鯨に戯れて   作:佐伯寿和2

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魅惑の海 〜ヒーラの受難編〜 その二

――――受難……もとい、バカンス2日目

 

どこまでも広く、透き通る青い水溜り。

遮るもののない水溜りの上を駆ける潮風に頬を撫でられれば磯の匂いが特有の爽快感を誘う。

空は水溜りの色を映し、水溜りは太陽の輝きを返す。

時折り飛沫(しぶ)く水が口に入ればほんの少し、この世の世知辛さを感じさせる。

 

楽園と呼ばれる都市、シエスタはそんな世界の一面を教えてくれる場所だった。

 

 

 

「いやあ、マッターホルンさんは飲み込みが早いですね。イベント大会に出場していないのが勿体ないくらいですよ。」

ロドスが社員に用意した特別休養期間2日目、「海の家」の当番もない私はこの都市で人気を博しているスポーツ「サーフィン」というものに挑戦することにした。

海の危険性も何も知らない私たちはまず、インストラクターを雇って安全な遊び方を学ぶことになったのだが、なかなかどうして。思ったよりも早く海のあれこれに馴染むことができた。

「特に体幹がずば抜けてますね。だいたい初めての人はボードの上に立つだけで数日かかるんですよ。」

「ハハハ、仕事上、安定しない足場で踏ん張ることも多いからですからね。それが生きたのでしょう。」

初めこそ「水上」という経験のない足場に困惑したが、数度試してみればそれは新雪の上で格闘している感覚に似ていると気付いた。あれよりも抵抗が少ないものだと思えば体は自然と海を受け入れていた。

 

「え、マッターホルンさんの勤める会社って製薬会社なんですよね?」

「ああ、私はおおむね警備や護送を担当しているんです。ロドスは貴重な人材や薬品を扱っていますからね。」

「なるほど、じゃあ他の方々もそうなんですね。いやあ、みなさん運動神経が良くて羨ましいです。」

私の他にもこの「物珍しい遊び」に興味を示した同僚数人が同じようにインストラクターの称賛を浴び、楽しげに海面を滑っていた。

「キャアッ!」

……ただ一人を除いて。

 

「…ああ、また落ちてる。」

今日、彼女の悲鳴を聞いたのはこれで17回目だ。

彼女に付いているインストラクターも苦い顔をしながら溺れる彼女を支え、一からレクチャーし直している。

私のインストラクターは同僚を憐れみ、私に助け舟を求めるように尋ねてきた。

「あのキャプリニーの方は目が不自由なんですよね?」

「……はい。」

聴力に関しては視力以上に悪い。補聴器は付けているが海は見た目以上に多くの音が入り乱れている。おそらくインストラクターの言葉も正確に聞こえていないだろう。

彼女の性格上、話しかける人間の言葉を無視できない。そちらに集中力を割いてしまうから余計に自分の体がおろそかになってしまう。

……分かり切ったことだった。

 

初め、彼らは彼女の身体的障害に気付けなかった。()()()()だと快く迎えてくれた。

一方の私たちはそれを知っていたが、「遊びなんだから、危ないって分かったら諦めればいいじゃない。そのための講習でしょ?」などと軽い気持ちで彼女の参加を許したのだ。

 

「こう言ってはなんですが、海はそんなに生易しい遊び場ではありません。身体に不自由があればそれだけ命を落とす危険性は高まります。」

「そうですね。身をもって実感しました。」

海は想像以上に危険な場所だ。例えるなら宿主のいない巨大なアリジゴクのようなものだ。不慮(ふりょ)の事態に(おちい)れば、たとえ幾度も窮地(きゅうち)()(くぐ)ってきた熟練の天災トランスポーターでも生きて帰ることは叶わない。

潮に飲まれ、窒息を待つしかない。

「でしたらマッターホルンさんから彼女に助言していただくことはできませんか?」

「……」

だが、彼女は私なんかよりもよほど聡明で、なおかつ自分のハンデをきちんと理解している人だ。

そんな彼女がどうしてあそこまで意固地にこの「遊び」に取り組んでいるのか。私には理解できなかった。

初めは私も――彼らに言われるまでもなく――それとなく促すつもりだった。

しかし、彼女が必死にボードにしがみつく姿を見ていると、どこか「人生の壁」に立ち向かっているように思えて口出しできなくなってしまっていたのだ。

……だが、それもここまでなのだろう。

「そうですね。これ以上はアナタ方に迷惑をかけてしまうかもしれません。私がなんとか説得してみましょう。」

他意はない。いくら「遊び」といえど、「死」は単なるゲームオーバーじゃない。そして、彼女はこんなところで命を落として良い人ではないし、その責任を彼らに負わせる訳にもいかない。

