アプリ軸+アニメとシングレ要素って感じです。
桜の蕾が膨らみ始めた三月十三日。トレセン学園は春休みに突入していた。校舎内には教職員も生徒もトレーナーもあまり見当たらない。しかしカフェテリアは変わらず忙しい営業を続けていた。
座学のない春休みはトゥインクル・シリーズを戦うウマ娘とトレーナー達にとっては絶好のトレーニング期間である。既に春のG1戦線も始まっているために、カフェテリアにはどこかピリついた空気が流れていた。少しでも血肉に変えようと鬼気迫る様子で食事を摂る者。或いは調整のために最低限の補給で済ませる者。
そして、そんな周囲を全く気にせず食べたいものを食べたいだけ食べる者。
「春メニューの七草カレー、すごく美味しいな……!」
名をオグリキャップ。
「ですね!」
スペシャルウィークが隣で頷く。二人が所属するドリームトロフィーリーグはトゥインクル・シリーズの動員がピークを迎える春秋を避けた夏と冬の開催であるため、気兼ねなく春休みを満喫しているのだった。
「にしてもよう食うわ毎日毎日……」
オグリの正面に座るタマモクロスはげんなりとした顔でコップの中の氷をストローで転がしている。
「春休みは授業のチャイムを気にしなくていいからな。私たちはレースがないから体重が増えても問題ないのも良い」
「ですね! ずっと春休みがいいです!」
「ああ。だが残念なことに春休みは短い。だから悔いがないように食べるんだ……あれ、今日は何日だったかなスペ」
「えーと……日替わり定食が昨日は春巻きだったから……先週はなんでしたっけ」
スペシャルウィークは指折り数え始めた。
「先週は月曜から順に、カニクリームコロッケに竜田揚げに──」
オグリがすらすらと諳んじると、
「いやどんな数え方やねん! 胃で記憶しとんか」
タマモクロスがたまりかねた様子でツッコんだ。
「悔いがないように食い……か」
どこからかシンボリルドルフが現れてタマモクロスの背後に立った。
「うおお!?」
体を仰け反らせたタマモクロスが椅子をガタッと鳴らした。
「すまない、驚かせてしまったかな。こんにちは、タマモクロスにスペシャルウィーク、そしてオグリキャップ。三人仲良く昼食か」
「二重の意味で驚いたわ。あー、オグリと昼飯食いに来たらスペとバッタリ会うてな」
シンボリルドルフを見てスペシャルウィークは慌てて水で食べ物を流し込んだ。
「かかか会長さん!? こ、こんにちは!」
「やあ。ルドルフもお昼か? カフェテリアで会うのは珍しいな」
オグリキャップはペースを崩さず食事を続けながら言った。
「あ、ああ。そうかな」
ルドルフはわずかに目を逸らした。
「ところで私も同席していいかな? スペシャルウィーク、そんなに緊張せず食事を続けてくれて構わないよ」
そう言うとルドルフはタマモクロスの隣、スペシャルウィークの正面の席に荷物を置くと注文をしに行った。周りのウマ娘たちも食事の手を止めてルドルフを目で追っている。そしてその視線はオグリたちのテーブルにも向けられるが、三人は慣れたもので全く気にしていなかった。
「なんやスペ、会長苦手なんか」
ルドルフが遠ざかったのを見計らってタマが口を開いた。
「まあ得意っちゅう奴も少ないか。なんせ威圧感あるもんな。ウチには効かんけどな~! なっはっは!」
「そうか? レース以外でルドルフに威圧感を感じたことはないな……」
オグリは首を傾げた。
「そらオグリは少ない側やからな。ちゅーか会長室に乗り込んで逆に威圧したなんてトレセンの歴史でも唯一無二やろ。ウチも見たワケちゃうけど、伝説やで伝説」
「ええー!? 本当ですか!?」
「ああ、うん、まあな」オグリが言った。「昔のことはいいだろうタマ。恥ずかしい……」
「ウチやったら持ちネタにする位の鉄板エピソードやけどなあ。んでスペは会長と何かあったん?」
「いえその……直接お話したことはほとんどないんですけど……」
スペは気まずそうに頬を搔いた。
「私デビューの時のライブでやらかしちゃって……それで凄く怒ってたって話をテイオーさんから聞いてたので……」
「いや自分のデビューって何年前やねん! そない前のこと会長かて覚えてへんやろ」
タマモクロスは呆れてため息をついた。
「ですよね!」
萎れた耳をピンと立ててスペシャルウィークは笑顔を咲かせた。
「いやルドルフは覚えていると思う。記憶力が良いからな」
「ですよね~……」
スペシャルウィークの耳は再び萎れ、オグリは味噌汁をすすった。
「だがもう怒っていないと思うぞ。昔のことは分からないが、スペも今は立派にライブをこなしているじゃないか。私だってデビューしたての頃はライブがよく分からなかった」
「ですよね!」
スペシャルウィークは再びパァッと顔を輝かせた。
「起き上がりこぼしか自分」
タマモクロスが呆れ気味に言った。
「しかしアレやな。オグリとスペって似とるよな。よう食うし天然ボケやし田舎モンやし、おまけに脚質も近いやんな」
「そして多くの人に愛される一日千里の才能があることも同じだな」ルドルフがカレーを置いて座りながら言った。「いや、今タマモクロスが挙げた要素もその一部なのかもしれないな。脚質は私も似たようなものだが、あと真似できそうなのは大食いくらいか。検討してみよう」
「いや流石にこの二人の大食いは真似できひんやろ……。あとな会長、あんたのトレーナーも副会長も言えへんのやろからウチが代わりに言うたるけど、あんた割と天然ボケ側やで」
「ふふっ。やはりタマモクロスの冗談は面白いな。私も日々君を見習って学び、人々の支持を集めたいものだ。日進月歩、人気をゲットとね。ふふふ」
「もうラップやそれは」
タマモクロスはストローを咥えて、もう喋らない、と意思表示をした。
「スペシャルウィーク」
「はいっ!」
ルドルフに呼ばれ、スペシャルウィークは背筋を正した。
