私は、自身を他者より優れた存在などと考えたことは一度たりとてない。
レースの実績や勉学、学生らしからぬ膨大なタスクを処理する能力を持ち合わせ、これを長所と取ることもできはするが、決して唯一無二のものではない。多少の運が絡むとはいえ、努力次第で誰もが成し得る可能性を持つ能力ばかりである。
だから、私にはわからない。
なぜ周りのものたちが、私を絶対視、そして神聖視しているのかが。
私は前人未到の七冠を成し遂げた。それは事実だ。だが実績なるものはやがて淘汰されるべきものであり、永続することはない。私はそのうちの一つをタイミングよく踏んづけた一人に過ぎないのだ。そしてこの学園にはクラシック三冠バ、及びそれに比肩する肩書を持つものは少なくない上に、既に私を上回る実力者も点在している。走力のみを抜き出しても、私はもはや頂点とは言い難い。
私は学園の生徒会長である。しかし、だからどうしたというのか。これは印籠ではなく──外部相手ならともかく学園内においては──個体をより精密に識別するための名札程度の役割しか持ち得ないはずだ。学級委員長、風紀委員長などと本質的には同じ立ち位置であり、多少の権力の強弱はあれど、”生徒会長”という立場がこれほどまでに畏怖の対象になりうる理由などない。
……そう思っていたのは、どうやら私だけだったようだ。
廊下をすれ違うたびに目に入る生徒たちの瞳は、みな緊張でふるふると揺れている。
私からある程度距離を取った際には、嵐が去ったあとのようにほっと胸をなでおろしている。
一部のそうではない者たちも、”私”という存在を直視しているわけではない。ゲームにおける権力者として、絶対王者として君臨するボスキャラクターのような認識を改めようとするものはいない。
私がいくら言葉を紡いだとて、”シンボリルドルフ”の言葉は、立場というフィルターを通して”セイトカイチョウシンボリルドルフ”の言葉として仰々しいものに翻訳され、受け取った各々は慎重に言葉の裏を勘ぐり始める。
それではもはや、自我を持たぬNPCに等しいだろう。
私は何をしようと、何を言おうと、塗り固められた虚ろに阻まれ続けて一生を終える。
深海でめいいっぱい助けを求めようとも、断末魔は泡沫にすらなり得ない。そんな絶望感故に、幾度となく心の竜骨を砕かれそうになった。
──そんな錆びついた私をサルベージしてくれたのが、トレーナー君だった。
「コーヒーを淹れたよ、ルドルフ」
二つのマグカップを摘みながら、トレーナー君がこちらへ歩いてくる。
私は「ありがとう」と返しながらソファを立ち上がり、数歩先の戸棚から角砂糖が入った瓶を取り出した。
「今日も三個入れるのかい?」
「ああ……やはり意外かな? 私が、コーヒーに砂糖をたっぷりと入れるなんて」
「べつに? むしろ頭をよく回しているから、納得のほうが先に来るよ」
「ふふ、そうか」
「……やけに嬉しそうだね?」
くすくすと楽しげに笑った私を見て、トレーナー君が首を傾げる。さも当然のようなやり取りのどこに楽しげな要素があったのかと訝しんでいるようだ。
「いや、なに」
席に戻って一つ、二つと角砂糖を落としながら続ける。
「私に砂糖が必要かどうかを尋ねてきたのは、君が初めてだったものでね」
「そうなのか。でも、それって……」
「たいしたことではない、と思っているようだね。そうだな、君の感性は正しいよ。しかし、こんな些細なことだとしても、ありのままの私を曇りなき眼で見てくれているというのは私にとって大きな喜びになるんだ」
物心ついたときから、名門シンボリ家の一員として。学園に入ってからは超新星、少し経てば生徒会長として。私は常に、偏見と固定観念に囲まれながら生きてきた。。
だからこそ彼が与えてくれるように、私のことを特別視もせず、まっすぐに向き合ってくれるその優しさが、どれだけ疲弊した心に染み入ることか。
