お客さんたちは私のダービーを見られませんでした。
一年で最も重要なレース。世代の頂点を決める戦い。尊敬するあの人や、夢を託してくれたテイオーさん、あの偉大な生徒会長さんも勝利した一生に一度の勝負。私はそこで完璧な強さを見せつけて世代最強を証明しましたが、そこにはただひとつの歓声もあがりませんでした。
遠く、客席の遥か上の方にトレセン学園からいらした偉大な先輩方の姿が見えます。いつもと違う神妙な表情のミスターシービーさん。腕を組んで私を見つめる生徒会長さん。ミホノブルボンさんとテイオーさんも近くにおられますが、ふたりともどこか悲しそうな表情です。少し離れたところにナリタブライアン先輩や、何度かお会いしたマスクの先輩の姿もあります。そして、尊敬する私の英雄もまた真っ直ぐにこちらを見つめていました。
私は彼らを見渡した後、静まり返った東京レース場で客席へ向けて深く礼をしました。それが今この瞬間にダービーを制した者の役目だとわかっていたから。
戦後史上初の無観客開催になった日本ダービーで、私はそんなふうに無敗の二冠バの称号を得たのです。
レースの世界ではダービーの翌日から一年が始まると言われることがあります。とはいえそれはトレーナーさんや運営の方々の話。レースに生きる私たちウマ娘──特に二冠を達成し菊花賞を目指す私にはそんなことは関係ありません。ダービーの結果に悔しがる人々や、一年で最大の行事を開催できたことに安堵する方々を尻目に、私は最後の冠への道を走り始めました。
トレーナーさんは私に対して、菊花賞を走るためにはスタミナが足りていないと言いました。そして私は適正的に長距離レースに向かないだろうとも。尊敬するあの人と良く似た姿の私でしたが、適性までは似なかったようです。トレーナーさんは私に何度も「本当に菊花賞を目指すのか」と質問しましたが、そのたびに私は絶対に諦めたくないと返答します(何のために?)。そして私は覚悟を決めたトレーナーさんの指導のもと、秋に向けて何度も何度も何度も何度もプールを泳ぎスタミナを鍛えました。
長距離に向けたトレーニングは過酷なものです。全身が倦怠感に包まれ、トレーニングを終えて必死にプールから這い上がると倒れ伏して動けなくなることもありました。それでも私は胸の奥から湧き出る「無敗の三冠バ」への夢を諦められませんでした。それはテイオーさんから託され、そして子供の頃に見た英雄と並び立つために選んだ私の第一目標だからです。
例年であれば夏合宿が始まる時期でも今年はそんなものはありません。トレセン学園の外出も大きく制限されています。どうせ街に出ても遊ぶところなんてどこも空いていないのですから、関係なかったかもしれません。私は学園での勉強とトレーニング、それが終わったら寮に戻ってタクトちゃんとお話しするだけの生活を送りました。
全ては無敗の三冠を得るため。
そういう意味では同室の生徒がダブルティアラを達成し、同じように秋の最後の一戦に挑むタクトちゃんだったことは幸せだったかもしれません。私たちは互いを信頼し合い、そして絶対にふたりで無敗の勝利を成し遂げようと誓い合いました。
タクトちゃんが約束を果たしてくれた時は本当に嬉しい気持ちでいっぱいでした。彼女らしい大胆かつ力強い走りで史上初の無敗のトリプルティアラを達成したことは、私にとって大きな刺激となったのです。次は私が三冠を達成し、そしてふたりでレースの世界の頂点に立つ。
私はより激しくトレーニングに打ち込み、そしてそのたびにふらふらと倒れ込んでばかりいました。やはり距離適性の壁はそう簡単に越えられるものではなく、たびたび挫けそうになりながらも三冠達成の夢(本当に?)のために立ち上がりました。
そして菊花賞がやってきます。
結局私は不安を残したまま菊花賞に挑戦することとなりました。スタミナは十分といえず、ダービーを遥かに超える三千メートルで強力なライバルに打ち勝てるか。しかし、レース場に戻ってきたお客さんたちは私を圧倒的な一番人気に選んでくださいました。かつて多くの先達が敗れた無敗三冠への期待。それを背負い、私の菊花賞が始まりました。
