ARIA 蒼い惑星のエルシエロ アフターストーリーズ   作:DOH

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Graceful Way 03 ピクニック日和

 いつの頃からか、私の病室には、誰も訪れなくなっていた。

 

 お父さんもお母さんも、私と距離を置くようになってしまった。

 

 私を病院においておくために、ずっと無理をして働き続けているのだと、頭ではわかっている。だけど、時々しか顔を出さず、お定まりの心配顔をぶら下げて現れる二人に、私が罵声を飛ばして傷つけてしまうからだ。

 

 友達と言える人は、みんな何処かに行ってしまった。理由は両親と同じ。

 

 いや、そもそもそんな人は、何処にもいなかったのかも知れない。

 

 だって、私は。

 

 誰かに会えば当たり散らし、心ない言葉を叩きつけるような、どうしょうもない子なのだから。

 

 いつからこうなってしまったんだろう。

 

 どうしてこうなってしまったんだろう。

 

 こんな私は、嫌だ。

 

 こんな私は、いなくなってしまえばいい。

 

 だから、私は目を閉じた。

 

 歌声が誘う眠りに任せて、こんな醜い私がいるこの世界を閉じて、夢の向こうに心を飛ばした。

 

 

 

 

 ゴンドラ協会の会合にお出かけするアリシアさんを見送って、しばし。

 

「カメラよーし!」

「ぷいにゅー!」

 

 そんなかけ声と共に、灯里さんがアリシアさんから借りたカメラを掲げた。

 

「お弁当よーし!」

「ぷいぷいにゅー!」

 

 私も負けじと、お弁当籠を掲げてみせる。早起きして、灯里さんと一緒に作ったものだ。

 

「「お天気よーし!」」

「ぷいにゅー!」

 

 最後は声を揃えて、天を仰いだ。

 

 空は真っ青で、雲は真っ白い塊がぽつぽつと控えめに浮かんでいるだけだった。海の青、空の青。遙かなる青。ARIAカンパニーを象徴する青と白が、世界を包み込んでいる。

 

「絶好のピクニック日和だねー、アニーちゃん」

「はい、そうですね灯里さん!」

 

 灯里さんと笑い合う。夢見が悪くて憂鬱だったけど、こうやって笑えばそんな気分も吹き飛んでしまう。

 

 今日は言うまでもなく、ピクニックの日。ネオ・ヴェネツィア内外の素敵スポットを巡って、記念写真を撮って回る。空も、風も、海もみんなピクニックに味方してくれたかのように上々の具合で、ただ笑い合っているだけでテンションが底上げされていく。

 

「そこ、朝っぱらから騒々しいの禁止」

 

 こんな素敵な気分に、いいタイミングで水を差す藍華さん。見ればその後ろには、一緒にやってきたのだろう、アリスちゃんの舟も見えた。

 

「おはようございます、灯里先輩、アニーさん。二人とも、朝からでっかい素敵モード全開ですね」

「うん、もっちろん!」

 

 軽やかに、アリスちゃんに是を返す。当然だ。だって、こんないい天気で、こんな素敵な先輩達と一緒にピクニックに出かけられるのだもの。テンションが上がらないはずがない。

 

「それじゃ、全員揃ったことだし、レッツらゴー!」

「おー!」

 

 灯里さんのかけ声と共に、私たちは舟を漕ぎ出した。

 

 

 

 

 撮影ツアーは、掛け値なしに最高のものになった。

 

 天候に恵まれた私たちは、次から次へと思い出の場所や、最近覚えた新しい素敵スポットを巡っては、満面の笑顔の私たちを写真に焼き付けて回った。

 

 特に、私が知らないうちにみなさんが教わったという、水没した修道院は最高だった。まるで神殿のように静謐な空気の回廊を抜けて、その先にぱっと広がる庭園。そして、その奥に眠る、中天から注ぐ日の光に一杯に葉を広げた、まるでまさしく聖域のような佇まいの木。

 

 どうしてこんな素敵な場所を教えてくれなかったのかと問えば、何でも私が雑誌に掲載されて忙しくなっていた時期に知った事だという。それでは私には文句を付けることもできない。あの頃は、本当に皆さんに多大な負担をかけてしまっていたのだから。

 

 更に驚くべき事には、アリシアさんや晃さん、アテナさんの《水の三大妖精》が途中でツアーに合流してくれたのだ。

 

 この七人(と猫社長三匹)が一同に介するのは、随分久しぶりの事だった。もしかしたら、全員が揃ったのは、くだんのサイレン事件の終わり、アンジェさんを見送ったあの日以来だったかも知れない。

 

