「会長! 至急お耳に入れたいことが!」
生徒会室に駆け込んだエアグルーヴが息を切らせて言った。
窓の前で話していたシンボリルドルフとシリウスシンボリが同時に振り向いた。
「し、失礼いたしました! いらっしゃっていたのですね、シリウス先輩」
「チッ……ああ。ちょうど用はなくなったがな。この部屋にも、そこの“皇帝”サマにも、二度とだ。ノックのやり方を教わっておくんだな、“女帝”サマよ」
シリウスは肩を怒らせて歩き去った。バタンと荒々しくドアが閉じられた。エアグルーヴと目が合い、ルドルフは困ったように眉根を寄せた。
「また怒らせてしまったよ。ただ、今日は普段より根が深いようだ」
「申し訳ございません。お取込み中に……」
「いいんだエアグルーヴ。君が冷静さを欠くほどの事態なのだろう。まずは呼吸を整えて冷静沈着に報告してくれ」
ルドルフが椅子を指すとエアグルーヴは従い、胸に手を当て数回深呼吸をした。
「それが、あまりに異常に過ぎる事態で……どうか私が正常な精神状態であり、嘘や冗談を言っていないと信じてください」
「無論だ。上に立つ者は常に泰然自若としていなければ皆が不安になるからね。どんな突飛な報告も受け止めると約束しよう」
「では……オグリ先輩が子供になりました」
「…………え?」
目を丸くした皇帝の姿は泰然自若とは程遠い物だった。
「ですから、オグリ先輩が小さい子供になりました。私を含めた複数の生徒が同時に目撃しています。中庭を歩いていたオグリ先輩が急に不思議な光に包まれて次の瞬間こうなっていたんです」
こちらを、とエアグルーヴが差し出したスマホにはまだ5歳くらいに見える小さな葦毛のウマ娘が写っていた。ブカブカのトレセン学園の制服に包まれ、頭に付けた煌めきの髪飾りはサイズが合わずずり落ちている。
「これは…………可愛い。いや、確かに面影があるようだね」
「今はタマモ先輩とクリーク先輩が保護しています。何故かクリーク先輩が子供服を持っていたので……また、その場に居たアグネスタキオンに参考人として同行を求めたところ拒否したため、私と一緒に居たスズカに追って貰っています」
「そうか。しかしこれは俄かには信じがたい……可愛さだ」
「ええ。信じがたいことです……え?」
「ああ、いや、信じがたい事態だ」
ルドルフは咳ばらいをし、エアグルーヴはスマホをしまった。
「いかがいたしましょう……?」
「ああ。現状は五里霧中と言わざるを得ないが……とりあえずアグネスタキオンを捕まえることと、オグリキャップの健康状態に他の問題がないか確かめること。確か彼女は幼い頃膝が悪かったはずだ。それと……さっきの写真を私にも送っておいてくれ」
「承知いたしました……写真を?」
「そうだ」
有無を言わさない口調にエアグルーヴは頷いた。
「では私はアグネスタキオンの確保と聴取に回ります」
「頼む。私は一度この目で確かめに行ってみる。そのまま保健室に連れて行くよ。もしかしたら三女神の加護で元に戻るかもしれない」
トレセン学園の保健室では、通常は保健室では治らないような不調も治ることがあるという噂がある。その体験をした生徒は揃って不思議な夢を見た、と口にするので、これは三女神の加護に違いないと一部の生徒たちの間で囁かれていた。
「会長がそんなことを仰るなんて珍しいですね」
「トレセン学園創設以来の珍事だ。神頼みもしたくなるよ」
ルドルフは苦笑を浮かべた。
「さて、私は行くよ。オグリに会いに……もとい様子を見に」
「会長?」
「いない……だと……!? 私のオグリが……」
オグリキャップとタマモクロスの寮室でルドルフは膝から崩れ落ちた。
「あん?……せやねん。元気なチビ助やったで。あれが今のボケーっとしたオグリになるんやから分からんもんやなあ」
タマモクロスは気まずそうに頭を掻いた。スーパークリークも申し訳なさそうに耳を伏せている。
「すみません。私とタマちゃんが子育ての方針で少し議論している間にどこかへ行ってしまったみたいで……」