レースは常に中団内側で走り、他の娘たちに囲まれる形となりました。スローな展開となったのでそこは私にとって優位に働きましたが、それでも思うように走れないことは私にストレスを与え、なけなしのスタミナがどんどんと消耗していくのを感じます。
ようやくウマごみを抜け出せたのは最後の直線に差し掛かったとき。私は全身に残っていた気力を総動員し、一気に先頭に立ちました。早く終わってほしい。頼むから誰もついてこないでほしい。そう思う私でしたが、同じように抜け出た娘にぴったりと横につけられ、そこからは激しいデッドヒートとなりました。
己の全てを吐き出すような壮絶な叩き合いはまるで永遠のように感じられました。必死に差そうとするその娘に私は気力だけで対抗します。二百メートルってこんなに長かったっけ。いつもなら飛ぶように駆けていける最後の直線なのに、今日は一歩進むごとに引き伸ばされていくようです。
苦痛で思考すら失われていくなか、私は自分達の横を飛ぶように駆け抜けていくあの英雄の姿を幻視しました。あの人に抜かれたくない。あの人のように走りたい。自分が今どこで何をしているかもわからなくなった私は、ただそれだけを考えて必死に走り続け、そしてゴール板を駆け抜けました。
芝に倒れ込む私に降り注ぐ万雷の拍手。新たなる無敗三冠バの誕生に湧く実況者の声。ダービーの時とは比べ物にならないような祝福が私を包み込むなか、夢を叶えた達成感と共にあるひとつの感情が生まれました。
(──こんな辛いこともうしたくない)
レースに生きるウマ娘としてあり得ないことでした。走ることと勝利の喜び以外にそんなことを考えてしまうなんて。私はこの感情を強く恥じ、一切そんな感情を見せないように努めました。
勝利の栄誉であるウィニングライブ。その客席にはダービーにいらしていた面々の姿もありましたが、彼女たちの表情は全く覚えていません。ライブ後に訪れたインタビューの時間で、私は先ほどの感情を振り切るようにはっきりとこう言い放ちました。
「この後はジャパンカップに出走します」
隣のトレーナーさんが驚愕の表情を浮かべています。しかし、この時の私にはあるひとつの考えがありました。ふたつ上のトリプルティアラを持つ彼女。現役最強の女王である彼女に勝利し、更なる栄誉によって競争者にあるまじき弱気を粉砕する──。
大量のカメラのフラッシュが私の表情を強く照らしました。
既に参戦を表明していたタクトちゃんの存在もあり、やがてこのレースはトゥインクル史上類を見ない三人の三冠ウマ娘の共演として日本中の注目を集めることとなりました。
曰く「世紀のドリームレース」「世界中が注目する国際GⅠ競走」「トゥインクル史上最高国民的レース」
期待は渦を巻き、やがて私たちを飲み込んでどこかに連れて行ってしまいそうでした。私はそれに抗うように菊花賞にも増して過酷なトレーニングを行います。学園生活と過酷なトレーニング、そして度重なる取材の申し込み。レース当日まで多くの人からコメントを求められたのは私もタクトちゃんも、そして私たちを待ち受ける彼女も同じだったでしょう。
しかし、レース当日に私とタクトちゃんの前に姿を現した彼女は一切の気負いを感じさせず、ただ最強の存在として私たちを待ち構えていました。
一バ身と四分の一。それが私と一着との差です。それからほんの少しの差でタクトちゃん。上がり最速のスピードも、好位追走の必勝パターンも彼女を捉えるには至らなかった。彼女は最強の女王の名をほしいままにして、そしてそのままトゥインクルを引退しました。
私には砕け散った無敗の称号と、そしてこれからもレースが続いていくという事実だけが残りました。
タクトちゃんは本当にすごい娘です。彼女はジャパンカップでの敗戦もどこ吹く風。翌年の金鯱賞での敗戦にも少し落ち込んではいましたが、またすぐに走り出すことができていました。