「会合が思った以上に早く終わらせられたの」

「で、私たちも運良く時間がとれそうだったからな。可愛い後輩達が終始遊び呆けないよう釘刺しに来たという訳だ」

 

 悪戯っぽく微笑むアリシアさんに、こちらもちょっと意地悪く笑う晃さん。アテナさんの方は「何々、これって何の集まり?」と、一人事情が分かっていないようで、きょろきょろと周囲を見回しては、アリスさんにめっと釘を刺されている。

 

「ありがとうございます、皆さん」

 

 柔らかな風がそよぐ木陰で、お昼御飯にお弁当を広げている中、私はその場にいる素晴らしい人たちに、感謝の想いとともに頭を下げた。

 

 私のために、こんな素敵なイベントを企画してくれた灯里さん、藍華さん、アリスちゃん。

 

 忙しい中の時間を縫って、顔を出してくれたアリシアさん、晃さん、アテナさん。

 

 もちろん、いつも一緒のアリア社長にヒメ社長、まぁ社長も。

 

 こんな素晴らしい時間と、こんな素晴らしい人々が集った、まるで奇跡のような光景。

 

 その姿を、私は写真にはもちろん、心にしっかりと焼き付けた。

 

 

 そんな素晴らしい時間は、本当に瞬く間に過ぎてしまった。

 

 多忙の合間を縫って顔を出してくれた晃さんとアテナさんは、それぞれ藍華さんとアリスちゃんを伴って、会社に戻っていった。午後の仕事に助手が必要になったのだそうだ。

 

 後には、アリシアさんと灯里さん、アリア社長とこの私、アニエス・デュマが残された。

 

「アリシアさんは、午後はお仕事ですよね?」

「うーん、どうしようかしら……」

 

 灯里さんの問いかけに、アリシアさんは思案げに人差し指を頬に当てた。今日は朝からゴンドラ協会の会合の予定で、午後には特に予定を入れていなかったはずだ。本当なら夕方までかかる予定の会合が、どうしてこんなに早く終わったのか。理由はわからないけれど、とりあえず幸運は最大限に活用するべきだと思う。

 

「灯里ちゃんたちはどうするの?」

 

 結論が出なかったのか、灯里さんの方に水を向けるアリシアさん。

 

「私たちは……今度は私のお気に入りを巡ってみようかなって」

 

 灯里さんの言葉に頷く私。灯里さんには、観光名所としての素敵スポット以外の、彼女個人がお気に入りの場所を案内して貰える予定になっていた。

 

 本当なら藍華さん達も一緒のはずだったんだけど、まあ、仕事の都合なら仕方がない。

 

「あらあら、それなら私も一緒していいかしら?」

 

 アリシアさんのそんな要望に、否を答える私たちが存在する筈もなかった。

 

 

 最初に立ち寄ったのは、本土へと続く鉄道橋、リベルタ橋だった。

 

 マンホームのヴェネツィアがそうであったように、大陸と島を結ぶ鉄道橋は、下から見上げるとまるで空へと続いているかのように見えた。

 

「前にここで、銀河鉄道を見たんだよ」

 

 灯里さんが恥ずかしげに笑った。何でも、以前アリア社長に誘われて行った先で、猫達が乗り込む不思議な列車を目撃したのだという。

 

 本当に列車が宇宙目指して走ったのかはわからない。だけど、猫妖精が車掌を務めるその列車は、確かにどこか普通じゃない場所へと走り去っていったのだそうだ。

 

 ふと、イメージが浮かび上がる。星虹の中で、窓の外をすれ違う、古めかしい鉄道列車。噴煙を靡かせながら駆け抜けていくその窓に、鷲鼻のマスクを被った巨躯が顔を見せ、洒落たポーズでこちらにウインクして見せる。

 

 もし銀河鉄道なんてものがあるとしたら、まさしくこんな感じなのだろうか……とは思うけど。

 

「……そんなケンジ・ミヤザワじゃないんですから」

 

 有名なマンホームの小説を思い出す。確かあれは、死者が天国に向かうために乗り込む列車で、生きたまま列車に乗った主人公は……ええと、どうなったんだっけ。ともあれ、夢の物語ではないのか、という疑問は拭えない。

 

 だけど……。

 

”夢の中の自分、起きている自分、どちらが本物という訳ではなく、等しく真実である……ということです”

 

 アルさんの言葉を思い起こす。灯里さんは夢見がちな人だけど、嘘を言う人じゃないし、夢で見たというならば、そこにはきっと真実の一片が隠されているんだろう。あのサイレン事件の時に、灯里さんだけは、あのサン・ミケーレ島で猫妖精を目撃した(そして彼が私を助けてくれた)のは間違いないのだし。

