ARIA 蒼い惑星のエルシエロ アフターストーリーズ   作:DOH

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Sola 11 想いの輪

 ネオ・ヴェネツィアで困る事といえば、お互いがお互いに対する連絡手段を持たないということだ。

 

 マンホームにおいては、ほぼ全ての住人が通信端末(スマート)を携行している。そのため相手の連絡先さえ知っていれば、即座に連絡をつけることができる。

 

 しかし、ネオ・ヴェネツィア人は未だに紙の手紙を遣り取りしていることからもわかるように、意識的にアナクロな手段を使う傾向がある。そのため、個人が通信端末(スマート)を所持していることはほとんど期待できない。いつでも電話で連絡をつけられるアニエスが例外なのだ。

 

 しかしそのかわり、ネオ・ヴェネツィアには別の連絡手段があった。

 

 人の輪という、暖かなネットワークが。

 

 

 

 

「大丈夫かな、アニーちゃんたち……」

 

 焦燥感が、思わずぽろりと口からこぼれ落ちた。

 

 水無灯里は、師匠たるアリシア・フローレンス、そして本来お客であるはずの青年(またも名前をど忘れした)と共に、既に一時間近くを彷徨っていた。

 

 アクア・アルタで上昇した海面は長靴の足下に絡みつき、徒労感が重しとなって体力をそぎ落としていく。

 

「大丈夫、みんなもアニーちゃんたちを捜してくれているんだから。私たちは私たちで焦らず頑張りましょう、ね?」

 

 アリシアがそう微笑んでくれれば、心の重しが少し軽くなる気がする。(本当にまるで魔法使いみたい)と灯里は認識を新たにしつつ、意識を目の前の問題に戻す。

 

 灯里達ARIAカンパニー一行は、陸路を辿ってアニエスの行方を捜していた。

 

 アクア・アルタで人通りはすっかり減ってしまっていたが、それでも通りがかる人を見かけては声をかけた。ネオ・ヴェネツィアにおいて、ARIAカンパニーの面々の認知度は高い。それはアニエスも例外ではなく、幾人かに行方を尋ねていくうちに、彼女が何処に向かったのか、おおよその見当を付ける事ができた。

 

 恐らくは、水没地区の廃修道院だ。色とりどりの花を湛える花壇と、その奥に広がる幻想郷めいた藤棚。灯里にとって今やとびきりのお気に入りの場所の一つであり、先日の撮影会で立ち寄って、アニエスもその美しさに目を輝かせていた場所である。

 

「ここか……随分複雑な地形ですね」

 

 地図を片手に眺めながら、青年が唸った。

 

「旧ヴェネツィアからの移築建造物と開拓村が混在している区画なんです。地盤沈下と急激な水位上昇の影響で、半ば水没して放棄されている建物が多くて」

「その上に建物を増築して、現在の町並みができている……という感じですか。なるほど……」

 

 アリシアが、青年に補足する。うんうんと頷く青年の目は真剣で、なるほど、大学で都市計画を専攻しているというだけのことはある。が、とりあえず今考えるべき事は、アニエス達の行方だ。

 

 何かの拍子にアイと出会ったアニエスは、灯里の仕事ぶりを盗み見するために、灯里の観光案内ルートを先回りしようとしたのだろう。そして、予定では灯里達も立ち寄るつもりだった廃修道院の藤棚に入り込んで、出られなくなってしまったのではないだろうか。

 

「だとしたら、修道院の中に入っていかないとダメね。下手に動いていなければいいんだけど……」

 

 水位が上がると、水没施設の危険度は跳ね上がる。天井が低くなる事もさることながら、普段なら目で見てわかる水中の危険物が、さらに見えにくくなってしまうからだ。普通の水路ならばそういう障害物に衝突しないよう配慮がされているが、廃修道院の中ともなると、調度品だったなどという理由により、危険物を除去するのが難しい。

 

 そういった状況で、手慣れていない人間が努力をすると、かえって状況を悪化させてしまう事も多い。そして、アニエスはなんだかんだ言ってもまだ未熟だ。まして一緒にアイがいるとなれば、どうにか状況を改善させようとベストを尽くそうとするだろう。だとしたら、状況が更に悪化している事も織り込んで行動しなければならない。

 