私は正直に言ってこれからどうするべきかを見失っていました。無敗での三冠達成。ジャパンカップでの敗北。曖昧に立てた新しい目標は"秋三冠"か"ロンシャン"のふたつでしたが、それらに対する私の気持ちは空虚なものでした。
競争生活は続いていく。これからもハードなトレーニングを続けてレースを走り続ける。だけど、何のために? はっきりしない気持ちを抱えたままでGⅠレース大阪杯に挑戦した私は、初めて連対すら外して三着に敗れました。この結果にレースのファンたちは大きく落胆したようです。重馬場に対応できない。仕掛けどころが悪かった。色々な言葉を目にしましたが全ては私を通り過ぎて行きました。
いつのまにか後輩の娘たちのクラシック戦線が開始され、街には段々と活気が戻ってきていました。私が立ち止まっていても世界は勝手に進んでいくことを知り酷く恐怖したとき、私は大阪杯から続く足の痛み、そして遠く離れた香港の地で敗れたタクトちゃんが繋靱帯炎を発症したことを知りました。
療養中のタクトちゃんのお見舞いに行ったとき、彼女はまだ涙の跡が残る表情で笑っていました。
「早く治してレースに出なくちゃ」
私と一緒に走りたいから。そう言われた私はどんな表情、どんな言葉でその場を切り抜けたのでしょう。脚が熱を持ったように痛み、私はひとりきりの寮部屋で涙を流しました。こんなに辛い思いをしてまでどうして走るの?
退院したタクトちゃんが必死にリハビリを続けている間も私は立ち止まっていました。脚に不安があったのは確かです。だけどそれ以上に走ることに意味が見出せませんでした。春が過ぎてまたダービーが終わり、夏のグランプリが終わり、何人かが海外へ挑戦していく。私はそれを見送って夏合宿に参加し、タクトちゃんのリハビリを手伝う日々を送りました。トレーナーさんは何も言わずに私を見守り、タクトちゃんのリハビリを手伝うことに関しても私の意思を尊重してくれます。湯治、笹針、レーザー。あらゆる治療を試すタクトちゃんのそばで、私は自分のことの一切から目を背けていました。
一度、生徒会長さんが私に会いにきてくれたことがありました。彼女は朗らかに私の近況を尋ねたあと、ふたりで少しだけレースに関する話をしました。
「まだ脚は痛むのかい?」
「はい、少し」
「射石飲羽。君ならきっとうまくやれるだろう。その時を待っているよ」
あぁ、どうしてみんな私に良くしてくれるのでしょう。世間では私は既に世代交代の波に取り残されたウマ娘と思われています。三冠バでありながらグランプリから逃げたとも。
会長さんと別れた後も私の胸の澱みが取れることはありませんでした。暗い気持ちのままで夕食と入浴を済ますと、私はひとりになりたくて夜の浜辺へと出かけます。しかしそこには今いちばん会いたくなった尊敬するひとの姿がありました。
私の英雄に会いたくなかったのは、彼女のような素晴らしいシニア期を過ごせていないから。ジュニアとクラシックの先で足踏みする自分が恥ずかしくてたまらなかったからです。だけど彼女はそんな私を見とめて呼び寄せ、それを断ることができずふたり並んで浜辺に身を寄せることとなりました。
彼女はあまり口数の多い方ではありません。入学当初、学園で再会した彼女に矢継ぎ早に話しかけても普段通りぼうっと話を聞いているか、時には何の前兆もなく眠り込んでしまうこともありました。そして今日に至ってはこちらからも話を振ることはなく、私たちは何も喋らずふたりでずっと海を眺めていました。
波の打ち寄せる音だけが響く時間がどれほど続いたでしょう。居心地の悪さを感じたままただ海を眺めていたとき、ひとり言のような彼女の声が聞こえてきました。
「英雄と呼ばれるのも、近代レースの結晶と呼ばれるのも、まあ、そう、好きにすればいい。……みんなウマ娘に夢を見るんだから」
彼女の表情はとても穏やかなものでした。揃って正面を向いた耳が時折ゆらゆらと動いています。だけどそれは苛立ちや警戒などではなく、自分の記憶を思い起こすためにさまざまなことを思い出すための集中からきているのだとわかりました。私は彼女の耳が動いているのをレース以外で初めて見たと思います。
