杏子が走って行った先は教会だった。
頭に疑問はいくつもあった。さやかは救われた。だと言うのに、杏子はなぜその場から逃げるように走り去って行ってしまったんだ?
「どうしたっていうんだよ、杏子? あんなに必死に走り去ってさ。もしかして、あの場にいるのはやぼだから早く立ち去ろうと思ったのか?」
とりあえず思いついたことを口にしたが、いくらなんでもそれは違うということは自分でも分かっていた。それでも俺は杏子の真意を知りたかった。
「そういえばさぁ……」
その時杏子の声は今まで聞いたこともないような重さを漂わせていた。彼女の後姿から発せられる今まで感じたことのないプレッシャーに背筋が凍ってしまった。
「まだお前には話してなかったよな? どうしてあたしの親父が壊れちまったのか」
「杏、子……?」
今までさやかのことであんなに一生懸命だったのに、どうしていきなりお前の親父さんの話をするっていうんだ? 俺は今の杏子から聞くのが怖かった。だけど杏子はそんな俺にお構いなしに続けた。
「それ、あたしなんだ。あたしがさ、ぜーんぶ壊しちゃったんだよ」
「な……」
今、杏子はなんて言った? 杏子が壊した? つまり彼女の家族が死んでしまった原因は、親父さんじゃなくて杏子だったっていうのか?
(……落ち着け、あいつが喜んで誰かを殺すような人間か? そんなわけがないだろうが)
そんな風に考えることはあいつに対しての冒涜だ。俺はあいつのことを信じ続けると決めたのだから。だからこそ、俺は言ってやった。
「お前が自分の意志で殺したわけじゃないんだろ? 紛らわしい言い方するなよ」
「……ふふっ」
そんな俺に対して杏子は、まるで愚か者を蔑むかのように笑った。
「おめでたいやつだな、お前は。お前があたしのことをどれだけ知っているっていうんだ?」
「少なくともお前がそんなやつじゃないって言えるくらいにはお前のことを知っているさ」
「あはははははは!!!」
とうとうこらえきれずに杏子は大きな笑い声をあげた。その笑い声はあまりに暗いもので、俺が知る佐倉杏子のものではなかった。
「まあいいさ……お前に教えてやるよ、洲道裕一。このあたしの、佐倉杏子の本性ってやつをさ。お前が抱いているあたしの虚像を跡形もなくぶっ壊してやるよ」
……こんなに早くあいつの原点を知ることになるとは思っていなかった。だけどそれを知ることがいつか来ることはなんとなく予想していた。俺はあいつの過去から逃げることはできない。
とにかく、今は杏子の話を聞くことにしよう。
「あたしの親父はさ、元々馬鹿正直で優しすぎる人間だったんだ。新聞を読むだけでも涙なんかを流しちまうような、さ。そんな風に世界を嘆く親父は、世界中の人間を救うために新しい信仰が必要だと言っていたんだよ」
それは以前杏子が語らなかった彼女の父親についての話だった。そんな人間がどうして杏子の家族を死なせようとするほどに壊れてしまったのかは全く想像がつかなかった。
「世の中には絶望があふれている。呪いや憎悪が人の心を蝕む。だけどそれに屈してはならない。私達は絶望に打ち克たなければならない、希望の力によって。それが親父の新しい信仰だった」
「絶望に、希望、か……」
絶望の象徴である魔女を打ち払う、希望の象徴である魔法少女。それはなんとなく今の現状を指しているような気がした。
「けどさ、考えてもみなよ? 今まで経典の言葉を繰り返していた神父がいきなりそれらを否定して新しい宗教を布教し始めたら、今までの信者はどう思う?」
「それは……」
もしも心の拠り所としている自分の宗教を否定されたとしたらどうだ? 簡単に受け入れられるはずがない。信者からしたら、己の宗教を脅かす敵にしか見えなくなってしまうだろう。
「……受け入れようとはせずに、白い目で見るだろうな」
「当たり。はたから見れば、うさんくさい信仰宗教そのものだからね。受け入れられないのも当然さ。そのせいで信者の数も減って、信者の少ないお布施で暮らしてきたあたし達はさらに生活に困るようになっちまったんだよ」