「クリークは甘やかし過ぎやねん。何でもかんでも世話してやってたら自分で何もできない我がまま王女様になってまうわ」
「タマちゃんは放任過ぎます! 私のオグリちゃんはまだあんなに小さいんですよ? まだまだ守ってお世話してあげないといけないんです!」
「何が“私のオグリちゃん”やねん。子供っちゅうんは転んで膝小僧擦りむいたり、兄弟と飯を奪い合ったりして成長するもんや。せやないとハングリー精神が身につかんのや」
「オグリちゃんがあれ以上お腹を空かせたら可哀そうです!」
「いやハングリーってそのまま腹減っとるって意味ちゃうから」
「そこまでだ」
ルドルフの声が低く響き、タマモクロスとクリークは口を閉ざした。
「事態は把握した。そうして言い争っているから彼女は出て行ってしまったのではないかな? 二人とも私のオグリの為を思う気持ちは同じなのだから、もっと穏便に話し合うこともできたはずだろう。考え方が違うだけで、君たちは味方同士なんだ。争う必要はない。そうだろう? もっと気楽に行こう」
「ええ……本当にそうですね。お恥ずかしいです。ごめんなさいタマちゃん」
「いやまあ、ウチも少しは言い過ぎたかもしれん。すまんな」
固く握手をする二人をルドルフは満足そうに見守った。
「さあ、それでは彼女を探しに行こうか。君たちが仲直りしたことを教えてあげなければね」
「せやな。んでルドルフ、さっきはスルーしたけど何が“私のオグリ”やねん」
「そんなことか……彼女を中央へ招聘したのは私なのだから、即ち今回のことも遠因は私にある。故に彼女が元に戻るまで私が責任を持って面倒を見るという覚悟だ」
王者の貫禄を漂わせてルドルフが言った。
「そら結構やけど、ウチがルームメイトとしてしっかり面倒見たるから安心しい。子供のお守りは実家で慣れとるから」
「私だって実家が託児所なので慣れてますよ~。今でもトレーナーさんでたくさん経験を積んでいますし」
「いやその経験はまた別の特殊な何かやろ」
三人の間で見えない火花が飛んだ。
「よっしゃ、そんじゃ最初にオグリを見つけて保護したモンが文字通り保護者ってのはどうや? ウマ娘らしく早いもん勝ちや」
「うふふ。私は構いませんよ」
「いいだろう。言わばオグリ
「……アンタが勝ってもウチをお笑いの家庭教師に雇ってや」
◇
「あの世界一の大バカの、分からず屋の、クソ皇帝が!」
シリウスシンボリは生徒会室を去った足でひとり大樹のウロに向かって叫んでいた。その声を聞いて他の生徒たちは足早に、そして遠回りで去って行く。
シリウスはひとしきり吐き出して、顔を上げた。髪をかき上げて汗を拭う。すると、
「おねえちゃんだいじょうぶ? どこかいたいの?」
そこには幼児と言うべき年齢の見知らぬウマ娘がいた。可愛らしくそれでいて動きやすそうな、大きな星が描かれた幼児服に身を包んでいる。葦毛の髪を小さなポニーテールにした小さなウマ娘はシリウスの頭に手を伸ばすとぽんぽんと優しく撫でた。
「あん……?」
シリウスは困惑していた。こんな小さな知り合いはいないが、その顔と毛並みにはどこか見覚えがあるように感じた。
「何だちびっ子。私が怖くないのか?」
「ううん。だってつらそうだったから」
「……そうかよ。ちびっ子、お前も一人か? 名前は?」
シリウスは切り株に腰かけると子供を膝に載せて座らせた。しかし子供はぴょんと飛び降りてしまった。
「何だ? 私の膝の上はいくら積んでも買えねえSS席だってのに」
シリウスはプライドが傷ついたのをニヒルな笑みで隠した。
「おかあさんがしらない人にじぶんのことを教えるなって」
「はっ。最近のガキはしっかりしてやがるな。ま、確かに私が先に名乗るべきだったか。私はシリウスシンボリ。このトレセンの生徒だ」
「とれせん?」
子供は首を傾げた。
「それも知らねえのか。ここはトレセン学園っつってな、あー、要するに走るのが速いウマ娘が日本中から集まる学校なんだよ」
「そうなんだ! シリウスはやいの?」