「まあ、それならよかったよ。俺もできるだけ、君の力になりたいからね」
「っ……!」
どくん、と不意を突かれた心臓が跳ね上がる。
──ああ、これだ。これがずるいのだ。
ぬくもりに満ちた君の言葉は、不安やストレスで凝り固まった私の感情を、コーヒーに溶けゆく角砂糖の如くいともたやすく氷解させる。
彼だけが、私のことを心から想ってくれる。
彼だけが私を見て、支え、ほぐしてくれる。
彼さえいれば、私はあらゆる苦難にも耐えられる。
きっと彼は私にとっての──運命の相手、というものなのだろう。願わくは、この先も未来永劫、君とともに歩み続けて──。
「……ふふっ」
「ど、どうしたんだ?」
「あ、いや……何でもないよ、うん」
いけない。彼と二人きりで過ごす日々を想像していたら、つい頬がだらしなく緩んでしまった。
ありのままの私を見せるといっても、恥も外聞も捨てて全てを曝け出す、ということではない。慎むところは慎まねばと、気を引き締め直す。
「今日はよく笑うなぁ……ん?」
彼の話を遮るように、コンコンコン、と丁寧なノック音がトレーナー室に響く。
「どうぞ」とトレーナー君が声を掛けると、扉の奥からは、同じく生徒会所属のウマ娘──エアグルーヴが姿を現した。
「失礼します──会長。やはりこちらにいらっしゃいましたか」
「やあ、エアグルーヴ。私に何か用かな?」
「はい。ご歓談中に申し訳ありませんが、先の行事の引き継ぎ資料について質問が──」
案の定、と決めつけては失礼かもしれないが、生徒会の仕事についての確認だった。
真面目で熱心な彼女は、資料の細かな変更点について、抜けや漏れがないよう綿密に尋ねてくる。
「──確認したかったことは以上です。ありがとうございました」
「そうか、こちらこそありがとう」
「いえ。休息中に失礼いたしました……ああ、そうだ」
頼もしい右腕を得ることができた幸運に改めて感謝しながら、一連のやり取りを終える。
心を開けるパートナー。強く人望もある、頼もしい副会長。
申し分ないほど人材には恵まれてはいるのだが、最近はどうにも無視することのできない、とある懸念点が増えた。
「──貴様も、”お楽しみ”のところ悪かったな」
「い、いや……ぜんぜん……」
不機嫌を隠しきれない表情のまま、非難めいた口調でトレーナー君に話しかけるエアグルーヴ。
体をのけぞらせ、蛇に睨まれたかの如く声を震わせながらそれに答えるトレーナー君。
(……またか)
──二人の関係が、目に見えて張り詰めたものになっているのだ。
いつから始まったのかはわからない。ただ、私とトレーナー君が会話をしている場面に彼女が遭遇すると、決まって射抜くような視線をトレーナー君に送るようになった。
「エアグルーヴ、何があったのかは知らないが、そう邪険にするのは……」
「彼とは何もありません。邪険にもしていませんので、ご心配なさらず。では、失礼いたしました」
エアグルーヴは扉の前で一礼をし、静かにその場から去っていった。
「……トレーナー君、心当たりは?」
「う、うーん……俺にはわかんないや」
「そうか……」
どうしたものかなあ、と気まずそうに笑いながら頭を掻くトレーナー君。その顔に恐怖や焦燥の色はなく、純粋に困惑している様子だった。
以前、私から注意しようかと提案したこともあったが「まあ、グルーヴも年頃の女の子だから、いろいろあるんだと思うよ」とやんわりと断られたので、彼の意向のままに放置している。
……何かが引っかかるのは、私だけだろうか。得も言われぬ違和感に全身を包まれながら、じっと彼の顔を見つめる。
「さ、俺はカップを洗って、仕事に戻ろうかな」
気づけばトレーナー君のマグカップは空になっており、今まさにシンクへと運ぼうとしていた。
私もあと数口で飲み終える所だったので、彼が洗い物を始める前に、残りを一気に口の中へと流し込んだ。
