ARIA 蒼い惑星のエルシエロ アフターストーリーズ   作:DOH

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Sola 05 錆びた翼

「うっわぁーーー!」

 

 そこにあったのは、全天を覆い尽くすかのような藤棚だった。

 

 修道院の中庭に張り巡らされた骨に沿って、紫の花がいっぱいに咲き乱れている。

 

 ホールを包み込む爽やかな香りは、以前よりずっと強まっている気がする。頭上に穿たれた天窓の痕跡から差し込む陽光に、舞散る紫の花びらがきらきらと煌めく。風は回廊を巡って幾重にも踊り、それに乗って散りゆく花びらがくるくると舞い踊る。

 

 そんな幻想的な佇まいに、アイちゃんは目を輝かせて感嘆の声をあげた。

 

 ここは、私たち四人が最近お気に入りの、廃修道院跡。先日写真撮影会でも巡った、今や私にとっても大切な思い出の場所だ。

 

 その中でも一番大きな、ホール跡に鎮座する大樹。気候の関係か、一足早く季節の花が咲き誇る場所がここだった。

 

 前に来たときには花が盛りを迎えていたのだけど、さすがに時間も過ぎ、花も散り際。だけど散り際だからこそ見られるものもある。

 

「これは……また絶景ですね」

 

 私も興奮気味の頬を持てあましつつ、周囲のぐるりに視線を向けた。いつになく窮屈な感じがする小さな水路、そして水没した古い花壇を抜けて、ようやくたどり着いた聖地のような場所。

 

 灯里さん達のコースを予測し、先回りしてやってきたのがここだった。ここで待っていれば、いずれ灯里さんたちのゴンドラがやってくるはず。予めいい場所を確保しておいて、こっそり灯里さんの活躍を覗き見てやろうという計画だ。

 

 なん、だけど。一足先にやってきたこの場所は、想像以上に綺麗で、ついつい私たちはこの場所で遊んで行きたくなってしまった。

 

 樹の周りをうろうろしている間に灯里さんたちが来たらちょっと困るけど、まあその時はその時、偶然出会ったということにすればいい。

 

「アニーさん、樹の側に寄せてください」

 

 というアイちゃんのリクエストを受けて、舟を藤の樹の一本の根本に着ける。幸い今のところ流れは強くないので、気をつけていればもやいで繋ぐ必要もないだろうけど……一応念には念を入れて繋いでおく。アイちゃんを下ろして、私はシレーヌと一緒に船縁から藤棚を見上げた。

 

 一体何年くらい経っているんだろう。十年や二十年ではこうはならない。最低でも百年かそのくらい? あるいはマンホームに昔からあった樹が、アクアの環境で急成長したものかもしれないけど。

 

 シレーヌもこの藤棚には興味があるようで、静かに私の隣に腰を下ろしたまま、樹の上を見上げている。猫には人には見えないものが見えるというし、シレーヌの目には例えばこの樹の精霊とかそのあたりが見えているのかもしれない。

 

「シレーヌ、『彼ら』は元気そうですか?」

 

 私がそう問いかけてみると、シレーヌはYesともNoとも取りにくい雰囲気に尻尾を振って見せた。はて、質問がわからなかったのか、それとも元気かどうかわからなかったのか。

 

 そんなやり取りをしている私たちをさておいて、アイちゃんはよほどこの樹が気に入ったのか、舟から下りて木の根に乗り移り、そこに腰掛けていた。

 

 少し傾いてきた日の光が、木の葉の隙間をすり抜けて、水面に斑を散らす。風がそよそよと流れ、斑模様がゆらゆらと揺れる。そしてひときわ強い風が吹き抜ければ、ホールの中で風がくるくると踊り、花びらが空中をひらひらと舞う。そんな光景はとても幻想的で、ここが廃墟の奥地であることを忘れてしまいそう。

 

 そんな景色の真ん中に、アイちゃんが座っている。指先を水面に落として、天を見上げる少女。まるで一枚の絵画のような、完成された風景。

 

