「明里の話があまり書けなかったな~」という小さな後悔がありながらも、
24話までで物語としては上手く纏められた感触があったので、
仕上げてしまった物語にこれ以上手を加えるのもなんだかな~と、考えていました。
書き始めたきっかけは、実は「すずめの戸締り」を観たからで、
エンディング間際のあるシーンを受けて、「一応、全部書いておいた方がいいかもしれないな」と思ったからです。
(未視聴の方がいらっしゃるかもしれないので、詳細は割愛します)
ただ、今作の本編である24話までを書いている中でも、
明里の話は心情描写が難し過ぎて断念しており、断片的な文章までしかできず投稿しなかったエピソードがちらほらあって、
それを改めて纏められる自信が全くありませんでした。
この場面ではこういう言葉を発して、こう行動するんじゃないか~というイメージまでは何とかできましたが、
その心情を描くのは、当時とても無理なものでした。
そこで、第三者視点、例えば母親視点ならある程度書けるかなと思い、「観測者の話」を書き始めました。
「スター トレイル」の二話、明里視点の話は予定していませんでした。
が、結局、新宿の再会時の話は母の視点を挟めないのでどうしたものかと考え、
一旦、明里視点で文章に書き始めてみたら、思いの外書けてしまい、結果、載せるに至りました。
自分はどうも、「原作最後時点、踏切で去った明里」を再現しようと、無意識に躍起になっていたようで。
今作「アストロナウト」24話までで貴樹と結ばれた明里を一度書ききって整理したことで、
「原作一話の延長から、今作の物語に繋がった明里」として捉えられるようになり、今になって書けるようになったのかなと思います。
(一体何の分析なんでしょうね、これは。)
前のあとがきに『貴樹は最終的に原作とはだいぶ異なる人物になった』と書きましたが、
今作で大人になった明里は貴樹以上に、原作三話の印象とかけ離れたものになっているかと思われます。
原作一話時点の明里の印象に近いかと。
二人が結ばれるか・結ばれないか、というのは、彼らの人生にとって明らかに大きな分岐点であって。
その分岐の先に宿る彼らの人間性というのは、変わって当たり前なのかなぁ、と。
今作「アストロナウト」や、以前別途投稿した短編「A time in spring」でも、
『原作が正解なんだ』という思いで、それに囚われながら書いていたようで。
ここまで書き終わった今では、「結ばれたら、そりゃ性格が変わって当然だな」なんて、
今は割り切って考えられています。
それはきっと、自分の人生でだって、
あれがもし失敗していたら、あれが成功していたらという、いくつかの数えるほどの過去が違っただけで、
自分の生き方や行動指針は、大きく変わってしまっていただろうと思い当たることもありますし、
彼らもそうなんだなと、ようやく原作の彼らとの乖離加減を、自分としても受け入れられました。
結果として、心残りだった明里の内面の描写、
お蔵入りしかけていた明里のエピソードや、ついでにその他諸々の書き残しを出し切れたので、
「到達の話」までを書き終わった時の「やっと終わらせるできた」という感覚とは別の方向で、
「ようやく出し切った」というような達成感を得ることができました。
サイドストーリーまで読んでくださった方々、改めて、誠にありがとうございました。
感想やお気に入り等々も、とても励みになりました。
以下にまた、自分がサイドストーリーを書くにあたって思ったことや設定などの雑記をひたすら書き散らしていきます。
自分は文章にする時、直接的な表現を嫌う部分があるようで、結局そういう直接書かなかった部分も伝えたくなってこういったあとがきを書いています。
ご自身の中で今作を整理し終えている方には、その解釈を曲げてしまう恐れがあるので、
そんなもの不要だという方は以降の解説を読まない方がいいのではと思います。
また、毎度のことながら推敲をするつもりは無く、自己満足だけの文章ですので、
そういったものが苦手な方もこのまま閉じて頂けますよう、お願い致します。
●明里の母について
明里の母の存在は、新海誠監督の小説版に少しだけ描写があり、
原作映画の一話で遠くから来る貴樹のために明里がお弁当を作るのを見守っており、
まだ中学生の明里が夜に一人で出かけるのを黙認してくれていたかのような記載があります。
(岩舟駅の待合室での明里のセリフにて)
明里のことを見守り、彼女を信頼して尊重してくれる懐の広い母親なのだろう、というイメージを昔から自分は持っていて、