溶け切らなかった砂糖が、じゃり、と奥歯に潰されながら蠢めいた。
蝉の声が途絶えることのない昼下がり。ホームルームを終えた私は、うだるような暑さに悶えながら生徒会室へと向かっていた。
夏の暑さというものは、身体的な面はもちろん、何より精神に相当な負荷を掛けてくる。今すぐにでも背中を丸め、目も耳も口元もだらりと垂らしたいところだが、仮にも生徒の代表として、人目がある場所でそのような情けない真似はできなかった。
(……生徒会室に入ったら、しばし休憩の時間にしよう)
生徒会室に一番乗りで入室するのは、たいていは私だ。
他の生徒会メンバーや訪問者が来るまでには多少のタイムラグがあり、その間は私一人の擬似的なプライベート空間へと変貌する。つまり人の目を気にせず、リラックスした姿勢で身体を休められるというわけだ。
それに今日は、トレーナー君が仕事を手伝ってくれるようだ。繁忙期にトレーニングの時間が思うように取れないことを危惧した彼は、いつからか自身の仕事の合間に、不定期ながら私の仕事を手伝ってくれるようになった。
一蓮托生で行う、彼との共同作業。阿吽の呼吸でタスクを捌き、かと思いきや稀に抜けたところがあってエアグルーヴに怒られたり、それをブライアンが茶化したり。
そのような日常が、私にとっての青春の一幕であり、心のオアシスでもあった。
(今日は、以前頂いたお茶菓子でも出そうか)
来客用の戸棚には、たづなさんから差し入れいただいたクッキーがあるはずだ。みんなが来る前に、アイスティーの用意でもしておこう。全員集まったら、しばし談笑をして、その後は気持ちを切り替えて職務に励む。いつも通りの尊い日常だ。さあ、今日も頑張ろう──。
「──から──なのだ貴様は──」
「悪──で、でも──」
ドアノブに手を伸ばした瞬間、眼の前の板を隔てた先から、男女の会話する声が薄く耳に入ってくる。
(エアグルーヴと……トレーナー君?)
私を驚かせたことは二つあった。
まず、エアグルーヴは学内の見回りを済ませてから生徒会室へと足を運ぶので、互いの特別な用事以外で先に着くことはほぼ皆無だということ。
もうひとつは、トレーナー君とエアグルーヴという、普段は噛み合うことのなく険悪とも言える二人が何かを話しているということ。
また揉めているのなら仲裁をせねば、と思いつつも、プライベートな話をしている可能性も考慮して、ひとまず聞き耳を立ててみる。
とはいえ、学園の部屋はほぼ全てにおいて防音仕様となっている。いくら扉に張り付いたとて、拾える音声は微々たるものでしかなく。
埒が明かず、音が立たないようにそっとドアノブをひねる。空気の通り道を作った直後、その声は一気にボリュームを増して、私の耳へと飛び込んできた。
──飛び込んできてしまった。
「私はこんなにも、貴様のことを愛しているというのに……!」
(……は?)
思わず前のめりになった反動で、ドアの隙間が徐々に広がっていく。
しかしそれは、視界に入った驚くべき光景による身体の硬直のため、再び遮られた。
「……それは僕もだよ、エアグルーヴ」
──優しく彼女の身体を包容する、トレーナー君の姿を目撃してしまったから。
(え……は、ぁえ……っ?)
額から滝のような汗が噴き出して、視界がにじみ出す。
それが暑さによる発汗か、冷や汗か、もしくは涙なのかもわからない。
ただひとつ確かなことは──彼にとっての私は、運命の相手には足り得なかったということだ。
「なら、どうして会長とあそこまで、プライベートで親しげに……」
「そりゃあ、ルドルフとの付き合いはだいぶ長いからね……でも彼女との関係はいわゆる親愛みたいなもんで、恋愛感情とかは一切ないからさ。安心してよ」
「……信じるぞ、たわけ」
指先が震える。呼吸がうまくできない。あたまがいたい。気分が悪い。
嘘だよな、トレーナー君?
