ラクスの街。
どこかの言葉で葡萄を意味する名前を持っているその街は、葡萄の生産で有名だ。
果樹園やその付近にあるワイナリーでは葡萄が売り出されている。
夏野菜に並んで葡萄が多く売られている市場は見ていて斬新だ。
「物珍しそうな顔してるね~」
夕暮れ時の市場。ぼんやりと周囲の様子を確認していたら、ピサールに指摘されてしまった。どうやら表情に出ていたみたいだ。
「あまり街には降り立ちませんから」
「そうなの?」
「はい、人が多いところはあまり得意ではないので」
酒場への道を歩きながら、会話をしていく。
無難な言葉を選ぶことはそれなりに慣れている。問題なくコミュニケーションはとれているだろう。
市場は夕暮れ時でも人が賑わう。
大きな声でおすすめの品を買わせようとする商人などで盛り上がってもいる。そういう空間はどうにも苦手だ。
「よく酒場に来てくれたよね」
「しつこいようですがお金の為です」
「足りてないの?」
「いつでも取り出せる資金があった方が安心できるので」
「なるほど~」
別に特別お金に困っているわけではない。
単純にいざという時に使えるお金は持っておきたいというだけだ。
病気などのトラブル、厄介事の解消にはお金が役に立つことが多い。
それに、断って面倒事の種を増やしてしまうのも嫌だった、という部分もある。
「酒場は静かなんですか?」
「時期によるかなぁ」
「そういうものですか」
「うん。仕事納めの休日前とかはどんちゃん騒ぎしてる人もいるし、休日中にたっぷり呑んでる人もいるかなぁ」
「トラブルは」
「基本的にはないわよ? あっ、でも悪酔いした人がいたらそれとなく帰ってもらってるけど」
「そういう人もいるんですか……」
「まぁ、いっぱい飲みたくなる気持ちはわかるけどね~」
にへらと笑う彼女。
お酒は嗜む程度にしか飲まない私からすると、その気持ちはよくわからない。
呑みすぎは節度を保てていないと感じる。
「到着までまだかかりますか?」
「うん、色々話す余裕はあるかもね」
「でしたら、酒場の質問しても問題ないですか」
「いいわよ? 仕事仲間になるんだし、適当な質問してみて~」
初対面から思っていたけれど、かなり独特なペースだ。おっとりさも感じる。
ただ、それに影響すぎてはいけない。気持ちを切り替えながら、質問をしていく。
「音楽は普段の通りに演奏すればいいのでしょうか」
「ミストルティンは演奏会とかしてるんだよね?」
「はい、独奏しています」
「意外と目立つ音楽の形ね?」
「……否定はしません」
独奏の性質上、竪琴の演奏中は視線が集まってくることが多い。
音を途切れさせないように、旋律を奏でさせているのもあって普段の演奏はやや主張は強いかもしれない。私らしくないけれども。
私の返事に対して、ピサールはうーんと声をあげた後に、返答した。
「目立たない演奏みたいなのはできる?」
「その方が好みなので問題ないです」
「楽譜とかもあるの?」
「あります」
「なら、問題ないと思う~」
こくりと、頷きながらピサールが続ける。
「マスター曰く『酒場の主役は基本的に呑んでいる人。その人の心に寄り添う音楽を提供してあげるのが酒場の音楽家の仕事』らしいからね」
「つまり、主張せず支えると」
「そういうこと。どういう音楽の雰囲気がいいかは実践も兼ねて私が演奏したりするからそれに合わせてくれると助かるかも~」
「はい、わかりました」
それならばわかりやすい。
自分が主張する形より、寄り添う形でいい。なかなかにありがたい。主役のように立ち振る舞うのはあまり得意ではない。だから、話を聞いている限りではやりやすそうに思える。
……酒場全体が、陽気すぎなければ、だけれども。
「他になにか質問ある?」
「食事や休憩、仕事時間についてでしょうか」
「夕方過ぎから深夜にかけて営業してる酒場だから、仕事時間はその時間たっぷり。仕事中の休憩は何曲か演奏したらかな。下がって休める。で、食事についてはまかないみたいな感じでお店で出してる料理がでる感じ~」