「さっきも言ったがそう緊張しなくて良い。もちろん君の初ライブは言語道断たるものだったが、それは過去の話だ。オグリキャップの言った通り、今では君もドリームトロフィーを盛り上げるスターの一人だと私は認めている……認めるなどとは少し尊大な言い方だったかな」
「へへっ、スターだなんてそんな……」スペシャルウィークは鼻の下を擦った。
「って聞こえてたんですか!?」
スペシャルウィークは危うく指を鼻に突っ込むところだった。
「全部ではないが、タマモクロスの元気なツッコミが聞こえたから何の話をしているかの察しはついたよ」
「もう~タマモクロスさんのせいじゃないですか~!」
「おん? なんや全部ウチのせいか? あーせやせや、ワタクシが悪うございました。空が青いのも電柱の背が高いのもポストが赤いのもウチのせいや」
「そうだったのか……確かにタマの勝負服は赤と青だ。ん? でも背が高いのは……?」
オグリはまじまじとタマモクロスを見つめた。
「真に受けんでええねん! そんで誰がドチビやコラ!」
「そこまで言ってない……」
その時食堂のざわつきがひときわ大きくなった。
「む、新たなスターの登場だね」
ルドルフが言って、他の三人もそちらを見た。
「はーっはっはっは!」
人並みの向こうから聞こえてくるその高笑いで誰が来たのか察したタマモクロスはげんなりとため息をついた。
「またやかましいのが……頼むから遠くに座ってや~。こっち来られたらツッコミ追いつかんで」
「はーっはっはっは! ボクもご一緒していいかな?」
「いや来るんかい! 間ぁ完璧やん自分。ちょい気に入ったわ」
オペラオーはトレイに食事を載せてウマ込みから抜け出してきた。
「ボクは天性のエンターテイナーだからね! どんなテンポだって体が勝手に乗りこなしてしまうのさ! 嗚呼、我ながらこの才能が怖い!」
「やあテイエムオペラオー。君とも是非話をしたいと思っていたよ」
「これは会長。皇帝と覇王の邂逅が齎すは秩序かそれとも混沌か! 何であれこの出会いは後世に刻まれることになるだろうね!」
オペラオーはトレイを持ちながら器用にポーズを取った。
「オペラオーさん! こんにちは!」
「やあスペ君。変わらない健啖さだね。ボクをドリームトロフィーで迎え討つために力を蓄えているというわけだ!」
そう言ってオペラオーはオグリの隣にトレイを置いた。オグリと同じカレーが載っているが、並盛のそれはオグリの隣ではミニチュアの玩具のようだった。
「あの、オグリさん隣いいですか?」
「うん、構わない」
オペラオーはちょこんと腰を下ろした。
「いや普通かい! 覇王と怪物がどうのこうの~みたいなん言えや!」
「ハッ!?」
オペラオーは大げさに立ち上がり額を指で押さえた。
「ボクとしたことがボク以外の輝きに呑まれた……!? 全てを照らし光と熱を与える太陽、ボクの目指すその高みに既に昇っているというのか! しかし太陽が二つあってはいけないなどとボクは決めていない! 僕は僕を育んだ太陽よりも強い輝きを放つことで報恩としよう!」
身振り手振りと共に語り終えたオペラオーは、余韻をたっぷり取ってから再び着席した。
「いただきます」
何食わぬ顔で食事を始めたオペラオーに食堂中の視線が注がれていたが、当のオペラオーとオグリは全く気にする様子はなかった。
「いやアンタら心臓強すぎるやろ……こっちがアホらしくなってきたわ」
物珍しさに集まっていたギャラリーが三々五々散らばっていく。
「む……ボクたちの輝きが眩し過ぎたのかな? ドリームトロフィーでもトップクラスのスタァウマ娘がこれだけ集まる舞台にカフェテリアでは荷が重いみたいだね! やはり相応しい舞台でなくては!」
「トップクラスて。照れるわ~。間違ってへんけどな~ってアンタは来期から参加やろ」
「はーっはっはっは! ボクは生まれついてのスタァだからね! ボクの往く所が即ちボク主演の舞台になるのさ! 何故なら英雄は戦乱の只中で生まれるのだから! そして越えるべき強敵の存在も不可欠!」
「1ターンが長いねん。もう覇王節も腹いっぱいやて。そんなんやから成績の割にグッズ売れてへんのとちゃうか」
「ぐわぁ!」「うぐっ」
オペラオーとルドルフは同時にダメージを受けた。
「あ、会長……冗談や冗談、な? 別に会長の話が長いとか言ってへんから」
タマモクロスは気まずそうに横目でルドルフを見た。
「何かな? いやあ恥ずかしながら喉にご飯を詰まらせてしまったよタマモクロス。断じてそれだけだ」
「おー、せやな?」
「ルドルフ、ご飯はよく噛んだ方が良いぞ。お茶を飲むか?」
オグリは湯呑みを差し出した。
「ああ、ありがとうオグリキャップ。いただこう」
「さ、流石タマモさん。稲妻のような鋭さだね……」
「何か……すまんかったな」
しばらく五人は黙って食事を続けた。スペシャルウィークとオグリの口に次々に食べ物が消えていくのをタマモクロスがぼーっと眺めているとオペラオーが席を立った。
「ごちそうさまでした。ではボクは一足先に失礼することとしよう」
「ん……オペラオー」
オグリが口を開いた。
「何かな、オグリさん?」
わずかな緊張が走った。
「……そんな少しで足りるのか?」
「フッ……心配には及ばないよ。元よりボクはあまり健啖ではないからね。それに今夜──そうだ、今夜はボクの覇王記念祭があるから是非来てほしい!」
「何やねんその頭悪い名前の祭は」
「もちろん、ボクがこの世に生を受けたという奇跡を皆が祝い感謝するパーティーさ! 今トレーナー君が準備に奔走しているところで、ボクも新作のオペラを披露するんだ。覇王に相応しい豪華なディナーも用意される予定さ!」
「そうか、誕生日か。おめでとうテイエムオペラオー。パーティにも出席させていただこう」
「私も行きます! もちろんお祝いの為に!」
力強くオグリとスペシャルウィークが言った。
「いや絶対メシ目当てやろ!」
「私は……約束はできないが可能なら顔を出そう」
ルドルフは申し訳なさそうに言った。
