俺はあてもなく歩いていた。幸い今は夕方だったため、誰かに見とがめられることもなかった。
(こんなこと、している場合じゃないのにな……)
本当なら、今すぐマミさん達と会ってワルプルギスの夜について話し合わなければならない。しかし、今はどうしてもそんな気になれなかった。
(俺……こんなに弱かったっけ……)
杏子と決別した苦しみがじわじわと俺の心を蝕んだ。今日はこのまま帰って寝よう。マミさん達には明日連絡を取ることにしよう。そんなことを考えていたときだった。
「えーん、えーん……」
「……ん?」
子供の泣き声が聞こえてきた。声のする方に振り向くと、小さな男の子が泣いていた。
「パパ、ここどこ? おうちわかんないよ……」
「っ!? あの子は確か……」
俺はその子に近づいて声をかけることにした。
「こんにちは、タツヤ君」
「……? お、お兄ちゃん、だれ……?」
「あれ、覚えてないか。俺は君のお姉ちゃんの友達だよ」
「お、お姉ちゃんの……?」
「前に君の家に行ったことがあるけど、あの時は夜遅かったから、君は寝むかったから覚えてないのかもしれないね」
「ふぇ……」
「ひょっとして、迷子かな? 俺は君の家の場所を知っているから、連れて行ってあげようか?」
「パパに、あいたい……」
「よし、お兄ちゃんに任せなさい」
そう言って俺はまどかの弟、鹿目タツヤ君の手を引く。しかし考えてみると、タツヤ君にとって俺は知らない人になる。今はとりあえずついてきてくれているが、本来は危険な行為である。
(後でむやみに知らない人について行っちゃいけないことも言っておかないとな……)
そんなことを考えながら、俺達はまどかの家へ向かった。
「よし、着いたよ、タツヤ君。ここが君の家だろう?」
「あい!」
「じゃあ、ちょっと待っててな」
俺はインターホンを押した。しばらくして誰かが出てきた。
『はい』
「すみません、以前お会いした洲道裕一です。お宅のタツヤ君が迷子になっていたのでこちらに連れて来ました」
「やあ、久しぶりだね、洲道君」
「お久しぶりです。知久さん」
俺は今まどかの家のリビングで知久さんの入れてくれたお茶を飲んでいる。
鹿目知久。この人はまどかの父親で、専業主夫をやっている。働きに出ている妻の鹿目詢子さんや、娘のまどか、息子のタツヤ君を支える縁の下の力持ち的な存在だ。料理もこの人が作るのだが、以前まどかの弁当を食べた時、そのあまりの旨さに驚いてしまった。いつか、料理のレシピをものにしたいものである。
「君に家族を連れてきてもらったのはこれで二度目か。君には感謝してもしきれないよ」
「いえ、そんなことは……」
以前俺はこの家にこの家の家族を連れて来たことがある。今回はタツヤ君を連れてきたが、前回は詢子さんを連れてきた。それもひどく酔っ払った状態でだ。
一年の冬の頃、俺はバイト帰りに近道を通っていたときに道端で女の人が倒れているのを見つけた。
「たく……あのハゲ……さっさと会社辞めて椅子をあたしに譲れっての……」
なんだかうわ言をつぶやいている。どうやら、飲み会の帰りに飲みすぎで倒れてしまったようだ。
「もしもし、俺の声が聞こえますかー?」
とりあえずこの寒さでこのまま放っておいたら、命に関わる。俺はまず意識があるかどうか確認するために女の人に声をかけた。
「……んあ? ……おいハゲ、とっととあたしに椅子ゆずれ……」
「俺はあなたの上司じゃないですからね。あとハゲちゃうわ」
どうやら相当酔っているようだ。しかし、これ本人に言ったらまずいことになることに気付かないのかな?俺は言葉を続ける。
「このままだとあなたの命に関わりますから、とりあえず通りに出てタクシー拾いますね。ちょっと失礼……」
そう言って俺は女の人の肩を担いで歩きだした。
「おうハゲ……なんか無駄に筋肉つけてんじゃんか……スポーツクラブにでも通ってたのか……?」
「そんな金ありませんよ。今の食いぶちを稼ぐだけで精一杯です。あとあなたはどうやったら俺がハゲに見えるんですか? この髪が目に入りませんか?」
そんなやり取りをしながら、通りに出てタクシーを拾った。女の人に頑張って住所を言ってもらい、ようやく家に着いた。俺はインターホンを押して、家族の人を呼んだ。
『はい』
「すみません、帰りの途中でそちらの家の方が酔い潰れていましたので、タクシーでここまで連れてきたのですが……」
『ええ、ママが!? しょ、少々お待ち下さい!!』
そう言ってインターホンが切れた。すぐに家の人が駆けつけてくるだろう。けど、今の声、どこかで聞いたことがあるような……? そんなことを考えていると、ドアが開いて女の子が出てきた。
「ママ!! って洲道君!?」
「はい、お茶をどうぞ」
「ありがとうございます。ああ、あったまるなぁ……」