「なるほど、覚えておきます」
酒場の音楽家として音を奏でるのが私たちの仕事になるということか。
これもわかりやすくて助かる。
「あっ、午前中とかは清掃やったりするよ」
「清潔さは大切ですからね」
「夜になるまでは秘蔵の葡萄酒も呑めちゃう!」
「それは……味わうのは考えておきます」
「え~、美味しいのに」
誘われたら呑むくらいでいいだろう。
お酒にどこまで強いかはわからないし、酔っている姿はあまり他人に見せたくはない。
「ありがとうございます。質問はもう大丈夫です」
「そっか。なら、ミストルティンに質問してみたいかも?」
「私に、ですか?」
興味を持たれるようなことがあったのだろうか。
身構えながら彼女の言葉の続きを待つ。
「ミストルティンは、なんで音楽してるの?」
「私の音楽の理由……」
「言いずらいなら別にいいけど、気になっちゃって~」
単純な好奇心で聞いているのだろう。
深刻そうな雰囲気ではない。
少し考えて、答える。
「技術として習得して、それがたまたま仕事になってるだけです」
「始めたきっかけとか」
「……考えたことなかったですね」
気が付いたころに音楽に触れていて、流れるように森で音を響かせるようになっていた。それだけだ。だからこそ、音楽をするのに特別な理由はない。
「なるほど、流れゆくままに竪琴を弾くかぁ。なんか吟遊詩人っぽいね?」
「そういうものでしょうか」
「うん、わたしはそういうのもいいと思うよ?」
吟遊詩人。
あまり見に覚えがない響きだけれども、不思議と嫌な感じがしない。
どこか自然的だからだろうか。
「そういうピサールさんはどうしてピアノをしてるんですか?」
「へ、わたし?」
「少し、気になりましたので」
他人のことにあまり関心を持つことが少ない私がこう尋ねるのは珍しい。自分でもそう感じる。けれども、純粋に聞いてみたかったのだ。きっと、音楽を一緒に奏でるという縁を感じたからかもしれない。
私の問いかけに対して、ピサールは笑いながら答えた。
「葡萄酒がいっぱい呑めそうだったから」
「……はい?」
「ラクスの街の酒場に流れついた時、その葡萄酒に魅力を感じちゃったんだよね~」
「それで、独学でピアノを練習したんですか」
「指先は器用だったし、できるかなぁって思ってやってみたらできちゃって。それで酒場の音楽家になってお酒を呑める生活してるってわけ」
「……凄いですね」
皮肉ではなく凄いと思った。
これは天才肌というものだろう。普通の人はできるかもといってできるものではない。なにかしら才能があったというのはあるはずだ。私とは違うタイプだ。
目的の為に挑戦する。それも生き方として大切なものだろう。
「私のモットーは音を楽に奏でること。大変な曲を演奏する音楽家もいるけど、そういうのじゃなくて、楽に聞いてられる、引ける音楽を奏でたいなぁって思ってるの」
「音を楽に奏でる……」
「ミストルティンも音楽のモットーはある?」
「私のモットー、ですか」
これも考えたことがなかった。
少し悩んで、漠然とした答えを提示する。
「……安心できる音楽でしょうか」
「うんうん、それもまたいいよね」
「適当に流してませんか?」
「そんなことないよ? 安心して、音を楽に奏でたらいい感じになりそうだなぁって思ってた」
「本当か怪しいです」
「まぁ、それは音が証明してくれるということで」
「そういうことにしておきましょう」
酒場が見えてきて、会話がそこで止まる。
音を楽に奏でる。
ピサールのやり方も確かに良さそうな雰囲気を感じる。自分の奏でたい音を、楽な気持ちで演奏する。それができたら心地よく音楽を奏でられそうな気がする。
……そう考えるなんて、真面目な音楽家みたいだ。
ピサールに触発されて音楽のことを考える自分自身が、なんだか面白くて頬が緩んでしまった。