「心配ご無用! 今回のオペラは間に休憩を挟んで七時間超えの大長編だからね。七冠だけに! だからいつ来てくれても構わないよ! 録画を編集したものを後日販売する予定だから見逃しても安心さ! 物販の覇王Tシャツや覇王パーカー、覇王キーホルダーといった限定グッズも事後通販が──」
「学内で商売をするなら生徒会の許可が必要だがまだその申請は上がってきていないな」
「はーっはっはっは! おや、次なる舞台の呼び声が聞こえる! では失敬!」
オペラオーは足早に去って行った。
「今日中に申請を上げてくれれば良いんだが。後でエアグルーヴにも伝えておこう」
「おもろい後輩やな。まあ何にせよ次のドリームトロフィーも盛り上がりそうやな」
遠くに消えていく背中を見ながらタマモクロスが言った。
「ああ。私も彼女には期待している。個人的にも親近感を覚えていてね」
ルドルフが言った。
「お二人はトゥインクルのGⅠ勝利数トップタイなんですよね! すごいです!」
腹を文字通り膨らませて満足したらしいスペシャルウィークが言った。隣でオグリはデザートの皿たちを空にしている。
「……せやなー」
恐らく人気の件だろうがまた地雷を踏んだら面倒だ、とタマモクロスは顔に書いてあった。
「ありがとうスペシャルウィーク。ちなみに彼女はトゥインクルでの通算重賞勝利数でもトップの記録を持っているよ。これはオグリキャップと並ぶ記録だ」
「そうなのか、すごいなオペラオーは。……私も?」オグリは目を瞬かせた。「それは知らなかった。ルドルフは何でも知っているな。……すみません、キープしていたバケツを」
オグリが言うと、あいよーと威勢の良い返事と共に食堂スタッフのウマ娘が業務用の巨大なバケツを運んできた。それを同じく巨大な皿の上でひっくり返すと、通常のバケツプリンの十倍以上の体積を持つ業務用バケツプリンが聳え立った。オグリは専用のシャベルで食べ始めた。
「何でもは知らないさ。そのプリンが何故自重で形を崩さないのかも見当がつかない。……ただ、私もファンの一人だからね。好きなもののことを知りたいと思うのは当然のことだろう?」
「そうか……ルドルフは私のことが好きだったのか。ありがとう。私もルドルフが好きだ」
さらりとオグリが言った。
「あ、ああ、うん。こちらこそありがとう」ルドルフは持っていたスプーンを取り落としかけて、慌ててキャッチした。スプーンは真ん中でへし曲がってしまった。
「おっと。私としたことが……」
ルドルフはスプーンを逆方向に曲げて元通りに直した。
「そんなにショッキングやったか?」
タマモクロスが言った。
「少し驚いてしまったよ。普段あまり直接的に好意を伝えられることはないからね。そうだ、そろそろ次の仕事に取り掛からないといけないのを思い出した。私はこれで失礼するよ」
ルドルフは早口で言った。
「おーん。さいならー」「お疲れ様です!」「またな、ルドルフ」
口々の挨拶を受けてルドルフは去って行った。
「忙しいんだな、生徒会長というのは。ゆっくりご飯も食べられないなんて」
「ですね……」
オグリとスペシャルウィークは気の毒そうに言った。
「いや多分今のは……まあええか。武士の情けや。ウチのギャグに気付く余裕もないみたいやったからな」
タマモクロスが言った。
オグリは不思議そうに、残ったプリンをごくごく飲み干した。
「ふう。ごちそうさまでした。お腹いっぱいだ……」
「ですね! 私もおっきいバケツ買って来ようかな……」
二人は膨らんだお腹を幸せそうにさすった。
「さて。夜はオペラオーのパーティーがあるからお腹を空かしておかないとな。少し走ろうか?」
「ですね!」
「オイオイ、そんな腹でコースに出てこられちゃ邪魔で仕方ないだろうが。レースなら走行妨害で降着ってトコだな」
通りがかったらしいシリウスシンボリが言った。
「やあシリウス。君もお昼か? 遅めなんだな」
「ああ。いつも弁当持ちの皇帝サマが珍しく下界の食堂にいらっしゃったんでね。ただの気まぐれか“お気に入り”に用でもあったのか知らないが、私たちは一緒に仲良くお昼なんてガラじゃないからな」
「外で入るタイミング計ってたんか? なんちゅーか、健気なやっちゃな」
タマモクロスが言った。
「違え! 一旦時間潰して戻って来たんだよ!」
「変わらんやろ……」
「シリウスさんも一緒に食べたら良かったのに~。私も会長さん怖いかもって思ってましたけど大丈夫でしたよ!」
「怖がってるわけじゃねえ。話聞いてたか?」
絡むんじゃなかった、と踵を返そうとしたシリウスをオグリが呼び止めた。
「なあシリウス」
「あん?」
「ルドルフはいつもお弁当なのか?」
「ンなことか。ああそうだ。急に生徒会に駆け込んでくる生徒にも対応できるようにってな。アンタらほどじゃないがまあまあ食うくせにこんな小さい弁当箱でな」
「そうか……シリウスもルドルフが好きなんだな」
「はあ? 何でそうなる」
「好きなものは知りたくなるそうだ。シリウスはルドルフに詳しいからそうだと思ったんだが」
「ハッ」シリウスは鼻で笑った。「私たちは好きだとか嫌いだとかそんなモンじゃないんだよ。“皇帝”が隙を見せたら即座に玉座から引きずり下ろす。私はアイツにとってのダモクレスの剣ってワケだ」
「なるほどな……」「ですね……」
神妙な顔で目を合わせるオグリとスペシャルウィークを見てシリウスは満足そうだった。
「……つまり、どういうことだ?」「分かりません!」
「分かってなかったのかよ!」
「自分ええツッコミするやん」
「うるせえ!」
シリウスは頭をがしがし掻いた。
「だーもう。私がバカだったな。絡む相手を間違えた。特にオグリキャップ」
「私か?」
オグリの本心からの意外そうな顔がシリウスの神経を逆なでした。
「そうだよ。今夜のパーティーにも行くか迷ってたが、どうせアンタも来るんだろうから行かないことに決めた」
「そうなのか。よく分からないが、すまないな……。美味しい料理もたくさん用意されると聞いているが、いいのか?」