「私はダービーウマ娘だぞ……いや、ダービーも知らねえか」
「ダービーしってる! いちばんすごいレースっていってた!……だれがいってたんだっけ?」
「皆が言ってるのさ。知ってるなら話が早いな。私はその一番すごいレースで一番だったんだ。分かるか?」
シリウスは手のひらを上に向けた指鉄砲のような形で指をさした。
「すごい! 走ろうシリウス!」
子供はぐいぐいとシリウスの手を引っ張った。その力の強さにシリウスは驚いた。
「分かった分かった。そうだちびっ子。名前を言わないならそれでもいいが、呼び名がないのも不便だからな。お前のことはそう……ハツラツとでも呼ぶか。元気がいいって意味だ。分かったな?」
シリウスは再び指をさした。
「わかった!」
シリウスは今にも走り出しそうなハツラツの手を引いてトレーニングコースに向かって歩き出した。ハツラツの方を見ると、反対側の手にオグリキャップの髪飾りを握っているのが見えた。
「ああ、あいつの妹か何かか……言われりゃ納得だな」
シリウスは呟いた。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
誰の関係者か分かった以上、適当に遊んだ後で引き渡しに行けばいい。オグリキャップには良い思い出がないうえに最近はルドルフと仲が良いようなので敬遠したい相手だったが、これは貸しを作るチャンスになる。シリウスはそう自分を納得させた。
中庭を去る二人を、三女神の像が見送っていた。
トレーニングコースに着くや否や、ハツラツはシリウスの手を離し駆け回り始めた。コースにいた他のウマ娘たちは驚きながらも微笑ましく見守っている。
「おいハツラツ! こっち来い!」
シリウスが現れると黄色い歓声が上がった。てててっと駆け寄ってきたハツラツの脇を持ち上げて目線を合わせると、周囲は息を呑んで口元を押さえた。
「いいか? こんな大勢のウマ娘と一緒になったことがないんだろうが、走ってるウマ娘にぶつかりでもしたらお互い大ケガだ。お前みたいな小さいのは何十メートルも吹っ飛ばされちまう。分かるな?」
「わかった」
ハツラツはシリウスの真似をして指をさした。
「よーしいい子だ。どっかの王様とは大違いだな。物分かりがいい奴は好きだ」
シリウスはハツラツの前髪にキスをして芝に下ろした。いつの間にかトレーニングコースのウマ娘全員が二人を遠巻きに囲んでいた。
シリウスは不思議に思い首を傾げた。
「何だあ? アンタら、練習しないんならここは私とコイツで使わせて貰うぜ?」
反対する者は誰も居なかった。シリウスは制服の上下を脱いで、その下に着ていた体操服姿になった。脱いだ制服は畳んでコースの端に置く。
「デビューどころか入学前からこんなに注目されるなんて“皇帝”でも“怪物”でもなかったぞ。今からプレッシャーだな?」
シリウスは口角を上げた。
「ほっほっひっふー……はやく走ろう?」
ハツラツの周囲を全く意に介さない様子に、シリウスは白い歯を見せて笑った。
「ハハハ! ハツラツお前、本当に大物になるかもな!」
そして二人は走り出した。シリウスは好きに走るハツラツの横でペースを合わせて走る。併走しながらハツラツのフォームを見てシリウスは驚いた。その低い重心で強く踏み込むフォームはオグリキャップそのものだった。ただのモノマネではない、何年もトレーニングを積んだかのような完成度。
「なあハツラツ──」
家で毎日訓練を積んでいるかどこか名門のクラブチームにでも入ってるのか、と尋ねようとして止めた。そうだとしたら違和感があった。ハツラツは走ること自体を100パーセント楽しんでいる。幼い頃から厳しいトレーニングを積まされていたら走ることを好きなだけでいられるはずがない。シリウスは幼い頃からクラブチームで訓練を積んでいた経験から嫌と言うほどそれを理解していた。もっと速くなりたい、もっと上手くなりたい、もっと勝ちたい。走れば走るだけ、そんな枷が増えて足が重くなっていく矛盾を大小あれど誰しもが抱えている。
