ARIA 蒼い惑星のエルシエロ アフターストーリーズ   作:DOH

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Sola 13 扉の向こう

 ≪天上の謡声(セイレーン)≫アテナ・グローリィは、いざ土壇場においては、気がつくと蚊帳の外に置き去りにされてしまう傾向がある。

 

 それは、格別行動的な≪真紅の薔薇(クリムゾンローズ)≫晃や、気がつくと周囲を引っ張っている≪白き妖精≫アリシアと共に過ごした日々の中で、半歩下がったところから二人についていくスタイルが確立してしまったせいもあるだろう。

 

 今がちょうどそのような状況だった。弟子のアリスと共にアニエスとアイを探しに出たアテナだったが、途中で風追配達人のウッディーに、アリシアや晃が水没区画の大運河沿いを調査しているとの話を聞かされた。

 

 そして、アリスの「じゃあ早速合流しましょう」という提案に従い、二人は現地に向かったのだ。

 

 果たして、オレンジ色に染まりつつある町並みの外れ、大運河沿いの川辺に、彼女らの姿はあった。

 

 アリシア、晃、灯里、藍華、さらには火炎之番人の暁、地重管理人のアルの姿もある。見覚えのあるようなないような青年もいるし、先ほどの風追配達人のウッディーもその一人と考えて良いし、話に聞いていたよりも遥かに大所帯だ。

 

「どうしてこんなにたくさんの人が?」

「みんなアニーちゃんとアイちゃんを心配して手を貸してくれているのよ」

 

 アリスの問いは、アテナの疑問でもあった。だがアリシアが心配半分嬉しさ半分の顔で答えれば、アリスはもちろんアテナも納得せずにいられない。なるほど、あの地球生まれのウンディーネは、今ではすっかりアクアの人々に溶け込み、愛されているのだ。

 

 アニエスが皆に愛されていると思うと、アテナは不思議と心に暖かさを覚える。まるで愛弟子のアリスが賞賛されている様を見るように。

 

 アニエスは名目上はARIAカンパニーの所属ではあるが、実際にはアリシアのみならず、晃やアテナ達≪水の三大妖精≫全員の弟子であるという感覚がある。それぞれの弟子達との触れあいで得た様々な反省や教訓、様々なノウハウを詰め込んで育て上げた……そんな不可思議な達成感が沸き上がってくるのだ。

 

 だからこそ、何としても助け出さなければ。アテナは人知れず、気持ちと共に表情をきりりと引き締めた。

 

 晃の提案で、彼女らは手分けをして大運河沿いの封鎖扉を探っていた。理屈はよくわからないが、晃が主導しているなら根拠がないと言うことはあるまい。

 

「アニーちゃーーん!?」

「アニーさん、いますか? 返事してください!」

「ボクッ娘ーーーっ!! いないならいないと返事しろーーーっ!!」

 

 扉を見つけては、どんどんと叩いて呼びかける。最初は晃の指導通り黒い扉を探して叩いていたが、日が傾いて世界が闇色に閉ざされていくうちに、そんな余裕もなくなった。黒い扉を探すというのは晃自身も根拠が薄いと認めていたし、太陽の光が薄れていくと、色付きの扉と黒い扉の区別は難しくなってくる。それならば、むしろ手当たり次第にあたっていく方がいい。

 

 そもそも、晃の予想は本当に正しかったのだろうか。彼女の判断は九分九厘信頼できるが、一握りの誤りがないとは言い切れない。今からでも、廃修道院に上から入り込む算段を講じた方が良いのではないか……。

 

 

 ――そんな不安に心を揺らしていた、そんな時だった。

 

 

 アテナの耳が、ぴくりと震えた。

 

 夜闇に喧噪が遠ざかったからこそ聞こえた、小さな囁き。

 

 絶対的な音感と、針の音すら聞き取る程の聴力を誇るアテナだからこそ、その音に気がついた。

 

 地の底からかすかに囁く、小さな歌声を。

 

 そしてアテナだからこそ気がついた。

 

 その歌声が紡ぐ旋律を。

 

 それはほんとうにかすかな声だけど、アテナがその歌を聞き違えるはずがなかった。

 

 それは、もうどこにもいない、とても大切な人の思い出。

 

 アテナに歌を――そして歌に込められたたくさんの想いを残して逝ってしまった、大切な人が教えてくれた、もうアテナしか知るもののいないはずの歌だったのだ。

 

 そんなはずがない、と思った。

 

 そんなことがあるはずない、と思った。

 

 だけど、その歌声はほんの小さな声だけど、確かにアテナの記憶にある、『コッコロ』に他ならない。

 

 そして何よりも、その歌を紡ぐ声色は――まさしく。

 

