「俺はもともと名前はなかった。俺を生んだ両親も知らないし、俺のことを知っている親戚なんかも一人もいない。あの男やお前らがいなくなったら、簡単に存在を忘れ去られてしまう曖昧なものなんだ」
「…………」
「けど、それでも俺は生きている。ここにいるのは夢でも幻でもないんだよ、杏子」
「……そんなこと、分かってるさ」
あの時と同じ答えを杏子は返してきた。
かたや、以前名前があったが、今はそれを失ってしまっている人間。
かたや、以前名前がなかったが、今は与えられた戸籍を得ている人間。
あるものからないものへ。ないものからあるものへ。
考えてみると真逆なんだな、俺達は。
「まあ、そういうことさ。いないはずの人間をいるようにするっていうのはそんなに不可能なことじゃないのさ。人間ってのは、そこまで無力なものでもない」
「それをあたしに話してどうしたいんだよ?」
「さあな。具体的にどうしたいかは考えていなかった。昨日お前の昔話を聞いたから、俺も話そうと思ったのが主な理由かな? 言っておくけど、このことを知っているのはあの男以外にはお前しかいないんだからな」
確かな理由があったわけではない。俺は多分、杏子に分かってもらいたかったんだ。そんな普通でない人間でも、普通の日常を送ろうとすることはできるってことを。
「確かに魔法少女である以上、ただ普通に暮らすっていうのは無理だな。でも、それでも今の日常や幸せを守りたいって思うのは、きっと間違いじゃないんだよ」
「あたし達に違いはない。だからあたし達は分かりあえるって言いたいのかよ?」
「俺はそう信じてる」
「無理だね。お前らが他人のために闘い続ける限り、分かりあうなんてできないね」
「……ほんとに強情だな、お前」
またこのパターンになってしまったか……だけどそれでも振り出しには戻っていないと信じたい。今の俺に出来るのは、あいつが折れるまで何度も言葉を重ねることだけだ。
「あたしは誰とも一緒に闘うつもりはない。お前らとも、暁美ほむらともな」
「暁美? 暁美とはもともと接点がないから手を組む余地はないんじゃないか?」
と言うより、杏子はどうして暁美の名前を知っているんだ? 俺はあの時黒髪ロングのまな板としか言っていなかったはずだ。
杏子は俺の疑問に答えるように話を続けてきた。
「昨日の昼にあいつから言ってきたんだよ。仲間になれってな」
昨日は暁美は学校を休んでいた。風邪ではないと思っていたが、ようやくその理由が分かった。
(暁美は学校をさぼって、杏子に接触していたのか……)
「でも、あいつが仲間を求めるなんてな。……ひょっとして俺達が狙いなのか?」
その話を聞いた以上、次に気になるのは当然なぜ暁美が仲間を欲したのか、ということである。だけど今言った理由だけであの暁美が仲間を欲しがるということは考え辛かった。
そして、その予想は当たっていた。
「あたしも最初はそう思ったけど違うようだった。強い魔女が来るから力を貸せってよ。まあ、信用できないから断ったけどね」
「強い魔女だって?」
「お前は聞いたことがないかもしれないけど、あたし達魔法少女の最大の敵……通称ワルプルギスの夜だ」
「――――え?」
今、杏子はなんて言った? ワルプルギスの夜が、アイツが来る、だって? 今まで見続けていた俺の悪夢の象徴が、この見滝原に来る、だって……?
