翌日、寝ぼけ眼を擦りあくびも噛み殺しながら、あたしは平静を装って教室に入った。
「おはよー」
「あ、軽井沢さんおはよう!」
ひと度挨拶を交わせばわらわらとクラスメイトたちが集まってくる。まるでクラスの人気者――ああいや、あたしってば実際人気者なんだった。まだあんまり自覚ないんだよね。
「おはよう軽井沢さん。昨日の打ち上げ楽しかったね」
「ねー。でも私歌いすぎて喉痛いんだけど」
いつも通り、真っ先にやってきたのは松下さんと佐藤さん。あたしは普段クラスの皆と交流を深めるために色んな人達と遊びに行ったりしてるけど、この二人とはほぼ毎日つるんでるからちょっとした固定メンバーみたいになってる。
「二人とも昨日はお疲れ様。ごめんね、最後まで付き合わせちゃって」
「気にしないで。私も楽しかったからさ」
「そうそう。焼肉も食べれたし。久しぶりに食べたお肉美味しかったなあ……」
幸せそうに夢想する佐藤さんに、私たちもうんうんと共感する。大人数で焼肉を食べに行く機会なんてなかったし、和気藹々とした雰囲気もあって普段食べる焼肉より何倍も美味しい気がした。
そういえば、昨日あいつに『晩ご飯何食べたの?』って聞いたら『コンビニ弁当』って答えたのよね……なんか、あたしだけ美味しいもの食べてちょっと申し訳ない。いつも世話になってるし、今度あいつも誘ってどっか外食でもしようかな。
「おはよう、軽井沢さん」
「あ、平田くんもおはよう」
鞄を机のフックに引っ掛けたところで、平田くんが爽やかな笑みを浮かべて挨拶してくれる。相変わらずのイケメンフェイスだけど、浮いた話は今まで聞いたことがない。女子の連絡網によると今は部活に集中したいから彼女を作る気はないんだとか。まあ、彼ほどの容姿や性格なら女子は引く手数多だろうし彼女には困らないでしょ。確かに平田くんは優良物件だとは思うけど、あたしはクラスのリーダーに成らないといけないから、下手に彼氏作って女子から反感を買うのは避けたい。久我にも釘を刺されてるしね。
そんなわけで、平田くんには悪いけどあたしから話しかけることはほとんど無い。逆に話しかけられたらちゃんと接するけど、それ以外ではノータッチ。ごめん平田くん、あたしも女子を敵に回すのはもう金輪際ごめんなの。
「あれ……なんだか眠そうだね。大丈夫かい?」
「うん、全然平気。寝る前に考え事してたら目が冴えちゃってさ」
「考え事? 僕でよければ相談に乗るよ」
「ありがとー。ああでも別に悩みってわけじゃなくて、ただ今後のことでどうしよっかなってちょっと考えてただけだから。それにもう結論も出たから大丈夫だよ」
「ならよかった。何かあればいつでも相談して欲しい。僕も力を貸すよ」
そう言って、にっこりと清涼感溢れる微笑みを携える姿を目撃したクラスの女子が数名悶えた。反対に池くんや山内くんと言った男子からは猛烈に威嚇されている。イケメンも大変そうだ。爽やかフェイスと言えば高円寺くんもそうだけど、彼と平田くんの笑顔でどうしてこんなに差が出るのか。あたしなりの解釈をすれば、それはきっとベクトルの違いだと思う。平田くんは混じりっけのない清く澄んだものだけど、高円寺くんはなんというか自分に酔いしれている感が半端ない。所謂ナルシストってやつ。そのベクトルの違いでこんなにも差が出ちゃってるわけ。高円寺くん顔は抜群に良いんだけど性格でかなり損してるのよね……。久我もそうだけど、あいつだって大人しくしてればそこそこ美人のはずなんだけどやっぱ中身がチンピラじゃあね……。
ちらり、と久我の席を一瞥する。