「どうしたのシリウス?」
ハツラツはペースを落としたが、走るのは止めない。
「前向いて走れ。──お前は走るのが好きか?」
「うん! わたしひざがよくなくて、歩くのもうまくないんだ。でも今日はなんでか走れるんだ! すごくたのしい!」
「膝が悪いだと? おい待て聞いてねえぞンなこと。ちょっと止ま──」
「だってきかれなかったから!」
ハツラツの頭の位置ががくんと下がった。シリウスは背筋に冷たいものを感じて手を伸ばしたが、その悪い予感は外れた。それは、オグリキャップの代名詞である超低空スパートの踏み込みだった。大きく芝を抉り、50メートルほど先のゴール板に向けハツラツは加速する。その姿に何故かルドルフの背が被る。シリウスは奥歯を強く噛んだ。
「待てコラァ!」
シリウスはすぐに反応した。先にスパートに入ったハツラツとの差を、ダービーウマ娘の長い脚は即座に詰める。シリウスはそのままハツラツを抜き去ってゴール地点を越えた。二人は徐々にスピードを落として止まった。
「ふぅ……ハハハッ! どうだ? ガキがこの私を出し抜こうなんざ十年早いんだよ」
「シリウスすごい!」
ハツラツは目を輝かせた。
「気付くのが遅いが、まあ許してやる」
シリウスはハツラツの髪をくしゃくしゃに撫でた。
「わたしもシリウスみたいになれるかな?」
「そりゃ無理だな。私は全天で最も輝く大星だ。誰にも真似なんか出来ない」
それを聞いたハツラツの目に涙が溜まるのを見て、
「まあ待て」
シリウスは胡坐をかいて膝の上にハツラツを乗せた。今度はハツラツも逃げ出さなかった。
「お前は私になれないが私だって、逆立ちしたってお前にはなれないんだ。いいか? ダービーは最高のレースだが、最高のレースは他にもたくさんある。お前も将来中央で走るんだろうが、もしダービーで負けたり出場できなくても気にするな。お前にはお前にしか走れない道がある。何故ならこの足はお前だけの足だからだ。分かるか?」
シリウスはハツラツの足を指さして、ぽんぽんと叩いた。
「うん。わかった」
「いい子だ」
シリウスはハツラツの後頭部にキスを落としてハツラツを持ち上げて芝に移した。そして念入りに膝の具合を確かめさせた。
「フムン」
特に足に痛みや異常はなかったようで、シリウスは鼻でため息を吐いた。ハツラツは走りたそうにウズウズしている。
「おかあさんがまいにちマッサージしてくれてるの。だからだいじょうぶ」
「大丈夫なもんかよ。まだ体ができてねえのにあんな走り方したらぶっ壊れるぞ。大方テレビで姉ちゃんの走りを見まくったりしてたんだろうが、やめとけ」
シリウスが言ったが、ハツラツは納得していない様子で首を傾げていた。
「でも走れるもん」
「だったらせめてスローペースで──いや、いいことを思いついた」
シリウスがハツラツに背を向けてしゃがむと、ハツラツはすぐに意図を理解して背中によじ登った。シリウスは両手でしっかりと足を押さえる。
「うわあ、たかーい!」
「怖いか?」
「ううん、ぜんぜん」
「フッ、そうかよ。言っとくが、こんなサービスは誰にもしたことがないんだからな」
そう言うと、シリウスはハツラツを乗せたまま走り出した。
「すごいすごい! シリウスはやい!」
ハツラツは身を乗り出してシリウスの頭上から顔を出し、目を輝かせた。
「これは他に誰も見れやしない、お前だけの景色だ。どうしても見たい自分だけの景色があるから、私たちは走り続けるんだ。分かるか?」
シリウスが言った。
「うん!」「分かります」「分かるとも」
横に並んだサイレンススズカとアグネスタキオンが言った。
「何だテメーら!?」
「サイレンススズカです」「アグネスタキオンだ」
「知ってんだよンなことは。何でこんなとこにいるのかって聞いてんだ」
「タキオンと走っていたら楽しそうに走っているのが見えたからつい……」
「ああ。限界の果てを目指す者同士ウマが合ってねえ。はて、そもそも何故二人で走ることになったんだったかな?」