「……あ、暁美は本当にそう言ってたのか? アイツがこの見滝原に来ると言ったのか!?」
「お、おい、裕……?」
知らずに俺は杏子の肩を掴んで問い詰めていた。今の俺は明らかに冷静さを失っていた。
「どうなんだよ、杏子!? 冗談なら本気で怒るぞ!?」
「ゆ、裕……い、いたいって……」
「あ……ご、ごめん……」
一瞬で頭が冷えた。何をやっているんだ、俺は……冷静さを失って杏子を問い詰めるなんて最低だ……
「裕……お前はワルプルギスの夜を知っているのか……?」
「ああ。俺は小さい頃からよく悪夢を見るんだ。キュゥべえ達にそれを話したら、それがワルプルギスの夜だって……」
「なんだそりゃ……」
「そのことをあの男に話したこともある。その時はとぼけられたけど、最近になってあの男もソイツを知っていることを認めたんだ。けど、今は知る必要はないって言われて……」
「裕……お前、震えているぞ……?」
言われて気付いた。頭が冷えたと思ったら、今度は震えていた。俺は怖がっているんだ。アイツが俺の世界を破壊していくことに、俺以外のなにかがアイツを求めてしまうのが怖くて怖くて仕方がないんだ。
(くそ、怖がっている場合じゃないだろ!? 落ち着け、落ち着け……え?)
そのとき自分が暖かくやわらかい何かにつつまれた。一瞬なにがなんだか分からなかったが、それが杏子の身体だと気付いたのは数秒たった後だった。
「杏、子……?」
「……母さんが昔あたしや妹がこわい思いをして震えていた時にこうして落ち着かせてくれたんだ。お前の震えが止まるまではこうしていてやるよ……」
そう言って頭をなでられた。そうしてもらっている内にだんだん気持ちが落ち着いてきた。震えが止まった所で杏子から離れた。
「……ありがとな、杏子。おかげで落ち着いたよ」
「別に……飯を食わせてもらった恩もあるしな……」
そういってそっぽを向かれた。その顔は若干赤い。俺もさっきの感触を思い出すと顔が赤くなってきた。
(あの感触気持ちよかったよなぁ……もう少しあのままでも、っていかんいかん!!)
「ま、まあ、気にすんな、裕! あいつの言っていたことが本当である証拠はないんだからな!」
さっきの雰囲気を誤魔化すように、俺を慰めるために、杏子はそう言ってくれる。しかし、俺はそれに素直に頷くことはできなかった。暁美は意味もなくそんな嘘をついて杏子を味方につけようとするのだろうか?
「……いや、案外嘘ではないかもしれない」
「なっ……」
慰めてくれるところで悪いが、ここで現実逃避しているわけにはいかない。ヤツのことに関しては真剣に考えないとまずいのだ。もしも暁美が普通の人間なら、嘘と思うことができるのだが、彼女は魔法少女だ。そうだ、彼女の能力は確か……
(時間、停止……)
考えてみると、暁美の時間停止という能力は俺達が結論付けたものだ。それが正しかったことは暁美の反応で分かったが、それが暁美の能力の全てだと、暁美以外の誰が決められるって言うんだ? まだ俺達が知らない能力を暁美が持っているということは十分考えられるじゃないか。
暁美は近い内にアイツが来ることを言っていた。それならあいつはどうやってその情報を知ったんだ?
あいつの魔法の一つは時間停止。なら他の能力もまた、時間に関連するものだとするなら?
そう、俺達は今まで『時間を止める能力』だと思ってきたが、もう少し視野を広めて『時間を操る力』と考えたらどうなるだろう?
