レゾンデートル、醜い翡翠として。   作:白崎ミュウ

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#3 ようこそ、みかづき荘へ

 入居日当日。

 私は例の「みかづき荘」の前に立っていた。

 

 石造りの立派な門構えを通るとすぐ階段となっていて、そこを登ると、広がる緑を突っ切って、レンガ道が玄関までまっすぐ伸びていた。

 家自体は西洋風の小さい館という感じで、壁の塗装がところどころ剥がれていたりと多少年季が伝わって来たが、それがまた昭和レトロな風貌を際立たせ、その周りだけ時代を切り取って貼っつけたような空気感を漂わせていた。

 

 素敵な空間に包まれ若干夢見心地になっていたのだが、いざ玄関を前にするとこの家が写真で見るより大きく感じ、同居人がいるんだなと今更ながら実感が湧いてくる。両手に抱えている、()()()()()()()()()()が入った段ボールが重さを増したようだった。

 

 主に鉄でできた危険物を持って立っている傍ら、それに呆気なく穴を開けられてしまいそうな木造建築が目の前にある。そして、一人でいると決めたはずなのに、わざわざシェアハウスを選んでしまった自分がいる。

 

 この嫌味なコントラストに、自己矛盾も甚だしいと多少の自己嫌悪に陥ったところで、錆ついて固そうな見た目をしているインターホンをぐっと押した。

 

————プス。

 

 見た目の割にふわりとした押し心地に少々面食らう。

 それに、音も聞こえてこないので本当に鳴らせているのかどうか心配になってしまったが————それはこの家の住人がすぐ出てきた事で杞憂だと分かった。

 

 出てきた住人は30代くらいのスラッとした長身の女性だった。無駄がなく落ち着いた佇まいで、服越しでも分かるスタイルの良さと整った顔立ちは見るもの全てを惹きつけるような魅力を纏っていた。

 まるで、モデルのように。

 

「あなたが黒江さんね?」

 

 中性的な透き通る声が私の名前を呼ぶ。

 

「……はい、そうです」

 

 見ず知らずの一般人と会話するのは久しぶりで、吃ってしまうのを抑えるのに必死になってしまい、思わず小声で返してしまった。

 

「私はこの家の家主よ。名前は七海やちよ。これからよろしくね」

 

「よろしくお願いします……」

 

 七海やちよ。どこかで聞いた事があるような……。

 

「さあ、上がってちょうだい」

 

「お邪魔します……」

 

 ここはもう自分の家でもあるのだが、いきなりただいまは違うような気がした。かと言って無言で入るのも決まりが悪いため、とりあえずお邪魔しますという言葉を選んだが、やっぱりこれもしっくり来ない。

 

 そう考えながら中に入ると、大きめでヴィンテージ調の小洒落た玄関ホールが待ち受けていた。

 そこは、モルタルのタイルで敷き詰められた三和土や、深みのある木々で組まれた壁と柱で構成され、暖色系の間接照明がそれらにカラメル色を落としている。この玄関は見えるもの全てが見事な具合に調和していて、一歩入るだけでこの家の気品がひしひしと伝わるようだった。

 

 今まで、風格のある邸宅に”仕事”でお邪魔する事は度々あったが、もちろんマナーなんて気にする必要も無くいつも土足で入り込んでいた。だからなのか、こういう雰囲気に気押されしてしまい何をしていいか分からなくなってしまう。

 靴を脱いだらちゃんと揃えるべきだろうか、それとも普通に脱いでしまってもいいんだろうかと、この場ではどれくらいマナーを気をつけるべきか気になり始めると、何だか靴の脱ぎ方を忘れたような、まるで同じ漢字の書き取りを1百回くらいやった時に「あれ、この漢字これで合ってたっけ」と文字が歪に見えるあの感覚に陥いってしまい、脳が体の指揮権を完全に放棄してしまった。

 すると気づけば、私は靴を持って上がっていたのだった。

 

「えっと……靴は置いといていいわよ?」

 

「あ、すみません……」

 

 ああ、なんで家に上がるだけでこんなわなわなしてしまうんだろう。穴があったら入りたい。

 

「ふふ、緊張しなくてもいいわよ。もうあなたの家でもあるんだから」

 

 赤っ恥をかいた後はなるべく触れて欲しくはない性質(たち)なのだが、七海さんにそう言われると不思議と心が救われた気がした。

 

「今は私以外外出しているから、そのうちに説明をしちゃうわね」

 

「ありがとうございます」

 

「じゃあ早速。サイトにも書いてあったと思うけど、お風呂とトイレとキッチンは共同。部屋はもちろん別だけどここの住人はほとんどリヴィングで過ごしているわ。ほぼシェアハウスね」

 

 分かっていた事ではあるが、改めて説明を聞くと気が重くなってしまう。

 

「そのリヴィングが右手のドアを開いたところ。その向かいにあるのが二階につながる階段ね」

 

 リヴィングはかなり広かった。真ん中に大きめのローテーブル一つとソファーがいくつか置いてあり、その隣にはカフェの厨房のようなサイズ感のキッチンとカウンター席まであった。窓ぶちも壁紙も装飾も全て洋風に統一され、窓から日光が差し込めば絵になる事間違いなしだった。

