ARIA 蒼い惑星のエルシエロ アフターストーリーズ   作:DOH

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本章より、オレンジぷらねっと編となります。

ゲーム『蒼い惑星のエルシエロ』のメインシナリオ分岐である、三社のどれに入社するか。ここでオレンジぷらねっとを選んだエンディングの後の物語です。

Donna Stellaはアリスとアニエス、アリスとアテナの関係に注目しつつ、ゲームで描かれなかった原作エピソードを後日談として描いた物語となります。しかし、原作やアニメを見ているだけでは、見慣れない登場人物がいくつか見受けられると思います。

多くは、小説版『ARIA 水の都と哀しき歌姫の物語』『ARIA 四季の風の贈り物』の登場人物を引用したものです。細かい事件なども小説版のエピソードありきで描写されているので、予習しておくと色々わかりやすくなるかもしれません。

……本作の原作ともども、今となっては入手性にかなり問題がありますが。


オレンジぷらねっと編 Donna Stella
Donna Stella 01 嘘と憂鬱


(前も、こんな事があったわね)

 

 食堂の皿を十日連続で割らなかった事を賞賛された帰り、アテナ・グローリィは、どこか既視感を覚える心持ちで、既視感を覚える道筋を歩いていた。

 

 こんな憂鬱な気分は久しぶりだった。確か前に同じような気分になったとき、アテナはペア昇格試験の試験官を依頼されていたはずだ。

 

 確かあの時の季節は秋。今は春。もう少し気分が軽やかになっても良さそうなものだが、実際のところ、アテナの気分の落ち込みようは、先秋のそれよりも遙かに深刻だった。

 

「アテナね? どうぞお入りなさい」

 

 アテナが目的地の扉をノックすると、即座に返事が返ってきた。

 

 失礼します、と扉を開けた向こうに見えるのは、そろそろ見慣れた部屋。『無駄なものが何一つない』と形容される、オレンジぷらねっと水先案内人管理部長室である。

 

「アテナ、彼女の調子はどう?」

 

 と、前置きもなしに問いかけて来るのは、この『無駄のない部屋』でも『もっとも機能的な部品』と評される、アレサ・カニンガム管理部長である。

 

「彼女、というのはどちらの彼女のことですか?」

 

 大体アレサが誰を指しているのかはわかっていたのだが、今のアテナには、愛弟子が二人いる。一応そう聞き返したアテナに、アレサは小さく吐息を漏らしてから、続けた。

 

「わかっているでしょう? その様子だとまだ気乗りがしていないようね」

「そんなことは……」

 

 そう反駁しようとしてはみるが、実際のところ、気乗りがしているかどうかというならば、それは断じて否と言える。

 

 先秋にこの部屋を訪れたとき、アテナはやはり気乗りしない気分でこの部屋を訪れた。それは、一等大事な後輩であるアリス以外の、とあるペア・ウンディーネの昇格試験を任されたが故のことだった。今でこそわざわざ直接の指導員ではないアテナがそれを任じられる訳もわかっているが、当時は「何故こんな役目を私が」などと考え、それはそれは憂鬱だったものだ。

 

 しかし、今回の憂鬱は、以前のものよりも更に根深く、更に深刻だった。

 

「協会の理事長から、『例の件』の承認が出たわ」

 

 アテナの憂鬱を他所に、アレサがきっぱりと、それだけが要点だと言わんばかりの切れ味の言葉を発した。

 

「承認が……出たんですか」

「ええ。過去に例のないことだけれど、彼女はもう既に特例措置でシングル向けの指導も七割方受講しているし、次世代を担う俊英には相応の待遇を与えてやってくれ、ということよ」

 

 感情の読み取りづらい顔で、そう言うアレサ。その様子からは、彼女が賛成派なのか、それとも反対派なのか伺い知れない。

 

(できれば、反対派であって欲しいのだけれど)

 

 人材管理部長であるアレサの権限ならば、その気になれば会社の決定の一つや二つくらいなら引っ繰り返すことができる。そうなれば、アテナはこの憂鬱から解放されるし、アリスが過剰な負担を抱えるような事にもならないだろう。

 

 だが、逆に言えば、人材管理部長ほどの人物の賛成なしに、このような計画が審議にかかることもないのだ。

 

「私は……」

「貴女が反対しているのは分かるけどね」

 

 アテナの問いよりも、アレサの言う方が早く、そしてアテナの言いたいことを先取りしてすらいた。

 

「私は、あの娘がやり遂げると信じているわ。直接指導してきた貴女だからこそわかることもあるでしょうけど、直接接してきたからこそ見えないこともるんじゃないかしら」

 