俺は今まどかの家のリビングでまどかのお父さんにお茶を入れてもらっていた。先ほどの女の人、まどかのお母さんはまどかやお父さんと一緒に部屋へ運んで行って、今はぐっすり眠っていた。このとき騒ぎが聞こえたのか、男の子が眠そうな顔で部屋から出てきたが、どうやらまどかの弟のようであり、まどかがもう一度寝かしつけていた。
「洲道君、だったね。僕は鹿目知久。うちの家族を連れてきてくれて本当にありがとう。君のおかげで彼女は無事に帰って来れた。君には感謝してもしきれないよ……」
「ママを助けてくれて本当にありがとう、洲道君……!」
まどかとお父さんはさっきからこんな調子だった。このままだといささかやりにくい。
「お気になさらないで下さい。それにしても偶然出会った人がまどかのお母さんだなんて……世間って案外狭いものだな、まどか」
「あはは、確かにそうだね。でも今はそのことに感謝しているよ」
本当に人の出会いというものは分からないものだ。俺はまたお茶をすする。
「それにしても、まどかのお父さんの……」
「僕のことは知久でいいよ。あと、うちのママのことも詢子さんと呼んでいいからね。きっとママも気にしないと思うから」
「そうですか? じゃあ知久さんの入れたお茶は美味しいですね。ぜひ入れ方や、どこの茶葉を使っているのか教えてほしいです」
「気に入ってくれて嬉しいよ。なんならメモに書いて渡そうかい?」
「え、いいんですか?」
「君はママの命の恩人だからね。気にすることはないさ」
やった。このうまい茶が毎日飲めるのは大変すばらしい。俺は今日のこの出会いに感謝した。
その後は少し料理について語り合った。彼の長年の主夫としての経験は一人暮らしの俺にとって、大変ためになる話だった。ちなみにまどかはあまり話にはついてこれなかった。料理は早目に覚えておいて損はないですよ、まどかさん?
「それじゃあ、もう夜も遅いですし、そろそろお暇しますね」
「うん、洲道君、また明日学校でね」
「洲道君。夜は遅いから気をつけて帰るんだよ」
俺は知久さんからお茶の入れ方を書いたメモをもらい、家に帰って行った。
後日、俺はバイト帰りにまどかの家へ寄って行った。この前介抱した詢子さんがお礼を言いたいとのことなので、夜遅くに会うことになった。お互いの時間がなかなか合わなかったため、この時間しか会うチャンスがなかった。
「君が洲道裕一君か……あたしは鹿目詢子、まどかの母親だ。この前は世話になったよ。君がいなかったら、あたしはお陀仏だったかもしれないからな」
「いえ、お気になさらず」
「あの時のことはなんとなく記憶にあるんだ。君にはずいぶん失礼なことを言ってしまったね。すまなかった、君はハゲなんかじゃない」
「ええ、分かっていただけてとてもうれしいです」
俺達は互いに笑い合った。こうして話してみるとなかなか楽しい。詢子さんは気さくでさばさばした性格の人だった。
「それにしても君の体は相当鍛えられているな……まどかと同じ中学生とは思えないよ」
「小さい頃から鍛えられているんですよ。お褒めいただき光栄です」
「うちのパパも君のことを褒めていたよ。料理の話し合いはとても楽しかったと言っていたよ」
「ええ、俺にとっても、とても有意義な時間でした」
その後も俺達は雑談にふけっていたが、あるとき詢子さんがこんなことを言ってきた。
「ふむ。君が成人する頃にはあたしはきっとあのハゲだけじゃなく、あのチョビヒゲの椅子も奪っているだろうな……洲道君」
「なんでしょう?」
「君は将来うちの所に来る気はないかい? 君がうちに来るなら、いいポストを用意できると思うが?」
そう言って詢子さんはにやりと笑った。俺は苦笑してしまった。きっと俺が社会に出る年になる頃にはこの人はもっと上の地位にいるに違いない。
「ありがとうございます。候補の一つに入れておきますので、その時はよろしくお願いします」
俺はそう答えておいた。正直言って俺はこの先まともに就職できるかは分からなかった。あの男は学校へ通えとは言ったが、卒業した後はどうなるかは分からない。その時の俺は、そう答えるしかなかったのだ。
俺が以前のことを思い出しているときに知久さんが話しかけてきた。
「君には世話になりっぱなしだね。どうかな? 今日は家で夕食を食べていかないかい?」
ありがたい申し出だが、断ることにした。今日は家に帰って休みたかった。だからこそ、まどかと会うのはなるべく避けたかったのだ。
「いえ、家で用意していますので……」
ちなみに俺は知久さん達には俺が一人暮らしであることは言っていない。教えても場の空気をさますだけだし、同情されるのもいやだったからだ。
「そうかい? 残念だな……」
知久さんの残念そうな顔を見て少し罪悪感がわきあがった。だからせめて以前した料理の話をすることにした。知久さんの話はやはりためになるもので、しばらくその話で盛り上がった。
「それじゃあ、裕一君はもうあまり料理はしていないのかい?」
「いえ、最近また始めたんです。今日も弁当を……」
