鯨に戯れて   作:佐伯寿和2

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この回はオマケ回でいくつかの小話を詰め込んでいるので長くなっています。
時系列はランダムです。過剰なおふざけ要素もありますのであしからずm(__)m



毒針を隠す少女 おまけ(終)

●おまけ その一 【それでも私、価値、ある……?】

 

 

……そこは、最高裁の目さえ逃れる現代社会が産み落とした至高の処刑台。それに魅入られし者の目には、人間の脳をパズルのピースのごとくバラバラにしては敷き詰める悪魔たちのまな板に映るかもしれない。

まな板は執拗なまでに私を吸い寄せる。薄っぺらな白い長方形の解体包丁が今か今かと私を待ち受けている。

逃げ場などない。私はここに縛られし憐れな奴隷なのだ。

常しえに、()()()()()()()()なのだ。

 

せめて苦痛を抱かず逝かせて欲しい。そんな愚者に許されし漆黒の液体を聖杯に満たし、私は罪の深淵に飛び込んだ――――

 

 

 

 

 

 

――――それから8時間後、

 

その部屋の前に立った少女は、心なしか室内がいつもよりも淀んで感じられた。

「ドクター、調子はどうですか?」

「……」

「…ドクター?」

「…!?…あ、ああ、()()()()()()()()()()()()。すみません。…かの銀槍を頂く国の掲げた試練が私の中に眠りし睡魔(セイレーン)を呼び起こしてしまったらしいのです。」

「……え?」

 

少女は怪しい研究に没頭する奇術の国、リターニアへも訪れたことがある。

彼女には、彼らが紙片に走らせるミミズの這い回るような難解かつ不吉な呪文を今、憧れの恩師が唱えたように聞こえた。

人類が未だ遭遇したことのない未知の生物が、彼方からの訪問者が口を開いたかのように感じられた。

それは、振動する空気を粘液に変えたかのように不快で、体内に侵入されたなら悪寒で体温が3度は下がってしまうのではないかと思えてしまう程だった。

 

………まあ、端的に言うと、彼女はヒいていた。

 

「……ド、ドクター、少し休みますか?」

これまで、何人(なんぴと)にも成しえない輝かしい功績を我が物としてきた彼女の素晴らしき恩師は、彼女を見上げると乞食のように震える手を差し出した。

「…私を許してもらえるのですか?こんな醜く惨めな、私を……。あぁ、兎の女神(ウェネト)さまっ!」

「ドクターっ!医務室へ行きましょうっ!今すぐにっ!」

それはもう、少女を蒼白とさせるのに十分な奇行だった。

「とうとうヤってしまった!」少女はそう思い、自分の失態を心から呪った。

 

 

――――医務室

 

「アーミヤさん、安心してください。単に、中度の過労からくる判断力の低下です。ただでさえドクターは働きすぎなんですから。その上にこんなにカフェインを摂って……。」

…それは果たして安心していい診断結果なのか?

栄養剤を打たれ、いくらかハッキリした頭で私は主治医の言葉を疑った。

それを言葉にしないのは、彼女の性格をよく知っているからだ。

「それはそうとドクター、今日という今日は言わせて頂きますけれど……、」

いや、口にするまでもなく彼女のそれは発動してしまった。反省を知らない私を、日頃の鬱憤も織り交ぜて執拗なまでに批難するつもりなのだ。

そういう口煩(くちうるさ)いところは彼女の師によく似て……、いいや、彼女の場合、非があるのは常に私なのだが。

それでも、診断結果からすべき医師の勧告はもっと簡潔であるべきだと思ってしまうのは私の我がままなのだろうか。

 

 

「ドクター、少しは落ち着きましたか?」

丸々、一時間に及ぶフォリニック医師による説教を受けた後、私はアーミヤに見守られながらカフェテリアで()()()()()()を取っていた。

「すまないね、心配をかけて。もう大丈夫だ。本当に、少し疲れが溜まっていただけなんだ。」

夜ももう遅い時間帯だからか。カフェテリアには珍しく人気がほとんどなく、彼女の愛らしい声がよく響いた。

「ところで、あの映画のセリフみたいな文言は何だったんですか?」

今思い返してみると、自分でも理解し難い言葉だ。酔っ払ったナルシストよりもたちが悪い。

「…いや、今朝、シェーシャの源石武器の改良報告に1時間ほど付き合っただけなんだが……、」

そう感じた後で打ち明けるのは若干の引け目を覚えるが、それが真実であることに変わりはない。

「アハハ、なるほど…。あの人の言葉は不思議と耳に残りますもんね。」

シェーシャはロドスのエンジニアオペレーターで、アーツユニットの扱いが不得手なオペレーターにも使いやすいようにと優れた知恵を貸してくれる掛け替えのない社員の一人だ。