 言葉に詰まる。アテナは確かにアリスを信じている。だが、信じているからと言って、今までに例のない程の期待と負担を彼女に背負わせるのが、正しいことなのだろうか。

 

「まあ、貴女が迷うのもわかるわ。それに協会の方も、一度アリス・キャロルの実力の程を見極めておきたいという意見もあるし、近々お披露目をしたいと思ってはいるのだけど」

 

 お披露目。おそらくはそこで、本当にアリスが『例の件』に相応しいかどうかを見極めるのだろう。

 

「いつ試験をするかは、貴女に任せるわ。お披露目の事も含めて、どんな風にするのか考えておいてちょうだい」

 

 アレサはそう言って、全ての引き金をアテナに委ねた。

 

 だが、そう言われても、未だに『例の件』の是非を迷っているアテナに、その引き金を引く決断ができるはずもない。

 

 アテナにとって、この春はまだまだ、憂鬱な日々が続きそうだった。

 

 

 

 

 親愛なるアンジェさんへ。ツアーコンダクターの勉強は順調でしょうか?

 

 私、アニエス・デュマがシングル・ウンディーネになってから、三カ月程が過ぎました。

 

 春の風が緩やかに頬を撫でる日々。シングルになったことで、私には数多くの新しい世界が拓かれました。

 

 

 まず、シングル向けの教本。シングルへの昇格試験場である『希望の丘』や、迷宮化している旧開拓村や廃教会など、ペアの技量では危険なために存在すら教えてもらえない土地が、私の地図に追加されました。

 

 次に、トラゲット。シングルになったことで許可される、大運河の渡舟営業。専門の長舟を使い、多くのお客さんを乗せて運ぶ、立派な営業活動です。

 

 我らがオレンジぷらねっとでは、最低一度の基礎講習の受講が推奨されています。私はまだ講習を受けていないので、トラゲットを体験したことはないのですけど、最近アリスちゃんと仲良くなった杏さんやアトラさんがトラゲットをよくやっているので、そのうちご指導をお願いしようと思っています。

 

 さらにご存じ、指導員を伴っての実地営業。ウンディーネとしてもっとも重要な、舟にお客を乗せての観光案内です。これについては、週刊ネオ・ヴェネツィアに掲載されたことで、随分経験を積ませて貰いました。この辺りの顛末は、サイレン事件の時にアンジェさんもご存じでしょう。(あの時は本当にありがとうございました!)

 

 そして、今回初めて体験した、ペア指導。そう、オレンジぷらねっとでは、シングルがペアと組をつくって、シングルが組のペアを指導するという制度があるのです(そういえば藍華さん曰く、姫屋にも同じような制度があるそうですね)。

 

 シングルになって、初めて体験するペア指導。これまではずっと教わる方でしたが、今度は日頃灯里さん達と練習している成果を、精一杯後輩達に伝えよう……そんな意気込みを漲らせていたのですけど。

 

 実際には、ちょっとややこしいことになりました。

 

 何故かと言うと……。

 

 

 

 

 どうしよう。

 

 これは予想してなかった。

 

 冷や汗が、じわじわと額に浮かぶ。

 

「ペア指導、大変だろうけど頑張ってね」

 

 と、アトラさんが言ってくれた意味、今なら心から理解できます。

 

 ペア指導は、シングルがペアについて、一対一で指導をするもの。

 

 その組み合わせは、大抵ペアの方からシングルの人にお願いする形となる。

 

 私の場合、アリスちゃんがムッくんファン繋がりで仲良くなった杏さんや、その友達のアトラさんなどのお世話になることが多かったのだけど。

 

 アリスちゃんは、いつも黙って、最後に余ったシングルの人に指導を受けていた。

 

 そしてそこから戻ってくる度に、アリスちゃんは機嫌を悪くしていた。だから、あまりアリスちゃんはペア指導が好きではないのだろうと思って、その話題には触れないようにしていたのだけれど。

 

 その日に限って、緊張が漂う組み分けの輪の中で。

 

 まるでモーゼが海を割るように、私と彼女の間の人波が割れた。

 

「では、今日は宜しくお願いします」

 

 と。

 

 彼女はきっぱりと、私に頭を下げた。

 

 ペアに走る動揺のどよめき。シングルに走る安堵のため息。

 

 そんな二つの波に挟まれて、私は金縛りに遭ったかのように、身体を強ばらせていた。

 

 今から思えば、アリスちゃんを指導するシングルの人は、誰もが悲壮な顔をしていた。

 

 多分、今の私も、彼女たちと同じような顔をしていることだろう。

 

 そっか。

 

 そーだ、そーなんだ。

 

 私がシングルで、アリスちゃんがペアだということは。

 

 つまり、いずれはどこかでこういうことになるということだったんだ!