 

「猫妖精……かぁ」

 

 小さく嘆息混じりに呟く。猫の王国に入り込んだときも姿は見えず、サイレン事件の時も私には見ることができなかった。

 

 どうして、私は彼に会うことができないんだろう。せめて、出会ってお礼くらいは言いたいのに。

 

「どうしたの、アニーちゃん?」

 

 アリシアさんが、私の顔をのぞき込んだ。顔に憂鬱が出ていただろうか。アリシアさんはいつでもこうやって、私たちを優しく見守ってくれている。そんな暖かさを心地よく感じながら、私は大したことではないと前置きした上で、憂鬱の理由を語った。

 

「……どうして私は猫妖精さんに会えないのかな、と思って。ほら、私、猫妖精さんに助けられてるはずなのに、見たことがあるのはサイレンの悪魔ばっかりで」

「……そうね、どうしてかしら。助けてくれるくらいなんだから、猫妖精もアニーちゃんを気に入っているでしょうに」

 

 私の答えに、アリシアさんは笑い飛ばすでもなく、話を合わせてくれた。アリシアさんは、滅多に私たちのやること、言うことを否定しない。私たちが決定的に間違ってしまっていた時はそれを指摘するけれど、その時も慎重に、相手が傷つかないように配慮している。

 

 そんなアリシアさんであるから、私も気兼ねなくそう話を続けることができた。

 

「そうですよねー。うーん、私には才能とかがないんですかねー」

 

 私には、灯里さんのような、誰とでも仲良くなってしまうような才覚はない。だとしたら、たとえば猫妖精は、友達になれるような相手の前にしか姿を現さないのだろうか。

 

「…………じゃあ、会いに行ってみようか、アニーちゃん」

 

 そう提案する灯里さんの顔は、いつも通りに笑顔だったのだけど。

 

 その表情が、どことなく寂しげな色を帯びていたのは、私の気のせいだっただろうか。

 

 

 そうして、私たちは灯里さんがかつて猫妖精と出会ったという場所を巡ることにした。

 

 運河端の喫茶店跡。古い水路奥に隠された猫の王国。一度小路の奥の行き止まりに案内されたけど、ここはかつてカルナヴァーレでカサノヴァが消えていった場所なのだという。

 

 それぞれの場所で、私たちは灯里さんの思い出話に驚き、慄き、笑った。そしてその思い出の切れ端を、カメラのメモリーに焼き付けた。

 

 だけど、結局一度も……当然のことかも知れないけど、猫妖精に会うことは、できなかった。

 

 そして、一カ所、また一カ所と空振りが続く度に、灯里さんの笑顔に陰の色がにじんでくるのを、私は見逃さなかった。

 

 何故なのかは、私にはよくわからなかったけれど。

 

 アリシアさんだけは、まるですべてを理解しているかのように、穏やかな微笑みを浮かべて、私たちを見守っていた。

 

 

 不幸の石とやらで空振りした時には、太陽はもうすっかり低くなっていた。

 

 運河端に舟を止め、夕日の燃え上がる赤に全身を染め上げながら、私たちはポットのミルクティーで暖をとっていたのだけれど。

 

「……もう、諦めようか」

 

 ぽつりと、ミルクティーの湯気に紛れるように、灯里さんが呟いた。

 

 灯里さんらしくないな、と思った。何をやるにもへこたれない不屈の精神は藍華さんのものだし、頑として譲らない負けず嫌いなところはアリスちゃんの専売特許で、灯里さんの個性とは違う。だけど、誰かが何かを一生懸命にしようとしているならば、それを認めて、自然に支えようとするのが灯里さんだと思う。

 

「灯里さん……?」

「えっと、もう時間も遅いし、お夕飯の準備もしないとだし、ね?」

 

 しどろもどろに、言い訳を紡ぐ灯里さん。まったく、らしくない。嘘も隠し事も苦手な灯里さんが、こんな態度をとるなんて。

 

 まるで、ここから先に、私を近づけたくないみたいじゃないか……。

 

「アニーちゃん、後残ってる不思議スポットは、サン・ミケーレ島だけなのよ」

 

 そう思い至った瞬間、アリシアさんがそう助け船を出した。

 

「あ……」

 

 一挙に頭の中の靄が晴れた。そうだ、サン・ミケーレ島は、灯里さんが《噂の君》と出会い、私が《サイレンの悪魔》と出会った場所。ある意味『何か』に出会うなら、これ以上ないほどの場所だ。

 