 

ただ、”奴”の()()()()調()は朦朧とする脳には刺激が強過ぎたらしい。こちらの良識的な思考がことごとく蝕まれてしまうのだ。

僅かに残った理性でどうにか仕事自体には支障をきたしていないようだが、あのまま会議にでも赴こうものなら(くだん)の「口煩いもう一人のフェリーン」にまた……、いいや、アイツの場合”量よりも質”で間接的に私の時間を奪ってくるだろう。

そういう手練手管(ボキャブラリー)の豊富さにおいては、さすが数々の歴史的事件を経験してきた人物だと認めてやらんこともない。

……だいたい、会社の記念日に携帯用の非常食を贈るなんて、何を考えているんだ、アイツは。

 

…それはさておき今回の件については、面接の段階でシェーシャ(やつ)に感じていた「厄介さ」を見逃してやった甘さが完全に裏目に出てしまったな。

今後、奴に会う時はイヤホンを付けてコメディ番組を大音量で聞きかつ、栄養剤を最低10本は打ってから臨むことにしよう。

アイマスクもあればなお完璧だ。

 

「ドクター、今日はもう休んでください。代わりに明日は私もお手伝いしますから。」

「…そうだな。」

確かに、今の状態でペンを走らせ続けていれば、いずれは大事な誓約書に誤字脱字を生むことになるだろう。

それでロドスを不利な状況に追い込むのであれば、ドクター(わたし)という立場はあってないようなものだ。

…それに、彼女の声色は平常であるものの、どこか「奴のようにはならないで欲しい」という切実な願いにも聞こえ、無下にできない気持ちにさせた。

「今、手を付けている書類が終わったら休むことにするよ。君を心配させてまですべき仕事は私の業務の中に一つとしてないからな。」

「……えへへ。」

「……」

アーミヤは、実の娘のように可愛く思う。

こうして自然に彼女の頭を撫られるのも、同じ屋根の下で誰よりも苦難を分かち合ってきたこの子だからこそ許せる行為だ。

彼女もまた、それが自分にだけ許された特権だと知っているからこそ、立場を忘れて喜んでくれる。

そして、その笑顔がさらに疲れた私を癒してくれる。

……本当に、気付かないところでこの子に助けられているのだと実感する。

「それじゃあ、また明日。お休みなさい、ドクター。」

「ああ、お休み、アーミヤ。」

CEOとしての風格を持ちながらも兎のような軽やかさで宿舎へと帰る彼女の姿を見て、私も体が軽くなった気がする。

さて、もう少しだけ頑張るとしようか。いざ、行かん()()()()()へ。

 

 

「……」

魔城に戻ってみると、まな板の上に身に覚えのないものが置いてあった。

「…私は、まだアイツに洗脳されているのか?…あぁ、いや……、」

どうやら女神様の白魔法はきちんと作用していたらしい。

私の残り少ないMP(りせい)で、ソレの正体をズバッと見抜くことができた。

「マンティコア、そこにいるのかい?」

私はデスクの上の無線機(インカム)を装着し、虚空に向かって呼びかけた。

 

『ドクター…、こんばんは……、』

おぉ、本当にいた。…まあ、インカム越しではそこにいるという証拠にはならないが。

それでも声を聞けばそこに彼女がいるような気がしないでもない。

これは彼女の「認識阻害」に抗おうとしているからなのだろうか。

「どうした?眠れないのか?」

『…ううん……、』

「じゃあ、社会見学か?」

『…ううん……、』

彼女に出会ってから、私はその言葉を一番多く耳にしている。

言葉の意味は「否定」だが、不思議と聞いていて不快な気分にはならない。

「…そういえば、太ももをケガしていたな。まだ痛むか?」

『…だ、大丈夫……、』

「……」

『……』

彼女はロドスに入職した。入職したと言っても、彼女に医療知識はないのですぐに仕事が与えられる訳ではない。たまにケルシーに彼女の尻尾から採取できる毒を提供するために医療部に顔を出すくらいで。

彼女は一人で大丈夫だと言っていたが……、やはり、暇なのだ。

 

「少し時間はあるか?仕事続きで精神的に参っていたところなんだ。良ければ少し私の話に付き合ってくれると嬉しいんだが。」

『…う、うん……』

もともと彼女の話し方は尻すぼみで歯切れが悪い。今回も肯定なのか否定なのか聞きづらかったが、立ち去る様子もなかったので前者として受け取れた。

「飲み物は何かいるか?」

『…いい、それより、ドクターの話、聞きたい……、』

「そうか、」

特別凝った話をする必要なんかない。

ここで私が経験した、他愛もない出来事を伝えればいいんだ。彼女はそれに飢えているのだから。

 