「空を駆けるのはそれだけで気分が良いものさ」
瞬間、私は昨年のダービーのことをありありと思い出しました。青空、青々とした芝、音速に近い速度で飛び去る戦闘機と、長く尾を引く飛行機雲。そしてレースを踊るように駆け抜けた記憶──。
どうして忘れてしまったんだろう。あの時私は確かに空を駆けることができたのに、こんなにも大切な翼を忘れてしまっていた。呆然としているうちにあのひとは何処かへと去っていき、そして私は心配したタクトちゃんが探しにくるまで浜辺で涙を流し続けました。
翌日私は秋の天皇賞に参加することをトレーナーさんに伝えました。
厳しい戦いになるとトレーナーさんは答えますが、私はそう言われて何となく笑ってしまいました。菊花賞もジャパンカップも同じことを言われたことを思い出したからです。その反応にトレーナーさんは少し不満げな様子でしたが、笑い続ける私を見て次第にとても嬉しそうな表情を浮かべました。
天皇賞参加の記者会見において「若く生意気なところがあったけどそれも良くなってきた」とつつかれたことは、この時のちょっとした仕返しだったのでしょう。
この秋の盾が厳しい道であることはわかっていました。春のクラシックを駆け抜けた後輩たち。ひとつ上の強力な先輩方。彼女たちと戦うためには私は少々錆び付いていました。中でもゲート練習にはひどく難儀したものです。久々に入るゲートは狭くいらいらとするもので、特に周囲に他の娘がいるときなどは気が立って仕方のないものでした。しかしそれでも私はなんとか身体を仕上げ、そして本番に向かったのです。
圧倒的、というほどでもない一番人気で迎えられた私は、当日のパドックでお客さんたちの不安げな声に迎えられました。謎の長いブランクと前走の敗北。それでも一番人気に選ばれたのはひとえに"三冠"という箔押しあってのものでしょう。
ゲートに入る前に私は秋空を眺め、それから深く息を吸い込んで大きなひとり言を放ってみました。
「あー! なんでゲートなんてあるんだろー!」
お客さんやレースに参加する他のウマ娘たちがギョッとしたような目でこちらを見てきます。トレーナーさんはやれやれという表情で顔を隠してしまいました。
明日の朝刊の見出しは"三冠ウマ娘、奇行の末惨敗!"なんて、面白いかもしれません。だけど、新聞の見出しが面白くても、負けることを面白いとは全く思えませんでした。
レースの結果は二着。私は案の定ゲートでイラつき、道中位置取りも悪く最後に届くことができませんでした。一着の娘はひとつ歳下の皐月賞ウマ娘で、この勝利で一躍世代交代の旗手として騒がれています。私を応援していた人々は肩を落としてひどく落胆していました。だけど、それでも……。
「私はまだ、一度たりとも後ろから抜かれたことなんてありません」
あの人よりはきっと長く続かないのでしょう。あの人よりは高く羽ばたけないのかもしれません。それでも私の末脚はまだ錆び付いてなどおらず、最後の直線を誰よりも速いスピードで駆け抜けました。
「私はまだ、飛べます」
トレーナーさんも同意見のようでした。
夏合宿のリハビリ中、タクトちゃんが足の痛みに耐えかねて倒れたとき、うわ言のように呟いていた言葉が蘇りました。
「もう一度あの戦いを……」
もう一度あの戦いを。
次をジャパンカップと定めました。
ジャパンカップはめいっぱいでいくぞ。トレーナーさんの言葉に私は深く頷き、そして言葉通りそれは実行されました。ゲート、プール、坂路、そして実戦を想定した並走。
中でも私を追い詰めたものは代わる代わる相手が変わる並走でした。タクトちゃんがリハビリ中の今、並走相手に困っていた私に手を挙げてくださったのは先輩方でした。
まずトウカイテイオーさんとミホノブルボンさん。時折ふらりとミスターシービー先輩が現れ私を後ろから突き回します。次に生徒会が終わった後の短い時間だけ、という条件でシンボリルドルフ会長。それを聞きつけたナリタブライアン先輩。そしてはっきり並走の相手をしてやると言われたことはありませんが、時折コースを走っているとあのマスクの先輩が猛然と横を追い抜かしていくことがありました。