私は意を決して彼女の下へと向かった。ところが――――、

 

「まったく、見てられないわ。」

「フ、フランカさん?」

足取りの重い私が駆けつけるよりも早く、あの(かしま)し……、饒舌(じょうぜつ)な彼女が場の険悪なムードにさらに容赦のない一言で切り込んでいた。

「アナタ、教え方が下手なのよ。」

「な…、私のせいなんですか?」

「あら、耳も悪いのかしら?そう言ってるのよ。だいたい、これがアナタたちのお仕事なんでしょ?一辺倒なマニュアルをなぞるだけなら素人のアタシにだってできるわよ。」

()()()」、それは彼女を語る上で「美貌」の次に並ぶ要項のように思えた。

その傍若無人な物言いに彼らが腹を立てない訳がない。

「お言葉ですが、サーフィンは五感を使った海との一対一の勝負の世界なんです。研ぎ澄ませていないと海は私たちの足元を(すく)ってバカにし続けるだけなんです。そんな必須の感覚(ぶき)も持たない人にどうやって戦い方を教えるって言うんですか?そうでしょう?」

彼らの言い分はもっともだ。サーフィンに限らず、スポーツの全ては()()()()()()が暗黙の条件(ルール)と言える。

それを無視した私たちに非がある。

だというのに――――、

 

「アハハ、えらく上からものを言ってくれるじゃない。自分だってその域に達してない()()()()()のくせに。」

「フランカさん!」

ダメだ、保護者のいない彼女に社会的対応なんて期待できそうもない!

「だって、そうじゃない。だから大会にも出られなかったんでしょ?それに、この程度のハンデでこんなに楽しい遊びを教えられないでよくも()()()()()()()()なんて名乗れたものね。いっそのこと”役立たず”に改名したら?だってそうでしょ?私たちが汗水流して手に入れたお金を払わせておいて、ちょっとイレギュラーな客だからってこんなに簡単に(さじ)を投げてみせたのよ?私たちの戦場でこんな奴が味方にいたら敵より先に始末したくなるわよ。」

「なっ、言わせておけば!」

オブラートの欠片もない彼女の暴言が、多くの顧客を満足させてきた彼らのプライドに火を点けた。

今にも殴り合いが始まろうと…、いいや、彼女であればたかがサーファーの拳ごとき軽々といなしてしまうだろう。

…いやいや、そういう話でもないだろう!

 

そこへ、新しい遊びに夢中になっていた他の同僚たちが「仲間」の表情に敏感に反応し、彼らを自分たちの()()へと引きずり込もうと意気を振りまいてやって来た。

「なんだよ、ケンカか?オレサマが全部燃やしてやろうか?」

「ハハハッ、いいねえ。海の上でケンカするなんて粋じゃねえか!」

「キアーベ、ブローカ、やるのは構いませんが、ここがシラクーザじゃないことをくれぐれも忘れてはいけませんよ。」

これは彼らの運命なのか?こんな時に限ってなぜこんなにも血の気の多い連中が集まったんだ!

「待て、全員、一度頭を冷やすんだ!お前たちはロドスの社員なんだぞ?ドクターたちに迷惑をかけるつもりか!?」

叫んでみたものの、そもそも彼らの拳には「常識」に傾ける耳はついてないのだ。

唯一届いた銀髪のループスも、オカシなことを言っているのは私の方だとでも言うように冷めた表情で淡々と返すのだ。

「ダメですよ、マッターホルン。コイツらにとってケンカはサーフィンとさして変わらないんですから。止めるなら飼い主(ドクター)権力者(ケルシー)を連れてくるか、拳で黙らせるしかありませんよ。」

なんて奴らだ!非常識にもほどがある!

「だったらお前も手伝え!」

「嫌ですよ。そもそも僕たちの身内をイジメたのは彼らでしょう?だったらケジメってものを付けてもらわないと。」

ダメだ、コイツが一番「シラクーザ人」が抜けてないじゃないか!

