それからの酒場の仕事はうまく動くことができていた。
特に厄介事が発生することもなく、平和に音を奏でる日々。
ピサールはリズミカルなボサノバを、私はゆったりとした自然的な音楽を奏でるという流れは受け入れられていったのもあって客足が増えてきている。
貰えるお金はなかなか悪くない。しばらく備蓄に専念していても問題ないくらいにはある。しかし、私は音楽を奏でることを続けている。
最初は言われてやっていることも多かったはずなのに、能動的に演奏する気持ちに変わってっているのだから不思議なものだ。
「……独特な空気がそうさせているのでしょうか」
夜の寝室、ひとりでぼやく。
厳格な雰囲気ではなく、朗らかで落ち着いた雰囲気の酒場。
酒場というともっと賑やかな印象があったけれども、私とピサールがいる酒場はそういった派手な一面はない。
音楽を嗜みながら、友人と会話して落ち着いた時間を過ごしている客が多い印象だ。
もちろん全ての客がそういうわけではないし、時に酔いが激しい人もいたりはする。その上でおおらかな空気になっていることが多いのだ。
「それとも、音楽の力?」
自分の演奏技術がどれほど影響を与えているかは正直なところわからない。
特別な能力があるわけでもないし、天才と呼ばれるような技術を持っているわけでもない。そんな私の演奏で、どれくらいの人が心を動かされているかは自分の力では推し量ることができない。
ただ、ここの酒場のマスターは言葉にしていた……
『実際に奏でられた音でしか感じられない楽しみもある。それを教えたいから、私の酒場では音楽を生演奏してもらってるんだ』
この言葉は、きっとマスターとしての信条なのだろうとは感じていた。
生演奏の意義。
そして、音楽の有意性。
まだ、それら全部を理解しきっていないものの、必要とされている事実は素直にありがたいと思っていた。
演奏を続けていたある日。
聞いていた客のぼやく声が聞こえてきた。
「なんていうか、ミストルティンさんの演奏はゆったりしてていいけど、欲も出てきちゃうんだよなぁ」
「わかるなぁ、ピアノ演奏してる姿も似合いそうだし」
「逆にピサールさんのハープ演奏も見てみたいな。案外面白そうだし」
「うまくやってくれないかなぁ」
そう、それは楽器交換の演奏について語る言葉だった。
私は、ハープ以外演奏したことがない。だからその提案は無茶ぶりのようにも思えた。
その日の仕事を終えたのち、控室でピサールとマスターに相談してみると……
「楽器交換の話題なんて面白いし、挑戦してみるのもいいんじゃない?」
「ちょっと面倒だけど、報酬のお酒が増えるならそれはそれでいいかも~」
このような感じに前向きだった。
私は新しいことへの挑戦に積極的になりきれず、俯く。
「どうしたの?」
「別に挑戦するのは構わないと思っています。ただ……」
「ただ?」
「……失望されるのでは、と思うと不安を感じてしまいます」
「失望かぁ」
マスターが考えるような仕草をとる。
新しい挑戦で成功して褒められるのであれば、それはそれでありがたいことなのはわかっている。期待されているというのも自覚している。ただ、期待が大きければ大きいほど、失敗した時のリスクも高まってしまっていると考えると怖く思ってしまうのだ。
私の気質の問題かもしれないけれども、新しいことに挑戦して、失敗してしまうのが怖い。
みんなが静かに黙っていると、ピサールがいつものようにゆったりとした笑顔を浮かべて、話しかけてきた。
「まぁ、いいんじゃない?」
「いい、と言いますと」
「他人からの評価を気にしすぎるのも疲れちゃうから、自分は頑張ったんだよーって一生懸命になれれば満足だと思うの~」
「自分は頑張った……自己肯定ですか」
あまり得意ではないことなので顔を背ける。
「うん、自分を認めてあげるのが大切。あとね、どんな評価があったとしてもミストルティンが笑顔になる方法はわたし、知ってるよ?」
「なんですか、それは」
ピサールが自身に指を差しながら、言葉を続ける。
「わたしが褒めてあげられる」
「……ピサールが、ですか?」
「うん、練習する時に教えるのはわたしだからね」
「そういうことですか」
頑張っている姿を知っている存在になれるということだろう。
練習を重ねている姿を知っているから、理解できる。そう彼女は言っている。
「……でしたら、私も教えた後はいいところを報告していきたいものですね」
「ミストルティンが褒めてくれるの?」
珍しい、と言いたそうな表情でピサールが驚く。
「褒めない人だと思ってましたか?」
「面倒な誉め方とかしそうだなぁって思ってたから」
「どんな評価ですか、それ」
「ふふっ、内緒。でも、素直に褒めてくれるんだったら楽しみかも?」
「なるべく善処します」
とにかく、これで話は纏まった。
通常の演奏とは別に、楽器交換で演奏することにも挑戦することになった。
「決まりだね、練習時間は午前中とかの開いてない時間でいい?」
「長すぎなければいいよ~」
「私も問題ありません」
「サービスで、練習中にも給料のボーナスは入れておくね」
「やった!」
「ありがとうございます」
マスターは何かと気を利かせてくれるから助かる。
ピサールもマイペースながら、やるべきことはやる辺り真面目な部分はあるのかもしれない。それぞれ性格は違うけれども、うまくやれている。この事実は素直にありがたい。
そうして私とピサールはお互いの楽器を交換して練習を行う日々を送ることになった。