目まぐるしく続くトレーニングの中で確かに自分を取り戻していくことを感じていました。
けれど世間では既に私の話題は触れ難いものとなっていたようです。無敗の三冠という称号もまた過去の遺物のように扱われ、やがて新しい波によって押し流されようとしていました。トレーナーさんはそういった情報から必死に私を守ろうとしてくださったようですが、どうあっても逃れられるものではありません。
しかし今の私にそんなことに関わっている暇はありませんでした。もう一度高く飛ぶために、もう一度あの日の青空を見るために。私は他の生徒たちが遠巻きに眺めるほどの特訓を行いました。
レース当日は美しい秋晴れの日となりました。
私は当日誰よりも早く東京レース場に入場し、勝負服に着替え控室でその時を待ちました。心がとても落ち着いていて、あんまり気を抜いてしまうとレースまで眠ってしまいそうなほどでした。
こんなことで良いのかなと少し不安になっていると、テーブルを挟んだ向かいからトレーナーさんがスポーツドリンクを渡してくれたので、ついでと思い何か話してくださいとねだってみます。
突然のことにトレーナーさんは「何か、何かかぁ」と困っていましたが、やがてひとつ思いついたことがあったのか静かな口調で話し始めました。
「長いことトレーナーを続けてきて、ずっとダービーを獲れなかったんだ。それがちょっと前にようやく獲れて、嬉しかったのと一緒にこの仕事もそろそろ潮時かな、なんて思っていたんだよ。ずっとそれを目標にしていたからね。だけどようやく目標が叶ってそれまで篭ってた変な力が抜けたのかな。翌年もそこそこ成績が良くて、夏の前には君に出会えてすぐに契約していた」
トレーナーさんの視線は遠い過去のことを思い返すようにどこか遠くに投げかけられています。顔の皺と手の傷がその長さを感じさせました。
「勝手だけど、君の走りに私は夢を見たんだ。無敗とまでは言わないけど、三冠だって夢じゃないと思った。そしてその先だって。年甲斐もなく興奮したよ。あぁ、だからこそ……」
申し訳ない──。ため息のような重い声がトレーナーさんの喉から搾り出されました。私が黙っていると彼はしばらくの間小さくしゃくりあげ、やがて私に背を向けて立ち上がりハンカチで目を拭いました。
「すまない。すまない。レースの前に、こんな──」
「トレーナーさん」
私は椅子から立ち上がり、驚いた様子の彼とはっきり相対しました。
「私に夢を見てくれて、ありがとう」
丁度部屋に響いたノックの音に返事をして、私はそのままドアノブに手をかけます。もうすぐパドックでのお披露目が始まる時間になっていました。
ドアを開くと係の職員の方が私の姿を見て、そのまま言葉を失ったように立ち尽くしました。私はそれに構わずパドックへの道を進んでいきます。前を歩いていた誰も彼もが私を見とめると一度立ち止まり、やがて道を譲ってくれました。長い長い地下バ道の先、光の見える方からざわめきが漏れ出し、今日の出走ウマ娘たちを待ち侘びています。私は一切躊躇することなくそこのカーテンにくぐり、躍り出るようにお客さんたちの前に姿を現しました。
水を打ったような静寂。やがてためらいがちに、おずおずとしたざわめきが観客席に生まれました。
「すごすぎる……」
「秋天からここまでで、こんなに仕上がるもんなのか……?」
ひとつ、考えていたことを思い出します。
ゆっくりと観客席に近づき右手の人差し指を高く天に掲げると、お客さんたちから爆発が起こりました。
十一月二十八日。十五時四〇分。
ジャパンカップはスタートしました。
まず菊花賞のとき私と競り合ったウマ娘が先頭を進みます。次にそれを見る先行のウマ娘たち。私は中団のやや後方でレースをスタートしました。
逃げた娘にスタミナの心配はないが、もうひとり今日も逃げるだろうと思っていた娘が今日は後ろの方。一昨年のダービーウマ娘は前方好位。今年のダービーウマ娘は私を見る位置。いつもならそんなことを考えるのですが、今日の私はただ自分のレースだけを考えていました。
