ARIA 蒼い惑星のエルシエロ アフターストーリーズ   作:DOH

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Sola 04 めぐりあい

「おいしーーい!」

 

 午前の予約を消化し、遅い昼食を摂る晃・E・フェラーリは、愛弟子たる藍華・S・グランチェスタの大袈裟な美味の訴えを、片手に束ねた新聞紙で受け流した。

 

「あまりがっつくんじゃないぞ、藍華。服を汚したらどうする」

 

 と、適当に釘を刺しておく晃だったが、実のところそう本気で諫めているわけではない。何しろ午前中の仕事は、仮に晃が櫂を握っていたとしても、消耗は避けられない内容だったのだから。

 

 先日週刊ネオ・ヴェネツィアの特集記事以来、特集の対象となった藍華、灯里の二人への予約は途切れる事を知らない。更に一緒に特集されたペア・ウンディーネのアリスについても、その師匠であるアテナへの予約という形で宣伝効果が発揮されている。お陰で、≪水の妖精三銃士≫とやらの師匠である晃、アリシア、アテナもまた、休暇の暇もなく飛び回る結果になっている。

 

 特に今回の藍華への予約は、いつになく人数が多かった。姫屋の黒いシングル用ゴンドラの中でも、一番大きなものを引っ張り出さなければ対応できない人数だ。操船に体力が必要なのはもちろん、乗客への気配りも忘れてはならない。このあたりは乗客の人数に対して指数関数的に負担が増加するもので、半人前の藍華が主体になって捌くには、いささか厳しすぎるのではないか……などと晃は内心危惧していたのだが。

 

 実際には、晃の愛弟子はまったく不足なくそれだけの乗客に応対し、目立ったミスもなく案内をこなして見せた。

 

 乗客をサン・マルコ広場で見送り、その足で遅い昼食に向かった。

 

 晃のお勧めでやってきたこの店は、芳醇な香りで鼻孔を刺激するナポリピッツァが自慢だ。藍華が目を輝かせ、思わずがっついてしまうのも無理はない。むしろここまでよく被った猫を落とさずにやってのけた……と、晃は内心賞賛しているくらいだ。

 

 昼間から少々胃に重たいピッツァ専門店、しかも『真のナポリピッツァ協会』お墨付きの店に連れてきたのも、午前中の仕事のご褒美、そして午後の仕事への英気を養う、という意味合いが強い。

 

(そろそろ、か)

 

 達成感、賞賛、そして一抹の寂しさ。様々な感情がないまぜになった吐息を、新聞紙で隠す。

 

 愛弟子の藍華は、既にウンディーネとしてかなりの実力を身につけている。幸か不幸か、プリマであるためにもっとも必要となる経験も、このところの修羅場のお陰で十分な量を蓄積できたようだ。この連日の修羅場に至る前と後では、仕事に臨む藍華の表情から、不安が落ち着き、気負いが自信へと移り変わっているのが、師匠の目からははっきりと見て取れる。

 

 はっきり言ってしまえば、藍華はもちろん、灯里、そしてペアのアリスですら、晃から見れば既にプリマ・ウンディーネの称号を背負うに相応しい実力を身につけつつあると思う。もちろん未完成ではあるが、逆に言えば未完成であるというだけだ。アリシアやアテナと顔を突き合わせたときに話す内容も、かつては指導の方法や近況が主だったものが、最近では昇格試験の手順や二つ名の相談などが主になりつつある。もっとも、アリシアはともかく、弟子がペア・ウンディーネであるアテナがプリマの二つ名について悩むというのは、いささか気が早すぎるきらいは拭えないが……。

 

(……ん?)

 

 思考を切り替えようと運河に目を向けた晃は、その視界の片隅に見覚えのある舟の姿を捉えた。

 

 遠目でもわかる。あのおんぼろの黒い舟は、晃自身が姫屋の倉庫の奥から引っ張り出してきたものだ。その証拠に、舟の上に見えるのは貸出先のARIAカンパニーの制服。あの黒髪のショートは間違いなくアニエスに違いあるまい。同乗しているのは……背丈が随分記憶と違う気がするが、レデントーレなどを一緒に過ごしたことのある、灯里の友達であるアイだろうと思われる。

 

 アニエスがネオ・ヴェネツィアに来た頃から姿を見ていなかったから、マンホームの暦で一年近くも顔を見ていなかったことになる。それならば、あの年頃の女の子の事であるし、見紛う程に成長していてもおかしくはない。

 

 しかし、アニエスとアイとは、珍しい取り合わせだと思う。かたや紆余曲折はあれどARIAカンパニーの社員、かたやARIAカンパニーと縁深い娘。同じマンホーム出身ということでもあるし、一緒にいてもおかしくはない二人ではあるのだが。

 

 ……そんな二人が、舟で一体どこに向かっているのだろうか?