そこまで言ったときに、また杏子のことを思い出してしまった。未練がましい自分に嫌気がさしてしまった。
「……洲道君。なにか悩みがあるのかい?」
顔に出てしまったのだろうか? 知久さんが心配そうな顔をこちらに向けていた。
「もしよかったら話してみてくれないかな? 誰かに話すことで楽になることもあるよ」
そう言って知久さんはほほ笑んでくれた。俺は一瞬迷ったが、楽になりたい一念で話すことにした。
「……ついさっき、友達と喧嘩をしちゃったんです。あいつに言われたことでカッとなっちゃって、ひどいことも言ってしまって……」
「……そうかい」
「俺、あいつなら分かってくれるって思ったんです。自分のためにしか行動しないなんて言っているけど、本当は他人のために頑張れる、いいやつなんだって信じていたんです」
「…………」
「あいつのことを信じていない人もいたけど、俺は今まであいつの姿を見てきた。だから、俺は信じられたんです。いや、信じたかったんです……」
「…………」
「あいつは一人になろうとしていた。でも、それじゃ駄目なんだって俺は分かってたんです。一人ぼっちは寂しいですから……」
「…………」
「俺が一人のときにまどか達が手をさしのべてくれたように、俺もあいつに手をさしのべたかった」
「…………」
「だから、あいつが分かってくれなくて、何度言っても突っぱねられて、信じていたものが裏切られたと思って、俺の想いはただの傲慢だったかもしれないと思っちゃって、訳分かんなくなっちゃって……」
「…………」
「俺、あ、あんなひどいこと、言っちゃって……!」
あの時の杏子の顔を思い出す。俺の言葉で彼女は激昂していたが、同時に悲しい表情もしていた。あれは自分のことを分かってくれなかったときの悲しさだったのだろうか? だとしたら、俺はそれを分かってやらなければいけなかったのだ。俺は結局彼女のことを信じてやれなかったのだ。
「あ、あ、お、俺は、なんてことを……!」
その瞬間涙があふれてきた。彼女を最後まで信じてやれなかった自分が憎らしかった。彼女をまた一人にしてしまったことを激しく後悔した。いろんな感情がごちゃまぜになってしまって、涙が止まらなくなってしまった。
「……洲道君、君は今でもその子のことを信じているのかい?」
「え……?」
知久さんが急に尋ねてきた。涙で顔がぐちゃぐちゃになっていたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
「僕は少しだけだけど、君という人間を見てきた。そして君がそこまで信じている人なら、僕もその子を信じることができる」
「知久、さん……」
「君がもう一度その子を信じてあげることができれば、きっとその子も答えてくれると、僕は思うんだ」
「け、けど、俺……」
俺はもう一度信じることが怖かった。また、突っぱねられて裏切られるのではないかと思ってしまうのだった。そんな自分に対してまた自己嫌悪に陥ってしまった。
「洲道君。一度裏切られた後で、もう一度信じることがどれだけ難しいかは、僕にもよく分かる」
知久さんは今まで見たことのない真剣な表情で俺を見つめていた。
「でもね、そのときにもう一度信じる勇気を持つことができれば、きっとその気持ちは届く。その想いはなによりも尊いと、僕はそう思うんだ」
「信じる、勇気……」
「君がどうしたいのかは、君にしか答えが出せないんだ。君はどうしたいんだい?」
「俺、は……」
俺はどうしたいのか? そんなことは決まっている。あいつの望んでいない生き方を止めさせて、素直になってほしい。そして俺達と一緒に闘ってほしい。そのためには、もう一度杏子と向き合わなければならない。
「俺は、もう迷いません。たとえ何度裏切られようと、今度こそ最後まで杏子を信じ続けます……!」
俺は宣言する。俺の心臓の鼓動もそれと同時に強くなる。全身に力がみなぎってくる思いだった。
「うん、よく決心したね。その想いはきっと彼女に届く。僕は君と、その子のことを信じているよ」
そう言って知久さんはほほ笑んでくれた。今日この人に会えてよかった。おかげで俺はもう一度立ち上がることができたんだ。
「本当にありがとうございました、知久さん。あなたのおかげで俺は目が覚めました」
「気にすることはないさ。君には何度も助けてもらったからね。君の力になれたなら、こんなに嬉しいことはないよ」
「俺はもう一度杏子に会いに行きます。そして、何度でも俺の気持ちをあいつにぶつけます」
そうと決めたらもう行かなければならない。あいつがまだあの教会にいるかは分からないが、いなければ見つけるまで探すだけだ。
「洲道君、最後に一ついいかな?」
「はい、なんでしょう?」
「これは、うちのママも使っている言葉なんだけどね。もし、これから先また困難なことがあったら……」
知久さんと詢子さんの言葉……一体なんだろうか?