時間を操ることで考えられるのはよくあるSF小説だとタイムマシンだ。だけど過去へ未来に行けるというのはおそらく違うだろう。そんなことができるなら、ある時間では暁美が複数存在することになるはずだ。だとするなら、他の仲間を得ようとすることに説明がつかない。第一、複数存在できるのなら、あいつはマミさんの拘束等からもっと上手く立ち回ることができたはずなんだ。
だけど、行くことができなくても、その起こりうる未来を観測するくらいはできるんじゃないのか? そうだ。近い内にアイツが来るなんて誰も知らない情報を知る方法なんてそんなにないはずだ。
そこまで考えた所で、俺は今考えた推論を杏子に話すことにした。
「杏子。暁美の魔法は時間を操る能力なんだ。このことを考えると、あいつは過去や、未来を知ることができるのかもしれない」
「時間を、操る……!?」
「つまりあいつは遠くない未来にワルプルギスの夜が来ることを能力で知った。だから同じ魔法少女の仲間を集めようとしたんじゃないか?」
「嘘だろ……」
俺の説明に杏子は茫然としていた。無理もない。暁美の能力が規格外なだけではなく、ワルプルギスの夜が来るということが真実である可能性が高いことまで分かってしまったのだ。しかし、そうだとすると俺達もぼやぼやしていられない。
「……杏子。この場は一時休戦しないか?」
「なに……?」
「ワルプルギスの夜が来るかもしれないと分かった以上、俺達だって無関係とは言えない。放っておいたら、見滝原市がアイツに破壊されてしまう」
「だから、あたしも一緒に闘えってか?」
「ああ、頼むよ」
もはや、勝負にこだわっている場合ではない。この町が破壊されたら全て終わりなのだ。俺達は力を会わせてアイツを倒さないといけないんだ。杏子も分かってくれるはずだ。
そう思っていたために、俺は次の杏子の言葉が信じられなかった。
「……断る」
「は……?」
「あたし達は今勝負の真っ最中だろうが。ここでマミ達と一緒に闘ったらあたしの負けになるだろ」
「そ、そんなこと言ってる場合か!? バラバラに闘ったら負けるかもしれないんだぞ!?」
「なら、あたしは風見野に帰ることにするよ。わざわざ闘わないで逃げればいい」
確かにそれが合理的ではあるが、今の杏子からそんな台詞が出るとは俺は信じたくなかった。それに他の人を逃がすことだって、魔女が来るから避難しろだなんて言える訳がないのだから、無理なことなのだ。だからこそ、俺達は逃げずに闘わないといけないのに、こんなんじゃ……
「なら、勝負は俺の負けでいい!! だから力を貸してくれ、杏子!!」
杏子が俺達と闘うことを拒否する理由がそれであるなら、ここで俺が折れたらもしかしたら……
「あたしの勝ちってことなら、お前はあたしに従うんだろ? だったら裕、お前も風見野に来い」
「そんなことできるか!!」
「お前は勝負の約束を反故にするようなやつだったのか? あたしをがっかりさせるなよ」
なんで杏子はこんなに意固地になっているんだ? 利己主義であるはずの今の杏子なら、こんなに勝負にこだわるはずがない。見滝原の人達より、俺との勝負の方が大事だなんてことがあるはずがないのに……
「なんで分かってくれないんだよ……」
「お前こそなんで分からないんだよ、裕。どうせならあたしと一緒に風見野へ逃げればいいだろ? 慣れない所の生活はきついだろうけど、あたしが面倒みてやるよ。それにお前は一人暮らしなんだし、失うものはあまりないだろ?」
「なに……!?」
今の杏子の言葉は許せなかった。失うものがあまりないだと? ふざけるな。ここは恭介達と過ごしてきた俺の思い出がたくさんある大切な場所なんだ。そこを見捨てるなんてできるわけがない……!!
「俺が、馬鹿だったよ」
「は……?」
「お前と一緒に闘いでもしたら、俺達は逆に危険にさらされるな……だって……」
俺は失望や侮蔑を惜しみなく込めて杏子を見た。
「お前は卑怯者なんだからな」
「なんだって……?」
「お前はどうせ怖いんだろう? ワルプルギスの夜と闘うのがな。それを言いたくなくて俺との勝負を理由に逃げている。……お前にはがっかりだ」
「あたしはそんなことはしない!!」
「嘘つくな!! お前がそんなことを言うやつだとは思わなかった!! お前は俺との勝負も、俺の大切なものも汚い足で踏みにじっているんだ!!」
「そんなことするか!! あたしの方がお前との勝負を大切にしてるだろうが!!」