面白かった話から頭を抱えさせられる話まで。たまに、彼女に感想を求めながら―――感想といっても例のごとく「うん」と「ううん」で答えられる程度の感想だが―――小一時間ほど言葉を交わした。

その間、私はそこにいない彼女の姿を、履歴書の証明写真で補填し続けた。

こう言ってしまうと「自惚れ」か「勘違い」に聞こえるが、写真越しでもあの瞳には「人恋しさ」が宿っているのだと私はすぐに気付いた。

どんな形でもいい。彼女はロドスに「心安らぐ場所」を求めているのだ。

『……』

基本的に私が一方的に話している。だから彼女が黙って聞いていることに何の不思議もないのだが…。

「どうした?」

表情すら読み取ることができないというのに。どうしてだか、その沈黙は違って聞こえた。

そして、どうやらそれは的中していたらしい。

彼女は、おそらくはそれこそが私を訪ねてきた理由なのだろうという一言を呟いた。

 

『…ドクターは、どうして私を、棄てないの……?』

 

…私が話した日常の中に、自分が入り込めないと感じたのかもしれない。たとえ、ここでオペレーターとして働くことができたとしても、自分にはそんな「心に残るような存在」にはなれないと。

不安…、も少なからずあるだろうが、今の彼女の言葉は純粋な疑問に近いように思う。

だが、それを「今」、「私」が答えても意味がない。

「じゃあ、私が君を捨てる理由を教えてくれないか?」

『…え……?』

私たちが彼女に優しく接することは簡単だ。普段通りにしていればいいだけの話なのだから。だが―――、

「私には分からない。だから、教えて欲しいんだ。どうして君は私がそんなことをしなければならなくなると思うのか。」

トラウマや偏見、染みついた悪習慣は自分の意思(それ)を彼女自身が知らないことには何をしても治らない。

『…私、戦うことしか、できない。誰も、笑わせ、られない…。だから……、』

「…そうか。じゃあ、もしも本当に君がつまらない人間だとして、私はどうしてこうして君とお喋りをしているんだろうな。」

『…それは…、まだ、私のこと、知らないから……、』

忘れることさえ一時(しの)ぎでしかない。

鏡に映るたびにあの瞳が彼女自身に訴えかけるだろう。今感じている全てが本物なのか。彼らは本当に自分の味方なのか、と。

「確かに、君のことはまだ知らない。だがもしも、それで私がまだ君をつまらない人間だと見抜けていないなら、少なくとも、君は()()()()()()()()()ではないんじゃないのか?」

 

だが、自分の手で見つ出した「答え」は簡単には枯れない。

一度、根を張れば生涯、彼女を支える大きな木になる。日照りにも砂嵐にも負けない大木に。

『……』

「マンティコア、苦手なことは育てればいいんだ。どんなに時間が掛かっても。少なくとも、私たちはそうしようとする君を支えていられる。」

人は、そういう木の下に集まるものだ。

『…ドクター……、』

「なんだい?」

『…私、がんばるから……、』

その時、私は写真の女の子の姿が見えたような気がした。

 

……そういえば、あれから一枚も書類に手を付けていない。

…けれど、この船にはこんな私を支えてくれる女の子もいる。何も、心配いらない。

君も、私も。助け合える日がきっと来る。それが、ロドスだ。

 

 

 

●おまけ その二 【…みんな、ありがとう……、】

 

――――ある日の執務室にて(AM6:30)

 

「ドクターっ!」

オールバックのヴイーヴルがノックもなしに私の仕事部屋に駆け込んできた。

もしもこれがオペレーターを連れ立っての仕事の最中であれば、私はすぐさま「敵の有無」や「対処法」に頭を切り替えただろう。

だが今の私は、休む間もなく鞭打たれる利き手を励ますことに死力を尽くしていた。

「……どうした、ステイ。バーベキューか?それともエリジウムか?」

私はアリの行列のように少しでも気を散らせば、どこを見ていたか分からなくなるような細かな文字列を睨み付けたまま、手頃な日常茶飯事(クレーム)を上げてみた。

「…え?ああ、いや、すみません。ちょっと大袈裟だったかもしれません。」

普段、マスクの下に隠れているオールバックのイケメンは自分の取り乱しっぷりに気付き、胸に手を当てて深呼吸をし始めた。

「…?結局、何がどうしたんだ?」

ベテランオペレーター、ストームアイは容姿もさることながら、その仕事っぷりから一見シッカリとしているようだが実は間が抜けている一面も持ち合わせている。

それが一部女性陣からの人気を(はく)している。

 

