客の要望に応じる形で、楽器交換の練習が始まった。
まだ、本番として酒場の営業時間に音を慣らすまでは上達できていないものの、少しずつ熟練できているような気はしていた。
「ミストルティン、ピアノはひとつひとつ丁寧に押しすぎるのも駄目だよ?」
「そうなのですか?」
「うん、次に弾く音にも指を運べるようにすら~っていかないと」
「……なかなか難しいですね」
最初は指の動かし方からの練習。
「黒い鍵盤がフラットやシャープの音なのは知ってるわよね」
「流石にそれは理解しています。楽譜が読めないわけではないので」
「それなら、ゆっくり慣らしていけばなんとかなりそうね~」
「両方の指を動かすのはなかなかに大変ですね」
「あはは、わかる~」
右手と左手で違う動きをするピアノ演奏まではすぐに到達することはできなかった。
ハープも両方の掌の指を使う楽器ではあるものの、ピアノとハープではやはり勝手が違う。慣れないことをやっているのもあって集中力をいつも以上に使う。
「ピサールはよく器用に指を動かせますね」
「ふふっ、指先は器用だからね~」
「それでなんとかなるものなんですか?」
「まぁね~」
相変わらずの微笑みを浮かべる彼女の様子はいつもと変わらない。
ただ、この練習を重ねていく間に気が付いたことがあった。
「ピサール、なかなか天才肌ですよね?」
「もしかしたらそうなのかも~」
「……尊敬します」
「どうも~」
そう、彼女は天才肌なのだ。
ハープで音を奏でる練習も少し教えただけでやり方を把握したり、それとなくメロディを奏でられるようになっていた。
まだたどたどしい部分はあるけれども、私のピアノ演奏よりは各段に上手だ。そういう一面を見ると、少しだけ自身がなくなってしまう。
「浮かない表情~」
「わかるものですか?」
「まぁ、酒場でくら~い表情してる人とか見ることは少なくないからね、わかるよ」
「そうですか」
表情に出てしまっているのならば隠す必要もないだろう。
そう思い、彼女の方を振り向き、話し始めた。
「少し、怖いのです」
「なにが?」
「必要とされなくなったらどうしよう、なんてことがです」
「あらら~」
きょとんとした表情になっているピサールに対して話を続けていく。
「ピサールの方が私よりもハープ演奏が上手になってしまったら、私の存在する意義がなくなってしまうのではないか、なんて考えてしまったりしているだけです」
軽く自分のことを笑いながら、言葉にする。
「ん~めんどくさい考え~」
呆れたような口調でそう言葉にするピサール。
そう言われるのもなんとなく予想できていたので、逆に安心してしまった。
「……自覚はしていますよ?」
「まぁ、ミストルティンはそういうところあるからね。めんどくさくない?」
「面倒ですね」
「うん、面倒」
面倒なことを考えている、と真正面からピサールに言われる。
変に取り繕った言葉ではぐらかされるよりは、そういう風にはっきりとそう言葉にしてくれた方がありがたい。
めんどくさいと言葉を発した後、ピサールはピアノの長椅子の隣に座って、語り掛けてきた。
「音の場合はね、個人によって音の発し方に違いがあるものだし、同じようにはならないと思うの」
「同じようにはならない……」
「ねぇ、ミストルティンは音を奏でる時、どういうことを考えてる?」
顔を覗き込むように近づけて、彼女が尋ねてくる。
それに対して私は、考えて返事をする。
「聞き取りやすい音、自然に調和する形の音楽を意識しています」
「わたしは自分が聞いてて、のんびりお酒が呑めそうだな~って音を奏でることを意識してる」
音によっての考え方の違いを如実に感じて、思わず笑ってしまった。
「前に音を楽に奏でるとは言っていましたが、わかりやすいですね。ピサールは」
「ミストルティンだってわかりやすいよ? 環境音とか好きなんだなぁっていうのが伝わってくるし」
「自然と調和する音が好きなだけです」
「わたしの場合、それがお酒ってワケなんだね」
「全然違いますね」
「違いすぎて面白いかも」
「そうですね」
しばらく微笑みあって、気持ちも落ち着いてきた。
そう、変に思い悩む必要はなかったのだ。
「そうなると、客の方が求めている音がわかってきた気がします」
「わたしの場合はお酒に合いそうな音楽をハープで奏でる」
「私は、自然に会うようなゆっくりした音をピアノで奏でる……」
「目標が現れてきたんじゃない?」
「それならば頑張れそうな気がします」
漠然とした状態で音の練習をするよりは、やるべきことを見つけた方がうまく活動しやすい。それはどんなことだって同じだ。
「ピサール、私に合いそうな曲はありますか?」
「マスターが楽譜集め趣味だからあるはずだよ。ちょっとゆったりめの曲を捜してみようか」
「よろしくお願いします」
「ミストルティンは用意できる? わたしに合いそうな……こう、お酒とかに合いそうな曲!」
「普段酒場で演奏している曲をアレンジしてややテンポを上げたりすればいいのかもしれません。演奏速度によって聞こえ方が変わりそうな曲はいくつか用意してますので、その楽譜を参考にしていただければ」
「わかった~、のんびり頑張ろうかな~」
マイペースなピサール、そしてめんどくさい一面を持っている私。性質は全然違うかもしれないけれども、うまく連携ができている。
その事実が存在していることは不思議だったけれども、悪い気持ちはしなかった。
「お互いの楽器の性質を理解した後は、やってみたいことがあるんだよね~」
「同じく私も気になっていました、そちらの方も練習しておきますか?」
「さんせ~い。珍しく気合入れちゃうよ」
ピサールから私はピアノを学び。私はピサールにハープの奏で方を教える。
全然違う楽器を、まったく違う性格のふたりが学ぶ。
独特な時間が繰り返し流れながら、8月の日々は流れていった。