5~6話で二人の文通を書いている時から『明里はきっと母に写真を撮って貰うのだろうなぁ』などと考えていました。
母視点の「スターゲイザー」は、そこを膨らませて書いていった物語です。
勝手にキャラ付けをしてしまったのは、少し申し訳なく思います。
ただ、明里が何かに苦しんでいる時や、助けを必要としている時には、きっと母として助けてくれるだろう、と。
明里が自分の写真を撮る必要が出て、誰かの手を借りたいと思った時、彼女は母を頼ったんじゃないかなと思うので、
スターゲイザーとして描くのは母以外ありえなかったと考えています。
「自分の写真を綺麗に撮る」というのは誰かの助けが必要な行為だから、他のキャラを巻き込みやすくて助かりました。
明里の母の認識としては、貴樹のことをちゃんとは覚えておらず、
明里が雪の中会いに行った相手が、まさか小学校の同級生である彼だとは知らないだろう、
引っ越した後も明里が貴樹と文通を続けていたとは思っていなかっただろう、
という前提の下で描きました。
ただ、貴樹と明里が共にいた2年程度(?)の小学生時代に明里の母が貴樹を全く見たことが無いわけないな~とか、
中学生の娘が帰ってくるなり弁当を作り、雪の夜の中出かけて朝帰りしてくることを忘れるわけはないな、
などという想いもあって、そこから貴樹と明里の過去を少しだけ思い描いてみることができたのは、新鮮な取り組みでした。
この先もずっと、彼らのことを見守り続けてくれる、優しい母親だろうと思います。
明里の父については書きやすいキャラを書きたいように書いただけなので、
あまり言うことは無いです…。
●改めて、篠原明里について
冒頭にも書いた通り、原作の映画でも新海誠監督の小説版でも明里の心情を描いた箇所は少なく、
原作三話の踏切時点での明里の心境は、永遠の謎なんだろうと思います。
自分がここまで書いてきたのは、原作一話の延長としてイメージしていた明里だったと、終わった後に気づきました。
貴樹と澄田については、本編24話までで苦しみや悩みを超える姿を書きましたが、
明里についてもようやく書き切ることができ、とても満足しています。
文中でも大分書いてしまったと思うので今更改めて書くのもなんですが、
明里はかつての二人の思い出を「夢のよう」に扱い、本当にそのまま、夢だったとして置いていくつもりだった、
という風に自分は捉えていたのだなと、書き終えてから気づきました。
実際にこの世界で、あんな素敵な恋愛ができた人なんて滅多にいないだろうと、勝手に自分は思っています。
二人の出会いは本当に奇跡的な巡り合わせであった、という認識は多分貴樹も明里も持っていて。
原作の貴樹は、「そんな奇跡がどこかにあるはずだ」と探し続けたのに対し、
明里は、「奇跡なんて基本的には起こらない」と割り切り、覚悟を決めて生きていったのかな、なんて解釈だったんだと思います。
明里が今作の春休みのホテル、11~12話で貴樹に体を預けられなかったのは、
そんな奇跡がこの先も続いていくことを、一度文通が終わったこともあり、とてもすぐには信じられなかったのでしょう。
もう一度手にしても、それをまた失うことになるなら、いっそ触らない方がいい。
奇跡としてではなく、ちゃんと「現実にあるもの」として、貴樹との関係を整理したかったのだと思います。
(対して貴樹はある意味即物的で、目の前にあるものや経験したものは疑わない、みたいに書いてたんですね多分。)
「Everglows」に書いた明里は、恐らく皆様がイメージする明里より幼いイメージを持たれたのではと思います。
初恋を失うことなくそのまま成就させている彼女なので、そうなってしまいました。
問題を乗り越え初恋が成就した明里と、夢と割り切って生きていった(という決めつけの)原作の明里は、
書き終わった今では全然違ってしまって当然だったな、なんて思えました。
この物語の発端、貴樹が走り始めたきっかけである2話「From dream to dream」で描いた、夢の中の踏切の先にいた明里のことを、
貴樹は最後まで「明里」と認識していないように自分が書いていたのは、
今思うとそういうことをうっすらと感じてはいたのかな、なんて思います。
自分語りが喧しいですね。
申し訳ございません。
●エピローグⅡ「Everglows」について
この話は、「到達の話」を少し雑に、というか歯切れの悪い形で書いてしまっただろうかという反省も残っていたので、それを払拭するために書きました。