生活に困るようになったのはそういう理由からだったのか。その生活から杏子は食べ物に執着するようになったわけか。
「馬鹿だよな、親父も。自分にとって正しいと思えることだとしても、それが他人にとっても正しいことであるとは限らないっていうのにな。そんな当たり前の現実からも逃げちまって、働くこともせずにただ世界の理不尽さを嘆いていたんだ。救いようがないよ、本当にさ」
そう言って杏子は自分の父親を罵倒し続けた。それも紛れもない彼女の想いなのだろう。だけど、それだけで終わるはずがなかった。目の前の彼女こそが、その証明なのだから。
「だけどその当時……親父よりもっと馬鹿なやつがいたんだよ。それがあたしだった」
彼女はその当時、父親の話を聞こうとしない信者達に怒りを抱いた。父さんは正しい事を言っているのにどうして聞こうとしないのかと。そんな周りの信者達、ひいては周りの世界を変えたいと思って杏子はその手を伸ばしたんだろう。
「その時のあたしは誰もあの人のことを理解しようとしてくれないことが我慢できなかった。だからあたしは奇跡にすがったんだよ。親父の話を真面目に聞くようにってね」
それこそが佐倉杏子の原点だった。彼女はさやかと同じように、自分の大切な人を救うために願いを叶え、魔法少女になったんだ。
「魔法少女になってからすぐにあたしは親父を連れだして説法するように言った。結果は大成功さ。今まで親父を無視していた信者達は親父の話に真剣に耳を傾けていた。お布施の数も増えて生活も安定したんだよ」
それはまさに奇跡と言ってもいい。だけど俺はそれがなんだか怖ろしく感じられた。なぜなら信者達は心からの信仰で父親の話を聞いたわけじゃなく、奇跡という外部からの強制力によって聞くようになったのだから。それをその当時の杏子は理解していたのだろうか?
「あたしも晴れて魔法少女の仲間入りさ。その時は張り切っていたものだったね。信仰だけじゃあ魔女は倒せないからね。あたしと親父で、表と裏からこの世界を救うんだって、粋がっていたんだよ」
「……お前がマミさんに会ったのはそんな時だったんだな」
「魔法少女になり立てのあたしは、ある時魔女を深追いしてしまって逆にピンチになってしまった。その時に助けてくれたのが巴マミだったんだよ」
その当時の杏子にとってマミさんはまさに理想の魔法少女だった。彼女の生き方や強さに憧れた杏子は彼女に弟子入りした。それ以来、二人はコンビを組んで魔女や使い魔を倒していたんだ。杏子もマミさんを家庭の食卓に呼ぶくらいに彼女を慕っていたようだ。
その時の杏子は満ち足りた生活をおくっていた。だけどそれは長くは続かなかったんだ。
「ある日、魔女の結界がいつものように出来上がった。その場所があたしの住む教会で、魔女の口付けをされたのはあたしの家族だった」
「なんだって……まさか」
「はずれ、だ。言っただろ、壊したのはあたしだって。話は最後まで聞け。幸い魔女の方は無事に片づけることができた。だけどその時にとうとう親父にあたしが魔法少女であることがばれてしまったんだよ」
その時に初めて杏子は魔法少女や魔女の存在を話すことになった。次に父親が聞いたことは、何を願って魔法少女になったか、だった。
「ここまで聞いたお前なら分かるんじゃないか? その時の親父の反応が、さ」
まるで俺のことを試すかのように杏子は聞いてくる。確かにこれまでの話と今の杏子の生き方を考えれば、その答えは簡単だった。
「受け入れて、もらえなかったんだな……」
「大当たり」
さも愉快そうに杏子は笑っていた。まるでその時の自分を今の自分とは違う存在であるかのように彼女は振る舞っていた。
「今まで自分の話を聞いていたのは信仰心によるものじゃないことを知った親父はぶち切れてしまったよ。そして親父はあたしを外に連れ出してさ……」
その時一瞬うつむいた後、杏子は言葉を続けた。