 ただ、問題があるのは、かつてそこに踏み込んだとき、出会ったものは必ずしも善いものばかりではなかったということで。

 

「ええと……うん。そういうことなの」

 

 少し歯切れ悪く、灯里さんが頷く。なるほど、そういうことならわかる。

 

 なんてことだろう。灯里さんの折角の配慮に気がつかないなんて。自分の浅慮を悔やんで、こつんと拳で頭を叩く。

 

 ……だけど。

 

「そうですね……でも」

 

 灯里さんの配慮はありがたく受け取りつつ、それでも私は『でも』を紡いだ。

 

 折角ここまでやって来たんだし。

 

 あと、最後の一つだと言うならば。

 

 どうせなら、悔いのないよう、できる限りをやってから帰りたい、と思ったんだ。

 

「やっぱり、中途半端で諦めたくないです、私」

「でも、もしまた《噂の君》や《サイレンの悪魔》が出てきたら、どうするの?」

 

 灯里さんの危惧はもっともだ。何しろ、私たちは二人ともが、かつてサン・ミケーレ島の魔女か何かに浚われかけた身の上。同じ事が繰り返されないとも限らない。

 

 だけど。

 

「今の私なら大丈夫だと思いますし、それに」

 

 順に視線を巡らせて言いながら、私はアリア社長のぽよぽよの身体をぎゅっと抱き上げた。

 

「今は、アリシアさんと、灯里さんと、アリア社長が一緒なんですから」

 

 アリア社長に頬ずりする。社長は「ぷいにゅ?」と不思議そうな顔をしてみせたけれど、言いたいことがわかったのか、それともよくわからないなりにか、「まかせて!」と言わんばかりに前足をびっと突き上げて見せた。

 

「頼りにしてますよ、アリア社長」

「ぷいにゅっ!」

 

 私たちのそんな様子と、自分を見つめるアリシアさんの微笑みの力によってか、灯里さんもサン・ミケーレ島行きに賛成してくれた。

 

 

 

 

 逢魔ヶ時。日が落ちて薄夕闇が世界を包み込むこの時間帯は、古来からそう呼ばれている。

 

 世界の闇が深まる時間。太陽がしろしめす時は終わりを告げ、月が大地を見守るまでの狭間の時間は、ともすれば深夜よりも闇が濃い。

 

 遙か昔の死者を弔った墓石の林が、霧のように絡みつく闇を纏って、佇んでいる。

 

 そんなサン・ミケーレ島を、私たちはおっかなびっくり歩いていた。

 

「や、やっぱりちょっと怖い……ですね」

 

 ひゅうと風が鳴り、がさがさと梢を揺らす度に、思わず足を止めて周囲を見回してしまう。臆病なことだと笑われそうだけれど、幸いここには私を笑うような人はいない。

 

「そ、そうだね、アニーちゃん」

 

 緊張した面もちで、私の手をぎゅっと握る灯里さん。いや、握ってるのは私の方なのか、よくわからない。

 

 ちなみに、我らが守護神たるアリア社長は、早々に風が梢を揺らした途端、アリシアさんの腕の中に飛び込んでしまった。一方アリシアさんの方は、しがみついて離れないアリア社長をよしよしとなだめながら、普段通りの微笑みと共に、私たちの後ろを歩いている。さすがは《水の三大妖精》といったところか。

 

 しかし、そうやって墓石の隙間を歩いてみても、猫妖精はおろか、何の姿も見つけることはできなかった。

 

 闇の中に、闇に溶けるように墓石が並ぶ。そこここにわだかまる闇は、今すぐにでも何かが這い出してきそうな程、暗く、深い。

 

 再び、風が踊る。びくり、と身を強ばらせた私達の頭上で、がさがさ、ざわざわと梢が騒ぐ。

 

「あ、あはははは……ア、アニーちゃん、やっぱり帰らない?」

「そ、そうですねー。見た感じ空振りっぽいですし……」

 

 灯里さんの提案に、私も同意する。正直、ここは失敗だった。サイレンの悪魔がいようといまいと、怖い場所はやっぱり怖いんだ。

 

「それじゃ、帰りましょうか、灯里ちゃん、アニーちゃん」

 

 『しょうがないなあ』と言う感じの笑顔を浮かべて、アリシアさんがくるりと背を向ける。その背中を、灯里さんが追いかける。

 

 

 その後ろに、ついて歩き出した、その瞬間。

 

 

 一際強い風が、木々の隙間から吹き込んだ。

 

 両目を打ち据える突風。枯れ葉が風に乗って、視界を覆い隠す。

 

 そして、風がやんだその時。

 

 私の周囲には、誰もいなくなっていた。

 


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