「知らねえよ。勝手によろしくやってろ。こっちは子守の最中なんだ。テメーらみたいなスピードバカは教育に悪い」
「えっ、私も?」
「スズカ君?」
二人は再び加速して離れていく。
「シリウスまけるなー!」
シリウスの首にしがみついてハツラツが言った。
「……ハッ! 私を誰だと思ってる? しっかり掴まっておけよ!」
シリウスはハツラツが落ちないようぐっと重心を低くした姿勢をとり、両手をハツラツの足から離した。そのフォームは奇しくもオグリキャップと似ていた。加速するシリウス。追われるなどと思っていないスズカとタキオンは目を丸くした。
「噓でしょ……」
「無茶をするねえ! しかし他人を乗せた方が何故か走り易いと言うウマ娘も多数いる。実に興味深い!」
「やかましい!」
シリウスはさらにスピードを上げ、二人を追い抜く。すぐにスズカが差し返し、タキオンも後に続く。全く平等でない条件のレースだが、トレセン学園ではこういった併走がレースに発展するケースは珍しくない。3人の間で、暗黙のままゴール地点が決まる。ラチに何か光るものが引っかかっている場所だ。
最終直線に差し掛かる。目一杯で走るシリウスだが二人との差は縮まらない。このレースの前からかなり走っているらしい二人はスタミナが切れかかっている様子だったが、シリウスの方ももうひとつ速度を上げ切れずにいた。
残り200メートル。シリウスはもう全ての重石を捨て去ってしまいたい気分だった。子守りなんてガラじゃなかった。どうでもいい。レースもルドルフも自分も。
その時、
「まだおいぬける! いけー! シリウス!」
ハツラツが叫んだ。瞬間、シリウスは自分の鼓動を強く感じた。ドクンと脈打つ心臓が血液を全身に送り出す。耳の先から爪先まで、今日初めて血が通ったようだった。
「当たり前だろうが!」
ここに自分を心から信じる者がいる。諦めない理由はそれだけで十分だった。シリウスは芝が抉れるほど強く踏み込んでスパートをかけた。残り100メートルでヘロヘロのタキオンを抜き去る。残り50メートルでスズカに並ぶ。
「これが私の全力だッ!」
二人ともスタミナはとっくに切れている。勝負は根性とプライドで決する、そんなレースになっていた。
そして決着の瞬間、わずかに先着したのはシリウスだった。
シリウスは徐々にスピードを落とし、ハツラツを抱きかかえながら仰向けに倒れた。
「ぐふっ……はぁ……はぁ……どうだハツラツ? 最高だったろ」
「うん! シリウスがいちばんだった!」
「ハッ! 言われなくても分かってんだよ」
シリウスは寝転がったままハツラツを抱きしめて前髪にキスをした。
コースを囲んでいた他のウマ娘たちから爆発したような歓声が上がった。
「おっと、目に入ってなかったが観客がいたっけな。ほら、走り終わったら観客に手を振ってやるんだ。応援ありがとう、ってな」
「おうえんありがとー!」
ハツラツは観客に笑顔で手を振った。最前列のアグネスデジタルが担架で運ばれていく。
「シリウス先輩、一緒に走ってくれてありがとうございました」
スズカが歩み寄った。その後ろからタキオンがよろよろと近づく。シリウスは体を起こした。
「ああ。なかなか悪くなかった」
「ぜぇ……実に興味深かった! かつてウマ娘が人間を乗せて運んでいたことは知られているが、それは単なる運搬手段というだけではなかったのかもしれないねえ。うっぷ」
「ずいぶんヨロヨロだな?」
「後半のコーナーで3番手以降でないと私の組み立てた走法は実現できないからねえ」
「そうかい。理論派は大変だな」
シリウスは立ち上がってハツラツをひょいと持ち上げて先ほどまでと同様に肩車をした。
「いいかハツラツ。レースに勝ったらウイニングランって言って観客の前を軽く走ってみせるんだ。公式戦だとウイニングライブってのもやるんだがな」
シリウスはハツラツを乗せて、走りながら観客の声援に笑顔で手を振って応えた。
そして、