「今までの説法と正反対のことを言いだしたのさ」
「ま、まさか……」
「あたしの願いは『親父の話を真面目に聞くこと』だった。その効果は変わらずに、聞いた人全てがそれに従ったんだよ」
……なんてことだ。杏子は自分の願いの危うさを最悪の形で知ってしまったんだ。父親の言葉は杏子の願いによって、もはや催眠の域にまで達していたのだ。
「その事実を自覚した親父は絶望してしまったよ。そしてあたしのことを人心を惑わす魔女だと糾弾したんだよ」
「そんな……」
「そしてその言葉に導かれるように周りの人達も同じようにあたしを魔女と呼んだんだ。
お前こそ魔女だ
お前こそ魔女だ
お前こそ魔女だ
何人も、何人もな……」
……想像するだけでも恐ろしい光景だった。今まで本物の魔女と闘ってきた杏子が周りから魔女と罵られる。それも自分の願いの対象である大切な父親が自分の願いで得た力を使って、なのだ。そんな光景に救いなんてあるわけがなかった。
「後はお前に話した通りさ。親父はそれ以来説法することもなく、酒浸りの毎日になっちまった。毎日母さんや妹に暴力をふるって、最後には……」
「そう、だったのか……」
それが答えだったのか。杏子が父親のために、家族のために叶えてもらった願いが結局家族を壊してしまったということなのか。
「……すまなかった、杏子。知らなかったとはいえ、あの時怒っていたとはいえ、お前の願いを穢すようなことを言ってしまって……」
前に杏子と喧嘩した時、俺は自分が生きるために人を惑わす魔法を得たんだろう、と罵倒した。なんて馬鹿なことを言ってしまったんだろう……
「そんなことはどうだっていい。とにかくこれでやっとあたしは身にしみて分かったんだ。他人のために願ったところでいいことなんて何もありはしない。そして決めたんだ。この力はこれからは自分のためだけに使うってな。巴マミとやってられなくなる理由は分かるだろ?」
「マミさんに相談しようとかは思わなかったのか……?」
「はあっ!? 話す価値なんてないだろう!? あいつも確かに家族はいないさ。けどなぁ、事故でなくすのと自分の手で死なせることが同じであるわけがないだろうが!!!」
「っ……」
そして杏子はこれからは魔女だけを狙おうという方針を提案したが、マミさんは当然これを拒否。そして二人は互いに争う関係になってしまった。
それから杏子は風見野へ移り、今に至るまで一人で闘い続けた。使い魔を見逃し、魔女だけを狩るという生き方をするようになった。以前に犯してしまった過ちを二度と繰り返さないように。
「だけど数年たった今でもマミは変わることはなかった。いつまでも現実を見ようとしないあいつにあたしは心底呆れたよ。しかも極め付けの馬鹿がまた生まれちまっていた。昔のあたしそっくりなやつがな」
「それが、さやかだな……?」
「あいつは自分の好きな相手のために魔法少女になった。何のあてつけかと思ったよ。あいつと出会うことになってしまって、この時は本気で神様を恨んだもんだよ」
今なら杏子が最初にあれだけさやかを嫌悪していた理由が分かる。さやかは昔の杏子の姿そのものだった。さやかを見るだけで昔の過ちを嫌でも思い出してしまったのだろう。
「けど、お前はそれからは変わっていったはずだ。さっきまでだってさやかを救うためにあんなに……」
「……馬鹿だよな、あたしは。あいつに救いを求めるなんてさ」
「え?」
もしかして杏子はさやかが救われたことが気に入らなかったのか? 自分と同じ間違いを犯したさやかも同じ苦しみを味わえなんて思っていたのか? いや、そんなはずが……
「白状するよ。あたしはあいつに救いを求めていた。あいつはあたしの過去を聞いても自分を変えようとはしなかった。それがうざくも感じられたけど、同時に羨ましくもあったんだ。昔のあたしと同じような道を貫こうとするさやかがあたしには唯一の希望に見えたんだ」
