鯨に戯れて   作:佐伯寿和2

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魅惑の海 ~包丁とナイフ編~ その一

人は経験を得て成長する。

人は、人を殺して壊れていく。

ならば、戦争や殺人など引き金一つで命を奪い合う争いは大麻を吸うよりも危険な行為ではないだろうか。

どんなに訓練された戦士であろうと、彼が「人」であろうとすればするほどに誰かを殺した罪悪感(けいけん)は彼の血を染め、血が彼の目に映る世界に水をやる。

いつしか、彼は気に留めなくなるだろう。……いいや、それと気付きもしないかもしれない。

自分の手に他人の血がついていることなど、あまりに見慣れすぎて。あまりに心地好(こわれ)すぎて。

自分が、笑って人を殺す「猟奇殺人鬼(サイコキラー)」になっていることなど――――、

 

 

 

……要するに、サラリーマンにも穏やかな休息は欠かせないということだ。

 

 

 

 

 

――――色鮮やかな花がアナタの目を楽しませます。笑顔の艶やかな人々がアナタの心を和ませます。

私たちは世界の書籍、音楽を余すことなく取り揃えて、アナタの来訪を心からお待ちしております。

ここは、この世に残された数少ない楽園”シエスタ”。波の音がアナタの鼓動と重なる時、アナタは「安らぎ」の本当の意味を知るでしょう。

 

そんな宣伝文句にそそのかされて彼らはやって来た。

 

 

 

 

――――シエスタ海岸線、ロドス設営海の家“海が好き”

 

「皆さん、楽しんでやすねぇ。」

「それだけ日々の業務にも真剣に向かい合っているということでしょう。」

強面の男二人は支給されたお揃いのエプロンを着け、簡易の調理場から海辺で戯れる同僚たちを温かく見守っていた。

 

夏、ロドス社員には交代で数日間のリゾート地でのバカンスが提供されることになった。

シエスタには「リゾート地」の名に恥じない様々な娯楽施設がある。

エメラルドグリーンとミルキーホワイトの海岸線。オシャレなブティックに、小粋なマスターの勤めるカフェ、さらには派手なビートで魂を揺さぶるライブ会場。

安息と興奮がふんだんに詰め込まれたおもちゃ箱、それがシエスタという観光都市だった。

 

「マッターホルンの兄さんは何かこの後の予定を決めてるんですかい?」

熊族(ウルサス)の青年は燦々(さんさん)と輝く太陽を見つめ、眉間に皺を寄せながら、相方の牛族(フォルテ)に尋ねた。

「そうですね。海も悪くないですが、明日はテラいちの豊富さを誇るという本屋に行こうと思っています。」

「へえ、兄さんはインドア派なんすね。」

「いいえ、私自身はどちらかといえばアウトドア派ですよ。ただ、知人へのお土産を買おうと思って。そういうアナタは?」

「俺ですかい?…そうだなぁ、」

ジェイと呼ばれるウルサスの青年はあまり遊ぶことに関心を持ったことがなかった。

実際に遊んで楽しかった思い出はいくつもある。けれど、今の彼は養父から引き継いだ小さな店に立ち、あの町と苦楽を共にすることが一番の関心事になっていた。

 

「そういやここって新鮮な魚を卸してるとこがあるんですよね?ちょっと覗いてみるのも悪くないかもしれやせんね。」

「ハハッ、アナタは何処にいても探究心を忘れないんですね。感心します。」

「やめてくだせえ、俺ぁただ、それが自分の性に合ってると思っただけで。そんな殊勝なもんじゃないっすよ。」

実際、覗いてはみるものの、本当に観光程度の気持ちでしかない。

たとえそこで良い商売相手を見つけたとしても、店のある龍門(ロンメン)とシエスタの間には“新鮮さ”に老化を与えるのに十分すぎる距離がある。

優秀なトランスポーターを雇ったとしても、彼の店の規模では赤字になるのが必至。

彼は商売で成功しようとも考えていない。ただ、あの街が住みやすい場所であればそれで良いと思っていた。

だからこそ「地産地消」それでいいじゃないか、というのが彼の考え方だった。

 

屋根こそあるものの、夏を謳うに相応しい炎天下で決して広くない調理場に並び立ちながら彼らは不満を覚えることはなかった。

時折やって来る同僚や一般客をさばきながら、彼らは仕事の疲れを感じさせない世間話に花を咲かせていた。

するとそこへ、あからさまな仏頂面を引っさげた美女が現れた。

「辛気臭いわねぇ、アナタたち。ここはシエスタなのよ?夏の海なのよ?カワイイ子の一人や二人引っ掛けてこようとか思わないの?」

陽の光で飴色に染まる茶髪。高身長でどこか男心をくすぐるような絶妙な肉付き。わずかに垂れた目尻は線の細い眉と相まって、おっとりとしていながらどこか挑発的な性格を垣間見せる。