「勝利おめでとう、シリウス」
「ルドルフ……!」
シリウスは観客の中に仁王立ちするルドルフを見つけた。海が割れるようにルドルフの周囲から観客が引いていく。
「スズカ……私はタキオンを捕まえてくれと頼んだ筈だな?」
更にエアグルーヴが現れた。
「ええ、そうね……ほら、捕まえたわ」
スズカはへたり込んでいるタキオンをがっしりと捕まえた。
「えー!」
「ごめんなさいタキオン……」
「嘘だろー!?」
タキオンはエアグルーヴとスズカに運ばれて行った。
シリウスはハツラツを肩車したままルドルフと相対した。
「君が楽しそうで嬉しいよ、シリウス」
「何かご用でしょうか生徒会長? 私はもう二度と用はないと言った筈だが」
「君になくても私にはあるんだ。その子を保護してくれていたことは感謝する。あとは私に任せてもらおう」
「ああ? 何言ってやがる。オグリキャップ本人ならともかく、アンタに任せる意味は分からねえな。ハツラツもこんな偉そうなやつより私の方が良いよなー?」
「シリウスがいい!」
「ぐうっ!」
ルドルフは何らかのダメージを受けた。
「私のオグリ……」
「私の……? そうだ、オグリキャップは妹ほったらかしてどこに居やがるんだ? なあハツラツ? お姉ちゃんに会いたいよな」
「おねえちゃんはいないよ?」
ハツラツが言った。シリウスは訝しんで眉をひそめた。
「いないことはないだろ? じゃあこの髪飾りは誰のだ? ほら」
シリウスはレース前にラチに引っかけておいた髪飾りを取って渡してみせた。
「これおかあさんの。なんでわたしがもってるんだっけ?」
ハツラツはシリウスに髪飾りを着けた。
「ぴったりだ!」
はしゃぐハツラツと逆にシリウスは困惑の極みにいた。
「あ? お母さん? オグリキャップが? いつの間に、ええ!? 入学前の……!?」
「落ち着くんだシリウス。君がハツラツと呼ぶその子はオグリキャップ本人だ。何らかの作用があって小さく幼い愛くるしい姿になってしまったんだ」
「主観入っとるがな」
タマモクロスとスーパークリークが現れた。
「あら~。小さいオグリちゃんもやっぱり可愛いでちゅね~」
「見つけたのがシリウスでホンマ良かったわ……」
スーパークリークを押さえながらタマモクロスはため息を吐いた。
「なあシリウス。信じられへんやろけど、そのチビ助がオグリっちゅうんはマジや。ウチも見ててん」
「そんなバカな話が……いや、そう考えると辻褄が合う部分もあるが……」
シリウスはハツラツを芝に下ろし、屈んで目線を合わせた。
「なあ、もう私は知らない人じゃないだろ? だから正直に教えてくれ……お前の名前は?」
ハツラツはじっとシリウスを見つめ返し、口を開いた。
「オグリキャップ」
それを聞いてシリウスは数秒目を瞑った。取り囲むウマ娘たちが息を呑む。
「分かった……いや、やっぱり何も分からねえ。でも信じてやる」
シリウスは立ち上がった。
「で、ルドルフ。こいつを元に戻そうってんだろう? 王子様のキスじゃないのは確かだ。私が何度かしてやったのに効果ナシだったからな」
「何度かだと……いや、話が早くて助かるよ。しかし方法は全く分からないんだ。アグネスタキオンが何らかの薬剤を投与したのかと疑っていたが、あの様子では違うようだからね」
「オイオイ、じゃあノープランでとりあえず預かろうとしたってのか? 何を考えてんだ。いや何も考えてねえのか。いつも理想だの何だのと余計な事ばっかり考えてるクセにな」
シリウスは大げさに肩をすくめた
「……訂正しろシリウス。私の理想は既に私だけのものではない。いくら君でも──」
「けんかはよくないよ。みんななかよく!」
オグリがシリウスの足にしがみついて言った。
ルドルフはしゃがんで、
「そうだね、すまない。やめにするよ」
「シリウスも!」
「……そんな顔してもダメだ。私は甘くないぞ。お前がオグリキャップだと分かった以上な」
シリウスはオグリから顔を背けた。