 

「へー、『アキュラ・シンドローム、特効薬発見さる』ですって」

 

 晃がぐるぐると駆け回っていた思考の回廊に、藍華のそんな呟きが飛び込んできた。

 

 はっと意識を手元に戻して見れば、藍華の視線は晃の手にした新聞紙に向いている。

 

 裏返してみると、確かにそこには小さな記事で、不治の眠り病であったアキュラ・シンドロームが決定的な治療法を確立した、という一文が掲載されている。

 

「アキュラ……アキラ……あー、アキラ病の特効薬も見つかればいいのに」

「何だ、そのアキラ病って」

「すぐ怒って弟子をガミガミ叱ってくる病気ですよ。目下患者はアクアに一人しかいませんけど」

「ほぉう、そういうことを言うなら今すぐ発症してやろうか?」

 

 戯ける藍華に、わざとらしく柳眉を逆立ててみせる晃。きゃーっとこれまたわざとらしく首を竦めてみせる藍華をひと睨みしつつ、晃は内心で小さくため息を吐き出した。

 

(――藍華。その病気も、もうじき根絶されてしまうんだよ)

 

 

 

 

「見つけましたよ、アイちゃん」

「見つけましたね、アニーさん」

 

 水路の角にぴったりと舟を寄せ、船縁に張り付くようにして、私とアイちゃんは顔を見合わせた。

 

 角の向こうには、お客様を乗せて行く、馴染みの黒い舟の姿がある。その上には白と青の制服を纏った二人の妖精の姿。紛れもない、我らが師匠アリシアさんと、同じく先輩の灯里さんだ。

 

 今日の灯里さんのコースは、主に先日の撮影ツアーの時のような、素敵スポット巡りのはずだった。どの順路で行くのか、前に灯里さんと水路図を前に相談したことがある。予約の時間は携帯電話(スマート)に入れておいたから、そこからの時間を逆算すれば、灯里さん達が今どのあたりにいるのか、おおよその予想はつけられる。

 

 その推測から、灯里さんのペースの修正を加えて水路を追跡したところ、見事灯里さんたちの舟を見つけ出せた、という訳だ。

 

「あれ、あのお客は……?」

 

 今日の灯里さんのお客は、いかにも青年という呼称が似合う感じの若い男性だった。見覚えがある。多分だけど、以前私が案内したことがある、マンホームで建築をやっているという人だ。名前は……えーと、なんて言ったっけ。

 

「灯里さー……」

「しーっ、ダメですよアイちゃん!」

 

 額に指を当てて悩む私を余所に、身を乗り出して声をかけようとするアイちゃんの口を、とっさに手を伸ばして封じた。恨みがましく私を見上げるアイちゃんに、私はぴっと指を一本立てて見せる。

 

「お仕事中は声をかけないのがマナーなんです」

「そうなんですか?」

「うん。それに灯里さんのことだから、お仕事中でも私達の姿を見たら、ぶんぶん手を振って声をかけてきそうじゃないですか?」

「…………確かにそうです」

 

 顔を見合わせて、お互いこっくりと頷いた。失礼ながら、実に揺るぎない共通認識だと思う。

 

「そんな訳で、しばらく見つからないように後をつけてみましょう。折角ですから、外から灯里さんの仕事ぶりを見学するということで」

「大丈夫なんですか?」

「ふっふーん、追跡のイロハは地図の把握からですよ」

 

 不安げなアイちゃんに、私は探偵ものの本で覚えたフレーズとともに、ポシェットから水路図を取り出して見せた。

 

 

 

 

「にゅ?」

 

 灯里が櫂を握るゴンドラの船底で、大の字になってのんびり鼻提灯を膨らませていたアリア社長が、何かに気づいたように声を上げた。

 

「あら、どうかしましたか、アリア社長?」

 

 アリシア・フローレンスはそんな猫社長を抱き上げると、こっそり小さな声で問いかけた。アリシアの目の前では、愛弟子の灯里が乗客の青年に、水路の奥に伸びる廃修道院について解説をしているところだ。青年も興味深そうに話を聞いていることだし、邪魔をしないよう注意しなければならない。

 

「ぷいにゅ」

 

 それを察してか、声を殺して前足で指し示す先は舟の後方。漕ぎ手の灯里からは見えない位置に、色のくすんだ天使像を舳先に掲げた黒い小舟が見える。

 

(あれは……確か)

 

 アリシアには、その舟の舳先に見覚えがあった。あれは、姫屋の晃が「とびっきりのおんぼろ」と称して貸し出してくれた練習用の舟だ。

 

 加えてそれ以前にも、昔晃やアテナと共にシングルとして練習していた頃、晃が「いつもの舟がドック入りなんだ」と言いながら持ち出してきたのを覚えている。舳先の天使像が片翼なのは、あの時晃が、アテナの舟の回避を誤り、舳先を衝突させてしまった事に起因していたはず。折れた翼を捜して水路を探し回った覚えもある。見間違えるはずもない。