数m歩けば頭に花の咲いた男たちが群がるような妖麗の狐族(ヴァルポ)は、店にやってくるなり冷めた目で二人を非難し始めた。

 

もちろん彼らは顔馴染みで、そういう不平不満も彼女にとっては挨拶のようなものだということも十分に心得ていた。

さらに、どうやら彼女はすでに少し酔っているようだった。

 

「そうは言いますけどねフランカの姐さん、アッシらは今日、給仕担当なんで。それに、姐さんも何か注文に来たんでやしょう?」

贅沢な休暇にスムーズなサービスは欠かせない。彼女は、店員のスマートな対応に満足そうに微笑んだ。

「カクテルと…、何か甘いもんでいいですかい?」

「そうね、コルコバードは作れる?」

「ええ、問題ありませんよ。」

白髪の強面と大柄な強面は分担し、あっという間に注文の品を用意してみせた。

その間にも美女の、美女ゆえの不満が二人にぶつけられた。

「それにしたってよ?二人とも勿体(もったい)ないと思わないの?海に来て、目の前には美女や美少女がよりどりみどりなのよ?なのにこんなムサ苦しい調理場で、男同士で肩を並べてバカンスを過ごすなんてさ。マッターホルンなんて、そんなイケイケに仕上げてるのに相手にするのはブロック肉とフライパンだなんて。あ〜、勿体ない!」

美女フランカは性格がルーズな訳ではない。時折みせるお節介がひどく遠回しなだけなのだ。

彼女とある程度付き合いのある者であればそれは、彼女が純情な自分を誤魔化しているからなのだと気付けるだろう。

そしてそんな彼女を愛おしいと思う「隠れファン」も少なくない。

 

しかし、目の前のウルサスとフォルテに関しては少なくとも「ファン」ではなかった。

「姐さん、姐さん、料理人てぇのは特殊な人種なんすよ。アッシらはここで飯を作ってウマそうに食べてもらえる皆の顔が見られるだけで結構幸せだったりするんです。」

「そうですね。アナタの笑顔も私たちの幸せの一つですよ。」

「……女の子とお喋りするより?」

「客に男も女もありやせんよ。」

「そこ!そこがズレてるんだって!」

夏の陽射しがそうさせているのか。どうやらこの困った客はどうあっても「恋愛の先達(キューピッド)」になりたいらしい。

こんな酔いどれの天使にあてがわれる「愛」が、果たして偽装表記でないと保証する会社があるかどうかははなはだ疑問ではあるが。

 

()()()の二人は、求めてもない「商品」を押し売りするこの「酔っ払い(てんし)」をどうしたものかと顔を見合わせた。

しかし、そういう面倒な人間には必ず一人や二人の保護者が存在するのが世の理だったりする。

「フランカ、アナタはどうしてそう人を困らせるんですか。アナタがそんな風だからアーミヤさんにも注意を受けるんですよ?」

黄金色の瞳が印象的な竜族(ヴイーヴル)が補導員のように慣れた調子で赤毛の天使の腕を乱暴に掴んだ。

それを振り払う天使の仕草もどこか、再放送のドラマ――いや、漫才かもしれない――を見ているかのように見慣れた光景に見えた。

「なによ、アーミヤちゃんだって色んな男引っ掛けてるじゃん。夏なのよ、リスカム?アタシだって良い思いの一つや二つ作ったってバチは当たらないでしょ?」

「フランカ…、アナタは十分、交友関係に恵まれてる方でしょう?そして、どこまで恐いもの知らずなんですか。」

「別に〜、それだけアーミヤちゃんが魅力的だって褒めてるだけじゃない。」

さすがは「パートナー」と言うべきなのか。

ヴイーヴルは相棒の注意を自分へと逸すと、スムーズに彼女を連行していった。

強面の二人はその後ろ姿を黙って見送った。

「…楽しんでやすねぇ。」

「…そうですね。」

 

そうして海辺を見遣り、注文をさばき、無駄話を楽しみ、二人の時間は有意義に過ぎていった。

そんな、傍から見たなら強面の悪魔どもが談笑しながら鍋を混ぜ、包丁を振り回す厨房に、正真正銘の天使が舞い降りた。

「ジェイお兄さん、交代だよ〜。」

「お、もうそんな時間ですかい?」

現れた小柄で愛らしいウルサスの女の子は息を弾ませながらやって来た。

「随分と楽しんできたみたいですけど、大丈夫ですかい?」

「へーきへーき、グム、体力ならお兄さんたちにも負けないんだから!」

 