元々「到達の話」は、行く末をざっくりと書いて後は彼らの好きにさせよう~という狙いがあって大まかにだけ書いたものでしたが、
いざこの[Everglows]の話を書き始めたら「やっぱ二人の幸せな部分もちゃんと書いておきたいな」という欲などがどんどん出てきてしまい、
最終的に「もう書きたいこと全部書いとけばよくない?」と吹っ切れ始め、
書き散らしっぱなしだった文章や、ふと思いついたことも全部つぎ込んだ話になりまして。
この一話を仕上げるために、久しぶりに精魂使い果たした感触がありました。
完全に自分の満足のためだけに書き上げた話です。
「Everglows」と共にこのあとがきも仕上げて投稿するつもりが、
この一話を仕上げるために副交感神経を乱れてしまったくらいだったので、この後書きの投稿が遅れたことを、どうかご容赦ください。
最初予定していたのは母親視点、和室で挨拶~玄関で見送りの部分だけで。
そこから色々と書き残したことを全部乗せ、加筆をすべて終えたら、当初予定の五倍近くのボリュームに膨れ上がっていました。
(振り返るとそもそも予定通りに進んだ話なんてほとんど無いのですが)
「Everglows」は全体として書きたかったことで溢れていますが、
特に冒頭の「コスモナウト」として旅立った彼と話す夢について、本当に書いておいてよかったな、と思います。
この部分を書かずに終えていたら、まだ胸のどこかに無視できない後悔が残っただろうと。
この部分は当初1ミリも予定しておらず、投稿直前に思い付きで書いたものになります。
ここを書き終えた途端に、「ようやく終わった」という感触が得られ。
自分は原作に対して、何か決別や別れを告げたかったのかとやっと気づき、それがそこそこ大きな塊として残っていたのだと、書き終えて気づきました。
貴樹や明里、澄田も。
自分が勝手に彼らのを幸せにしたくて今作「アストロナウト」の物語を書いてしまったのですが、
本当は「貴様なんぞに心配されなくても大丈夫だ」ということを、どこかに書いておきたかったんだろうと思います。
原作は悲しさや、切なさに溢れた終わり方でしたが。
行き先を心配されるほど彼らは弱くなかっただろうと、今は思うことはできます。
元ネタであるColdplayの「Everglow」という曲について少しだけ書くと、
この曲は元々、何かを失ったり、別れを悲しんだりした時に輝く過去のことを歌った曲だと思っていて、
曲の雰囲気や歌詞にも寂しさが漂い、根底には「喪失」があり、「喪失の中でも輝く存在」を歌っているのかなと解釈しています。
(※念のためですが、今作「アストロナウト」の行く末が実は暗いものになる、なんて意図は全くありません。)
そういう意味だとこの曲は、今作よりも、原作の最後の方に似合う曲なのかなと感じていて。
この曲を聴いていなかったら、コスモナウトの彼との別れを思いつくことなどできなかったので、
色々と感謝してもしきれない曲になりました。
今年、もしColdplayが日本に来たらライブに行ってみたいな、なんて思いました。
[2023/03/01 追記]
先日出張で栃木付近に行く機会に恵まれ、
時間も作ることができたので、岩舟に立ち寄ることができました。
旅行は元々好きで普段なら行き先の話を周囲の人にも話してしまうのですが、
前にどこかに書いた通り自分は自身が秒速5センチメートルという作品に対して抱いている想いを周囲に共有する気にはなれず。
かと言って、このままどこにも吐き出さないままなのも悶々としてしまうので、
色々思ったことをここに吐き出してしまおうと思います。
自分が岩舟に行ったのはある小雨の降る日の昼頃で。
駅近くの食堂で昼食を食べたり、作中で桜の木があったのはあの辺りだろうか~などと散歩してアテをつけてみたり、たった2時間ほどの滞在の中、静かな時間を過ごすことができました。
休日の昼間だったにも関わらず人の気配は少なくとても静かで、
どこかで車が走る音や窓を開閉する音、たまに通る両毛線の電車の音、そんな音ばかりが、耳に残っています。
(あと、両毛線が上下共に1時間1本程度しか出ていないことに驚きました。)
この地で原作の明里は、どんな気持ちで種子島の貴樹と文通を続け、それが途切れたことに何を思い、彼に渡すはずだった手紙を段ボールの中にしまい。
どんな生活の中で思い出を後に、前に進んで行ったのか。
それを考えると、今作「アストロナウト」を書き終わる前にあった原作への寂しいイメージが蘇り、何とも言えない気持ちになりました。