「アリシアちゃんっ!」

 

 一見普段通りに振る舞っているが、その実アテナ達親友から見れば酷く焦燥した様子のアリシアの背中に、アテナは鋭く呼びかけた。

 

「こっち!」

 

 振り仰いできょとんとした顔を見せるアリシアに、アテナはそれだけを言って駆けだした。

 

「どうしたんだ、アテナ!」

「アテナ先輩!?」

 

 突然のアテナの行動に、何事かと問いかける晃と目を白黒させるアリス。概ね同じ様子の他の面々に、アテナはややもどかしげに言葉を探し、一番シンプルな結論として吐き出した。

 

「見つけたの、アニーちゃんを!」

 

 

 

 

「……けほっ」

 

 歌いすぎのせいか、喉に絡む痛みに、私ことアニエス・デュマは少しせき込んだ。

 

「素敵な合唱でした。……大丈夫ですか、アニーさん?」

「ちょっと張り切りすぎたかも。でも、大丈夫」

 

 心配そうに私を見上げるアイちゃんにそう言い返して、安心させるべく微笑……もうとして、お互いの顔が見えない暗闇である事を思い出す。代わりに腕の中のアイちゃんの頭を撫でつつ、この場にいるもう一人――と言っていいんだろうか、≪サイレンの悪魔≫へと視線を向けた。

 

 地下通路の暗闇の中でも、不思議とそれだけはっきり見える≪サイレンの悪魔≫。彼女は歌う口を閉ざして、私の様子を伺うように小首を傾げていた。

 

 その様子を、私はどこか見覚えのある仕草だと思った。どこか戸惑うような、自分の行いの確かさに自信の持てないような仕草。

 

 誰だろう。すごく誰かに似ているのに、それが誰なのか思い出せない。

 

「誰かに声、聞こえたかな」

 

 アイちゃんがそう呟いて、私はひとまず思考を脇に寄せた。

 

「きっと聞こえてますよ。だってみんなで歌った歌なんですから」

 

 そう答えつつも私としては、別に外に聞こえてほしいと思って歌った訳じゃなかった。単に、≪サイレンの悪魔≫が歌っているから、それに合わせてみたくなっただけ。外に聞こえるように声を上げるとか、そこまで全然考えが及んでいなかったのが実際の所だ。

 

 ふと、アリスちゃんが以前話してくれた(というか無理矢理聞かせられた)『海の怖い話』を思い出す。海で戦争をしていた時代、もう沈んでいくばかりの軍艦の中で、脱出できなかった兵隊さん達が、ずっと軍歌を歌い続けていたという話。それ以来、潜水艦では夜中、遠くで誰かが歌っているような声が聞こえる事があるのだという。

 

 もしかしたら、その船の中にも≪サイレンの悪魔≫が現れたんだろうか。そして歌声とともに、船乗り達を闇の向こうに連れ去ってしまったんだろうか。

 

 それとも――もしかしたら彼らの所に現れた≪サイレンの悪魔≫もまた、彼らを勇気づけるように歌い続けていたんだろうか。

 

 彼らの命が失われたことを悼んで、ずっと彼らの歌を口ずさみ続けていたんだろうか。

 

 そうだとしたら、なんて寂しい。そうでなかったとしても、≪サイレンの魔女≫はずっと一人で、一緒に歌ってくれるだれかを求めて彷徨い続けているんだとしたら。

 

 だとしたら――なんて不器用なんだろう。誰かの温もりが欲しいのに、触れあう術がわからない。誰かの心に手を伸ばしても、理解される術がわからないから、強引な方法しか採ることができない。他人の心を自分に向けさせようとしても、恐れられ、嫌われる結果しか導けない。そんな不器用な魂。

 

 その時、私の脳裏に電光が走った。

 

 誰かと一緒にいたくても、触れあうのが怖い。でも誰かから離れることもできない。そんな不器用なひとを、私は知っている。

 

「ねえ、貴女は……もしかして」

 

 そう、私が尋ねようとしたその瞬間だった。

 

 私が背中を預ける扉から迸った、どんどんと戸を叩く音が、私の言葉を飲み込んだ。

 

 

 

 どんどんどんどんっ! という強い音が、地下通路に響きわたった。

 

「アニーちゃん、アイちゃん、そこにいるの!?」

 

 それは、今一番聞きたい人の声。一番優しくて、一番心強くて、一番尊敬している人の声。

 

「あ……アリシア……さん?」

 

 私がそう呟くと、扉を叩く音がぱったりと止まり、そして。

 

「見つけたーーーーっ!」

 

 灯里さんの声を先触れに、喝采の声が沸き上がった。

 