……その遣り取りに、彼は以前から疑問を感じていた。

 

「兄さん、どうしたんですかい?そんな恐い顔をして。」

「あ、いや、なんでもありません。少し考え事をしていただけです。」

「大丈夫?マッターホルン()()()()、今日はラストまでだよね?あとはグムがやっておこうか?」

 

…少女は優しい。しかし、いつだってその一言は彼をチクリと傷付けた。

 

治りかけたカサブタを、まるでスクラッチかなにかのように少女は容赦なく引っ剥がす。笑顔で。無邪気に。

「…大丈夫ですよ、グムお嬢さん。最後まで一緒に頑張りましょう。」

けれども自分はもういい大人だ。そんなことで一喜一憂するのは情けない。

彼の良心と常識が、稀少な天使を傷つけるまいと母親のような抱擁力のある笑顔で彼女を許すのが常なのだった。

「うん、頑張ろうね!」

……この笑顔を護ることが私たち大人に課せられた使命なのだ。

 

彼の要らぬ正義感が折れるのが先か。天使が羽を失くすのが先か。

その日がやって来るまで、この愛らしい天使は未来永劫、彼のカサブタを剥がし続けるのだった。

 

…お達者で。

友人の心境をなんとなく察した強面の片割れは、閉店まで続くであろう抗うことの許されない闘いに健闘を祈り、静かにその場を去った。

 

 

 

 

しばしの休息を頂戴したジェイ青年は、特に当てもなく砂浜をブラブラと散歩していた。

昼も日中、魚市には明日の朝に行くとして、今日は適当な場所で腰を落ち着けて、本を読んで過ごすつもりでいた。

「…あれは……、」

ところが彼はそこに――()()()()()は特に大した事のない、けれども――、彼の予定を変更させるのに十分なものを見付けた。

 

「…釣れますかい?」

――――彼女は、昨日もそこにいた。

防波堤の先端に、海鳥(カモメ)のようにちょこんと腰掛ける狼族(ループス)がいた。

クーラーボックスはなく小さなバケツに水を張り、身の丈の倍以上ある磯竿をゆったりと構えている。

「……」

ジェイ青年の呼び掛けにはピクリとも応じず、彼女はただ静かに釣り竿を握り、穏やかな波間を見詰めていた。

バケツの中には、底を映す濁りのない塩水が入っている。目の前の大海原と同じように、風に撫でられて揺れるバケツは小さな波を立てている。

そこには雑魚一匹入ってない。

そして、それはただの飾りだとでも言うように彼女の視線はあてどなく波間に浮いている。

 

どう見ても()()()をしに来たようには見えない。リフレッシュもしくは考え事をするために竿を握っているように思えた。

でなければこんなにも、彼女と海をつなぐ釣り糸とウキに無関心なこともないだろう。

「…まぁ、そういう楽しみ方も釣りの醍醐味ってやつですよね。」

競泳目的のようなスタイリッシュな水着に、サンバイザーの付いた赤いコートを目深に被っている。

コートとざんばらな髪、そこから覗く表情こそ無害に思えた。だが、青年はそこに嗅ぎ慣れた不穏な臭いがあるのを見逃さなかった。

「隣、いいですかい?」

応えが返ってこないこともなんとなくわかっていた青年は、相手の様子を伺いながら静かに腰を下ろした。

 

釣り竿を握る彼女の横には、真新しい竿とは打って変わって使()()()()()()(もり)がある。

「海、好きなんですかい?」

返事はない。青年はかまわず話しかけた。

「俺ぁ、好きですよ。そこに鱗獣(りんじゅう)たちだけの町並みがあると想像するとなんだか親近感を覚えるんすよ。」

そうすることに何の意味があるのか彼自身、よくわかっていない。

「初めて潜った時、そこは別世界なんじゃねえかって感動したのを今でも覚えてやすね。」

だが、あの物騒な町で培ってきた彼の社交性が言っている気がしたのだ。

「俺の住む町の近くにゃ深い川もねえから感動も一入(ひとしお)でした。」

そうすることで、このループスが口を開かずとも「寡黙な声」を聞くことができるかもしれないと。

「だから、釣りってのは釣れても釣れなくても楽しいもんなんだと俺は思うんすよ。…まあ、俺が潜った海もこの海も本物の海とは違うらしいですけどね。」

「……」

ループスは応えない。まるで防波堤を形造る岩の一つだと言わんばかりに。

 

時折、横目で覗き見る限りでは彼女の表情に変化はなかった。

それどころか――彼が一定の距離を保っているからか――、身じろぎ一つする様子もない。

それは()()使()()()()という約束の表れでもある。

 