 向かいの階段は幅広で、広い踊り場を折り返して登るような、贅沢なスペースの使い方をしている造りだった。もちろんのこと細かい装飾は全てお洒落だし、サイドの手すりの木目がまた良い味を出している。

 

「みんなの部屋は2階ね。黒江さんの部屋もそこにあるわ」

 

 そう言って、七海さんは階段を登って行き、私はそれについて行く。

 

「で、ここがあなたの部屋」

 

 私の部屋まで案内し終わると、七海さんがガチャリとドアノブを捻りドアを開ける。甲高い唸りを上げ廊下とは別空間が目の前に広がったと思うと、そこは目を見張るほどの広さだった。

 

「広い……」

 

 二十畳……とまではいかないだろうが体感ではそのくらいに感じた。隅に備え付けられていたベッドと棚が、まるで大海にぽつんと浮かぶ孤島のようだった。

 

「確かに1人では広いかもしれないわね。元々数人入れる用に造られた部屋だから」

 

 七海さん曰く、このみかづき荘は、昔は下宿屋だったらしい。七海さんの祖母が経営をしていたのだが突然の病で亡くなってしまい、本来ならばこのみかづき荘を土地ごと売却するつもりだったところを、無理を言って七海さんが引き取り、部屋を賃貸として貸し出し始めたとのことだった。

 

「それで、ほぼ同時期に契約してきたのが今の住人なのよ。みんな性格は全然違うのに、波長が合っちゃったのか、日を重ねるうちに仲良くなっちゃってね」

 

 それで次第にシェアハウスのようになり、住人は1回も入れ替わったことが無いのだと七海さんは続けた。

 

「ただ、一部屋だけ全然埋まらなかったのよ。何故かね。他の部屋はすぐ埋まったのに、この部屋だけは内覧にすら誰も来ない。何か理由があるんじゃないかってみんなも気になっちゃってて……」

 

 そして、そこに現れたのが私という訳か。

 

「みんなも驚いてたわ。黒江さんが来てくれたことに。しかも内覧も無しにね」

 

 何だか……話の流れ的にこれは悪いムーブメントが来ているかもしれない。

 

 みぞおちに例の圧を感じる。

 

「だから、私も含めてみんな歓迎するわ。ようこそ、みかづき荘へ」

 

「ありがとうございます……」

 

「それでなんだけど」

 

 頼む。私はそれに続く言葉を聞きたくない。

 ただでさえ、「一人」という領域を脅かされる空間に自ら身を投じたというのに、これ以上他人と接するイベントが起きてしまうのは御免だ。

 

「今夜歓迎会をしようと思うの。どうかしら?」

 

 最悪だ。

 何でいつも、必ずと言っていいほど起こって欲しくないことが起きてしまうんだろう。

 

 よし、そうしたら、適当に外出する予定を作って断ってしまう。

 

 そう心の中で意気込んだが、それをできる勇気が、七海さんの顔を見てしまうと何故か出なかった。

 

「是非、参加したいです……」

 

 何を恐れたのかは分からない。それでも、重い唇を開き出た言葉は、望んだことと全く逆だった。

 

「良かったわ」

 

 七海さんはそう言って、花を咲かせたような笑みを浮かべるのだった。

 

♢

 

 キッチンやお風呂の使い方、この家でのルールや注意点など、その他諸々の説明を受け終わった時だった。

 

「ただいまー」

 

 玄関から紅いアネモネのような声が聞こえてくる。

 

 どうやら、外出していた住人の一人が帰ってきたようだった。

 

「あら、早かったのね」

 

 七海さんが玄関へと迎えに行く。

 

「新しく来た方と早くお会いしたくて」

 

 花の声の持ち主がそう言っていたのを耳にしたので、体裁のためにも挨拶をしようとソファーから立ち上がり、七海さんの背中からぬっと顔を出した。その時。

 

「あっ」

 

 目と目が会い、私と彼女の声が重なる。

 刹那、心臓がドクリと大きく一回脈打ち、地面に向かって脊髄が一瞬だけ引っ張られたように、意識が急降下した。

 

 ふらつきそうになるのを必死に抑え、再び彼女を両目で捉える。

 

 やっぱりそうだ。あの時、道でぶつかった女性だった。

 

「あの時の方ですよね!」

 

「二人とも知り合いだったの?」

 

「いえ、知り合いというか、たまたま道でぶつかっちゃって……」

 

「あの時はごめんなさい! 私急いでるとつい注意散漫になっちゃって」

 

「こちらこそ、私もよく前を見てませんでしたから」

 

「でも奇遇ですよね! こうしてまた会えるなんて!」

 

 彼女は土間をあがり私の所へと歩み寄ってくる。距離が縮まるにつれ心臓が早鐘を鳴らし、それに連動して、指先が膨らんだり萎んだりするように脈打った。

 

 そして、彼女が鼻息がかかるほどの近さまで来ると、私の胸が絞られるように締め付けられる。

 

 しかし、彼女が私の手を取り「よろしくお願いしますね」と言った時だった。

 

