っていた私は、バンマスを誘惑したの。どうしてそんなことをしたのか、たぶん、嫉妬(しっと)からだと思う。幸せそうな美都子が憎かった。私とバンマスのことを知った美都子はバンドを辞めて引っ越したわ。その後、連絡が取れなくて……」

 

「そんなことがあったなんて知らなかった。それが本当なら、美都子はきっと、仲が良かった道代と一緒に温泉に来たかったのよ。だから、誘ってくれなかった腹いせにいたずら半分で道代の浴衣を盗んだのよ。きっと」

 

 幽霊話を俄には信じられなかった彩は、そんなふうに言って道代を落ち着かせた。

 

「美都子。……ごめんね、あなたを裏切って」

 

 道代は泣いていた。

 

 

 その日の朝。早くに目が覚めた彩は一人、温泉に入った。温泉に浸かりながら錦秋(きんしゅう)の山並みを眺めていると、背後に冷たいものを感じて咄嗟(とっさ)に振り返った。そこにあったのは、ーーガラス張りの脱衣所から覗いている、帯をした浴衣だった。


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