慣れたとはいえ、海上で不良共(コイツら)全員を取り押さえることもできない。

万策尽きたか。そう思ったその時、

 

「止めてくださいっ!」

 

「……」

彼女は決して陰気な人間ではない。だが「快活」と言えるほど周囲の目を引くような人でもない。そんな彼女がこんなにも通る声を出せるとは誰も思わないだろう。

それだけ今の状況に嫌気が差したのだろうか。それとも……、

「この人たちの言うことは間違ってないじゃないですか。それに、私たちは困ってる人たちを助けるのが仕事なんですよ?こんなの、ダメじゃないですか。こんなことをしなくても、私が別の遊びを見つければいいだけの話なんですから。」

浮かべる苦笑いは、仲間想いな同僚たちを安心させようと耐えているのが目に見えて分かった。

「だから、ケンカしないでください。……お願いです。」

けれども今の彼女に、それを最後まで耐え抜くだけの気概はなかった。

「…お前はそれでいいのかよ?負けたままで悔しくねえのか?」

思うところがあるのか、ロドスの放火魔は彼女の言葉に耳を傾けていた。しかし、その表情を見て納得することができなかった。

「止めとこうぜ、お嬢。しょっぱいケンカほど後味の悪いもんはねえぜ?」

「…行きたきゃ行けよ。オレサマは逃げねえ。」

ガラの悪い方の赤毛のヴァルポが珍しく空気を読んで(なだ)めようとしたが、それでも放火魔は引かなかった。

「サリアならオレサマが何を言っても助けてくれる。」

かつて、檻の中で「苦しんでいた自分」を知っているから。

「……しょうがねえな。お嬢の納得いくまで付き合ってやるよ。」

 

誰も引かない。

穏便に事を済ませようという気がない。

誰もが自分たちの生きてきて得たモノを信じている。

 

「で、そっちのお嬢ちゃんは何か言うことはないのかよ?」

「……」

小柄なキャプリニーは(うつむ)き、唇を動かした。すると――――、

 

ボンッ!

 

突如、目の前の海面が天高く水柱を上げた。

「アツっ!お嬢、何すんだよ!」

「オレサマじゃねえよ!」

水飛沫は収まる様子を見せず、むしろ海面からは()()が立ち昇り始めた。

「アツ、アツッ!なんだこりゃあ!?熱湯じゃねえか!」

「おい、どうにかしろよ!」

「俺に言うなよ!おい、アオスタ!…あっ、あの野郎っ!」

唯一の知恵袋に頼ろうと振り返ると、袋と筋トレオタクは二人を置いてすでに遥か遠くまで泳いで逃げていた。

「お、おい!何しやがる!?オレサマは逃げねえって言ってるだろ!?」

「俺だってよくわかんねえけど、どうやら俺たちはお呼びじゃねえってことだよ!」

困難な状況に陥った時、彼はいつだって自ら深みに()まるような行動を取ってきた。

「アオスタのケツを追え」それが幾度となく失敗を繰り返してようやく学んだ、彼にできる唯一の解決法だった。

キアーベは放火魔の首根っこを掴んで全速力で友人たちを追いかけた。

 

小悪党のお手本のような撤退を見送りながら、お上品な方の赤毛のヴァルポは口を開けて事の成り行きを見守っているインストラクターたちに()()()()()()()()()()()()

「アタシは術師でもなんでもないからこれって結構体に負担かかるのよねぇ。」

「え?」

「…まったく都合のいい耳ね。親切なお姉さんは今の内に逃げた方が良いって言ってるんだけど、分かるかしら?アタシたちはあと二日滞在してるからその間は家に()もってやけ酒でもなんでもしてればいいわ。あの子たち、三歩歩けばケガの理由も忘れるおバカだけど、顔を合わせたら何をしでかすかわからないおバカでもあるから。」

「……」

彼女の言いたいことはわかった。

けれども自分たちにもまだまだ言い足りないことがある。

だが、彼女が危機的状況を回避してくれたことには違いない。それを理解できるだけの理性はある。

それらのもどかしい気持ちを表すように、彼らは一様に唇をキュッと引き絞っていた。

「それともまだ、アタシたち()()に歯向かいたいのかしら?」

自分たちは空気を読んだ。

だのに返ってきたその言い草に、我慢できなくなった一人が口を開いてしまう。

「アンタらがそんなだから感染者のイメージが悪くなるんじゃないのか?」

「そうね、まったくその通りだわ。アナタ、賢いじゃない。だけど、アナタたちのその小さな器のせいでアタシたちみたいな厄介者に絡まれるのよ。要するに、今回の件は()()()()。そういうことにしない?」

それも実のところ、彼女が仕組んだ我々、感染者と健常者の間で交わされるべき相互理解の一歩だということに彼らは気付いていない。

「……」

「アナタも、それでいいのよね?」

感情的に『力』を使ったせいか、ボードの上で息を切らしているキャプリニーは力なく頷いた。

 

俺は、それら一部始終をただただ黙って見守っていた。




※意気を振りまいて
「やる気満々」みたいな意味の言葉があったように思いましたが……、
そんな言葉はないみたいですね(;´∀`)

※筋トレオタク
一応、ブローカのつもりです。
彼のコーデから臭いを感じたもので(笑)
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