「ああ、すみませんドクター。お忙しい時に。」

「それは気にしなくていい。それで、どうしたんだ?」

「……」

「どうした、急に黙り込んで。もしかして、記憶が飛んだとか言うつもりじゃあるまいな。もしもそうだとしたら君も立派なワーカーホリックの仲間入りだな。ハハハッ……、」

彼に皮肉を言ったつもりが、同時に自分を傷つけていることに気付いてしまった。…少し、休憩したいな。

「いえ、ドクター、もしかしてマンティコアに何か言いました?ついさっき、畏まってお礼を言われたんですが…。」

「……ああ、言ったな。君は衰弱した彼女を介抱しようとしたんだろ?そういう行為には感謝をすべきだと彼女に言ったんだ。…何かマズかったか?」

確かに、彼女にステイのことを覚えているかどうかを尋ねた時、「標的の顔、忘れない」などと不穏な言葉を口走っていた。もしかしたら何かあったのかもしれない。

私はペンを走らせながら頭の中では謝罪の言葉を列挙しなければならなくなった。

だが、彼はすぐにそれを否定した。

「い、いえ、お礼は嬉しかったです。ですが……、」

「なんなんだ君らしくない。ハッキリと言ってくれ。気になって利き手が言うこと聞かなくなるじゃないか。」

…もう手遅れだった。私が彼に視線を移した隙に親愛なる相棒は、これは好機と完全に休眠モードに入ってしまった。こうなってしまってはどこかの赤毛のコータスのように気のすむまで眠り続けるのだ。

「いえ、その時、なぜか彼女はやたらとドクターの話題を上げてくるんです。」

「…それで?」

先程から彼はご機嫌取りの商人のように私の顔色を窺い続けている。それが逆に癇に障る。

「…いえ、その…、怒りませんか?」

「なんだ、君は私に減給申請書まで書かせるつもりか?勘弁してくれ。」

完全に集中力を失くした私がペンを投げ捨てると、ステイは委縮し、言葉を詰まらせてしまった。

「…悪かった。少し疲れているんだ、許してくれ。それと、怒らないから続きを言ってくれ。」

すると彼は一大決心をした冒険家のように偉大な一歩を踏み出した…、そんな演出を求められた俳優の顔をしていた。

「彼女、ドクターに気があるんじゃないかと……、」

 

「……ステイ、」

「……はい、ドクター、」

「……頼む、帰ってくれ。」

 

その後、社長が耳元で不穏な言葉を囁くまで私は爆睡を余儀なくされた。まったく、なんて会社だ。

 

 

 

――――行動予備隊A4、アンセルの宿舎(AM7:45)

 

 

コータス族のアンセルは種族の生態上、夜型の生活の方が性に合っていると公言していた。

だが、従業員の権利は平等に与えられなければならない。そのため――極力、考慮されてはいるものの――、当然、彼にも日勤は与えられる。

それは社員としての義務であり、彼にとっての苦行でもあった。

「……眠い……、メガネは……、」

数歩あるいて立ち止まる。

「あ、僕、メガネしてなかった……、」

こんな調子ではあるが、彼がベッドから這い出て夢遊病から立ち直るのにそう時間はかからない。これも、人の命を預かる医者としての責任感と、生来の彼の生真面目さが良い意味で働いていた。

 

「…よし。」

体温計を咥え、鏡に映った自分を見て健康状態を確認する。()()()()()()()()()()をよく噛んで食べ、歯を磨き、清潔な衣類を身に付ける。

ルームメイトを起こさぬよう静かに、とにかく真面目に、彼の身支度は進められていく。

「……」

使命感や正義感を大事にする彼にとって意義のある毎日ではあるものの、決して面白い毎日ではない。

特に、「鉱石病」は未だ治療法の見つかっていない病だ。遅かれ早かれ、皆死ぬ。それを念頭に入れて彼らと付き合わなければならない。

重篤者の安否を想いながら食事をする時は、バルブで固く閉ざされているのではないかと思うほど喉が物を受け付けない。延々と、味のしない葉っぱを咀嚼し続けている。

()()()()()()()()翌日は後悔や無力感で袖を濡らしてしまうこともある。

 

それでも彼の「身支度」が滞ることはない。

 

絶対の”希望”を掲げる人が彼の前を歩いているからだ。

その人は時に恐ろしい戦争人であり、時に迅速に損得勘定をはじき出す商人でもあり、皆を驚愕させる変人でもある。

それでも、彼はその人を尊敬している。

「足のない者の足を生やすことはできない。だが、足のない生活を豊かにすることはできる。それが私たちだ。」

涙の止まらない彼の頭をソッと撫でてくれたその人は「人生の放棄」を決して許さない人だった。

強引に、積極的に、恐れを知らず、「不幸」を捻じ伏せて進む人だった。

男の子である彼にはその人がどこか「勇者」のように映っていた。

 