「ああそうだ、このお姉ちゃんたちも仲直りしたんだ。なあタマモクロスにスーパークリーク?」
ルドルフがタマモクロスとクリークに目配せした。
「あー、せやねん。ウチら仲良しや~」
タマモクロスはクリークと肩を組もうとしたが腕が届かなかった。
「そうなんですよ~。仲良しでーす」
クリークはタマモクロスが肩を組めるよう膝を折った。
「屈辱や……この貸しは高うつくでルドルフ……」
タマモクロスはクリークの肩に腕を回して言った。
「二人ともえらい!」
オグリは二人の頭を撫でようと背伸びした。タマモクロスとスーパークリークはしゃがんで頭を差し出して好きなようにさせた。
「オグリがウチより小さいってのも悪くあらへんかもな……」
「もうけんかしちゃだめだよ。わかった?」
オグリは手のひらを上にした指鉄砲をタマモクロスたちに向けた。
「……ずいぶん仲良うしとったみたいやな」
「さあ? そいつの元々のクセじゃないのか」
「さてシリウス。オグリキャップは私が保護するよ。幸い今は何ともないようだが、いつ問題が起きるとも限らない」
「おいおい、こいつをテメーの眠たい理想論とくだらねぇダジャレ漬けにしようってのか? 生徒会長が児童虐待ってのはいただけねえな」
「何だと?」
睨み合う二人の耳は互いに反対側を向いた。
「『考え方が違うだけで、君たちは味方同士なんだ。争う必要はない。もっと気楽に行こう』ですよね、会長?」
クリークが言った。
「……ああ、確かにそう言ったね」
「お得意の“Take it easy”か」
シリウスは鼻で笑った。
「てーけっといーじー?」
オグリは首をかしげてシリウスを見上げた。シリウスは再び顔を背けた。
「てーけっといーじーはでちゅね~、笑顔でいようっていうことでちゅよ~」
クリークはしゃがんでオグリの手を取った。
「二人とも怒ってて怖いでちゅね? ほらオグリちゃん、二人に言ってあげて?」
「うん。二人とも、てーけっといーじー!」
オグリはびしっと二人を指さして言った。二人の耳が互いを向き合う。
「ねえ二人とも。私は二人が目指す場所に大きな違いはないって思うんです……二人が手を取り合えれば、昼は太陽が、夜は月と星が輝いているように、今よりたくさんのものを照らせるようになるって」
クリークが言った。
「スーパークリーク……そうだな。私もそう思うよ」
ルドルフが頷いて、改めてシリウスに向き直った。
「……ハツラツ、か。良い呼び名を考えたものだな。まさに生気溌剌。元気を貰ったよ。なあシリウス。私たちも今だけこの子と同じ頃に戻らないか? 今日の諍いだって、私たちが長い年月で育んだ友情に比すれば些末なことだろう」
ルドルフが言って、手を差し出した。シリウスは動かなかった。
「ハッ……ゴメンだね。アンタの後ろで満足してた頃になんて戻ってたまるか。私はアンタを越えるんだ。だから……」
シリウスはルドルフの差し出した手を引いて、その背に腕を回した。ルドルフも強く抱き返した。周囲のウマ娘たちが息を呑んだ。そしてすぐにシリウスが突き飛ばすように離れた。
「ざまあ見やがれ。度肝抜いてやった。あの驚いた間抜け面見たかハツラツ?」
「みた!」
「だろ? ハハッ! そうだクリーク、私たちは太陽なんてガラじゃねえ。ルナが月ってのはお似合いだがな。どうあっても私は青く輝くシリウスだ。太陽ってのはコイツみたいなやつを言うんだろうさ」
シリウスは膝をついてオグリの頭をわしゃわしゃ撫でた。するとオグリはそれを振り払った。
「なんだよ……」
シリウスは傷ついた心を隠せなかった。
オグリはシリウスにしゃがんだままでいるよう求めると、
「なかなおりできてえらい!」
その頭を優しく撫でた。着けたままだった髪飾りがずれる。
「おい、髪が乱れるだろうが」シリウスはわざと嫌そうに悪態を吐いた。「あとこいつは返しておくぞ。私には自前のがあるからな。それはお前の星だ。せいぜい大事にしな」
「うん! だいじにする!」
二人の様子を見てルドルフがそわそわしているのにシリウスは気付いた。