「どこがだ!! 本当にそう思ってるなら、そんなことを口にするわけないだろうが!!」
「裕、なんでお前は分かってくれないんだよ!?」
「分かるか!! 卑怯者の考えなんて分かりたくもない!! お前なんて、どうせ……」
俺はその先を言うべきではなかった。だけど、止めることなんてできなかった。だって、許せなかったんだ。俺が大切にしている『日常』を、そんな風に言ってほしくはなかった。それを他でもない杏子には言ってほしくなかったんだ。
「自分が助かるためだけに、人を欺く魔法少女になったんだろうが!!!」
「っ!?」
言ってしまった。これはただの推測でしかなかったが、この時の俺はそれが事実であるようにして杏子を糾弾した。そのときだった。
「裕ぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっ!! てめえぇぇぇぇぇぇ!!」
彼女は憤怒の形相を浮かべて持っていたソウルジェムから槍を出して俺に襲いかかってきた。俺もさやかの剣を出し、体のリミッターを外して迎え撃った。剣と槍がぶつかり合った反動で俺達の体は共に後ろに飛ばされた。
すぐに体制を立て直し、俺達は互いに睨みあっていたが、そのときの杏子の表情に怒りとは別の感情があるような気がしたが、それすら考えることも馬鹿らしくなってしまった。
「……もういい。好きにしろよ、杏子」
「え……?」
「もう勝負の話はなしだ。お前が風見野に逃げたいんなら、好きにしろよ」
「お、お前、あたしとの約束を反故にする気か!?」
「勝負を反故にされて失望するなら、それも勝手にしろ。お前に嫌われようが、もうそんなことはどうでもいい」
「お、お前はどうするんだ……?」
「俺は闘うよ。ここは、俺にとって大切なものがたくさんあるところなんだからな」
「し、失敗するかもしれないんだぞ!? 全てを失うかもしれないんだぞ!?」
「言ったはずだ。たとえどれだけ危険だとしても、俺の意志で決めたことだから後悔はしない」
そう言って俺は背を向ける。もうここに用はないという意志表示だ。
「ま、待てよ、裕!!」
「……できるならさ、俺はお前と一緒にこの町を守りたかったよ。お前なら、分かってくれると思ってた。そう思えるくらいには、俺はお前のことを知っているつもりだったけど、結局俺の独りよがりでしかなかったんだな。そこだけは、謝るよ」
「裕……」
「……さよならだ、佐倉杏子」
俺は決別の言葉を告げて教会を出ていった。
昨日と同じように佐倉杏子はその場に立ち尽くしていた。しかし、昨日とは状況が明らかに違っていた。彼がもう二度とここには来ない、ということが彼女にとっては一番大きかった。
「はは、は……あたしは何を期待してたんだろうな……? 分かってたことじゃん……あたしが一人なんだってことは……」
彼女はうわごとのようにつぶやく。しかし、彼女は絶望に落ちたりはしなかった。
「あたしは認めない……人のために闘うなんてやつは……」
今の彼女を支えているのは自分の魔法少女としての矜持だけだった。それゆえ、自分以外のものを守ろうとする人間は認められない。ましてや、他人のために願いを叶えた魔法少女など、彼女は絶対に許すことなどできはしない。その時彼女はある少女のことを思い出した。
「美樹、さやか……」
彼女は自分の好きな相手の手を治すためにキュゥベえと契約して魔法少女になった。そのことが彼女を苛立たせる。佐倉杏子の魔法少女としての矜持が美樹さやかの存在を否定する。
「あたしは、お前のことも認めない、絶対にだ」
そう言って佐倉杏子は強い足取りで歩きだして行った。
俺は無我夢中で歩いていった。心臓が嫌な鼓動をきざんでいたが、これは自分の鼓動であることはすぐに分かった。やがて俺は立ち止まった。
「なんで分かってくれないんだっていうのは俺の台詞だ……」
俺はうわごとのようにつぶやく。今は胸にぽっかり穴が開いたような喪失感が俺を襲っていた。
「杏子の、ばかやろう……」
その言葉は誰にも届かず、空しく空に昇るだけだった。
裕一と杏子の大喧嘩です。とりあえずどっちも悪いように二人をかなりうざく書いてしまいました。もちろん、このままでは終わりません。
それから裕一のほむらの能力の考察ですが、裕一のSF関連の知識は数冊読んだだけのものなので、並行世界という概念は理解していません。そのため、ほむらが時間遡行者であることには気付くことはできませんでした。