少しでも遠くへ、あの人と歩めるのなら。

少しでも近くで、あの人と可能性を見詰められるのなら。

少しでも、あの人の助けになれるのなら。

 

彼はこの会社において、優秀な部類の人間には入らない。それでも、彼の真面目さは”希望”から目を逸らさない。積極的に、時に恐れを抱きながらも、新しい一歩を忘れない。

一日でも早く「助けられる人間」「護れる人間」になるため、彼はそれを怠らない。

 

「……ん、これは?」

全ての準備が整い、いざ扉を開けてみると、足元にピンクの花を植えた小さな鉢がポツンと置かれていた。

根本に添えられたメッセージカードには、彼女らしい簡素な感謝の言葉が書かれていた。

「アナタのおかげでロドスに入れました、ありがとう――マンティコア――」

「……」

彼は、自分の頑張れる場所が医務室だけではないことに気付くと、ほんの少し、頬を緩ませた。

 

 

 

――――訓練場、使用中、行動予備隊A1(PM1:00)

 

 

「さあ、フェンちゃん!一気に!」

「…本当にこれ、飲んで大丈夫なものなの?」

「もちろんです!さあ、さあ、遠慮せず!ぐぐいっといっちゃってください!」

「あのね、お酒じゃないんだから…。はぁ……、いくわよ……、」

生唾を飲み、対峙する強敵を睨み付け、青髪の馬族(クランタ)はぐぐいっと、いった。

「どうですかぁ?今回はかなり自信があるんですよ!」

「……ハイビス、果物が、入ってるのよね?」

「はい!桃やバナナ、今回は特別にイチジクなんてレアものも入ってますよ!」

桃は高級品だし、バナナは私も好きだ。確かに今回は気合いが入っているのかもしれない。けれど…、

騎士の国、カジミエーシュ生まれのクランタの瞳が、剣を折られ地に膝を着かざるをえない苦渋の表情に満ちていた。

「だったらどうして…、どうして一切、()()()()甘みが感じられないの?!」

胃酸が昇ってくる感覚に、フェンは必死で耐えた。どんなに未熟者であっても、分隊長としての威厳が彼女に死への恐怖にさえ屈しない忍耐力を与えた。

…ああ、でも、たくさん星が見えるわ……、

「でも、体には良いんだから!」

「…それが保証されれば私は犬のフンでも食べなきゃいけないの?」

「ああ、フェンちゃんひどい!!体調が良くないって悩んでたからフェンちゃんのために一生懸命作ったのに…、犬のフンだなんて…!」

医師見習いの悪魔族(サルカズ)()()()()()()を叩きつけられ、わなわなと目を潤ませ、大仰に顔を覆った。

「…ああ、ごめんなさい、ハイビス……。私も、言い方が悪かったわ。ただ…、アナタはまず普通の料理から覚えた方がいいと思うの。」

その物言いもハイビスカスには少し納得がいかなかった。それはやはり遠回しに「犬のフン」だと言われている気がしてならなかったからだ。

 

彼女は確かに同僚の体調を考慮した「健康食」を作ったはずだった。

新鮮な野菜を使い、高価な果物も惜しみなく使った。市販の野菜ジュースなんかよりは遥かに多くの食物繊維もビタミンも接種できる。

便秘気味で疲れが溜まりやすいと悩んでいた彼女に効果がないはずがない。

…そう、「効果」の面では申し分なかった。

唯一の問題は、彼女が料理において「健康」以外の項目で確かな「悪魔」の性質を発揮してしまうという点だ。

「味」というものを知らないのか。ただの「味オンチ」なのか誰にも分からない。一部ではわざとそうしている彼女の「娯楽」なのだと噂する者もいるくらいだ。

だが、そう言われても仕方がない。

食べ合わせ最悪、上等。旨み成分皆無、だからなんだ。「前衛的芸術作品」が理解されないのは世の常じゃないか。

……とまでは考えていなくとも、少なくとも彼女に料理の才能がないことは間違いなかった。

 

だが、驚くなかれ。「この世には瓜二つの人間が三人存在する」、その迷言をロドスは見事に証明してみせた。

彼女同様、「健康」にしか興味のない者。「とにかく夏までに痩せたい」と鏡の前で泣き喚く者がこのロドスの中に二人も存在したのだ。

彼女たちは自分の目標、野望のためなら「犬のフン」ですら望んで食べてしまう。

それが彼女の、独自の「健康食」への熱意を悪い方へ、悪い方へと伸ばしていくのであった。

 

そしてここにも、悪の芽を肥やしてしまう無知な少女が、二人の遣り取りを見守っていた。

 