 

(だとすれば、あれはアニーちゃんね)

 

 今、あの舟はARIAカンパニーで、アニエスの練習用に使われている。普段ならば灯里愛用の……つまりアリシアが現在腰掛けている舟ひとつで事足りるのだが、こうやって灯里かアニエスどちらかが予約を入れられると、予約のない方が身動きが取れなくなってしまう。そのために晃に頼み、姫屋に掛け合って予備の舟を貸し出して貰ったのだが。

 

 あちらとしては、恐らく姿を隠しているつもりなのだろう。時折ちょこちょこと白い帽子が覗いている。あの仕草、あの背丈、そして帽子の隙間から覗くあの黒髪。紛れもなくアリシアの愛すべき二番弟子である。

 

(退屈させてしまったかしら)

 

 灯里の仕事ぶりを見学するつもりで追いかけてきたのだろうか。割合控えめな性格のアニエスの事であり、これまで仕事に忙しい灯里の邪魔になりかねない行為は避けるようにしていたと思う。

 

 しかし、アリシアの想像とは裏腹に、まさしく頭隠して舳先隠さずという有様の二番弟子。子猫のような有様に思わず小さく吹き出したアリシアだったが、アニエスらしき白い帽子の下にもう一つ、別の頭が覗いているのを認めて眉を潜めた。

 

 アニエスが姉猫ならば妹猫のように覗かせている顔。一番最初に目にとまったのは、見覚えのある赤いリボン。光を浴びてオリーブの実のように煌めく髪。リボンが昔より小さく見えるのは。おそらく彼女の体が大きく成長したからなのだろう。

 

 ……九分九厘、あれは灯里のメール友達であるマンホームのアイだろう。

 

(珍しい取り合わせね)

 

 アイとアニエスは、面識はまったくなかったはずだ。たぶん親の出張について飛び出してきたアイと留守番をしていたアニエスが出会い、一緒に舟を出してきたというところなのだろうが、よくもこんな短時間で仲良くなれたものだ。

 

 ……と考えて、アリシアは苦笑した。そういえば、アイは元々人見知りをするようで物怖じをしない性格。そして今のアニエスには、他人を受け入れる包容力がある。それならば、二人が仲良くなるのは自明の理ではないか。

 

(だとすると、お夕飯が楽しみね)

 

 小さく微笑み、アリシアは乗客の青年を見上げた。

 

 名前からはピンとこなかったのだが、顔を見れば一目瞭然。サン・マルコ広場で待ち合わせたその青年は、かつてアニエスが添乗したことのある人物である。不思議と灯里やアリシアにとっても昔なじみのような感覚をもたらす彼は、マンホームで建築を学んでいるということなのだが……目を閉じてみると瞼の裏に、おっかなびっくり櫂を手繰っている姿が浮かぶのは何故だろうか。

 

「――それでは、早速修道院の中を巡ってみましょうか」

 

 夢想をたゆたうアリシアの意識を、そんな灯里の言葉が現実に引き戻した。

 

 ――いけない。あの廃修道院は、今日進入するには不都合がある。

 

「あ、そうだ灯里ちゃん」

 

 灯里のやる気に水を差すようだが、こればかりは警告しないわけにはいかない。経験の少ない灯里にはピンと来ないかも知れないが、この問題は、後々とんでもないトラブルを引き起こす恐れもある。

 

「――という事情がありますので、今日のところはこの先への進入は避けさせていただけませんか?」

「なるほど、それじゃあ仕方ありませんね」

 

 アリシアが事情を説明すると、灯里はもちろん、乗客の青年も素直に頷いてくれた。

 

「それでは予定を変更して、ここから外縁巡回コースに切り替えますね」

 

 やや残念そうな面持ちながらも、気を取り直して航路の変更を宣言する灯里。その様子に小さく胸をなで下ろし、アリシアは再び舟の背後に視線を向けた。

 

 そこには、先ほどまで見えていた片翼の天使像の姿はなかった。もちろん、壁際から覗き込んでいた白い帽子と赤いリボンの姿もない。

 

 灯里達の姿を見つけたので、余所に行ってしまったのだろうか。それとも、灯里達を先回りして、また追跡を続けるつもりなのだろうか。言葉を交わすチャンスがなかった以上、想像するしかない。

 

(危ないところに入り込まなければ良いのだけど)

 

 興ざめは覚悟してでも、声をかけておくべきだっただろうか。一抹の危惧を忍ばせながらも、アリシアは愛弟子の活躍を見守る方に集中することにした。

 

 

 

 結論から言ってしまえば、アリシアの危惧はまさに現実のものとなった。

 


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