「はん? 例年慎ましく身内だけで祝ってるからアンタが満足するほどの用意はしてないと思うが……まあどうでもいい。どうせ私は行かないんだからな」
それじゃ邪魔したな、と今度こそシリウスは立ち去った。
「シリウスも難儀な性格しとるな~」
タマモクロスが言った。
「タマは分かるか? ダモ……なんだったかな。タマモクロスの剣みたいな感じだったと思うんだが」
「いやそんな感じやったけど! なんやねんウチの剣て。白い稲妻の剣か? むっちゃかっこええやん」
「かっこいいです! 日本総大将の剣もないのかな~? グラスちゃんに刀も似合いそうって言われたんですよ」
「かっこいいな……私だと葦毛の怪物の剣か。……なんだか敵っぽくないか?」
「いやそんなんどうでもええねん。もうええわ」
タマモクロスはぽこんとオグリのお腹を叩いた。
「腹ごなしに走るんやろ? はよ行こうや」
「そうだった。その前に……」
オグリとスペシャルウィークは周囲の力を借りながらテーブルと食器返却口を何往復もして、テーブルの上を綺麗にした。最後に二人は食堂スタッフにごちそうさまを伝えてタマモクロスの元に戻った。
「行こう」
靴紐を結び直しターフに向かうその眼差しと気迫は、やはり怪物の呼び名が相応しい。タマモクロスは内心そう確信した。そしてそのお腹を見て確信が強まったのだった。
◇
グラウンドが夕陽でオレンジ色に染まり始まる頃、オグリとスペシャルウィークのお腹はすっかり元通りに均されていた。
「ウマ娘の神秘やなあ……」
「どうしたんだタマ? そろそろパーティーの時間だ」
「早くしないとご馳走が……じゃなくてお祝いが始まっちゃいますよ!」
ぐぐぅぅ~~と重なる腹の音が言葉より雄弁にタマモクロスを急かす。
「おう、今行くわ」
三人はグラウンド脇のロッカールームでシャワーを浴びて制服に着替えると、会場の大ホールに向かった。
校舎に入ったところでオグリが、
「そうだ、ルドルフにも声をかけてみよう。二人は先に行っておいてくれ」
「あ! だったら私も……」
ぐぅ~。
「あはは……」
「大丈夫だ。すぐ追いつく」
「おう。ほな先に行って高い肉とかカニとか全部食い尽くしとくわ。あるか知らんけど」
「…………少しは残しておいてくれ…………」
「冗談やって。ほな会長によろしゅう」
軽く手を挙げてタマモクロスが歩き出し、スペシャルウィークも後に続いた。オグリは生徒会室に向けて歩き出した。
編入当初は広すぎる迷路のようだと感じていた学園を迷いなく目的地に向かって行く。
この学園にも随分慣れたものだ、とオグリは思う。気付けばカサマツにいた時間の何倍も長い時間を中央トレセンで過ごした。かけがえのないライバル達と共に、限界を超えたレースを何度も戦った。レコードや勝利数の記録はその結果残った足跡に過ぎない。ただ目の前の相手、目の前のレースに勝ちたかった。もっと速く走りたかった。支えてくれる人達の期待に応えたかった。今でも。いつまでも。
オグリは夕陽差すトレセン学園の廊下を珍しくセンチメンタルな気分で歩き続け、気付けば生徒会室の前に立っていた。
オグリは遠慮なく重い扉をノックした。中に何人かいる気配は伝わってきた。生徒会はまだ仕事をしているのかと驚いていると、扉がゆっくり開いた。
「……オグリ先輩。会長に何か御用ですか?」
副会長のエアグルーヴが顔を出した。どこか不機嫌そうな空気を纏っているが、普段通りといえばその通りとも言える。
「ああ。今からオペラオーの誕生日パーティーに行くんだが、一緒に行けたらいいなと思ったんだ」
「そうですか……」エアグルーヴは後ろを振り返った。「会長。オグリ先輩です」
「通して構わないよ」
「ですが……」
エアグルーヴは困った顔でオグリと後ろのルドルフを見比べた。
「仕事中だったか? すまない」
「いえ、そういうわけでは……」
エアグルーヴが歯切れ悪く言った。
「本人が良いと言っているんだから通したら良いだろう」
ナリタブライアンの声がする。
「しかし……」煮え切らない様子のエアグルーヴだったが、深く息を吸って意を決したようにオグリに向き直った。
「……お待たせしました。どうぞ」
「失礼する」
オグリが生徒会室に足を踏み入れると、そこにはナリタブライアンとシンボリルドルフがいた。大きな机の上にラッピングされた箱がいくつも積み重なっている。それを囲む二人は仕事中という感じもなくリラックスした様子で、特別おかしなことはない。
ただ一点、ルドルフが巨大な鼻と髭と眉毛のついた眼鏡をかけていることを除けば。
「オグリ先輩」
素早くドアを閉じたエアグルーヴが言う。
「どうか他言無用に願います」
「ああ……。ルドルフ、新しい眼鏡か?」
「秘密兵器とでも言おうかな」得意げな笑みを浮かべてルドルフが言った。「ビワハヤヒデから借りてね。このアイテムは誰がかけても強烈に愛嬌を演出できるだろう。さらにこのタスキも併せることで茶目っ気を全面的に演出することができる」
ルドルフは“本日の主役”と書かれた安っぽい飾りのついたタスキを手に持って見せた。
「オグリ先輩からも止めるよう説得してくれませんか。今晩の寮での会長の誕生日パーティーで着用すると仰っていて……」
「本人がやりたいなら好きにさせたら良いと言っているんだがな」
「ルドルフの誕生日パーティー? もしかしてルドルフも今日が誕生日だったのか?」
オグリが目を見開いた。
「その通りですが……ご存じなかったのですか?」
エアグルーヴは意外そうにオグリとルドルフを見た。ルドルフは居心地悪そうに目を逸らした。
「ああ、知らなかった。……おめでとう、ルドルフ。何もプレゼントを用意していなくてすまない」
「ありがとう。なに、気にしないでくれ。私が伝えていないんだ。知らなくて当然だよ」
「何故伝えていないんだ?」ブライアンが不思議そうに言った。「アンタが今日オグリキャップを誘うと言って直々に出向いたんだろうが。何を普通に一緒にメシ食って帰ってきてるんだ」
「自家撞着は私自身よく分かっているよ、ブライアン」
「同着?」