だって君は、私の唯一の理解者で。君の前以外では、ありのままの自分でいることなんて叶わなくて。この先の人生も、君がいるからこそ、私は私でいることができて。
──そんな君が、いずれ遠くへ行ってしまうというのなら、私は誰を頼りに生きていけばいいんだ?
「しかし、予想外というか……私はてっきり、会長とはとっくに恋仲なのかと思っていたぞ」
「あー、それ同僚にも言われたけどさ」
やめろ。やめてくれ。
「もちろんルドルフは最高の担当だし、この先もできる限り支えてあげたいと思ってるけど」
これは夢だ。寝ぼけ眼の私が見ている、幻影だ。もうすぐ、目覚まし時計のスヌーズがけたたましく鳴り響くはずなんだ。
「──人生の伴侶になるには、僕よりふさわしい相手がいるよ。僕は、彼女にそこまで踏み込める自信がない」
……ああ、そうか。
君も他と同じように、本当の私なんて見ていなかったんだな。
深いところを理解してくれていたのではなく、言語が通じぬ赤子をあやすように、見様見真似でありったけの対処療法を試していただけで、それが私に上手くハマったわけで。
私はその感覚が新鮮で、勘違いしてしまったということか。
(なら、もう、いいか)
揺れる視界を手で塞ぎ、念じるように己に言い聞かせる。
特別なことはない。トレーナー君と出会う前に戻るだけだ。それまでも上手くやれてきたのだから、何も問題はない……きっとそうに違いない。
私は執務に取りかかるため、一歩踏み出して入室をした。
途端に音は消え、視界は反転、暗転して。
──気がついたときには、私は見慣れぬ天井の下で点滴に繋がれていた。
「熱中症ですね。発汗と、それに伴う水分不足によるものでしょう」
保険医が淡々とそう告げるのを、トレーナー君は手に汗握りながら、私は力なく掛け布団を掴みながら話を聞いていた。
「幸いにも軽度なものでしたので、学園の設備だけで事足りましたが……これが重度なものになると、後遺症も残りかねませんからね。十分、注意してください」
「わかりました、ありがとうございます」
トレーナー君が頭を下げると、保険医は「お大事に」と私たちに告げ、カーテンレールをゆっくりと閉めて部屋を出ていった。
二人きりの空間に、しばし沈黙だけがこだまする。
「ひとまず、無事で良かったよ。でも、もうしばらく安静にしなきゃね」
「そうだな……。心配をかけてすまなかったね、トレーナー君……そして、エアグルーヴにも」
「気にしないで……ああでも、エアグルーヴには言っておいたほうがいいかも。あの子、相当取り乱しちゃってたからね」
「大変だったよ」と困った顔を浮かべながらもつり上がったその口角は、思いやりに溢れたエアグルーヴのことを誇りに思っているようにも見えた。
胸にズキリと鋭い痛みが走り、私は条件反射で質問をする。
「……エアグルーヴとは、いつから付き合っていたのかな」
「……! 聞いていたのか?」
「なに、簡単な推理さ。先日、君が彼女のことを”グルーヴ”と呼び捨てにしていたことを思い出してね。君は私以外のウマ娘はフルネームで呼んでいるのにね。それに……彼女が君に悪態をつくときは、決まって私を含めて、他のウマ娘と談笑をした後だったから」
「……言われてみれば。いや、その、もちろん生徒とトレーナーの交際がよくないことは重々承知しているんだけど……ルドルフのことでいろいろと話し合っているなかで、こう、意気投合したというか、戻れないところまで仲が深まってしまったというか……」
トレーナー君はしどろもどろになりながら、必死に言葉をつなげている。
彼は決して不真面目なトレーナーではない。学園の規則は遵守していたし、仕事に関しても真面目そのものだった。
だからこそ──禁断の関係と知りながらもエアグルーヴと密接な関係になってしまったということは、本当に心の底から、彼女のことをを愛してしまったのだろう。
つまり、私が彼女の魅力に勝てなかったと言うだけであって、トレーナー君は何も悪くない。だから、そこまで焦らなくてもいいはずなのだが、ここまで弁明をするということは、実は私の恋慕にも気づいていたのだろうか。
だとすれば、私は、酷く滑稽だった。一応、アピールなんかもしていたからね。
「……ふふ。気に病むことはない。君のことを責める気は毛頭ないし、むしろ祝福したい。もちろん、周囲に言いふらすこともないよ。ただし、卒業までは健全な関係でいてもらうけどね」
「あ、ああ! ありがとう、ルドルフ。いやぁ、しかし……君が生徒会室に入ってきたときなんかは、どれだけ怒られるか想像してヒヤッとしちゃったよ……」
「……はは、何かやましいことでも話していたのかな? 私は、二人が先に居たなんて知らなかったよ……」
嘘をついた。本当は全て、扉の前で聞いていた。だけど、取るに足らないことかもしれなくても、トレーナー君の前では聞き耳を立てるようなはしたないウマ娘ではなく、礼儀を弁えたいい子の私でいたくて──。
……いい子の私で、いたい?