スタミナの配分を完璧に。後ろよりにレースを進めるのなら絶対に動揺しない。元々得意な方ではありましたが、このレース運びはシンボリルドルフ会長との併走で完璧なものに近づいていました。今の私は例えセイウンスカイ先輩と一緒でもペースを乱さない。
前半の千メートルは落ち着いていましたが、そこで後ろからもうひとり逃げるはずだった先輩が猛スピードで先頭へ向け走っていきました。出遅れて後ろにつけようと考えていたのを我慢できなくなったのでしょうか。何人かのウマ娘が動揺し、少しペースをおかしくします。先輩はそのままの勢いでハナを奪いきると、これが私だと誇示するように五バ身、六バ身と差をつけていきました。
やっぱりあの先輩が走っている姿は華がある。お客さんたちも大喜びで大歓声を上げました。「だけどこれを末脚で挽回したらみんなもっと楽しいよ」どこかでシービー先輩が笑ったような気がします。私はここで少しずつ溜め込んでいた力を解放する準備を始めました。
第四コーナーを曲がり、直線へ。最後のなだらかな登り坂を迎えた私は全身の力を解放します。ナリタブライアン先輩のように力強く。マスクの先輩のように絶対に他の娘に競り負けない闘争心を持って。
過剰なまでの集中力。ひとり、またひとりと前を走る娘を追い抜いていくなか、私はまたあのひとの姿を幻視しました。全力で走っている私を軽々と追い抜いていくあの黒鹿毛のバ体。始めて会った時からずっとあの人のことが忘れられなかった。逃れようのない運命の引力。摩訶不思議なウマ娘のシンパシー。誰よりも尊敬するあの人に、だけど私は、今日、絶対に負けたくなかった。
なりふり構っていられない。勝つだけのレースはもう出来ない。私は今日この空に、永遠に消えない飛行機雲を刻んでみせる。
一歩。
再加速する。
一歩。
全身が軋みを上げる。だけど既にトップスピードに乗った彼女に勝つにはもう一度加速するしかない。
一歩。
限界を超える。ストライドを広く取り、空を駆ける。
一歩。
英雄の背中が迫る。どこまでも深い衝撃の領域に殴り込む。勝つのは私だと全生命で主張する。
このレースは絶対に譲らない。私はこの先永遠に証明できる力を見せる。一歩一歩が広く脚の回転が加速し、私はその瞬間確かに彼女に並び立った──!
『──やりました! 完全復活を飾って見せました! 並び立つライバルたちを完封圧倒です!!』
気づいた時にはレースが終わっていました。お客さんたちの大歓声と、電光掲示板に映った私の名前と一着の文字。私は大きく上がった息のままふらふらとゴール板付近まで戻り、しっかりとその表示を再度確認しました。
背後からのお客さんの歓声に引き寄せられるようにして、私はゆっくりと観客席の方に近寄っていきます。まだ満員とは言えないけれど、会場にいらしてくださったたくさんのお客さんたち。その中にはやっぱりトレーニングに参加してくれた先輩たちと、トレーナーさんとタクトちゃんの姿がありました。
「ありがとう」
そんな言葉が何度もお客さんたちの口から聞こえてきます。
『いつ終わるかもわからない、全てが変わってしまった日常の中、彼女は私たちに希望を与えてくれました』
実況席からそんな声が聞こえてきたとき、ようやく私は観客席の最前列にあの黒鹿毛のウマ娘の姿を見つけました。彼女はいつもと同じ落ち着いた様子で、でも少しだけ柔らかい表情で私を見ています。
私はあの人の後輩として恥ずかしくないウマ娘になれたのでしょうか。いつか私も彼女のように素晴らしいウマ娘だと讃えてもらえるのでしょうか。多分それはきっと、これからの私の成績を見て、絶えず誰かが判断していくことなのでしょう。
私は観客席に向けてあの日と同じように深く礼を行い、そして高らかに宣言しました。
「私が史上8人目の三冠ウマ娘、コントレイルです」
これからも少しずつ書いていくため、リハビリとして短編を書きました。
オルフェーヴル信者なんですが、たまらなく愛着の湧く馬でした。