そういうことだったのか。杏子は昔の自分をさやかに重ねることによって、それで生きていく姿を見ることで、自分は間違っていなかったっていう証明がほしかったんだ。同じ願いから生まれて、佐倉杏子という過去を知ってもなお、その道を貫く美樹さやかこそが、あいつに残ったたった一つの希望――――
「――――だけど、そうじゃなかったんだ」
「――――え?」
だと言うのに、そのさやかがとうとう救われたのに、
他でもない杏子がその希望を否定してしまった。
「どうして……そんな、ことを言うんだ?」
理解がついてこなかった。だってそうだろ? 目の前で杏子の希望が救われたというのに、あんなに希望に満ちた光景だったっていうのに――――
(――――あれ?)
ちょっと待て、それは俺の目に写る光景だろ? 俺が見える世界と杏子が見える世界がなにもかも同じなんてことはない。
おかしい、なにかが噛みあわない。さっきの杏子の話と、さっきのさやかが救われた光景に、何か決定的な矛盾が――――
「さやかの願いをその身に受けた上条恭介はあいつに言ったんだよ、ありがとうってな」
「あ、あああああああっっ!!!?」
ようやく気付いた。俺は恭介にさやかの願いまでは時間もなかったせいで話さなかった。だけど恭介は自分でさやかの願いに気付いたんだ。だからさやかにお礼を言った。
杏子の願いを知って、杏子を拒絶した父親。
さやかの願いを知って、さやかを受け入れた恭介。
これこそが杏子とさやかの決定的な違いだったんだ。それなら、俺には希望に見えたあの光景は、杏子の目には……
そして、そんな状況を作ってしまったのは……
「なあ、どうしてなんだ? 裕?」
杏子は俺に問う。あいつの希望を奪ってしまった元凶に向かって。
「どうして、さやかには祝福がされて――――」
だけどどうすることもできない。逃げることなんて許されない。だってこれは全部俺のせいなんだから。
「――――あたしには罰が下されるんだ?」
彼女が満足できる答えなんて言えるわけがなかった。
「おっかしいよなー? 途中まではあたしと全く同じだったっていうのに、最後の最後で決定的な違いができちまうなんてさ。あたしの希望がさ、全部手からこぼれおちてしまったんだよ。どっかの三流作家が書いたような喜劇だよな、これ」
杏子はそう言って自分の両手を見つめていた。表情は分からないが、その一挙手一投足が俺の心を絞めつけた。
「……けどさ、今のあたしにとって一番の問題はそれじゃないんだよ」
「……な、に?」
まだ何かあるのか? これ以上杏子を苦しめるような何かがあるっていうのか? どこまでこの子が苦しまなければならないんだよ――――
「今までのあたしならさ、強いあたしならさ、あの光景を見たとしてもそこまで動揺することはなかったはずなんだよ。あたしはあたし、他人は他人って感じにさ。――――けど今は我慢できない。あたしはどうしてもこの不条理が納得できないんだよ」
それは違うよ、杏子。きっとそれは誰だって簡単に耐えるなんてできないはずなんだ。だけど今の俺に何かを言う資格なんてない。今のあいつは俺の言葉なんか聞こうともしないだろう。
「おかしいんだ。今までのあたしなら、こんなに動揺することはなかったはずなのに。逃げ出すなんてことはなかったはずなのに。こんなはずじゃなかったのに。――――今はこんなにも苦しいんだ。何もかもから逃げ出したくなるんだよ。あたし、こんなにも弱くなってしまったんだ」
声は平坦なもののはずなのに、その声にはだんだん殺気が込められていくことが分かった。
「最初はどうしてかは分からなかった。けどさっきの声を聞いて、こんなにも嬉しいと感じてしまう自分がいることに気付いて、分かってしまったんだ」
そして杏子はとうとうこちらを振り向いた。その顔は今まで見たことがないような、あまりにも美しい笑顔だった。だけどそれが逆に怖ろしかった。あんなに美しい笑顔ができる女の子がこれほどすさまじい殺気を持つことができるということを俺は生涯忘れることはないだろう。