「……はは、はははっ!」
「ル、ルドルフ……?」
気づいてしまった瞬間、笑いがこみ上げてきて止められなかった。
本当の私を見てくれない、なんて、傲慢にもほどがある話だ。
私の方から偽りの自分を演じておいて、心を闇の中に隠しておいて、それを振り払って見つけてほしいとは、なんというマッチポンプか!
名門シンボリ家なんて、出ようと思えば出ることはできたし、その威光に頼らずとも修練はできた。生徒会長としての威厳だって、身の振り方次第でいくらでも柔和なものにできた。
それでも、勝手な偶像にとらわれて、”こうあるべき”という固定観念に雁字搦めにされて、本心を見せずに滑稽なロールプレイをしていたのは、他でもない私自身だった。
──全ては、はじめから狂っていたんだ。私が大勢の他者とは違い、上手に生きられない欠陥品だっただけなんだ。
それは今までも、そしてきっと、この先もずっと──。
「すまない、何でもないんだ……ところでトレーナー君。スケジュール通りだと、君はそろそろ会議の時間じゃないかな?」
「ああ、もうそんな時間か……ルドルフが一人で大丈夫なら行こうと思ってたんだけど、平気そう?」
「無問題さ。もう、すっかり良くなったから。君は君の仕事に取り掛かってくれたまえ」
「わかった。でも、念のためもう少し休んでいてね。それじゃ、お大事に」
私が退室を促すと、トレーナー君はやや不安気に立ち上がり、会議室へと向かっていった。
「……さて、と」
私は、この世界と言う名の海において、孤独な存在だ。
偽りの自分を作り出し、見せることでしか、他者との交流を図ることができないのだから。もはや元となった感情すらも、どこまで本心で、どこまでが作りだしたものかすらもわからなくなってきた。
──ところで、そんな異物である私にとっての不幸中の幸いは、そのキャラクターがいかに歪なものであったとて、私の世界における主人公は私であるということだ。
私というプレイヤーのセーブデータを弄る権利は私自身にある。畢竟、生まれた時点で詰んでいたゲームそのものをやり直す手段も、選択肢として私は持ち合わせている。
簡単だ──『あきらめる』を選んで、もう一度『はじめから』やり直せばいいだけだ。
さて、どうやって『あきらめる』か。伸びをして、固まった身体を解しながら考えていると、コツン、と手の先に何かがぶつかった。
「目覚まし時計……」
そういえば、保健室を仮眠目的で使う生徒があまりに多いと相談を受けたとき、いっそのこと時間を決めて寝かせてあげればいいのでは、と提案をしたことがあった。そのときに導入されたものだろう。
「……これでいいか」
適当に決めたものだが、翌々考えてみれば、醒めない悪夢を振り払うものとしてなかなか縁起が良い。
私の声は、他者には決して届かない。
私の声は、私にも決して届かない。
ならばこれ以上、魂を抜かれたNPCのように振る舞う意味も、必然的に存在しないわけで。
「────。」
私は目覚まし時計を、頭に狙いを定め、大きく振りかぶって──。