オグリは首を傾げた。ブライアンと目が合うと、ブライアンも分からないという風に首を横に振った。
「さてオグリキャップ。テイエムオペラオーのパーティーに行くんだったね。ではこのタスキは私が持つべきではないな」
ルドルフは主役タスキを折り畳んで制服のポケットに入れた。
「ああ。でもいいのか? ルドルフのパーティーもあるんだろう?」
「いいんだ。私のは食後に友人とケーキを食べて謝辞を述べる程度のものだからね。時間の融通は効く。立場上、無論ありがたいことではあるが色々な方面からお祝いへの対応に追われるから、私的なパーティーくらいは親しい友人と内々で済ませたいんだ」
「そうか。生徒会は大変なんだな……いつもありがとう。ルドルフたちのおかげで私は何も気にせずご飯を食べてレースに出ることができている」
「私が理想のためにやっていることだよ。でも、その気持ちはありがたく受け取ろう」
ルドルフは鼻眼鏡の奥で目を細めた。食事に関しては気にしてほしい、とエアグルーヴは思わないでもなかったが、普段表立って感謝されることが少ない仕事なために素直な感謝が心に沁み、今回は飲み込むことにした。
「さて、行こうかオグリキャップ。エアグルーヴとブライアンは先に美浦寮の食堂で待っていてくれ。テイエムオペラオーに挨拶と祝辞を述べたらそちらに向かうよ」
「ああ。何ならメシも食ってきたらどうだ? あの“覇王”のことだから美味い肉なんかも用意されてることだろう……私もそっちでメシを済ませようかな」
ブライアンが言った。
「……私も同行します、会長。テイエムオペラオーの物販が申請通りかどうか確認する必要がありますので」
結局四人はぞろぞろと一緒に生徒会室を出た。
「会長。流石に廊下では……」
懇願するようなエアグルーヴの声に、ルドルフは渋々と鼻眼鏡を外した。
「そうだ、オペラオーに渡すプレゼントも何も用意していない。どうしよう」
オグリは歩きながら言った。
「別に構わんだろう。向こうが呼んでいるんだから、行ってやること自体がプレゼントみたいなものじゃないか?」
ブライアンが言った。
「そういうものか……」
怪物二人の呑気な会話を聞いて、エアグルーヴは眉間に指を当てて皺ができないよう揉み解した。
「問題ないよ」ルドルフが言った。「テイエムオペラオーには既に私個人の名義でお祝いを出してある。エアグルーヴとブライアンは今回生徒会の仕事として来たという名目だからね」
「だ、そうだ」と、ブライアン。「私はディナーの検査をするから物販の方は任せた。仕事だからな」
「ほう。仕事なら当然サラダ類も全て一品ずつ“検査”するんだろうな?」
「……仕事は分担するのが大事なんだろう? 私は肉を担当する」
「たわけ」
エアグルーヴはぺしっ、と尻尾でブライアンを叩いた。
日が半分沈んだ頃、四人はパーティー会場の大ホールに着いた。オペラオーのトレーナーが手配したそのパーティーはいち学生の誕生日パーティーとは思えない規模で、壁際にはビュッフェ形式のディナーが食べ盛りのアスリートウマ娘の集団にも耐えうるような用意をして待ち構えていた。設置されたテーブルでは多くのウマ娘がその豪華なディナーを堪能している。あちこちのカメラではパーティーの様子を写していて、生放送及び録画で一般のファンも楽しめるようになっている。正面の舞台に用意された特大ビジョンではオペラオーが出たレースの映像が流れ、彼女のトレーナーがそのレースや行ったトレーニングの解説をしており主に他のトレーナーが熱心にメモを取ったり質問をしていた。
「おや。主役の姿が見えないようだね。このタスキを貸してあげようと思ったんだが」
ルドルフの言う通り、オペラオーの姿はどこにもなかった。エアグルーヴとブライアンはそれぞれの仕事に向かった。オグリは鳴る腹を押さえてルドルフの横に立っていた。
「すみませぇん! オペラオーさんは今オペラのラストが決まらなくて悩んでる最中なんですうぅ~!」
何故か机の下から姿を現したメイショウドトウが言った。
「やあメイショウドトウ。そうか、では今は挨拶に伺うのも控えた方が良いかな?」
「ど、どうなんでしょう~……オペラオーさんは他の人が居た方が良いような気も……」
「はーっはっはっは! 遠慮の必要はないよ!」
何故か頭上から現れたオペラオーが言った。オペラオーのトレーナーはレースの解説をしながら舞台装置を操作している。全ての照明がオペラオーに集中し、会場の目線も集まる。
「ぐわぁ! トレーナー君! 眩しい! 目がぁ~!」
丁度よく調整された照明が改めてオペラオーに集まる。オペラオーは涙目で瞬きしながらロープから手を放し会場に降り立った。
「ふっ……気を取り直してはーっはっはっは! 本日の主役! いや、年中無休の主役がここに登場!」
“本日の主役”と書かれたタスキが眩しく光る。やるな、とルドルフは独り言ちた。
主役の登場に会場中から拍手が起こった。オペラオーは設置された全てのカメラにもそれぞれポーズを取った。
「はーっはっはっは! まずはご来場ありがとう! 存分に飲み、食い、踊り、この超覇王大爆誕記念祭・序を楽しんでいってくれたまえ!」
「昼から名前盛っとるがな」
少し離れたテーブルからタマモクロスがツッコんだ。
その隣ではスペシャルウィークが山盛りのスパゲッティをすすっていた。オグリが二人を見つけたのと同時にタマモクロスたちも気付き、二人はオグリたちの方に移動してきた。
「おう! ちょっと遅かったんちゃう? まさか道に迷ってたとか言わんよな」
「エアグルーヴに秘密と言われたから言えないが、少し話をしていたんだ」
「ほーん。まあ何でもええけど。それよりオペラオー、誕生日おめでとさん」
タマモクロスが言ったのを皮切りに、それぞれが口々におめでとうを告げる。
「はーっはっはっは! ありがとう。そしてボクからもおめでとう! この記念すべき日にボクと会えるなんて、キミたちは実に幸運だ! なんて羨ましい!」