「大丈夫なのアニー!?」

「お二人ともでっかい無事ですか!?」

「お前達ひとまず下がるんだ! ウッディー君、何か工具はないか?」

「バールのようなものならあるのだー!」

「おうよ、力仕事ならば俺様に任せろ!」

 

 扉の向こうでにわかに騒ぎ始める、多くの人の気配。そして口々に飛び交う、聞き慣れた大好きな人たちの声。

 

 私はアイちゃんと顔を見合わせた。顔は見えなかったけど、アイちゃんもこちらを見ているのがわかった。

 

 どちらともなく、喉が震えた。

 

「あ――」

「や――」

「「やったぁーーーーーーーっ!!」」

 

 沸き上がってくる眩く輝くような感情に突き動かされて、私たちは抱き合ってその場で飛び跳ねた。

 

 アイちゃんはもちろん、戸惑ったようにその場に立ち尽くす≪サイレンの悪魔≫の……いや。

 

 『シレーヌ』の手を取ってぎゅっと握りしめる私の顔は、きっととびっきりの笑顔を形作っていたことだろう。

 

 

 

 そこからは、時間は瞬く間に過ぎ去っていった。

 

「うおおおおっ! ウッディー、アル、アリシアさんのためだ、気合いを入れろっ」

「ちょっとポニ夫! アル君は頭脳派なんだからそんな力仕事は」

「大丈夫ですよ、地重管理区画はちょっと重力が強いですからね。僕も力仕事には少しは自信が……」

「おわぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「ぷいにゅーっ!?」

「おわぁ、あかつきーん! 力入れすぎなのだー!」

「ああっ! 暁さんに巻き込まれてアリア社長がでっかいピンチです!」

「あらあら、大変……灯里ちゃん、ちょっと手伝ってね」

「はいアリシアさん。アリア社長ー! 暁さーん! 大丈夫ですか、今引き上げますねー!」

 

 ……まあ、こんな調子で、声しか聞こえないなりになにが起きてるのか大体見当のつく有様で、外の方々は扉の戸板を取り外していた。

 

 後から聞いた話では、私たちがいた地下通路は、元々は廃修道院の直通通路だったらしい。

 

 かつてはこの通路から修道院に人が行き来していたのだけど、地盤沈下で浸水の頻度が増した上、それによって石組みが脆くなってきていたために、厳重に封鎖されていたのだという。

 

 私たちが抜き取った内側の閂はもちろん、外側からも戸板を幾重にも打ち付けて封印されていたそうだ。外で暁さん達が大騒ぎしていたのは、その板を引っ剥がそうと悪戦苦闘していたから……というわけらしい。

 

 それもものの十数分で終わり、後は押し開けるだけになった。

 

 私とアイちゃんは内側からドアに体重をかけ、皆さんは外から引っ張る。みしみしと戸が軋むけど、百年以上閉ざされたままの扉は、アクア・アルタであふれた水に押しつけられ、なかなか開いてくれない。

 

 やがてウッディーさんとアリシアさんがエアバイクで、残りの人たちと息を合わせて戸を引っ張ったけど、それでも扉は揺るがない。(余談だけど、アリシアさんがエアバイクの免許を持ってるなんて、その時初めて知った。さすがはアリシアさん、本当に底が知れない)

 

 もしかしてダメかもしれない、と一瞬だけ思った。

 

 だけど、必死に弱気を打ち消した。

 

 大丈夫、絶対大丈夫。

 

 だって、この向こうには、一番頼りになって、一番信じられて、一番大好きな人たちで一杯なんだから。

 

 諦めて良い、諦められる理由なんて、どこにもあるはずがなかった。

 

 そうして。気力を奮い立たせたその時だった。

 

「あ――」

 

 先触れのように、アイちゃんが小さく呟いた。

 

 ふわり、と風が流れた。

 

 後から聞いた、建築をやっているマンホームから来た男の人(私のお客様だったのにまた名前をど忘れしちゃってる。情けない……)が言うには、アクア・アルタのピークが過ぎたことで、空気の流れが変わったんだろう、ということだけど。

 

 その時の私に、そんなことがわかるはずもなくて。

 

 その時の私は、まるで魔法のように、風がドアを殴りつけるその力に合わせて、全身全霊の力を込めることしかできなくて。

 

 そして、突然ふっと体が軽くなったかと思うと。

 

 私の瞳の中は、青白く輝くルナツーと、その先に輝く宵闇の明星で一杯に満たされた。

 

 

「アニーちゃん! アイちゃん!」

 

「よく無事で……っ!」

 

「ぷいにゅーっ!」

 

 

 そうして、私たちは。

 

 一番帰りたい、暖かな場所に、帰ってきた。

 

 一番大好きな人たちの、とびっきり優しくて、とびっきり素敵な輪の中へ。

 


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