ARIA 蒼い惑星のエルシエロ アフターストーリーズ 作:DOH
Graceful Way 01 ここにいる私、ここにいない私
目を覚ますと、私はいつもの病室のベッドの上だった。
変わり映えのない世界。灰色の世界。私の人生は、ほとんどが病室でできている。
誰かと撮った写真もない。何処かに行った事もない。ちょっと回復して学校に行っても、そこには誰も知った人はいないし、気がつけばまた病室に逆戻りしている。
退屈だった。
悔しいとか、悲しいとか考えることも、もう飽きてしまった。
自分がそういうものだということを、悔やんだり、悲しんだり、憎んだりするのも、とっくに飽き飽きしていた。
ただ、この退屈を紛らわせるための何かを、求め続けていた。
だから、私はいつも眠っていた。
眠っている間、私は夢を見る。広い世界、ここではないどこかで、大切な人達と笑い合う夢。
遠いあの黄昏の星で、妖精達の一人になって、素敵な日々を過ごす夢。
あの夢が現実だったなら、どんなに良いだろうか。
だから、私は現実を放棄した。
目を閉じて、全てを拒絶して、夢の中へと飛び込んだ。
※
「……という夢を見たんですよ」
憂鬱な気分を胸からいっぱいに吐き出して、私ことアニエス・デュマは、口から吐き出した憂鬱のかわりに、よく煮えたしめじを放り込んだ。
熱い。でもこの歯ごたえがなかなか。醤油ベースの出汁がよく染みこんでいて、口の中にじんわりと旨味が広がる。
「あれだな。ボクッ子よ。それはきっと今のこっちが夢で、あっちが現実なのだな」
はぐはぐとえのきの束を咀嚼して、ごくんと飲み干してから、暁さんがそう言った。
「えぇ~、あっちが私のリアルですか? 勘弁してくださいよ~」
意地の悪い事を言う暁さんに、私はぷんむくれた。仕返しに、暁さんの箸が伸びる先のまいたけを、とんびのように素早く掬い上げる。
「あ、こら、何をするボクッ子。それは俺様が育てたマイタケ」
「いいんです。暁さんが言うにはこれは私の夢なんですから、私が勝手にしていいんです」
ぷいっと顔を背ける私。まあ、暁さん相手なら大体こんなものだ。暁さんは口が悪くてすぐ人をからかうけれど、ちょっとお返ししても笑って済ませられるような、そんな気安さがある。
「はひ、もしそうだとしたら……」
私達のやりとりに何かインスピレーションを刺激されたのだろうか。私の隣で灯里さんがぴっと指を立てた。
「そうだとしたら、暁さんも私も、アニーちゃんの夢の妖精ですね」
「……もみ子よ、恥ずかしい台詞は禁止だ」
「えぇ~~っ」
重々しい顔でそう突っ込む暁さんに、灯里さんがいつもの顔で抗議の声を上げる。そんな二人の様子に、私と暁さんの隣に座るアルさんは、揃ってぷっと吹き出していた。
いやはや、まったくもって、いつも通り。
そんな『いつも』が、アクアにやってきて、ARIAカンパニーに入社して、先日ついにシングル昇格を果たした……そんな歴史を辿ったアニエス・デュマの日常だった。
今日は会社は休日。アリシアさんはどこかに出掛けるらしく、私は先輩である灯里さんと一緒にお昼前までごろごろした後、二人で買い出しを兼ねた自主練に励んでいた。
その帰り道、私達は大きな荷物を抱えた暁さんとアルさんに出くわした。何でも、地下世界のアルさん達の買い出しを、暁さんが手伝っていたらしい。
なぜ暁さんがアルさんの買い出しを手伝っているのかといえば、それは昇格試験のための勉強を手伝わせていた代償だったらしい。しかし人手が多いことに油断したアルさんは、ついつい自分の舟に載せきれない程の買い物をしてしまったのだという。
「何だかあの時みたいですね」と、灯里さんが笑いながら手伝いを申し出た。何でも、灯里さん達がアルさんと出会ったのもこんな風だったらしい。買い出しのし過ぎで舟に置いて行かれたアルさんを、灯里さんが地下世界まで送って行ったのが切っ掛けだったのだという。
更に、当時灯里さんは暁さん、アルさん、ウッディーさんの三人に別々に知り合っており、後のレデントーレにお誘いした時、初めて三人が幼なじみだったことが発覚したのだというのだから。
恒例のお友達搭乗で荷物を運ぶ道中、そんな思い出話を聞いた私は、思わず十八番を口に出していた。
「それはすごいミラクルな奇跡です!」
「ふふ、そうかも知れないねー」
「あはは、そういうことなら、そのミラクルな奇跡にあやかって、また皆さんに御馳走しましょう。そろそろ鍋の季節も終わりですからね」
「おおっ、アルよ。それはもちろん俺様にも」
「暁くんは自分で払ってください。全員分払わされても文句は言えない立場ですよ?」