「…おいしかったのに……、」

あろうことか。少女はその認めてはならない「味」さえ認めてしまっていた。信じられない。

そして、少女は感謝もしていた。自分がこんなにも早く回復できたのは、入職試験で本調子になれたのは、アンセルが用意してくれたあの「健康食」のお陰なのだと。

「…でも……、」

ハイビスカス、南国の活気をそのまま形にしたかのような生命力に溢れた存在とコミュニケーションを取るには、少女にはまだ勇気が足りなかった。

 

――ありがとう、飲み物、おいしかったです――

 

少女は空になった容器の脇にソッとメッセージカードを置いて立ち去った。

ところが、二人の遣り取りに気後れしてしまったのか。少女は自分の名前を書き忘れてしまった。

 

それが、槍使いの騎士を襲う、次なる魔王を召喚する儀式となったのは言うまでもない。

 

 

 

――――医療部、研究室(PM2:15)

 

かの魔女はあの日とは一変して黙々と業務に励んでいた。

「しかし、あのマンティコアはおしかったな。」

やって来て早々、よりにもよって彼女に名前を挙げられたことで、少女は取り乱してしまった。

しかし、腐っても元暗殺者。咄嗟に口を塞ぎ、尻尾を踏みつけることで、なんとか気配を隠し通すことに成功していた。

「…またそんなこと言って…。そんなことだから他のオペレーターにも誤解されてしまうんですよ?」

「フン、木を見ずして森を見た気になっている愚か者のことをなぜ気にかけてやらねばならん。」

「先生は前線にも出られるでしょ?ドクターも言ってましたよ?先生にもっと笑顔があれば休憩中に他のオペレーターが緊張しなくてすむのになって。」

「なに?(わらわ)に、笑えと?…今度あの唐変木に会ったら伝えておけ。妾の笑い声が聞きたくば、ロドスにモルモットのビュッフェコーナーを用意しろとな!」

「……先生、それ、矛盾してますよ。」

……

南国の花どころではない。

この魔女には二度と関わるまい。少女は固く誓った。

 

 

 

――――カフェテリア、厨房(PM5:00)

 

「イベリア風海鮮オムレツ、あがったよーっ♪」

「おう、これだよこれ!待ってたよ!…ああ、まったく良い匂いしやがる!また腕を上げたんじゃないか?」

活気のある調理場に腹を空かせた狼たちの歓喜の声が飛び交う。

「へへ、そうかな?」

「ああ、グムの飯があれば世界平和だって夢じゃあねえよ!」

「俺なんか、嫁に欲しいくらいだよ!」

殺伐とした仕事を終えた狼たちは愛らしい小熊をチヤホヤすることで日々の疲れを、心身を隅々まで癒していた。

それは、彼女が担当する時にだけ選べる、オペレーターたち一押しの特別メニューだった。

「えへへー、そう?もう、おじさんたちはお世辞が上手いなー♪仕方ないから今回だけオマケしてあげるよ♪」

「うお、マジかよ!サンキュー!」

「今度、トランプしような!」

これ以上なく満足して去っていく狼たちに、小熊は元気いっぱいに手を振って見送った。

「明日も頑張ってね~~!」

そんな彼女も立派な戦闘員であり、危険な任務に就けられることも少なくない。

彼女を愛する同僚たちは思う。彼女には幸せになって欲しいと。心から。

 

「……あれ?これ、おじさんたちからかな?」

――今度は、ちゃんと、食べに来ます――

厨房の無邪気な熱に当てられて、またしても名前を書き忘れてしまうマンティコアであった。

 

 

――――執務室(PM7:00)

 

「……」

…ドクター、まだ、働いてる……、

素顔の見えない不審な出で立ちの男は、机に憑り付いた怨霊のようにただただ黙々と紙を睨み、ペンを走らせていた。

ハラリ、ハラリと紙を捲る妖怪のように同じ動きを繰り返している。

 

けれども、彼は「仕事」をしている。

あの何でもない紙切れ一枚一枚が、枚数よりもたくさんの人の命を救う力に変わる。

その中に、自分が含まれている。

それだけでも、彼女にとっては信じがたいことで、惹きつけられるには十分すぎる魅力でもあった。

 

そしてこの男はまた、信じられない奇跡を彼女に魅せつけるのだった。

「……誰か、いるのか?」

え!?

マンティコアは思わず辺りを確認してみるが、この部屋には自分と妖怪以外に誰もいない。

ド、ドクター…、わ、私のこと……、

 

「…マンティコアか?」

信じられなかった。

気配を探る術はおろか、戦闘の心得すら(ろく)にないようなこの不健康な男がどうすれば自分を見つけられるのか。

しかし、これは紛れもない現実だった。

「…う、うん……、」

彼女は恐る恐る答える。……しかし、

「…気のせいか?」

……あれ?