「あ、そうだ」

 

 ふと思い立って、私はポシェットから携帯電話(スマート)を取り出した。これにはカメラも内蔵されている。お客様を撮影するには申し訳ないレベルだけど、練習中の思い出を撮影するには十分だ。

 

 こっそり、舟をホールの外縁に向ける。幸い、まだアイちゃんは気づいていない。距離を十分にとって、携帯電話(スマート)をカメラモードにセット。ファインダーに映し出された光景が、ホログラフで携帯電話(スマート)の上に投影される。

 

 位置よし、角度よし、被写体のバランスよし。

 

「アイちゃーん!」

 

 タイミングを見て、私はアイちゃんに呼びかけて。

 

 何かを見つけたのか、水中に手をさしのべていたアイちゃんが、きょとんとした顔でこちらを振り仰ぐ。

 

 その瞬間を狙って、シャッターを押した。

 

「ひゃっ!?」

 

 目を丸くするアイちゃんに片手で拝むようにして謝りつつ、今一方の手で携帯電話(スマート)を操作する。今撮影したばかりの写真を呼び出し、拡大。振り向いた瞬間の、見返り美人なアイちゃんの姿がホログラフで立ち上がる。

 

 くるりと携帯電話(スマート)を回転させて、今し方撮影した写真をアイちゃんの方に見せる。不意を突かれてきょとんとした顔を取り込まれ、ぽかんとした顔が、みるみるうちに憮然としたものへと移り変わった。

 

「アニーさん、黙って撮るなんてひどいです」

「あはは……ごめんなさい、なんだか絵になってたから」

 

 ぷうと頬を膨らませたアイちゃんは思いの外可愛らしくて、私は綻ぶ頬を引き締めようと努力するのだけど……アイちゃんがぷいっと顔を背けるのを見る限り、残念ながら私の努力は実を結ばなかったらしい。

 

「私だけ撮られるのはずるいです。私にも撮らせてください」

 

 また機嫌を損ねてしまったようで、むーっと頬を膨らませて手を伸ばしてくるアイちゃん。

 

 私としても撮られるならば望むところ。伸ばした手に携帯電話(スマート)を預けようと、指先から力を解く。

 

 その瞬間、小さなずれが生まれた。

 

 私の心と、アイちゃんの心の間にあるずれそのものが、指先に舞い降りたかのように。

 

 つるりと、携帯電話(スマート)が指先を滑り落ちる。

 

「あ……」

「え?」

 

 とっさに拾い上げる間もなく。

 

 かつん、と軽い音を立てて、携帯電話(スマート)が跳ねる。

 

 何の運命の悪戯だろう。ぽん、ぽんと携帯電話(スマート)は木の根と石畳の隙間を跳ねて、そして。

 

 ぽしゃん、と呆気ない音とともに、水面を叩いた。

 

 

 

「あ、あーーっ!?」

 

 修道院の通路に、悲鳴じみた声が幾重にもこだました。

 

 私のものじゃない。アイちゃんのものだ。

 

 一方当の私といえば、慌てず騒がず沈んだ携帯電話(スマート)をつまみ上げ、二、三度水をふるい落として、スイッチを入れてみる。

 

 反応無し。画面は暗くなったまま、うんともすんとも言ってくれない。

 

「あっちゃー……」

「ご、ごめんなさい」

 

 額を押さえる私に、心底申し訳なさそうな顔で謝るアイちゃん。そんな様子に私の方もちょっと申し訳なくなって、元気づけるつもりで殊更に笑って見せた。

 

「大丈夫ですよ。こういうのは、乾かしたら直るんです」

「本当に……?」

「うん。大丈夫です」

 

 もちろん嘘じゃない。そそっかしい私のことでもあり、これまでも何度も水中に携帯電話(スマート)を落っことしている。このくらいじゃ壊れないのは、もう何度も実証済みだ。

 

 私がそう言うと、アイちゃんも一安心したようで、ほっと安堵の息を吐き出した。

 

(まあ、写真はしばらく撮れなくなるけど、しょうがないね)