というようなやりとりの結果、買い出しの荷物を地下に届けた私達は、地下世界では数少ない行きつけのきのこ鍋屋さんに案内され、お鍋を御馳走になっている……というわけだった。
「胡蝶の夢という古い古い詩がありますが、ちょうどそんな感じですね。蝶になった夢と、現実の自分。どちらが本物なのかという考えは間違いで、どちらも等しく真実である、という意味なのだそうですが」
アルさんが、しいたけをつつきながら難しい事を言った。
その言葉に、私は思わず呻いた。あの夢の中の私と今の私、どちらも真実だとしたら……それはあまり歓迎できる事ではない。
時々見る他の夢……あの運命の三分岐で、姫屋やオレンジぷらねっとを選んだ私ならばいい。でも、今朝の夢のような――永遠に病室に閉じ込められているかのような、そんな私はまっぴらだった。
「この宇宙には、僕たちに見えないだけで、いくつもの平行した世界があるのだそうです」
アルさんがそう言うと、隣でしいたけをほお張っているアリア社長が、なぜかびくんちょと身を竦ませた。
「僕たちに見えている世界は、僕たちが見ようとしている世界だけ。でも実際には、僕たちが見ようとしていないだけで、ここにはもっと多くのものがあって、僕たちの知らない世界が隠れているかも知れない。
例えばそれは、アニーさんがアクアに来なかった世界。アニーさんがアクアじゃなく、もっと遠くまで飛び出した世界。アクアに来たけど僕たちと知り合わなかった世界。そうそう、僕たちの性別が反転してるなんて世界もあるかも知れませんね」
「……アルよ。もみ子達が男はともかく、アリシアさんが男というのは想像したくないし、俺達が女なんてのは違う意味で想像したくないんだが」
暁さんがげっそりした顔で言うのに、アリア社長が何故か激しく首を縦に振っている。理由はわからないけど、アリア社長も男の子、一緒にいるのは女の子の方が良い……とかそんな感じなのだろうか?
「でも、暁さん。私達が男の子なのはともかくっていうのはどういうことですか」
「ボクッ子よ。それは聞かない方が恐らく身のためだ。間違っても大して変わらんとか思ってはいないからな?」
からからと笑う暁さん。どうやら暁さんの中では、私は未だに男の子みたいな女の子だという認識が改められていないらしい。まあ、そもそも私は自分のことをボクなんて呼ばないのに、未だに暁さんからのあだ名は『ボクッ娘』な訳で、彼がそのあたりの認識を改めるつもりが全然ないというのはなんとなくわかるけど。
ぷんむくれた私は、無言で暁さんの箸先から、鳥肉やえりんぎを奪い取ってはアリア社長のお皿に取り込んだ。
「あっこら、ボクッ娘よ何をするか」
「あはは、アリア社長、美味しいですか~?」
「ぷい、ぷいにゅっ」
暁さんの抗議は完全に無視。アリア社長は万歳をしてから、私が取り込んだ具材をうまっうまっと平らげる。普通の猫は猫舌だというけど、アリア社長に関してはあまり気にしていないっぽい。
そんな私達の様子を、灯里さんとアルさんが楽しげに笑って見つめている。私も何だか無性におかしくなり、作った笑いの奥から自然な笑いが零れ出してくる。そんな様子を情け無さそうな顔で見る暁さんも、ふっと口元を緩ませた。
ああ、幸せだ。私はそう思った。
あの夢のような、灰色の世界じゃない。こんな素敵な人々に囲まれて過ごして行ける、色とりどりの毎日。
そんな素敵な日々を、どうして幸せじゃないと言えるだろうか。
地下世界からの帰り道。暁さんを浮島行きロープウェイまで送って行ってから、私達は会社への帰途についた。
その途中、灯里さんがふと、櫂を握る私を見上げて言った。
「暁さんは、私達が男の子でも女の子でも、気兼ねなしに付き合えるって言いたかったんだよ、きっと」
「……えー、そうでしょうか?」
「そうだよ、きっとね」
疑問符を返す私だけど、灯里さんのいつもの素敵な笑顔を前にすると、そんなものかもしれない、と何となく納得してしまった。
「そうかも、しれませんね」
「うんっ」
くすくすと微笑みを交わして、私は櫂を更に手繰った。
すっかり薄暗くなった水面の向こうに、ARIAカンパニーの明かりが見えていた。
時は戻り、ARIAカンパニー編、開幕です。
本編はARIAカンパニーで灯里の薫陶を色濃く受けたアニエスということで、ネオ・ヴェネツィアの人々との接点が倍増しています。
本章の表題は、ゲーム『蒼い惑星のエルシエロ』の主題歌のタイトルです。このタイトルで検索すれば、動画などでも発見できるのではないでしょうか。
本編はARIAカンパニー編ではありますが、灯里の描写についてはやや少なめです。なぜそうなっているのかは、読み進めていただければご理解いただけるかと思いますが……どうかな。