初めて――――あの男以上に怖ろしいと感じた人間に俺は出会った。
そして、その女の子は笑顔のままソウルジェムから槍を取り出して、それを俺に突きつけた。
「お前だよ」
怖ろしく平坦な声で彼女は答えを出す。
……俺、だって? 杏子が変わってきていたのはさやかのおかげじゃなかったのか? いつの間に俺は杏子をそこまで変えていたっていうんだ?
「お前もあたしの過去の一部を知ってもなお、あたしから引くどころかずかずかとあたしの中に踏み込んできやがった。何度も何度も何度も……」
「それは、勝負のことを言っているのか……?」
「全部に決まってんじゃん。お前があたしと会っていた全ての時間だ。それら全てがあたしの全てを壊していったんだよ」
俺と杏子が過ごしてきた全ての時間。それは言うまでもなくかけがえのないものだった。時には理不尽に喧嘩して辛い思いをしたことだってあった。だけどそれでも俺は杏子といて楽しかったと断言できる。あの時間も俺にとって大切な『日常』の一つになっていたんだ。
その『日常』が、杏子を壊した、だって……?
「そう、あたしは見てきた……」
そこまで言って突然笑顔が消えてしまい、顔を俯かせてしまった。もうあの美しい笑顔が見られないことが残念だという、極めて場違いな思考をしてしまっていた自分を猛烈に恥じた。
「あのダンスゲームであんなに楽しそうにしていたお前を、あたしの挑発にすぐにむきになってしまうお前を、それで負けてしまってふてくされているお前を、迷子の子供に手を差し伸べようとしたお前を、誰かが助けてくれないと知っていながらも誰かに手を伸ばそうとするとびきり変なお前も、あたしにセクハラしようとするお前を、さやかを助けるためにあたしに闘いを挑んできたお前を、下らない戦法であたしを負かしたお前を、あたしの生き方があたしの望んでいるものじゃないって勝手なことをぬかすお前を、そのくせ何かあったらすぐにあたしから離れようとしたお前を、そしてソウルジェムのことを知ったらすぐにあたしの所に来たお前を、また下らない方法であたしを立ち直らせてしまったお前を、マミやさやかを立ち直らせるためにあんなに一生懸命だったお前を、あたしはずっと、ずーっと見てきたんだよ。そして、今この瞬間もそうだ……」
そして杏子は強く槍を握りしめていた。その手はひどく震えていた。
「それらの時間はさ……あたしにとって腹立たしくもあったけど、やっぱり楽しくて最高の時間だったんだよ」
杏子は一歩俺に近づく。俺は動かない。
「だけどその時間を過ごせば過ごすほど、あたしは自分がどんどん書き変わっていくのが分かった。それは今のあたしでもなく、昔のあたしでもない、全く別のあたしだった」
また一歩近づく。俺はやっぱり動かない。動いちゃいけないと思った。
「それはどんなものなのかまでは分からない。だけど分かるのは、それは今のあたしのように強くはなく、昔のあたしのように無垢で純粋なものでもないってことだ。……こんなあたしがあたしであるわけがない。佐倉杏子がこんな存在であっていいわけがないんだよ」
また一歩近づいた時に杏子は顔を上げて暗い瞳で俺を真っすぐに見つめてきた。
「全部お前のせいだ、洲道裕一」
「たとえさやかと出会わなくても、あたしは今のあたしでいられた!! たとえさやかと出会ったとしても、あたしは昔の自分に戻れた!! だけどお前はそうじゃない!! お前がいなければ、あたしは全く違うあたしになることはなかったんだ!! お前と出会わなければ、あたしがこんな想いをすることなんて絶対になかったんだ!!」
杏子は今の自分でも昔の自分でも、どちらかであれるならどっちでもよかったんだ。だけどそれらと全く違う自分になることだけは耐えられなかったのか。
「さやかには恨みを持つつもりはないさ。けど今のあたしはあたしをおかしくさせちまったお前が絶対に許せないんだよ。きっとお前がいなくなれば、あたしはどっちかのあたしに戻れるはずなんだ」
――――だから、さ?