オペラオーは額を押さえ天を仰いだ。そしてルドルフに手を向ける。
「そしてシンボリルドルフ会長! あなたの誕生にも心よりの祝福と感謝を! 皇帝と覇王、王たる七冠バが同じ日に生を受けたとは、まさに宿命と言えるね!」
オペラオーが言って、会場から拍手が起こった。ルドルフは微笑んで軽く礼をして応えた。黄色い声が上がる。
「皆ありがとう。テイエムオペラオー、君もよく私の誕生日など知っていたね」
「ふっ、当然のことさ! 何故なら会長はボクを世紀末覇王たらしめたはじまりのウマ娘の一人なのだから! 言わば世紀末覇王エピソード・ゼロ! 皆スピンオフの前日譚は好きだろう?」
ルドルフを含めてその場の全員が首を傾げた。オペラオーは構わず続ける。
「そしてはじまりのウマ娘はもう一人ここに! そう、オグリさんだ!」
オグリに照明が集まり、歓声が集まった。当のオグリはスペシャルウィークと一緒にビュッフェの皿を空にするのに忙しくしていて、何が起きているのか分からない様子だった。
「……ん? 何だ? このにんじんハンバーグならそこの肉コーナーにあるぞ。たくさんあったから安心してくれ。私ももう何周かするつもりだ」
「いや聞いてへんし安心できるかい!」
「はーっはっはっは! 流石オグリさん! ボクの輝きにも動じないとは!」
オペラオーが言って、会場にもほっこりとした空気が流れて拍手が起こった。騒ぎを聞きつけてオグリたちを囲む人垣ができる。
「ちょいちょい! あんたらオグリに甘過ぎへんか?」
「私のように親しみやすさを演出せずとも人々の心を掴む。これがオグリキャップだ」
「何でアンタが得意げやねん。確かにガッツリ心掴まれとんな。そんでアンタは自己プロデュース見つめ直した方がええて」
人垣の中のエアグルーヴが深く頷いた。
「ボクがクラシック戦線で素晴らしい宿敵たちと最高のコンチェルトを奏で、七冠の栄誉に浴することができた最初の一歩。そう、ボクの覇道は皇帝が切り開き怪物が残した足跡から始まったんだ。すなわち会長とオグリさんがボクという覇王を生み出したと言っても過言ではない!」
「オペラオーを産んだ……? すまないが心当たりがない……ルドルフは?」
「私も同じだよ」
ルドルフは慌てて言った。
「例えや例え」
タマモクロスはぺしっとオグリの肩を叩いた。
「何言ってるかはよー分からんけど。なあアヤベ、解説頼むわ」
少し離れた位置にいたアドマイヤベガにタマモクロスが呼びかけた。
「何で私が……」
アドマイヤベガが言った。
「アヤベさんなら大丈夫!」
ナリタトップロードの大声で視線が集まったことで諦めたように口を開いた。
「つまり、オペラオーはクラシックに出られないはずだったけど追加登録で出場したのよ。その結果皐月賞を勝った。追加登録制度はオグリさんが切っ掛けで出来た制度だから。そういうことでしょう?」
「はーっはっはっは! 流石アヤベさん! その通り!」
「あー。オグリのダービー騒動な」
納得したようにタマモクロスが言った。
「せやスペ。今日の昼オグリが会長室に乗り込んだ話したやろ。アレや。クラシック登録してなかったんやけどダービー出してくれって会長に直談判したんや。世間でも署名活動とかあって結構騒がれてたんやで」
「えぇー! そんなことがあったんですか!?」
スペシャルウィークは驚きのあまり食べる手が止まった。
「恥ずかしいからその話はやめてくれ……。色々よく分かっていなかったんだ」
オグリは頬を染めた。
「ふふふ。私も今でも覚えているよ」
ルドルフは懐かしそうに笑った。
「結局君をダービーに出してやることは叶わなかったが、新たな制度へのきっかけは作れた。もちろん私一人の力など大したものではないが、私を含めた多くの人々が君の走りに夢を見た結果だ。その結果未来に繋がった夢が目の前にある。感慨無量だよ。きっとこれからも同じように追加登録からクラシックの主役になるウマ娘たちが出てくることだろう」
「ええ話やんか」
タマモクロスが鼻の下を擦って、他のウマ娘もそれに倣った。
「そうか……繋がっていたんだな。オペラオー、私をお母さんだと思ってくれても構わない」
「え、あ、お、ええっ?」
オペラオーから意味を成さない声が出た。
「では私が父親かな。私の躾は厳しいぞ。しつけーと言われてしまうかもしれないな」
「いやギャグセンスまで親父ちゃうくてええねん」
周囲から笑いが起こって、ルドルフは満足げに尻尾を揺らした。
「タマモクロス……私とコンビを組まないか? 共に頂点を目指そう」
「よっしゃGⅠの次はM-1やなってアホか! なんやアンタ葦毛をスカウトする会の会長なんか?」
「おっと、足蹴にされてしまったか」
「もうええわ。ありがとうございました~」
タマモクロスがお辞儀をして拍手が起こった。
と、その時。
「余興は終わったか? だったら覇王サマに話があンだけどよ」
耳を後ろに絞ったエアシャカールが集団を割って現れた。その後ろからメイショウドトウも続く。
「オペラオーさぁん、オペラのラストは決まったんでしょうかあ……? オペラオーさんのトレーナーさんが完成までの時間を稼いでくれていますけど……」
「あれ時間稼ぎなんかい。付き添いで来たトレーナーたちにとっちゃアンタそっちのけのメインコンテンツになっとるで」
「はーっはっはっは! 複雑! しかし流石ボクのトレーナーだ!」
「でもそろそろネタ切れでオペラオーさんの好きな食べ物とか休日の過ごし方の話になってますぅ~」
「はーっはっはっは! プライバシーの危機!」
「覇王サマよ。さっさと脚本確定してくれねーと音響も決まらねーンだけど」
エアシャカールが言った。
「うっ、すまないシャカールさん。しかし今回は中々の難題でね」
ルドルフは『難題なんだい』とメモ帳に書き留めた。
「今日は趣向を変えてボクのやりたいようにするのではなくファンの皆の望むストーリーにしたいと考えているんだが、それが中々難しくてね。皆がボクに望んでいるものとは何か……それで実際に来てくれた皆の顔を見ようと思ったんだ」