 

「アニーさん、早く行きましょう」

 

 アリスちゃんが、急かすように言った。

 

 あの、仏頂面で。

 

 心なしか、普段より三割増くらい怖い顔で。

 

 ああ。

 

 どうしよう。

 

 針の筵とは、きっとこんな状況を言うに違いない。

 

 

 

 

 私の初のペア指導は、実にまあひどいものだった。

 

 いつも先輩たちに教えて貰っていたように、ペアが陥りがちな技術的ミスや気配りの要点の指摘。ペアだけでは難しいコースの選定。前の晩に夜なべして作り上げた私のプランは、アリスちゃん相手には何の意味も成さなかった。

 

 考えて見れば当然だ。私もそうではあるのだけど、私とアリスちゃんは、いつもシングルの灯里さんや藍華さんと一緒に行動している。つまり、ペアだから入れないだとか、ペアだから難しいという場所について、わざわざ意識することも少ない。

 

 特にアリスちゃんは操舵の腕前だけなら、シングルはおろかそこらのプリマにすら匹敵する(と噂される)腕前。藍華さんあたりが計画するプランについていけなくて櫂を降ろすのは私だけで、アリスちゃんは難無く藍華さんたちに追いついてしまう。

 

 ウンディーネとしての気配りや観光案内についても、私にはいつも灯里さんや藍華さんがやっているような指導はできない。お二人が持つ、ウンディーネに囲まれて育ったことで積み上げてきた経験と、天性の感受性。それらの洗礼を浴び続けた時間も、アリスちゃんは私より一回りも二回りも長い。

 

 ……私には、アリスちゃんに指導できるような、立派なものは何もない。

 

 とりあえず、当初計画したプランに沿って、運河をゆらゆらと巡った。ペアの子に操舵してもらうつもりだったから、少し時間に余裕を見て計画していたのだけれど、アリスちゃんの手にかかれば、少々の難所もお茶の子さいさい。はっきり言えば、私が操舵したときよりも、明らかにペースが早い。

 

 そして、一日かけてゆっくり巡るつもりだったコースは、お昼前にすべて攻略され尽くしてしまった。

 

「……やっぱり、アリスちゃんは凄い」

 

 真っ白になってしまった頭を抱えて、お昼ごはんに貰ってきたサンドイッチをほお張った。私の視線の先では、アリスちゃんがまあ社長にお弁当のバナナをぶら下げて、ちょうだいちょうだいをさせている。

 

 その表情は、どこか堅い。というより、どこかつまらなさそうにすら見える。

 

 確かに、つまらないだろう。私だったら午後のお茶までかかるくらいの課題でも、アリスちゃんにとってはいつものお散歩コース。そんなものを巡るだけでは、彼女が退屈してないはずない。

 

 何とかしないと。

 

 何とかしないと。

 

 焦りばかりがこみあげてくる私に、突如アリスちゃんが口を開いた。

 

「……アニーさん。午後の指導なんですけど」

「は、はいっ!?」

 

 思わず、敬語で答えてしまった。

 

「――っ、……午後は、ちょっと試したいコースがあるんですけど、お付き合い願えますか?」

 

 礼儀正しい、どこかよそよそしい声音。一瞬その顔が強ばったように見えたのは、気のせいだろうか。

 

「う、うん。ええと、どのコース? 地図にあるかな」

「いえ、地図には乗っていません。少し遠出ですけど、でっかい大丈夫です」

 

 そうでっかい太鼓判を押して、アリスちゃんが向かった先は。

 

 

 

 

 …………やばい。

 

 これは、やばいです。

 

 また、冷や汗が吹き出した。

 

 私の前に広がるのは、延々と続いて行く、細い水路。

 

 逆流が続き、交通量も多く、かつとても狭い、丘に続く高架水路。

 

 『希望の丘』に続く、あの細くて長い道。

 

「前々から挑戦してるんですけど、なかなか最後まで到達できないんです」

 

 悔しそうに口をへの字型に結びながら、アリスちゃんが水路の先、山向こうに覗く風車の頭を睨みつけた。

 

 アリスちゃんは、普段の学校のない日の多くを、ウンディーネとしての座学や合同練習に費やしている。そのために自由になる時間が少なく、あまり遠出の経験がない。早朝の合同練習や放課後の自主トレではまとまった時間は使えないし。

 