 

 ――そんな風に、私は気軽に考えていたのだけど。

 

 その見通しの悪さ、巡り合わせの悪さを私が噛みしめることになるには、もう少し時間が必要で。

 

 その時の私の頭の中では、落ち込んでしまったアイちゃんをどう励ましたものか、そればかりが渦巻いていたんだ。

 

 

 

 

 灯里さん達の舟は、まだまだ姿を見せる気配はなかった。

 

 時計を確認しようとして、携帯電話(スマート)が止まっている事を思い出した。私は他に時計を持っていない。

 

 以前藍華さんに「仕事で使うんだから腕時計を持っておきなさいよ」と言われたことがあるのを思い出す。ごめんなさい藍華さん。言うことを聞いておけば良かったです。

 

 しょうがないので大雑把に、さっき携帯電話(スマート)を落とす直前に見た時計を思い出す。カメラで撮影した時の時間から、三十分過ぎたか過ぎていないかくらいだろうか。灯里さんたちと別れてからは、ざっと一時間強が過ぎたくらいだ。

 

 おかしいなあ。あの案内コースだったら、もうここを通っているはずなのに。

 

 アイちゃんはといえば、彼女は木の幹に背中を預けて、退屈そうに手の中の何かを弄んでいる。さっき木の根元、水路に沈んだあたりから拾い上げたものらしい。よく見せて貰っていないけど、アイちゃんの手の中で、頭上の小窓から飛び込んだ光できらりと鈍くきらめいているのがわかる。

 

 ……はて、あの光、どこかで似たものを見た事があるような。

 

「アイちゃん、それは何ですか?」

「あ……はい」

 

 俯いて手元に視線を注ぐばかりだったアイちゃんが、顔を上げて手の中のものを見せてくれる。

 

 それは、小さな翼のような何かだった。以前は金色に輝いていたように思えるけど、永らく水に浸かっていたのか、全体がさびついて色を鈍らせている。ところどころが昔の輝きを残しているようで、その反射光がアイちゃんの目に留まったんだろう。

 

 翼――金色の翼ねえ。まさかとは思うけど。

 

「アイちゃん、それちょっと貸して貰っていいですか?」

「え? 良いですけど……」

 

 不思議そうに目をしばたたかせるアイちゃんから、その小さな翼を借り受ける。そして私はひょいと私たちの舟に乗り移ると、舳先に掲げられた小さな彫像……片翼を失った天使像に、そのさび付いた翼の欠片を押し当ててみた。

 

「あ…………」

「どうしましたか、アニーさん……あっ」

 

 私が思わず漏らした声に、怪訝な顔をしたアイちゃんが顔を覗き込ませる。

 

 そして私の指先で繰り広げられているちょっとした奇跡に、目を丸く見開いた。

 

「……ぴったり、ですね」

 

 アイちゃんがそう言って私の顔を覗き込むのに、私はこくこくと首を縦に振った。驚くべきことだ。信じられない。まさか、そんなことが起きるなんて。

 

 まさか、こんな忘れられた修道院の奥地の、誰も気づかないような小さな隙間に眠っていた翼が。

 

 姫屋の奥底で眠っていた、古くておんぼろの黒い舟の舳先で鈍く輝く天使像の。

 

 片翼の天使像の、失われた翼の痕と、ぴったり合わさってしまうなんて。

 

「嘘みたい、だね……」

「嘘みたい、です……」

 

 シレーヌがじっと舟の上から見つめる前で、私とアイちゃんは顔を見合わせた。そして、ほとんど異口同音の呟きを、ほとんど同時に吐き出した。

 

 この舟がこの場所を訪れたのも、沈んだ金の翼がアイちゃんの目に留まったのも、信じられないくらいの偶然の積み重ねだった。しかも、その二つの偶然が、こんな瞬間に一つに重なるなんて。

 

 それは、紛れもない。

 

「これって……すごい奇跡、ですよね」

「はいっ! これはとってもミラクルな奇跡です!」

 


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