槍を俺に突きつける。その顔に一筋の涙を浮かべながら。
そして彼女は洲道裕一と佐倉杏子の全ての時間に対する決別の宣言をした。
「あたしの世界から……消えてくれよ……」
――――ああ、認めよう。俺は失敗した。
さやかに俺の言葉が届かなかった時、俺はさやかの願いの原点である恭介に助けてもらおうとした。俺達の言葉が届かなくても、恭介の言葉ならきっと届くと。
そしてその結果、さやかは救われ、そして杏子が傷ついた。
しかも杏子を泣かせてしまった。本当に最悪だ。
それは言い訳のしようもない、間違いなく俺のせいだった。さやかを助けることにばっかり目がいっていて、杏子のことなんてちっとも考えちゃいなかった。
だけど俺は考える。本当にこのままでいいのか? あいつは俺を自分の世界から必死に追いだそうとしている。確かに俺はあの時、失敗したときに生じた全ての不利益、不都合は全て俺が被ろうと決めていた。
だけど俺はまだ杏子に伝えていないことがある気がするんだ。それをしないでただあいつの前から消えていいのか? 違う、そんなことでいいはずがないんだ。
見てみるとあいつのソウルジェムがどんどん黒くなってきていた。このままだと最悪の事態が杏子の身に起こるかもしれない。だけど今の杏子だと俺の言葉を聞こうとはしないだろう。あいつを止めようとするのなら、それこそ命をかけないといけない。手加減なんて一切ないだろうし、一本とったところであいつはきっと止まろうとはしない。
だけど、それでも俺は乗り越えるしかない。今この場にいる、俺を否定しようとする少女の闇に立ち向かい、そして打ち勝つしかない。杏子を取り戻すには、きっとそれしかないんだ。
それになにより、やっぱり俺は杏子と一緒にいたかったから。この先憎まれようとも、それでも俺は杏子といるこの『日常』が大好きだから。
逃げてはいけない。いいや、逃げたくない。
――――それなら、闘うしかないじゃないか。
決意は固まった。そのための力も俺にはある。後はやりぬくだけだ。
さあ進め、洲道裕一。そして佐倉杏子へ、俺にとって一番大切な女の子に、この手を伸ばすんだ。
「杏子、お前の言う通りだ」
「……?」
「俺はあの時さやかを救うために恭介に助けを求めた。お前にあの光景を見せたのは紛れもなく俺さ」
「……っ!!」
ぎりっ、という音が聞こえた。俺に対する憎しみがさらに高まったと感じられた。俺はそれを受け流して言葉を続けた。
「お前の願いについては、お前に聞かなくても予想はできたはずなんだよな。今までのお前を見ていれば、他人のために何かしようとして失敗したことは明白だったんだからさ。そのことを考えずにあの方法を取ってしまったことは完全に俺のミスだ。それはごめん、謝るよ」
それは言い訳しようがなかった。少し考えれば分かるはずだったというのに、あの時の俺はそこまで考えていなかった。この状況を作ってしまったのは間違いなく俺だった。
「――――でもな、杏子」
だからと言って、俺がお前の言うことにただ従うと思ったら大間違いなんだよ。
「俺はいなくならない」
それは絶対だ。洲道裕一が佐倉杏子から離れるということは、もうあるわけがない。
だってそれは逃げることと同じだから。お前も逃げることは絶対に許さないって言っただろ?