「あァ? なンだそりゃ……」
エアシャカールは呆れた様子で言った。
「オペラは門外漢だけどよ、急にスタイル変えてもあんま良い物はできねェんじゃねェか?」
「それはそうなんだがね……」
オペラオーは歯切れ悪く言った。
「やけど、オペラオーに何を望んでるかって言われてもなあ……」
タマモクロスが言って、全員が首を捻った。
「オペラオー」
少ししてオグリが口を開いた。
「何だい? オグリさん」
「今から走らないか?」
「オイオイそんな暇──」
「まあまあ聞くだけ聞いたってや」
エアシャカールが言うのをタマモクロスが制した。
「考えたんだが、皆がオペラオーに、そして私たちに望んでいる一番は走ることだ。だったら、走るのが良いと思う」
全員の目がオペラオーに集まった。オペラオーは目を見開いて固まっている。
「良いですね! 私もご一緒していいですか? 負けませんよ~!」
スペシャルウィークが言った。
「もちろんだ。楽しみだな」オグリが応える。
スペシャルウィークの言葉をきっかけに空気が動き出した。周囲の野次ウマたちが会場の気温が上がったような錯覚を受けるほどの熱が生まれた。
「よっしゃあ! ウチが全員まとめてぶち抜いたるわ!」
「皇帝の神威を見せようか」
「会長、私もお供いたします」
「なかなか滾りそうだ」
「オペラオーさんのために私も走りますぅ~!」
「オペラオーちゃん! 私も走るよ! アヤベさんも!」
「ちょっと勝手に……こんなの走らないわけにいかないじゃない」
更にウマ込みの中から何人も名乗り出て続々と出走メンバーが集まり、エアシャカールに視線が注がれる。
「……まァ、運動が脳に影響を与えてアイデアが浮かぶってのはあることだからな、一理もないとは言わねェ」
エアシャカールが言って、歓声が上がった。
「さっきから騒がしいな。おいDJ、音楽が止まって──」
近づいて来たシリウスが言った。
「うげっ、オグリキャップ!」
シリウスは露骨に嫌そうな顔をした。
「シリウス? やっぱりキミも来たんだな」
オグリは対照的に嬉しそうに言った。
「何でこっちに居やがる? しかもルドルフまで。自分のパーティはどうしたんだ皇帝サマよ。折角憂さ晴らしに踊りに来たってのに」
「やあシリウス。生徒会室前に置いてあったプレゼントは確かに受け取ったよ、ありがとう」
「うるせえ。テメーが毎年渡してくるから仕方なくだ」
シリウスがそっぽを向いた。
「ところでシリウス。今からレースをするんだが君もどうだ? もちろん無理にとは言わないが」
「ハッ。バースデープレゼントに敗北が御所望だったなら初めからそう言いな。いいぜ、お望みの品を与えてやる」
シリウスは尻尾を揺らしながら言った。
「楽しみだよ。さてテイエムオペラオー、役者は揃った。監督は君だ」
「走ろう、オペラオー」
ルドルフとオグリの視線を受けて、オペラオーは数度瞬きをした。そして、
「はーっはっはっは! はーっはっはっは! ボクとしたことが大きな見落としをしていたようだ! 自分の輝きが強すぎて自分を見失ってしまうとは、まさに灯台下暗し! ボクは遍くものを照らす太陽として、何者にも揺るがず思うままに輝いているべきだったというのに。ボクたちが走り演じるのは常に筋書きのないドラマだ! 誰かに阿る必要など初めから最後までなかった!……例えグッズの売り上げがいまいち伸びなくとも!」
「いや原因それかい」
「なァ、方針が決まったなら走る必要あンのか?」
シャカールが言った。
「かの戯曲でウマレットはこう言った──」
オペラオーの台詞が始まった瞬間、照明が絞られどこからか音楽が流れ出す。
「──『走るべきか止まるべきか、それが問題だ』と」
オペラオーは目一杯キメた。出所不明の音楽の盛り上がりが最高潮に達する。
「シャカールさん、本当にそう思っているのかい? ボクたちの走る理由は既に、『走りたいから』それだけだろう? 何故ならばボクたちは走るために生まれてきたのだから! この命ある限り前進を止めないのだから! そして願わくばその先頭を前へ、前へ、誰よりも前へ!」
「……チッ。言ってみただけだ。こんなイカレたレースのデータを取る機会を逃すなンてロジカルじゃねェ」
「はーっはっはっは! トレーナー君、配信カメラを頼むよ。これより生まれる輝き、ボクたちが独占するのは罪というものさ! さあ行こう! 今日は最高の日だ!」
ルドルフはハッと息を吞んだ。
「さあ行こう、最高……」
「もうええねん」
◇
太陽が沈み切り、鋭い三日月が存在を示し始めた。既に夢のようなレース“本日の主役記念”は終わり、参加者たちもパーティー会場にそれぞれ戻り始めている。
激走の後ターフに横たわって息を整えていたオグリは横を見た。
「同じだな」
「……? ああ、お揃いだね」
ルドルフはジャージ姿で横たわったまま言った。その胸には勝者の証たる主役タスキがかけられている。オグリも同様の格好だった。
ゴールの瞬間先頭で競っていたルドルフとオペラオー、その外から飛んできたオグリ、誰が先着していたかゴール係のトレーナーが薄暗くて判断できず、野良レース故カメラ判定もできないので三人が同着ということになった。ルドルフとオペラオー、それとオペラオーのトレーナーが予備で持っていた主役タスキが三人にかけられ、観客からは惜しみない拍手が永遠に続くかのように全てのウマ娘に送られ続けた。オペラオーの可愛らしいくしゃみがなかったらもっと続いていただろう。それほど誰にとっても夢のような時間で、オペラオーの生配信は同時接続者数で日本一を記録した。
「そうじゃない。ほら」
オグリは寝たまま腕を上げて三日月を指さした。
「……ああ、私の流星か」
「ルドルフと知り合ってから何年も経つのに、今初めて気付いたような気がする」
「そうか……言われてみれば二人でゆっくり話す機会はあまりなかったね」
しばらく二人は無言で三日月を眺めていた。