 そんな事を考えながら長靴で水面を踏みつけていると、頭上から二つの声が聞こえてきた。

 

「むむっ、やっと見つけたぞもみ子!」

「おーい、アリシアさーん! 灯里ちゃーーん!」

「あ、暁さん、ウッディーさん!」

 

 聞き慣れた声に、灯里ははっと顔を上げ、手を振った。見上げればそこにあったのは、ハンドルを片手に手を振るウッディーと、黒髪のポニーテールと白い火炎之番人の制服をなびかせた暁の姿である。

 

「どうしたんですか。二人とも?」

「うむ、もちろん空からボクッ娘を捜していたのだ!」

「それで、さっき晃さんと藍華ちゃんに会って、言づてを頼まれたのだ! 水没区画近くの大運河の東側の川沿いを中心に捜して欲しいって話なのだー!」

 

 暁が声を張り上げるのに、ウッディーが詳細を補足する。この二人は、いつもながらいい呼吸だ。

 

「晃ちゃんが? どうして運河端を?」

「女のカンだと言っていましたよ。根拠はないのかもしれませんね」

 

 アリシアの疑問に、暁が敬語で答える。暁のあからさまな態度の豹変に目を白黒させる青年を余所に、アリシアは眉を潜めた。カンだなどとは、晃らしくもない。豪放なようで、慎重に慎重を重ねるのが晃のスタイルだ。他人を動かそうと言うのに、何の根拠もなく指示を下す事は考えにくい。

 

 だが、その思索の織を、思わぬ所からの言葉が断ち切った。

 

「――そのカン、あながち外れでもないかもしれませんよ」

 

 地図を眺めて唸りながら、そう青年が呟いた。

 

「……え?」

「どういうことですか?」

 

 灯里が首を傾げ、アリシアと一緒に地図を覗き込む。地図上を青年が指さす先には、くだんの廃修道院が書き込まれている。

 

「確か、結構な規模の修道院でしたよね。それだけの施設ですから、大運河からの直接の搬入口を持っていてもおかしくない」

 

 そこで言葉を切り、修道院から建物沿いに指を走らせ、大運河へ。幾つかの建物を経由するが、一本も水路をまたぐことなく、指は大運河の東岸に辿り着いた。

 

「ほぼこれが最短ルートです。このあたり、他の区画より歩道が高いところにあるんじゃないですか? この不自然な形状は、多分古い建物の上に新しい建物を建て増しした結果だと思うんです。そうでなければ、こんな大きな区画、どこかで水路が新設されて寸断されてるはずですからね。ほら、こっちの区画からの進路をあからさまに塞いだままでしょう? それがそのままってことは、元々水路を増設できない程度に高い建物があったってことじゃないかと」

 

 と、立て板に水を流すかのように解説するが、灯里には彼が何を言いたいのかわからない。アリシアもアリア社長を抱いたまま、きょとんとして青年の指先を見つめている。もちろん、エアバイク上の男性二人組はよく見えないようで、そもそも覗き込む努力を放棄している。

 

「だとすると、ここに何があったのかと考えると、さっきも言ったとおり、修道院からの搬入路……あるとしたら地下通路があった可能性が考えられます。水路から荷物を運び込むわけですから、かなり低い位置にある奴が。もちろん地盤沈下してるわけですから、進入路としては危険すぎて、今は封鎖されているでしょうけど……」

 

 アリシアが、何かに気づいたようにはっと息を飲んだ。

 

「……修道院の中から、入ってくる事はできる?」

「ええ、アニーちゃん達が出口を捜してやってきて、そこで扉が開かなくて立ち往生……ってことは考えられますし、最悪でもそこから中に入れるかもしれません」

「なるほど! 晃さんはそれを見越して指示したってことなのだー!?」

「むむっ、なるほど、兄貴は伊達ではないな!」

 

 ウッディーと暁が、口を揃えて感嘆の声を上げる。青年はそんな様子にやや不満げな顔を……恐らくは自分の推理の方も評価して欲しいという案配で……浮かべたものの、アリシアが微笑んで見せると気を取り直したのか、頬に苦笑を閃かせた。

 

「じゃあ、この地図のポイントに行きましょう!」

「ぷいぷいにゅっ!!」

 

 灯里がそう号令をかけると、アリシアの腕の中のアリア社長が応じ、威勢良く腕を振り上げた。

 