「それとも、まだ私は信用されていないのかな。」

…ち、違う…、ただ、聞こえてない、だけ……、

今日はインカムも持ち歩いていない。「声」は伝えられない。けれども、

 

『私、ここにいる』

 

慌ててドクターの手からペンを取り上げ、紙の端に殴り書いた。

「…そうか。だがな、これは競合不干渉の契約書なんだ。できればこっちに書いてもらえるか?」

ああっ!

『ごめんなさい』

緊張と動揺で震えながら書いたそれは、契約書の細かい文字にも勝るとも劣らない難読な文字に仕上がっていた。

それでも流石は執務室の怨霊。それを難なく読み解いてみせた。

「ハハハ、落ち着いて。紙はまた用意すればいい。」

『私、棄てられない?』

「おいおい、まだそんなことを言っているのか?」

私は、バカだ!ドクターは、そんな人じゃないって、分かってるのに……、

「まあ、不安は一朝一夕には拭えないもんさ。マンティコア、ユックリでいいんだ。」

……ありがとう、ドクター……、

ドクターはまた、ちょっとした世間話で少女の心を癒した。

…ありがとう……、

 

少女はこの言葉を積極的に形にしたい。そう思ってペンを動かした。

『私、ドクターと一緒に、がんばるよ』

しかし、その想いとは裏腹に、彼女は唐突に人生の分岐点に立たされることになる。

「そのことなんだが、おそらく君はケルシー直属の兵になる可能性が高い。」

…え……?

「君のステルス能力はアレがしている独自の調査に大きく貢献できると判断されたんだ。」

ケルシー、今日は姿を見なかったけれど、入職試験でドクターと一緒にいた、ドクターと同じくらい偉いフェリーンの医者のことだ。

 

正直を言えば、マンティコアはまだ彼女のことを信用できないでいた。

それは単に、言葉を交わした回数が少ないからなのかもしれない。だが、彼女の言動がかもし出す物静かな「万能感」もまた、少なからず他人に「引け目」を覚えさせる要因になっていることも間違いなかった。

「けれど、私たちは社員に無理強いはしない。もしも君が望まないなら他の部署に就けることもできる。戦闘自体が嫌だというなら後方支援、諜報員でも構わない。」

……、

マンティコアは思った。この人は誰よりも自分のことを見てくれる。この人の傍にいればなんの問題もない。……だけど…、

『ううん、みんな、がんばってる 私だけ、我がまま言えない』

「…ロドスには、馴染めそうかい?」

……、

彼女は今日一日をかけて、ロドスという船の中を歩いて回った。

そこで彼女は知った。

『みんな、いい人』

不平不満は誰もが持っている。

それでも皆、ここにいたいと思って働いている。この船に住むの人たち、そうでない人たちのために、働いている。

その中には……、

『ドクター、私は働けるよ』

 

――――私も、誰かのために、働きたい

 

 

 

●おまけ その三 【ウタゲと私】

 

……最近になって、どうしてウタゲが私の友だちになってくれたのか分かった気がした。

ウタゲは「友だち」が欲しくて私に近付いたんじゃない。「仲間」が欲しかったんだ。

ウタゲが私と話す時と、他の人と話してる時の声色が違う。

それに気付いてから、なんとなく私もそれを意識するようになった。意識する程にウタゲのことがより近い人のように思えるの。

私とは似ても似つかない性格の人だけど、時々、「姉妹」のようにさえ感じることもある。

そんな時、私は本当にロドスに来て良かったと思う。

あの荒野をあと何年、ううん、一生歩き続けたって「ウタゲ」には会えなかった。

だから私は皆のために一生懸命、働くの。

そうしたらいつかまた、私たちの「姉妹」に出会えるかもしれないから……。

 

 

ロドスで生活するようになって随分経った。

たまに私に気付いてお喋りをしてくれる人がいる。その時にウタゲの名前を出すと、彼女のことを良くも言うし悪くも言う。それでも皆の口調から、彼女のことが好きなんだとわかる。

でも、ウタゲの本当の苦しみを分かっている人は多分、ほとんどいない。

「ウタゲに悩み?ないんじゃないかな。友だちは多いし、趣味も充実してるみたいだよ。この間なんか、海にも行ったらしいじゃないか。青春だね。羨ましいくらいだよ。」

そうじゃない。

そんなことじゃ私たちは癒されない。

皆にはいるのに、私たちにはいない。それはもう、どうしようもない。だからウタゲも皆に気付かれないように振る舞ってる。

ウタゲも、皆のことが好きだから。

彼女は今日も、あの気怠げな顔で笑ってる。皆のことが、好きだから。

 

 

●おまけ その四 【奇行と真実、そして魔王】

 