普段通り、ふてぶてしくお菓子を食べながら携帯をいじっていた。ここ最近は真面目に授業にも出て喧嘩とかもしてないみたいだけど、相変わらずクラスの子たちからは怖がられてる。そのせいでクラスから見事に孤立してるんだけど、こうなるように仕向けたのはあいつの作戦。不良の久我をあたしの右腕として引き入れることで皆に『あの久我を手懐けたんだ!』と思わせる意味があるらしい。そのことで昨夜も今後の方針も合わせて入念に打ち合わせしておいた。おかげさまでだいぶ寝不足なのよね。久我はちっともおくびにも出さないけどなんとなーく今日はいつにも増して気怠げというか……あ、今あくびした。やっぱりあいつも寝不足じゃん。授業中居眠りしないといいんだけど……。
誘われたあくびを堪え、あたしはホームルームが始まる前に皆へ呼びかけた。
「みんな昨日はお疲れ様ー。また機会があったら参加してねー」
参加したクラスメイトから続々と開催を希望する声が上がる。昨日はほとんどの生徒が参加してくれたけど、部活の練習がある須藤くんやちょっと言葉に刺があって嫌われ気味の堀北さん、それから長谷部さんや三宅くんといったどのグループにも属さない生徒は放課後になるとそのまま帰ってしまった。櫛田さんじゃないけど、こういうクラスメイトとも仲良く出来たら私の支持ももっと高まるはず。
いずれはクラス全体を掌握しろ、なんて久我が無茶苦茶言い出したときは頭を抱えたもんだけど、時間が経って皆から信頼されるようになってからは『久我の命令に従ってれば案外なんとかなるんじゃないか』って最近思い始めてる。……気に食わないけど、久我のおかげで今のところ順調だし。
「それとさ、放課後に今後のことで話し合いがしたいから、なるべく残ってくれると嬉しいかな。もちろん強制する気はないし、部活や用事がある人は帰っちゃっていいからさ」
気楽に構えてもらえるよう努めて明るく呼びかける。敢えて話し合いの内容をぼかし、中間テストについて触れなかったのは赤点組の生徒が参加するのを躊躇ってしまう恐れがあったから。赤点を取っていることから勉強に苦手意識がある生徒が大半だろうし、クラスメイトたちの前であれこれとやかく言われるのは本人らも面白くないと思う。
だからこそ、それを意識させないように漠然とした議題で集まると主張しておく。尤も、該当する生徒たちだってそこまで馬鹿じゃない。流石に彼らも3週間後に控える中間テストが話の焦点だと理解して――るよね? してるわよね。たぶん。
あたしの仄かな危惧を余処に、クラスメイトからは概ね同意を得られたみたいで了承の声が
前途多難なCクラスを導けるのか、あたしは不安を抱えずにはいられなかった。
……いざとなったら、久我に丸投げしよっと。
◆
時は流れて放課後、あたしの抱える懸念点の一つは杞憂に終わる。
なんと、驚くべきことにクラスメイト39名が教室に揃い踏みしていた。池くんや山内くんはともかく、あの須藤くんまでもが大人しく席に座っている。バスケ命な彼のことだからてっきり部活ダッシュをかますかと思いきや、予想外の結果にあたしは思わず目を丸くした。
ちなみに高円寺くんはちゃっかり抜け出している。今日も上級生の女の子を侍らせて呑気にティータイムと洒落込むのだろう。
「みんな集まってくれてありがとねー。ちょっと長くなるかもだし、重要な話は最初の方で済ませちゃうから、それが終わったら部活とか行ってくれて構わないよ」
自分の求心力の賜物なのか、はたまた異例の事態にクラスメイトたちも危機感を募らせてのことなのか、どちらにせよこの場に居る生徒は皆話し合いに価値を見出した人達。失望させないようきっちりと方針を決めなければ。
教壇に立ち、ひと呼吸。自ずと視線が集まるけれど四の五の言ってられない。
腹を括り、あたしは話を切り出す。