 『希望の丘』へのコースは水上エレベータの待ち時間などもあって、行ってくるのに往復三時間は見ておかないといけない。加えて、年齢のこともあってあまり体力のある方ではないアリスちゃんには、この水路を上流に漕ぐのは大変だろう。とすれば、いつも体力と時間のどちらかが切れて、悔しい思いをしているんじゃないだろうか。

 

 なるほど、アリスちゃんにとって、まさしくこの水路は壁。ペアであり、学生とウンディーネの兼業であるがゆえに、大きくそびえ立つジェリコの城壁。

 

 だけど、当面一番問題なのは。

 

 この『希望の丘』は、ペア・ウンディーネがシングルに昇格するための、試験場であるということ。

 

 別に、ペアの侵入を禁止されている訳じゃないのだけれど、協会が発行するペア向けの教本に、この場所の事は掲載されていない。私もアテナさんに連れてこられるまでこの水路の存在すら知らなかったし、昇格してからも、ペアにはここの存在を教えないように、と釘を刺されている。

 

 さあ、どうする。

 

 別に、一緒に行ってしまってもいい。アリスちゃんは自らの意思と向上心で、あの丘を目指している。今日は時間が十分にあるし、私が荷物になっていても、多分問題なく丘の上に到達できるだろう。

 

 でも、そこで思い出す。あの、オレンジに染められた風車の丘で、手袋を外されたあの瞬間の感動を。

 

 空と海と風と太陽、アクアの全てが私を祝福してくれているかのような。

 

 できることならば、アリスちゃんにも、真っ白なままで、あの感動を味わって貰いたい。

 

「うーん、と……、アリスちゃん。この先は水上エレベータがあって、そこの待ち時間が凄く長いんだよ。だから、予定をちゃんと立ててからでないと、帰るのが日が暮れた後になっちゃったりするから……」

「そこの丘のところまでですから、エレベータといっても二つか三つです。待ち時間は確か登りで三十分くらいですよね? アニーさんがいてくれれば、きっと大丈夫です」

 

 うう、理性的な反論に交えて、またしれっと心を揺さぶるフレーズ。こういう信頼の言葉がアリスちゃん流の甘え方だとわかっているからこそ、アリスちゃんの望みに応えてあげたいと思う。

 

 でも、私は知っている。アテナさんが、どれほどアリスちゃんのシングル昇格を楽しみにしているか。あの丘の上で、オレンジの光に包まれながら、アリスちゃんに「おめでとう」と言う日を心待ちにしているのか、知っている。

 

 それに加えて、アリスちゃんが希望の丘を目標に頑張っていると知れば、尚更だ。長年の目標達成と同時にシングル昇格だなんて、蚊帳の外から見ても最高じゃないか。

 

 だから、私は、嘘をつくことにした。

 

「え、ええと、そうだ。後輩指導はあまり遅くなり過ぎるといけないから、その、練習はそこまでくらいにしておこうよ、ね?」

 

 …………もう少し、なんとかならないのか、私。正直は美徳、誠実さは美しさとか言うけど、この瞬間ほど、もっと口車が回る性格に産んでくれなかった両親を恨んだ瞬間はなかった。

 

 案の定、アリスちゃんの視線が痛い。じーっと見つめる視線が、私の真意をまさぐるように感じられる。

 

 お願い、勘弁して、後でパフェでも何でも奢るから。

 

 視線を逸らして、冷や汗をだらだらと流す。一秒が一分、一分が一時間にすら感じられるような痛い沈黙の果て、無言のままにアリスちゃんが櫂を握った。

 

「……会社に戻ります」

 

 それだけ言って、アリスちゃんは舟を反転させた。

 

 それきり会社に戻るまで、私たちは無言のままだった。

 

 アリスちゃんが漕ぐ櫂の音だけが、いつになく耳障りにちゃぷちゃぷと騒ぎ、白い水波を描いていた。

 

 

 

 

「アニーさん」

 

 会社に戻り、トンネルの壁に櫂を並べているとき、ようやくアリスちゃんが口を開いた。

 

 見ると、私の事を呼んだにもかかわらず、アリスちゃんはこちらを見てはいなかった。

 

 片付けた櫂に手をかけたまま、僅かに俯いて。

 

 小さく、呟いた。

 

 身体が、強ばった。ずん、と全身が重くなった。

 

 アリスちゃんが足早に立ち去るのを、追いかけることもできなかった。

 

 耳の中で、小さなささやきが、何度も何度もリフレインする。

 

 アリスちゃんは、こう言ったんだ。

 

 小さく、感情を押し殺した声で。

 

「――残念です」

 

 

 何かが、軋んでしまった。

 

 そんな気がした。

 

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