練習を重ねて、ついに酒場で演奏することになった私たち。
控室には相変わらずの様子でのんびりしているピサールの姿があった。
「緊張してる? ミストルティン」
「ここでしないと言えたら随分な胆力があると思いますが」
「ふふっ、そうよね~」
酒場に置かれているピアノの音のチューニングは確認済み。
控室にある私のハープは私の手で音を調整してある。
「まさか別の楽器を演奏することになるなんてね、ミストルティンがやってくるまでは想像もできなかったかも」
「それは面倒だからですか?」
「うん、覚えるのも大変だし、教わるのもめんどくさそう~って思ってたからね」
「ピサールらしいです」
彼女らしい会話に緊張が少しほぐれる。
そこまで気負いしすぎなくてもいいのかもしれない。
「正直なところ、ミストルティンもそんな感じだったんじゃないの?」
「……そうですね、認めます」
「やっぱり」
「教わったりするのが嫌い、というわけではないのですが失敗を繰り返して失望されたりするのは嫌だと思っていたからこそ、独学で色々研究していたので」
「ピアノの練習は大変だった?」
「大変でしたが、いい教え方をしてくれましたので苦しくはなかったのですよ」
「へ? そんなに真面目に教えたっけ」
「感覚に訴えかけるような教え方でしたね。なにかとわかりやすかったです」
「ん~、適当だったんだけどなぁ。ま、ミストルティンが満足してるならそれでいっか」
あっけらかんとした表情でそういうピサール。……やはり彼女は天才肌なのかもしれない。
適当に教えて、私を成長させているあたり、それを感じる。
「私の教え方は雑ではなかったですか?」
「丁寧だったね~」
「ありがとうございます」
「弦を弾く強さとかは積極的に教えてくれてたけど、細かい技術みたいなのは詳しく説明してなかった印象?」
「面倒だと言って途中から話を聞かなくなりそうだと思ってましたので」
「気が利く~」
「実際、細かく指摘していたら面倒だと言ってやる気をなくしていたのでしょう、ピサールは」
「まぁね~」
おっとりしている部分もある彼女だけれども、その性質はわかりやすい。なんだかんだでめんどくさがりやなので、要所要所を抑えて教えた方が効果的だった。
実際のところ、音の奏で方を把握したのちは、そこまで細かい技術を教えなくても音楽を奏でられるようになっていた。
雑談を繰り返していたら、酒場の準備が完了していたみたいで、マスターが私を呼びに来ていた。
「まずはミストルティン、出番だけど大丈夫?」
「はい、やれる限りをやってみます」
「それならよし。行こっか」
「適当に頑張れ~」
ピサールの緩い応援を受けながら、私は酒場のピアノに向かう。
練習の時より、気が引き締まる。
客席には美味しくお酒を嗜んでいる人がいっぱいいる。
その人達の気持ちを害することなく、私らしい演奏を行うのだ。
うまくいきますように。そう心の中で願いながら、着席する。
小さく深呼吸。そして、ピアノにゆっくりと指を伸ばす。
「夜の晩餐……」
最初の音をゆっくりと弾いて、それから連なるように音を重ねていく。
ピアノは間違えるとはっきり間違った音が響いてしまうので、丁寧に奏でることを意識する。
『夜の晩餐』は、ピサールが持っていた楽曲の中でも比較的緩やかなテンポが特徴的な楽曲だ。穏やかにお酒を嗜む時にちょうどいいリズムを奏でられるはずだ。
ひとつひとつの音を響かせて、練習を重ねた成果を発揮していく。
問題ない、しっかり演奏できている。
一曲目の演奏が終わり、音楽を奏で終えると、拍手の音が鳴り響いた。
小さくお辞儀をして、次の楽譜を用意する。
これもピサールが用意してくれた楽曲だ。
「次の曲は」
両方の腕を構えて、演奏準備を整える。
大丈夫、うまくできる。
「酒場の賑わい」
タン、タン、タンという小刻みよいリズムを刻むようにピアノの音を奏でていく。
ピサールが得意とする、ボサノバの曲調の音楽だ。
定期的に、両方の指で音を重ねる場面が存在しているのもあって、難易度はこの曲の方が高い。しかし、それでも私はこの『酒場の賑わい』という楽曲を選んだ。その理由は、私がこの曲を選ぶということそのものに意味があると思ったからだ。
私が普段やらないような楽曲に挑戦する。それは、意表を突く行為だ。お客さんにしても、私にしても、なにもしてなかった時期には考え付かなかった行動。それを形にしたならば、なにか変化が訪れるはずだ。そう信じて、演奏する。
重ねる音の場面が続く。
一回目は成功。
二回目も、成功。
三回目は失敗。少し音を鳴らすタイミングがずれてしまった。
しかし、それでめげるわけにはいかない。音を途切れさせないように先に、音を進ませていく。
四回目、成功。そして続く五回目を成功させて曲は無事に最後まで演奏できた。
……うまくできた。
心の中で安堵する。
後半の指使いは不安だったから、うまくいかないかもしれないと考えていたからだ。
結果は良好だったので、安心する。
この調子なら、多くの曲を奏でられる。
私は、酒場のピアノで繰り返し演奏を行うことはできた……
「お疲れ、次はわたしの演奏だよね?」