今日もドクターは元気です。

仕事の合間々々にやって来る女の子と楽しくお喋りをしている姿を見ていると、()()()()()()()()と私も安心します。

私だってドクターのことが好きです。ドクターにはいつまでも元気に働いてもらいたいです。

だから、私は女の子とお話をしているドクターの様子を見てドクターに割り当てる仕事の量を調節しています。

これにはかなりシビアな技術が要求されます。

何度かフォリニックさんに怒られてしまいました。ですが、そういう数々の()()を経て、今ではその見極めも随分と達者になったと思います。

 

ですが最近、ドクターがオカシな行動を取っていることに気付きました。

以前の「シェーシャさん」の時とはまた違った様子です。

心配になってケルシー先生に相談に行くと、先生は冷めた表情で「ああも人が変わると、この感情をどう処理すべきかと悩んでしまうな」と言って去っていきました。

結局、原因が何なのかは分かりませんでしたが、あの様子を見るにどうやら心配することでもないようです。

注意して経過観察したいと思います。

 

数日後、私はようやくその意味が分かりました。

つい先日加入してくださったマンティコアさん。彼女が最近ドクターの部屋を出入りしている様子がカメラに映っていたのです。

……なるほど、ドクター。今日も一生懸命がんばりましょうね!




※ウェネト
エジプトの、ウサギの頭を持つ女神様です。詳しくは分かりませんでしたが、とある州の守護神のようです。

※アーツユニット
アーツ(魔法)を扱う労力を減らしてくれる、または力を増幅してくれる道具。「魔法の杖」のようなもの。

※記念日に携帯用の非常食を贈る
一部ドクターにとっては、ホルマリン漬けにしてでも保管しておきたかった立方体……。
オペレーターたちからの手紙といい、記念品を「絶対に保存しておくモン!」みたいな機能はないものでしょうか(TдT)

※シェーシャの面接(小ネタ、ネタバレ…になる?)
シェーシャをロドスにお迎えする時(要するにガチャ)のセリフで、面接に適していない意味不明な言葉を並べる彼を追い返そうとする遣り取りがあります。

※CEO
「Chief Executive Officer(最高経営責任者)」の略です。
私もハッキリとは理解していませんが、おおまかには以下の通りだと思います。
取締役会(ロドスでいうケルシーやドクターのこと)が任命する会社の経営方針や事業戦略に関する執行権限を持った人。
ただし、経営方針や戦略事業の内容を決めるのは取締役会。
執行の権限を持ち、その責任は背負わされるけど、会社の代表はあくまで取締役会。
悪く言えば取締役会の立場を守るための手駒(ダミー)のようなもの?
……すみません、これが私の理解力の限界です(笑)

※バーベキューとエリジウム
簡単に言い換えれば「放火」と「男子高校生」ですwww
分からない方はぜひ「アークナイツ」をプレイしてみましょう!

※ストームアイ
公式の設定でも種族は不明になっています。
ただ、ヴイーヴル(ワイバーンモチーフ)?サルカズ(悪魔モチーフ)?鬼?のような角を持っているのでここでは仮に「ヴイーヴル」としました。

※青髪のクランタ
馬の毛色を調べてみたところ、「青毛(あおげ)」という品種なのに黒い毛色なんですね。
別にだからどうしたという訳ではありませんが(笑)

※分隊
軍隊の最小規模の集団(グループ)。10人前後が基本らしいですが、彼女の所属する「行動予備隊」は彼女を含めて5人です。

※「この世には瓜二つの人間が三人存在する」
下書きをしていた段階では誰かしら既存のオペレーターを指していたはずなんですが。ちょっと分からなくなってしまいました。
ちなみにマンティコアがハイビスの健康食を好んでいるという設定も公式ではありません。

※ホンマの後書き
いやあ、平行して2作品投稿するのは初め、無理だと思っていましたがなんとかなりましたね(笑)
公式のストーリーを土台に書いた、パクリのような二次作品ですが、自分としては中々に満足のいく仕上がりになったのではと思っています。
ただ一つ、残念なことがあるとすれば、ここまでマンティコアを推していながら、実際のアークナイツ内での作戦ではほとんど起用せず、秘書として睨めっこばかりしているという私の腕の無さですね(笑)

ということで『毒針を隠す少女』は今回でお終いです。
次作も下書きはありますが、あくまでネタとしての下書きなので、2作品同時投稿ができるほどには仕上がっていません。
なので、『鯨に戯れて』の次作は少し期間が空くと思いますが、もしも投稿された時にはどうかご愛読のほど、よろしくお願いいたしますm(__)m

ちなみに、執筆している時はずっとアークナイツ公式のEPを聞いてます。
最近のお気に入りは「Spark For Dream」です。あの美容室に佇むGGとのマッチ感が自分的に刺さりました。
いやあ、アークナイツ、音楽もメチャメチャ良いですよね!!(^_^)/~
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