「早速なんだけど、先にクラスのリーダーを決めようと思うの。恐らく今後、ポイントを巡ってクラス間競争が始まる。そんな時にクラスをまとめる人間が居ないと他クラスより後手に回るのは避けられない。もし他クラスから攻撃を仕掛けられた時、毎回悠長に集まって作戦会議してたら結論が出る頃には手遅れになっているかもしれないからね。それを避けるためにもリーダーの存在は必要不可欠なの。だから――」
「はいっ! 私は軽井沢さんが適任だと思う!」
言葉を遮って、あたしを推薦したのは櫛田さんだった。
「軽井沢さんには実績もあるし、皆からも信頼されてる。何より皆のことをちゃんと考えてくれてるから、私は軽井沢さんをCクラスのリーダーに推薦しますっ!」
大輪の花みたいに笑顔を咲き誇らせて、櫛田さんは高らかに宣言する。あたしが呆気にとられているうちに、次々とクラスメイトたちが賛同を示す。
「私も軽井沢さんなら安心かな」
「うんうん。軽井沢さんなら大丈夫でしょ」
「僕も全面的に同意するよ。彼女ならこのクラスを導いてくれると思う」
松下さん、佐藤さんに続いて平田くんも賛同してくれた。ほかの生徒も異論はないとばかりに賛成意見が伝播する。反対意見は無く、対抗馬も出てくる様子はない。どうやら、これがクラスの総意らしい。
「……わかった。じゃあ、あたしが責任を持って皆をAクラスに連れて行く。だから皆もあたしに力を貸して欲しい。きっと楽な道のりじゃないけど、皆と一致団結すれば必ず乗り越えられるってあたしは信じてるからさ」
あたしの言葉にクラスが沸き立つ。初っ端からお祝いムードだけど、士気が高いからこのままでもいいよね。
「よし、一番大事な議題が決まったところで次行こっか」
こほん、と咳払いをして議題を移す。
クラスのテンションは高いまま、素直に皆聞き入る姿勢に入った。
「3週間後に控えた中間テストについてなんだけど、クラスで勉強会を開こうと思うんだよね」
やっぱり、と言った感じで予見してたことだけど赤点組の反応は芳しくない。彼らの表情はついさっきとは打って変わって不満げ。いやあんたたちさっきまでノリノリだったでしょうが……。
「赤点を取れば即退学。これって進学校の中でも特に厳しいんじゃない? でも今更学校に抗議したところで聞き入れてくれるはずもないから、どうしたってあたしたちは勉強しなくちゃいけないわけ。それに退学者を出したクラスにどんなペナルティが課せられるかわかったもんじゃないし、赤点は絶対に避けないとダメ。だけど中間テストはなにもデメリットばかりじゃない。クラス皆の点数が良ければポイントが加算される可能性だってあると思うし、平均点が高ければ高いほど査定が良くなる可能性ももちろんある」
だから、とあたしは続ける。
「これから3週間。中間テストまで放課後は毎日勉強会を開くから、点数に不安がある人とか興味がある人は参加してね。それから、赤点組の人もなるべく参加するようにして欲しい。気乗りはしないだろうけど退学がかかってるからさ。あたしとしてもクラスから退学者は出したくないし」
それと、とあたしはひと呼吸入れて話を続けた。
「今回の小テストで点数が良かった上位の人たちには、是非とも勉強会で講師役を務めてもらいたいかな。……って言ってもあんまり大人数だと皆も集中できないだろうし、講師役の人も手が回らないと思うから、勉強会では幾つかのグループに分ける予定。参加する人は基本的にどのグループで勉強してもらっても構わないんだけど、赤点組の人たちは出来れば一つのグループで勉強してくれると助かるな。教える側もあちこち移動されると困っちゃうしね」