 火照った指先と顔は一瞬にして冷め、時間と脈拍が止まったような錯覚に陥る。さっきまで柔らかくて暖かった彼女の手は、まるで蝋人形のように冷たく硬い感触になったかと思うと、視界が黒い靄で塞がれてしまったのだ。

 

 すると、()()()の記憶の断片が走馬灯のように映し出される。

 

 何が起きたのか分からない。

 でも、微かに声が聞こえてくる。それは、目の前にいる彼女の声ではない。それは、懐かしくて愛おしくて、でも、記憶の奥底に沈めたまま、決して思い出したくはない声だった。

 

 それをいくら記憶の海に沈めようとしても、力を込めれば込めるほど、まるで浮き輪のように、周りの鮮明な景色をも連れて目に浮かんでくる。

 

 

 ————そこは、風の吹くビルの屋上。曇天の空の下で、転がったナイフを横に、私はただ唇を噛んで震えている。声の持ち主はパラペットの奥、屋上の縁で天を仰ぎながら立っていた。

 

 そして、彼の声が風に乗って耳に届いてくる……。

 

 ————ずっと好きだった。

 

 私も……私も好きだった……。

 

 ————だから君には、幸せでいて欲しい。

 

 私には……そんな資格なんてない……。

 

 ————今までありがとう。

 

 そんなこと……そんな事言わないでよ……。

 

 ————そんな顔しないで。いつかきっと会えるよ。

 

 ……やめて……やめて!

 

 一心に腕を伸ばし、彼の手を握ろうとした。

 けれど私の手は、虚しく空を掴むだけ。

 彼の姿はどこにもなく、数秒後には惨い音と悲鳴だけが響いてくる。

 

 後悔と、喪失と、絶望と……。

 私はそれらの津波に飲まれ、息が出来なくなった。

 

 苦しい。苦しい。

 

 どこまでも卑怯な私は、それだけで頭を埋めつくし、風で冷えた腕をだらんと下ろす。

 

 涙は出なかった。

 

 何も出来なかった、何もしなかった癖に、涙を流すなんて烏滸がましいと思ったから。

 

 ただただ、私は頭を垂れて手のひらを見つめていただけだった。

 

 しばらくすると、天から降りた1本の蜘蛛の糸を見つけたかのように、この絶望の海から救われる方法を思いついた。

 

 ————そうだ、私もすぐそっちへ行こう。

 

 思い立ち、落ちたナイフを拾って、両手で握る。

 刃先を自分に向けて、水面から顔を出したかのように空の匂いを嗅いだ。

 

 どうか、身勝手な私を許して欲しい。

 どうか、私をあなたの傍に置いといて欲しい。

 

 そう願って、息を止めると、ナイフを自分の腹へと突き刺した。

 

 

 ————はずだった。

 

 私の手は誰かの手で包まれていた。

 暖かくて、柔らかい。

 

 いつの間にかナイフも消えている。

 

 ……悔しい。あともう少しだったのに。

 

 私はもう少しで向こうへ行けるはずだったのに。

 

 一体誰なんだ。

 

 私はその手に苛立った。

 その手の温もりを嫌悪した。

 

 この手さえ無ければ、きっと私は……。

 

 

 ————気づけば、私は彼女の手を振り払っていた。

 

「ごめんなさい! 私、何か気に障ることしちゃいましたか……?」

 

 一瞬、自分にも何が起きたのかわからなかった。

 

 しかし、目を丸くした彼女の顔と、聞き馴染みのあるアネモネの声で、はっと我に返る。

 

「あ……いえ……ごめんなさい。何でもないです……何でも」

 

 いつの間にか、周りの景色はビルの上ではなくさっきの玄関に戻っている。

 

「えっと……2人ともコーヒー飲む?」

 

 そう言って、七海さんはリヴィングへと戻って行った。

 

「本当にごめんなさい。私、無神経でしたよね」

 

「そんな、謝らないでください……本当に、違うんです……」

 

 どうしよう。

 誤解させてしまっただろうか。

 私は彼女に対して敵意がある訳じゃないのに、こういう時、いい言葉が出てこない。

 

 良い弁明を探そうと思えば思うほど、口は固く閉ざす一方だった。

 

 それでも、この一件で彼女との良好な関係が築けないかもしれないと思うと、余計焦燥に駆られた。

 

 ————ん……? 良好な関係……?

 

 なぜ私はそんなことを望むのだろう。

 

 一人でいると決めたなら、寧ろこれは良い布石になるんじゃないか?

 

 なのに、どうして私は彼女と……。

 

「コーヒー、入ったわよ」

 

 七海さんの一声で、気まづくなって固まってしまった私と彼女の空気が溶けだした。

 

 それから解き放たれた彼女は、行きましょうかと言って気まづく苦笑を漏らしながら、ゆっくり歩いて行った。

 

 続くように私は、彼女のうなじ辺りをぼうっと眺めながら無言で着いて行く。

 

 




3話目です!

黒江ちゃんの過去が垣間見えたりと、少しシリアスなシーンも入れてみました!

もしこの作品が同人誌化したら買いたいと思いますか?

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  • 今後の展開による
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