酒場にやってきた次の日の夜から私は活動することになった。
客足はそれなり。
男性に女性、様々な楽しそうな声が響いている。
「……うまくできるか不安ですね」
控室。ひっそりと弱音を口にする。
人前でこういうことを言うと不安を伝染させてしまいそうなので、こういう時にぼやくようにしているのだ。
休憩している最中もピサールの演奏が聞こえてくる。彼女の演奏はリズムが狂うこともなく、おっとりしたペースで進んでいく。長い間やっていることによる安定感もあるのだろう。ペースが狂うことなく、奏でられていく。
「変に比較されなければよいのですが」
こういった場で私が気にするのは、他人と比べられることだ。
音楽の場合、よっぽどのことがなければ同じように比較されることはないけれども、上手下手を判断されることはある。仮に私がピサールよりも上手だと言われても複雑な気持ちになるし、下手と判断されて悪印象を持たれるのもそれはそれで面倒だ。だからこそ、程よく満足させられる演奏をしたいものだ。
「……駄目ですね。もっとしっかりしないとです」
深呼吸をして気持ちを切り替える。
つい、後ろ向きなことを考えてしまうと止まらなくなってしまいがちなのが私の性質だ。そういう側面があるからこそ、少しは前向きになった方がいいとも自覚している。
ピサールの演奏が止まり、交代の時間が訪れる。
ここからは私の番だ。
扉が開き、彼女が葡萄酒を携え控室にやってくる。
「こうたーい、ミストルティン、応援してるよ~」
「休憩中にお酒を呑むのはかなり胆力がありますね」
「ふふっ、マスターからも許可されてるご褒美だからいいの~」
柔らかく笑うピサール。その仕草を見ていると緊張もほぐれるような気がした。
焦らず、音を奏でれば満足いく結果になるだろう。
そう思いながら、ゆっくりと楽器であるハープを運びながら控室を抜け出していく。
「マイペースにやればいいよ~」
「アドバイス、ありがとうございます」
「ミストルティンの演奏は綺麗だからね~」
「……ありがとうございます」
彼女なりに背中を押してくれているのだろう。急に褒められたけれども、悪い気持ちはしない。
控室を抜けだし、ピサールが演奏していたピアノの隣に、ハープを携えて移動する。
置かれていた椅子に座り、準備完了だ。
音の調整は予め控室で行ってあるから音程の狂いはない。気持ちの問題も、それなりには解決できているはずだ。
小さく息を吸い込んで、観客に向けて挨拶を行う。
「こんばんわ、新しく酒場で演奏することになったミストルティンです。得意な楽器はハープとなっています」
静かに、そして丁寧に、挨拶を行う。
こういう場面で卑下するのは相手に与える印象を下げてしまうので、なるべく表現としては控える。相手の期待値を自分から下げるのはよくない。
「皆様のくつろぎの時間を有意義なものにできたらと思っています。では、演奏していきますね」
小さく頭を下げて、楽器に意識を集中させていく。
失敗しませんように。そう思いながら、最初の音を奏でていく。
「おおらかな風……」
弦を指で弾いて、演奏を始める。
おおらかな風。それはゆったりとしたテンポが特徴的な曲で、森林を通る風を意識した、夜にちょうどいい楽曲となっている。
酒場の空気が落ち着いたものへと変わっていく。音楽の力か、それとも私の演奏形式が珍しいからか、お酒を嗜みながらバックミュージックであるはずの私の曲に耳を傾けている。
少し目立っているような感覚。主役にはなるつもりはないけれども、文句を言われることなく聞いてくれているという事実は悪い感覚は受けなかった。
一曲目の演奏が終わり、頭を再び下げると、拍手と声援が聞こえてきた。
「ゆっくりとした曲でお酒を嗜むっていうのも悪くないな!」
「もっと演奏してくれ!」
どうやら一定の評価は得られたみたいだ。
快く新しく曲を求められる。
これなら、演奏に集中しても支障はないだろう。
次の音楽を再び奏でていく。
「森の散歩道……」
少しだけテンポが速い、けれども慌てるような速さではない曲だ。
気持ちが少しだけ前向きになる、なにもないようで何かがある森の散歩を意識した楽曲で、普段は練習曲としても使っていることが多いものとなっている。
曲の印象が変化したからか、お酒を呑む人たちが会話を弾ませるようになっている。
演奏会と違って演奏中の会話は許されている。そういう事情もあって、会話が弾んでいるのだろう。音楽を聴く態度は空間によって変化するものだということが実感できる。
二曲目の演奏が終わり、拍手が再び鳴り響く。
ピサールとは違う演奏スタイルだけれども、しっかり受け入れてくれているみたいだ。ちょっとした安心を噛みしめながら、私は演奏を続けていった。
「お疲れ~、ミストルティン~」
客が全て帰った後の酒場。
のほほんとした様子でピサールが話しかけてきた。
「本日は店じまいですか?」
「うん、そうだね。お疲れ、みんな」
マスターがお疲れ様の気持ちとして葡萄酒とノンアルコールワインを渡してくれたのでありがたく受け取る。同然、私のはアルコールが入ってない。
「ミストルティンもアルコール入りの呑めばいいのに~」
「後日の仕事に響いたらよくないので」
「むしろ酔ってた方がうまくいくって~」
「本当ですか?」
「ほんとほんと~」
どれだけ本音かはわからないものの、ピサールはピサールとして真面目にやっている感じなのだろう。気負いしすぎず、のんびり仕事するという態度がなんとなくわかった。
「どう? うまくできそう?」
「無理な要求はされなかったので、安心できますね」
「そう、それならよかった」
マスターがほっとした様子で息をつく。
少し独特な雰囲気の酒場での仕事だけれども、それなりに馴染めそうな気がしていた。