赤点組には暗に『あんたたちにうろうろされると面倒だから大人しくしてて』的なニュアンスを含んだ言い回しを使って牽制しておく。あいつは教えるのが下手だからあっち行く、とか勝手なことされて人間関係に不和が生じればそのグループの勉強会自体が破綻してしまう。そのせいで赤点組が仲良く退学することになりましたーなんて日には最終的に諸々の責任があたしにのしかかってくる。リーダーとしての沽券に関わるからほんと、そういうのは勘弁して欲しい。
「じゃあ、今から名前を挙げる人にグループの講師役をお願いしたいんだけど、拒否してくれて全然構わないからね。これも強制じゃないしさ」
そう言って、あたしはポケットから二つ折りに畳んだメモ用紙を取り出す。書いてあるのは予めメモしておいた小テストの結果。クラスメイト全員の点数が上位から順に並べてある。用紙を広げて、あたしは講師役を任せられそうな上位数名の生徒の名を挙げていく。
ちなみに自分は除外してる。だってあたし中学の範囲ギリギリなら分かるけど、他人に教えられるほどの知識はないし。仮に講師役を任されたとしても、もしどこかのグループでトラブルが起きたらそっちを対処しないといけないし、教える側が長時間席を外すとなれば普段勉強する習慣のなさそうな彼らは勉強が捗らないどころかそのまま帰宅しかねない。
「えーっと……堀北さん、幸村くん、平田くん、久我さん。この四人に講師役を頼みたいんだけど――」
「ちょっといいかしら」
凛とした声音で切り込んできたのは今しがた名を挙げたばかりの堀北さん。彼女も小テストにおいて最上位の同率首位に名を連ねていた学力の持ち主。そんな彼女が、あたしはちょっと苦手だった。いやだってめっちゃ言葉にトゲあるし。久我とは別のベクトルで怖いのよね……。
「どうかしたの? あ、もしかして講師役嫌だった?」
「そういうわけではないわ。むしろ喜んで引き受けたいくらいよ。ただ、その代わりと言ってはなんだけれど、赤点組の何人かはこちらに任せてもらいたいの」
「ほんと? それは嬉しいんだけどさ……大丈夫?」
この『大丈夫?』にはあたしの懸念が多分に含まれていて『重大な役割だけど大丈夫?』ではなく『暴言吐いたりしないよね? 愛想尽かして途中で投げ出したりしない? マジで任せて大丈夫?』が意味合いとしては正しい。なんとなく堀北さんならやりかねないような気がして早くも不安が募る。
「問題ないわ。安心して任せてちょうだい」
安心できないから聞いてんでしょうが。
「……わかった。堀北さんがそこまで言うなら意見を尊重する。でも、なにかあったらすぐにあたしに連絡して?」
「ええ、後で連絡先を渡しておくわ――それともう一ついいかしら?」
これこそが本題、とばかりに堀北さんは声のトーンを落とす。
「彼女――久我さんに講師が勤まるとは思えないのだけれど?」
鋭い瞳で睥睨された久我に自ずとクラスの視線が集まる。先ほど名前を挙げられた時点で少なからず悪感情のこもった目で見られていたけど、堀北さんの指摘が決定打となって誰も久我を歓迎してなどいなかった。
愛想の悪い優等生と、悪名高い不良。
どっちがマシかと問われれば皆口を揃えて前者と答えるだろう。
「……てめえ、喧嘩売ってんのか?」
堀北さんの挑発とも取れる尤もな指摘を受け、久我はがたんっと椅子を鳴らして立ち上がる。不機嫌そうに眉をひそめ、瞳には明らかな敵意の色が垣間見えた。いや待って沸点低すぎない?
まさに一触即発。睨み合う両者を前に教室の空気がどんどん冷え切っていく。特に久我の周りにいる生徒は被害を被らないよう身を縮こまらせていた。
――ちょっと久我! あんたなにキレてんのよ打ち合わせと違うでしょうが! 変なアドリブ入れないでよ!
飛び出しかけた心の叫びを、あたしは必死に嚥下するので精一杯だった。