「ルドルフ。私はキミのことをもっと知りたい」
オグリが静かに言った。
「……どうした急に?」
「分からない。ただ、そう強く思ったんだ。ルドルフは私のことを……それこそ私がルドルフを知る前から知ってくれているのに、私はルドルフのことを誕生日すら知らなかった。きっとキミは私の誕生日も知っているんだろうな」
「知っているよ」
「それが悔しいんだ。君は私を好きで知ってくれているんだろう? 私もルドルフのことが好きだ。中央に誘ってくれたし、ダービーに出られるよう動いてくれた。それからも何かと気にかけてくれて、とても感謝している」
「全て私自身がしたくてしたことだ。君が気にする必要はない。ダービーも結局──」
「いいんだ。今日オペラオーの話を聞いて、まるで私自身がクラシックに出られたみたいに嬉しかったんだ。走ったレースに後悔はないが、ヤエノたちと一緒にクラシックを走れていたらきっと楽しかっただろうとも思っていた。そんな夢をオペラオーが背負って走ってくれたみたいに思えて。こんな気持ちはルドルフのおかげだ。だから、ありがとう」
オグリは体を起こしてルドルフを見た。ルドルフはごろんと転がってオグリに背を向けた。
「ルドルフ?」
「いや……とても見せられる顔じゃなくてね」
「そうか。では見せられるようになったら言ってくれ。それまで話をしよう。そうだな……好きな食べ物は何だ?」
「心遣い感謝するよ。……リンゴかな。特に好きな品種は──」
しばらくぽつりぽつりとオグリが質問してルドルフが答える時間が過ぎた。好きなライブ曲、仲の良い友達、思い出のレース、将来の夢。沈黙の方が長くとも、二人は全く気まずさを感じなかった。
「そうだオグリキャップ。君の夢は何だ?」
持ち直したルドルフが体を起こした。
「夢か」オグリは空を見上げた。一筋の流れ星が落ちた。「今は……ただいつまでも走っていたい。引退した後のことは考えていないが……ファンの皆やレースの世界に恩返しをしたい、とは思っている」
「素晴らしい志だと思うよ」
ルドルフが言った。
「ただ、具体的にどうしたらいいかは全然分からないんだ。小さい頃の夢の方がもっと具体的だったな……あ、いや今のは忘れてくれ」
「興味深いな。聞かせてくれるかい?」
「う……笑わないと約束してくれ」
「ああ。天地神明に誓おう」
ルドルフは真剣そのものという表情で言った。
「どて煮だ」
「え?」
「だから、どて煮になりたかったんだ、小さい頃。皆で食べたどて煮が美味しくて大好きだったから」
オグリはルドルフの視線から逃げるようにそっぽを向いた。
「そうか。どて煮か……」
ルドルフはオグリに見えない側の太ももを肉が千切れるほど抓り、奥歯が平らになるほど噛みしめ、全神経を集中して口角を平定し無表情を保って見せた。
「タマにこの話をしたらその日一日中ずっと笑われてな……私だって今は分かっているんだ、どて煮になれないことくらい」
「いや……」ルドルフはひとつ咳払いをした。「素朴な親近感があり、多くの人を笑顔にする。今の君にも通ずるところがあるように思うよ、オグリキャップ」
「そうか……? なら私は叶えていたんだな、あの日の夢を……」
「ああ。君は立派などて煮だ」
二人は静かに見つめ合った。その時、
「うんうん、ええ話やなぁ……ってなるかぁ!」
夜のグラウンドを切り裂くツッコミの稲妻が二人の後ろから落ちた。
「タマ! 驚いたぞ」
オグリが振り向くと、制服に着替えたタマモクロスが二人を見下ろしていた。
「驚いたはこっちの台詞や。呼びに来たら真面目な雰囲気やからそっとしといたろ思ったけど耐えられへんかったわ。アホなこと言っとらんとはよ会場戻ろうや」
「そうか、パーティーの途中だったな。思い出したらお腹が減ってきた」
ぐぅ~。怪物の唸り声が闇に轟いた。
「ふふふ。では私たちも戻るとしようか。シャワーを浴びて着替えなければな。ありがとうタマモクロス。先に戻っていてくれ」
「おー、皆待っとるで」
タマモクロスは背中でひらひらと手を振りながら離れた。オグリとルドルフは立ち上がって体を伸ばすとジャージの汚れを払った。
「ずいぶん話し込んでしまったようだ。行こうか、オグリキャップ」
「ああ」
二人はグラウンド脇のロッカールームに向け歩き出した。時間をかけてゆっくりと。
「ルドルフ。今日は楽しかった。またキミと話したり、走ったり、一緒にご飯を食べたりしたい」
オグリが言った。
「私も同じだよオグリキャップ。君さえ良ければだが……友人になってくれないか?」
ルドルフが言って、オグリは目を見開いた。
「え? 何を言っているんだ」
「すまない。変なことを言ったね」
ルドルフは頭を振って歩く速度を上げた。
「ああ、変だ。私たちはとっくに友達じゃないか」
オグリはルドルフに合わせて早歩きしながら言った。
「そうか……そう言ってくれるか。ではこう言い直そう。これから君ともっと仲良くなりたい。水魚之交と言えるほどに」
「魚は私も好きだ。よろしく頼む。ところでルドルフ、私の呼び方もオグリでいい。なんだかよそよそしい感じがして気になっていたんだ」
「ああ、確かに他人行儀だったか。しかしこれは生徒会長として全ての生徒に平等たろうとする故の癖でね。上手く気持ちを切り替えられるだろうか……」
「友達を呼ぶのにそんなに考える必要があるのか? もっと気楽に『てーけっといーじー』だ、ルドルフ」
ルドルフはハッとしてオグリの方を振り向いた。オグリは得意げな笑みを浮かべていた。
「はっはっは! これは一本取られたよ、オグリ」
オグリが追いつくのを待ってルドルフはゆっくり歩き出した。そして半歩分の距離近づいて尻尾でぽんとオグリの背中を叩いた。オグリも半歩体を寄せてぽんぽんと背中を叩き返した。そこには皇帝でも怪物でもなく、ただ友達とじゃれ合う二人のウマ娘がいた。
夜空にひとつ流星が瞬いた。それが長く長く尾を引いて消えるまで見送った二人は、どちらともなく走り出した。きっと叶う夢に向かって。