「俺はお前から逃げることはもうしないと誓った。この手を、伸ばすんだよ」
「…………れ……」
あいつに言ったことを俺が裏切るわけにはいかない。この手を伸ばすことを諦めちゃいけないんだ。
「お前が俺を憎むのならそれでもいい。だけど俺はそれでもお前と一緒にいたいんだ」
「…………まれ……」
さやかの剣を出す。だけどこれは勝負ではない。俺達の勝負がこんなに悲しいものであっていいわけがない。
「俺はお前から離れることはしない。そしてお前はお前の世界から俺を消そうとしている。だったら、さ……」
「黙れぇぇぇぇぇーーーーーーーーっっっ!!!!!!」
その瞬間杏子の周りの地面から数多の槍が現れ、それらが俺を襲った。とっさに剣で防ぎ、後ろへ大きく飛んだ。いつの間にか杏子の衣装は魔法少女のそれになっていた。
(……さあ、もう後にはひけないぜ、洲道裕一)
今度は完全にあいつの上を行かなければ、あいつを取り戻すことはできない。前回の勝負ほど甘くはないんだ。だけど、それでも俺はやってみせるさ。
自分と、自分の大切な人達との全ての時間に報いるために。
「お前はどこまであたしを壊すんだ!! そんなにあたしを弱くして楽しいのかよ!? あたしは……こんなあたしなんて……!!」
「だったらかかってこいよ。お前が動かない限り、俺がお前からいなくなることなんてないんだからな」
「……っ!! ……っっ!!!」
「遠慮はいらないさ、杏子」
――――ああ、神様。今まであまり存在に興味はなかったけど、もしも本当にいるのなら――――
「お前の怒りとか、悲しみとか、絶望とか、そういう負の感情をさ、何もかも全部…………俺にぶつけてこい!! 俺はそれら全部を乗り越えてやる!!」
――――こんなにも家族や、誰かのために一生懸命だった彼女に、祝福を与えてあげて下さい――――
場所が教会であるせいなのか、今まであまり信じていなかった神様に対して俺はそんな風に祈ってしまった。
「やめろ……これ以上あたしを壊すなぁぁぁぁぁーーーーーーっっっ!!!!!」
「今ここでお前の過去の全てに決着をつけてやる!! 来い、杏子!!!」
少女と共にいようとする少年、少年を拒絶しようとする少女、それぞれの相反する想いを胸に抱いて二人は激突していった…………
俺達の闘いはこれからだ!! ……嘘です、ちゃんと続きますw
さて、今回はこの小説の中で書きたかった場面です。pspで本編では、さやかは魔法少女になり、杏子と関わった後は、恭介への想いが報われることはありませんでした。番外編ではさやかは恭介と付き合っていますが、そのときの杏子はそこまでさやかに強い執着を持っているわけではなかったので、割とすんなりと受け入れているようでした。
それらを見て思ったんです。もしも、本編のような流れで、尚且つさやかの願いが報われることがあったとしたら、その時の杏子はどう思うのだろうか、と。そして魔法少女達の中で一番悲惨な過去を持っているのは、間違いなく杏子です。そんな彼女の闇にたどり着くまで、ここまで長かったような気がします。
ついに裕一は杏子の全ての過去を知りました。二度目の杏子との闘いが始まります。今度はおふざけは一切なしです。久々に戦闘シーンを書いていきます。どうかこの先も楽しんでいって下さい。それでは。