ループスは手入れのしていない尻尾を岩の上に投げ出し、ただ彼と潮騒の言葉に耳を傾けていた。

 

「……」

ジェイ青年は話しかけるのを止めた。

当初の目的通り読書を始め、彼女に倣って潮騒に耳を傾けることにした。

 

「じゃあ、アッシはこれで。」

太陽がほんのりと赤に染まり始める時分、青年は名前も知らないループスに「また明日」とだけ告げて去っていった。

 

 

 

 

――――翌日、

 

その日、非番のジェイは朝早くから活気づく市の人と鱗獣を目の保養にグルグルと巡った後、ブラブラと散歩をしながら例の場所へと赴いた。

「どうも。」

彼女はいた。昨日と全く同じ格好、同じ姿勢で。まるで置き物のように。

早朝ではないが、それでも浜辺ではようやく「海の家」がポツリポツリと店を開け始める頃合いだった。

()()()()()()()大して早い時間でもないが…、

「…ウキ、沈んでやすぜ?」

「……」

彼女は竿を「竿」として使っていないし、バケツに至ってはインテリアぐらいにしか思ってないように見える。

銛にもまた、()()()()()使()()()()()()()()()()()()()

「……」

銛の刃が、鱗獣の鱗や骨ではありえないような欠け方をしていた。かといってハガネガニ相手なら逆にこんな銛ごときでは刃が立つはずもない。

彼女は間違いなく昨日、銛を使ったのだ。

昨日は最終的に気を許した彼だが、たった一つの異変が、彼の警戒心を再び膨らませた。

 

しかし、それは昨日とは違う形で膨らんでいた。なぜなら彼女のそれがあからさま過ぎたからだ。

「…もしかするとアッシは、邪魔、してますかね?」

彼女自身の意思でしたことなのか。それとも他人に頼まれたことなのか分からない。

だが、そのどちらだとしても、あまりにも迂闊すぎやしないか?

 

彼女のその物腰はとても「素人」 には見えない。

だとすれば、ジェイがその変化に気付くくらいの洞察力のある人間だとわかるだろうし、彼がやって来ることも想定できたはずだ。

だからそれは敢えてそこに置かれているのだと彼は思った。彼に向けた何かのメッセージなのだと。

 

「これ以上関わるな」それとも…、「次の標的はキサマだ」か?

 

読み解こうにも彼女は一切口を利かず、それどころか眉一つ動かさない。物憂げに、海を眺めるだけなのだ。

ともすれば、自分だけが見ている蜃気楼なんじゃないかとさえ思えてくる。

良い人間か悪い人間か、わからない。生きているのか死んでいるのかも、わからない。

だからといってこれ以上近付くのは危険な気がする。

 

彼女は、彼の知っているどんな人とも違っていた。

「……」

青年は腰を下ろし、昨日の続き読み始めた。




※ジェイのお店
このお話は公式のアニメ「リー探偵事務所」を見る前に書いたものなので、ジェイのお店に対する認識の違いがあります。
原作のストーリーで「露店」と言っていたのでてっきりお祭りなどで出すような「屋台形式」のものなのかと思っていました(;´∀`)
実際は普通の八百屋やお肉屋さんみたいなしっかりしたお店なんですね。

※フランカの性格
下書きを書き終えた後になって彼女のプロフィール等々を閲覧しました。
……私なんか、誤解してない?
でもまあ、酔っ払ってる設定だし、いっか(笑)

※コルコバード
クラッシュアイスにテキーラ、ソーダ水ブルーキュラソーなどを加え、スライスしたライムをダイブさせた南国にピッタリな青いカクテル。

※シエスタの「海」
アークナイツの世界で「海」はかなり重要なポイントらしく、特定の地域の人間以外は接する機会が極端に少ないようです。
ちなみにシエスタのそれは「海」ではなく巨大な「塩湖」です。

※鱗獣
アークナイツの世界では「魚」のことを「鱗獣(りんじゅう)」と呼ばれています。
おそらくですが、そもそもアークナイツ内の各キャラクターが何らかのケモなので、それを形容するのに「魚」や「猫」などの言葉を使うことがあります。(アーミヤを”ウサギちゃん”と呼んでいる人がいるみたく)
なので、人間と獣を区別するためにこんな呼び方をするのかもしれません。

※ハガネガニ
金属の殻を持つ甲殻類(感染生物)。まじでかなり硬いです。(原作プレイ感覚で)

※ホンマの後書き
見切り発車です。一応、下書きは終えていますが、話の筋がチグハグだったりするところがあるので修正が間に合わず定期更新ができないことがあるかもしれません。
今回は2部構成です(プラスおまけ)。だいたい5、6話分くらいになるんじゃないかと思っています。
m(_ _)m

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