「一度、原点を見直してみればいい」
「原点、ですか……?」
「物事には必ず始まりがある。人はよく前しか見ないが、ヒントは後ろを振り返った先にあることも多いんだよ」
なるほど、そういう考えは確かに正しい。俺も何か壁にぶち当たったら、参考にさせてもらうとしよう。
「分かりました。肝に銘じておきます」
「それじゃあ、今日はありがとうございました」
「うん、これからもうちのまどかをよろしく頼むよ」
「ええ、こちらこそ」
玄関の先で挨拶を交わしていると、部屋から出てくる子がいた。タツヤ君だ。
「お兄ちゃん、かえっちゃうの?」
「ああ、俺はこれから友達と仲直りしに行かなくちゃいけないからな」
「お兄ちゃん、ともだちとケンカしちゃったの?」
「そうだよ。こっちから手を伸ばさないと、何も変わらないからな。タツヤ君も友達は大事にするんだぞ?」
「うん、もちろん! てつやくんもだいじなおともだちだよ!」
「そっか、えらいぞ」
「あとねー、あおいちゃんにちわちゃん、かおりちゃんにえりちゃんにあいちゃん、それにえみりちゃんや他のみんなもだいじなおともだちだよー!」
「…………」
気のせいだろうか? 最初の一人以外全員女の子だったような……
(この子はまさか将来たらしになるんじゃ……いやいや、知久さん達もいるし、それはないか)
そもそも幼稚園児の交友関係なんてそんなものかもしれない。俺は幼稚園に行った記憶はないため、その辺りは分からないが。
「とにかく、タツヤ君も友達のことは大事にするんだぞ? 友達は信じてあげれば、きっとそれに応えてくれるからな」
「あい!」
俺の言葉にタツヤ君は力強く頷いてくれた。この子は俺と同じ間違いをしないことを強く祈った。
「あとそれからお父さん達からも言われてるだろうけど、いくら迷子になって困っていたからって、知らない人にむやみについていっちゃ駄目だからな?」
「あい!」
俺の忠告にもタツヤ君は頷いてくれた。今回は無事だったが、外は安全とはいえないのだ。幼稚園児だからこそ、それくらいの危機感は持ってほしかった。
「それじゃあ、俺はこれで」
「うん。いつか家の夕食を食べに来てね」
「お兄ちゃん、きょうはありあとー!」
俺は二人に見送られて鹿目家から去って行った。
「さて、と……杏子はまだあの教会にいればいいんだけど……」
もうすっかり暗くなってしまっていたから、もしかしたらホテルの方へ行ってしまったかもしれないが、それなら明日も学校を休んで探すまでだ。俺はあきらめないと決めたのだから。とにかく今は教会の方へ向かうとしよう。
(けど一時休戦ということにするにしても、あいつになにかメリットを提示できればいいんだけどな……)
まず思いつくのはワルプルギスの夜が落とすグリーフシードだ。最強の魔女と言われるくらいなのだから、何か特別な力があるのかもしれない。しかし、そうなると先にマミさん達と一度話し合わないと駄目だろう。先にマミさん達と合流すべきかもしれない。
「……あれ、あいつは……」
そんなことを考えていたら、とある人物の後ろ姿が見えた。今日は会いたくないと思っていたが、今は知久さんのおかげで立ち直れている。呼んでみるか。
「おーい、まどか?」
「っ!? す、洲道君!!」
俺が声をかけると、まどかが弾かれたように振り向き、こちらに駆け寄ってくる。
「洲道君、大変なの!! さやかちゃんが、マミさんが、杏子ちゃんが……」
「……な、なにかあったのか?」
このときの俺はまだ甘かったのかもしれない。魔法少女の真実というものを知らずに解決しようとしていたのだから。
今日という日は、まだ終わらない……
次は魔法少女の真実の一つが判明してしまうあの場面です。一度時間が戻ります。