 

 

 

 閉じ込められてから、どれくらいの時間が過ぎただろうか。

 

 一時間だろうか。二時間だろうか。実は五分くらいしか経っていないだろうか。もしかしたら丸一日が過ぎているかも知れない。

 

 暗い地下通路の壁に背中をもたれさせ、アイちゃんを抱きしめたまま、私、アニエス・デュマは、ぼんやりとそんな事を考えていた。

 

 水位は徐々に上がり、この扉の側でも足首まで浸かる程にまで達した。靴の中に染みこんだ水が冷たい。少しずつ、少しずつ身体の熱が奪われている。体温が下がりすぎないよう、ひっついていようと提案したのはいつの事だったろうか。

 

 灯りは、ライトの電池が惜しくて消してしまった。

 

 身動きが取れない状態で灯りをつけていても仕方がない。そう思ったのだけど、今から考えると間違いだったかなと思う。灯りが消えて闇に包まれると、体中に不安が染みこんでくる。もしかしたらこのまま誰にも見つけられないんじゃないか。二度と外に出る事はできないんじゃないか。そんなはずはないのに、心がどんどん闇色に染まっていくみたいだ。

 

 アイちゃんは、随分前から黙ったままだった。

 

 最初は色々話をした。灯里さんのこと。アリシアさんのこと。藍華さん、アリスちゃん、晃さん、アテナさん。暁さんにウッディーさん、アルさん。アイちゃんのお父さん、お母さん、お姉さん。思いつく限り、色んな人の事を、色んな話をした。

 

 だけど、そのうちに言葉がぽつぽつと減っていった。体力と一緒に、言葉を交わす気力がそぎ落とされていた。

 

 シレーヌは、多分アイちゃんが抱いたままだと思う。元々気配の薄い子だけど、今は全然その姿がわからない。

 

 時々、シレーヌは実在しないんじゃないかと思うことがある。だって、私以外――灯里さんですら、シレーヌの姿を見た事がなかったんだから。アイちゃんがシレーヌを見つけた事でその不安はなくなったけど、シレーヌはそう思ってしまうくらいには不思議な子だ。

 

 ――静かだ。耳を澄ますと、波がさざめく音が聞こえてくる。ぽつぽつと人の声も聞こえるけど、遠い。きっとアクア・アルタで、外を出歩く人が減ってるんだろう。アクア・アルタが来ると、ほとんどの事業者がお休みを取って家に引きこもってしまうらしいから。

 

 つまり、私たちを助けてくれる人は、ほとんどいないということ。

 

 アリシアさんや灯里さんは、もう私がいないことに気づいているだろうか。

 

 でも、仮に気づいたとして、私が……私たちがここにいることに、どうしたら気づく事ができるだろう。

 

 アクア・アルタが終わるまでは、どうやってもここに入ってくることはできない。偶然に期待しても、少なくともこの水が引くまではどうにもならない。

 

 アクア・アルタが終わっても、私たちは外には出られない。舟が、沈んでしまったから。私が、沈めてしまったから。

 

 馬鹿だ。私は大馬鹿だ。どうしていつもこうなんだろう。どうしていつもこんな事を繰り返してしまうんだろう。

 

 アンジェさんに誓ったのに。素敵なウンディーネになってみせるって誓ったのに。

 

 どうして私は、こんなにも。

 

 ――扉の隙間から、オレンジの光が差し込んできた。

 

 夕陽だ。もうそんな時間なんだ。そしてこの光が途切れたら、アクアに夜がやってくる。

 本当の、闇がやってくる。

 

 世界が闇に閉ざされる。水に閉ざされ、闇に閉ざされた時がやってくる。

 

 私は、そんな闇に耐えられるだろうか。これから半日以上も続く闇に。

 

 アイちゃんは耐えられるだろうか。まだまだ小さな女の子なのに。

 

 ――助けて。

 

 もう、どうでもいい。ここから連れ出してくれるなら、誰でもいい。

 

 誰か、助けて。

 

 

 ――その時だった。

 

 そんなことを考えていたからだろうか。

 

 ここから逃げ出す事ばかりを考えていたからだろうか。

 

 まるで、私の心が弱った瞬間を見計らっていたかのように。

 

 

 彼女が、現れた。


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