「……何だ? トイレならさっさと行けよ」
「そうじゃない……オグリキャップ、私も仲直りができて偉いと思わないだろうか?」
シリウスとタマモクロスは吹き出した。クリークがぴくっと反応した。
「おねえちゃんもえらい!」
オグリが背伸びをしてルドルフがしゃがんだ時、オグリの小さな体が不思議な暖かい光に満ち、光が収まった時そこには見慣れた高等部のオグリキャップがいた。
「ん……ここは……」
オグリはキョロキョロと辺りを見回した。その場にいた誰もが固唾を飲んでその動向を見守った。
「あれ、タマにクリークに……シリウスにルドルフ? さっきまで中庭にいたと思うんだが……待て、服が小さいな。何だこれは」
オグリの着ていた子供服はオグリの成長に引っ張られて、へそが出てしまっていた。それを見たシリウスは、
「とりあえずこれ着てろ!」
コース脇に置いていた自分の制服を投げて渡した。
「おお、ありがとうシリウス」
オグリは渡されるままにシリウスの制服を着た。
「うん、何だか懐かしいような匂いだ」
「嗅ぐな!」
「すまない。でもいい匂いだから大丈夫だ」
「そういう問題じゃねえ。あーあ、小さいままの方が良かったかもな」
「小さい……? 何の話だ?」
オグリは首を傾げて周りを見たが、誰も何も言わなかった。
「何でもねえよ。ただテメーは寝ぼけてたんだ」
「そうか……確かに何か夢を見ていたような気がする。迷惑をかけていたならすまなかった」
オグリはぺこりと頭を下げた。
「別に……迷惑なんかじゃねえ。自惚れるなよ。お前なんかを手に余す私じゃない。それと制服はクリーニングして返せよ」
そう言って、シリウスは振り返らず去って行った。
残されたオグリは、頭を差し出しているルドルフを不思議そうな顔で見た。
◇
「結局何やったんやろなあアレ」
中庭のベンチでタマモクロスが言った。隣のクリークはすぐにその意味を理解した。あれから何度か三女神像前に足を運んでいたが、もう同じことは起きなかった。
「何だったんでしょうねえ。やっぱりタキオンちゃんも無実だったみたいですし。ただ私、もしかしたらって思うことがあるんです」
「何や?」
クリークは噴水の方を見た。三女神像前には今日もレースを控えたウマ娘たちが願掛けに来ている。
「あれは会長とシリウスちゃんを仲直りさせるために三女神様が仕組んだことだったんじゃないか、って。だからその役目が終わった時にオグリちゃんも元に戻ったんじゃないでしょうか?」
「いやいや……まあ、あんな不思議なことが起きたんやもんなあ。まさか、とは言いづらいわ。神様ってのは気まぐれって聞くしな」
「ええ。なのでただの想像です。ただ、あの二人が手を繋げばきっととっても素敵なコンビになると思うんです。だから、三女神様が私と同じように思ったって、私は考えるようにしました」
「せやな。どうせ正解は分からんのやからそれがええのかもな。お、噂をすればや」
二人は少し先の渡り廊下にオグリとシリウスを見つけた。どうやらオグリが制服を返しているところだった。
「おー、い……」「まあ!」
タマモクロスが二人に声をかけた瞬間、シリウスは無造作にオグリを抱き寄せて前髪にキスをした。手を放してからシリウスは自分のしたことに気付いたようで、頭を抱えていた。そんなシリウスをオグリは不思議そうに見ている。そして、どこからか現れたルドルフに追われてシリウスは走り出した。
「……オグリをあの二人のキューピットにしたかったんだとしたら失敗ちゃうか」
「あはは……でも、二人とも楽しそうですよ」
「まあなあ。キューピットちゅうか、子はかすがいって感じやな」
タマモクロスはちらりと三女神像を見た。三女神像が笑ったように見えて、瞬きをして目を凝らすと、普段通り石のように硬い表情のままだった。
「いや当たり前やん」
タマモクロスは笑ってベンチから立った。クリークも後に続く。
「おーいオグリー。飯行こうや!」
今日も三女神は全てのウマ娘を見守っている。