「はい、応援してます。控室からですが」
「そのあとお楽しみ演奏があるから、わたしはゆっくりやってるね~」
「無理のないように」
「はいは~い」
控室に戻ったのちはピサールと交代をすることになる。
私のハープを持ちながら、彼女は酒場の演奏場まで赴いた。
「うまくできてるといいのですが」
軽くお茶を飲みながらピサールの演奏を耳にする。
そうすると、聞き覚えのある曲が届いてきた
「おおらかな風」
そう、酒場で演奏したこともある『おおらかな風』だ。
私が普段演奏している曲を、ピサールが今、演奏している。なんだか新鮮な気持ちになれる。森林を通る風を意識した、夜らしい楽曲はピサールの演奏方によって、ゆったりとした空気の楽曲へと変わっていく。
彼女のリズムの取り方が独特なのもあるだろう。
ピサールはメトロノームのような、一貫したリズムを刻む演奏をすることが少ない。気分によって速くしたり遅くしたりするのが特徴的だ。
その印象的な演奏方法も手伝って、自然の自由な感じを表現できているように思えた。
「こういう演奏方法もあるのですね」
ピサールの奏でる私の音楽に耳を傾けて、ゆっくり休憩を取る。
自分の曲を客観的に見ることで見えてくるものがある。それはきっと日常でも同じことなのだろう。ピサールとマスター。私とは性質が違う存在の人たちと出会うことによって、自分を見つめ直すきっかけが増えた。世界も広がった気がした。
新しい私を見つめるきっかけ。それを発見できたのはこの酒場だ。
感謝もいっぱいある。
「……もっと、練習しないと」
曲を素敵だと言ってくれた友達がいる。
拍手で私を迎えてくれたお客さんがいる。
そして、何よりも、もっと頑張りたいと思う私自身がいる。
新しいことに挑戦したいという気持ちを強めるには十分だ。
友達が奏でる私の曲を耳にしながら、新しい未来のことを私は考えていた。
「ミストルティン、本番いけるよね?」
そして、休憩を挟んだ控室。
ノンアルコールワインを嗜む私にピサールが問いかけてくる。
「大丈夫です。しっかりと演奏できますよ」
いい演奏を聞かせてもらったのもあって、気合は十分入っている。
ピサールもさっきまで演奏していたけれども、まだまだ表情は明るい。
「じゃあ、次は観客を沸かせちゃおっか」
「テンションが高いですね」
「ふふっ、たまにはそういうのもいいんじゃないかな~ってね」
「なるほど」
「ミストルティンも、熱が入ってる気がするけど?」
「……頑張りたいって思えましたから」
「そっか。なら、一緒に綺麗な音を奏でよう~」
「はい、そうしましょう」
控室から抜け出し、お互いがお互いの得意とする楽器の元に戻る。
ピサールはピアノに、私はハープに。
それぞれが準備を整える。
「ミストルティン」
「いけます」
「じゃあ、始めよっか」
「酒場の賑わい……」
ピアノの音がまず先行して、それにハープの音が重なっていく。
ふたつの楽器の二重奏だ。
ピサールが奏でる自由なリズムに、私もゆったりと音を繋げる。
自然的で、それでもどこか文化的な音楽が酒場全体に響き渡っていく。
『酒場の賑わい』は酒場で二重奏用に準備した曲で、要所以外の楽譜は決めていない。つまり、即興で音を奏でる音楽となっている。
ピサールが奏でるフレーズに合った音を選び、奏でる。
お互いに好みな音を見つけては、創り上げていった曲となっている。
音楽としては独創的な部分が多いのかもしれない。けれども、ピサールの天才的な感覚があったからこのやり方がうまくできるようになっていた。彼女は「私も他人を支えるように音を出すの得意だから、こういうやり方ができたんだよ」とも言っていたけれど、そこまで私が貢献できていたかはわからない。
ただ、音楽として形にする以上、やれる限りのことは精一杯やってみたいとは思っていた。後悔をしないように。
やがて、曲が終わると、客席からは、大きな声援と拍手が響いてきた。
仕事しているマスターも笑顔で拍手している。
「うまくいったね、ミストルティン」
「ピサールのお陰です」
「謙遜しないの、ミストルティンも頑張ったんだから」
「……ありがとうございます」
ふたりで作り上げた成果。それが今回の演奏なのだとしたら、こういった形式の演奏を繰り返すのも悪くはないと思えた。
客席からアンコールの声が響いていく。
サプライズ演奏だったけれども、まだまだ演奏が聞きたいみたいだ。
「ミストルティン、いけるよね」
「ピサールも問題ないですね」
「もちろん、後で満足なお酒を呑む為だったら、頑張っちゃう」
「わかりやすいですね」
「ふふっ、それがわたしだから」
「私も頑張りますよ。求められてる以上、声援には応えないといけません」
「プレッシャーにならないようにね」
「わかってます」
再び、別の異なる曲を二重奏で奏でていく私たち。
ひとりで演奏するだけではない、音楽を奏でるということ。
そして、楽しく音を奏でている事実。
気持ちが楽な不思議。
それらが合わさって、音楽が素敵だということを感じ取らせてくれる。
ここにやってきてよかった。そう心から思えた瞬間だった。