人にも依るかと思いますが、自分は静かな場所で一人で過ごしている時間というのは、どうしても自分の中にあるものと向き合う時間が多くなってしまって。
明里もそういう人物であるなら、彼女がこの町で生活をし、静かな時間を手にして、昔の貴樹とのことを思い出した時、どんな気持ちだっただろうかと考えてしまうと、やりきれない気持ちになってしまいました。
ただ、自分がもう岩舟を発とうと駅に向かう途中で、少しだけ嬉しかったことがあって。
小学校高学年くらいの男の子二人組から「こんにちは」と元気に挨拶をされて。
見知らぬ子供に挨拶されるなど久しぶり過ぎた自分は、戸惑いながら何とか返しました。
たったそれだけのことでしたが、
この地にも優しさだと温もりが確かに存在している、ということが確認できて。
明里がこの地で過ごした時間は、思い出への寂しさだけではなかったのだろうと考えることができ、内心とても嬉しかったです。
昔原作の映画を見た時は貴樹への感情移入が多めだったのが、昨年見てからは明里の行く末の方が気になって、そこに対する寂しさを未だ拭いきれていないのですが、その小さな出来事だけで、大分心が軽くなりました。
あの日、岩舟を訪れることができて、本当に良かったと思います。
種子島にはまだ行ったことが無いので、今後ロケットの発射に合わせて、どこかで訪れてみたいです。
またそっちにも行くことができたら、ここに追記するかもしれません。
[2023/11/07 追記]
Coldplayの東京ドーム公演に行きました。
YellowやEverglow、Paradise等々、好きな曲の多くが演奏されとても嬉しかったですが、
何よりも、その好きな曲を作った本人たちを生で見られ、その声や音を聴けたということがあんなに感激するものだと、初めて知りました。
今までライブの類には誘われなければ行かなかったし、感極まって泣く人を見て泣けるなんて凄いな~などと考えていましたが、
自分も普通に泣きそうになってしまいようやくそういった方々の気持ちが理解できました。
またColdplayのライブに参加したいと思うと共に、別の、音楽以外でも自分が好きな映画やスポーツ等、直接見に行ってみようかなと思います。
僕は一観客として観に行っただけに過ぎないですが、特別な人に会えるというのは、色々な意味で素晴らしいことですね。
[2023/11/25 追記]
今夜は夜空で木星が月が接近し、月の傍らに輝くのが木星であるとたまたま知りました。
原作三話で貴樹がコンビニの雑誌に目に入れた探査機が、海王星でスイングバイして太陽系の外に旅立ったという記事がありました。
地球から月までが大体38万キロ、木星までが8億8600万キロ、海王星はその約5倍の43億~46億キロ離れているそうで、本当に想像を絶する旅なのだなと思い知り、宇宙の広さに改めて目が眩みました。
ELISHという名らしいその探査機は、今、どこに進んでいるのでしょうね。
(色々検索しましたが、今現在どうなっているのかはわかりませんでした)
いつも、書き終えてから気づくことばかりで。
彼らのように、言葉や文章に作り上げ、どこかに発してこそ、自分で気づくのだと、
自分で書いて彼らの言葉とした文章の意味を逆に分からされることばかりで、
一つ一つを発したり終わらせたりしないと、自分は何も気づけないのだと、良くも悪くも思い知らされる日々でした。
他にも、今作を書いていく中で学べたことが驚くほど多く、貴重な経験ができたと思います。
「アストロナウト」を書き始めた当初はここまで星や宇宙を意識した書きはじめではなく、
綺麗だな、ということはあっても、夜空の星空に何かを重ねることなんで、重ねるべき思い出も無く、何の思い入れも無いものでした。
ただ、「アストロナウト」を書き始めてから、ベランダから見える夜空や、いつも同じ位置にある一つの星などを意識し始め。
夜空の星の輝きや、その輝きを誰かに重ねていくという行為も、その一端を学べたように思います。
それまで大した価値の見出せていなかった夜空を、ぼんやりと眺める時間が増えました。
ここまで読んで頂けた方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。
今後、今作について誤字の訂正や、この後書きへの追記くらいは行うかもしれませんが、
追加のエピソード等を書く予定はありません。
拙い作品ではありますが、読んで頂いた方に、小さくとも輝きを与えられていたら良いなと、願っています。
最後までお付き合い頂き、本当に、ありがとうございました。