パラサイト・ルーム   作:涼宮田之介

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第十六話:仮初の主従関係

 教室の空気は肌を刺すほどに凍てついていた。

 

 つい先程まで安穏な雰囲気だったというのに、一人の生徒の余計な一言が引き金となって両者の睨み合いが始まってしまう。一触即発の剣呑な空気が漂い、クラスの誰もが微動だにせず事の成り行きを見守っていた。揉め事があれば真っ先に飛んでくるあの平田くんでさえ、この嵐の前の静けさのような状況を前にして硬直してしまっている。一方であたしも、いつ介入すべきかタイミングを計りつつ静観に徹していた。急なアドリブに驚かされたけど、これはチャンスだ。モノにすればあたしの求心力は更に高まり、久我と表立って行動できるようになるのだから。

 

「正直言って、あなたが正攻法で高得点を取ったとは思えないわ」

 

 沈黙を破ったのは堀北さんからだった。

 暴言とも取られかねない発言にあたしの背筋がひやりと寒くなる。堀北さんのことだから、きっと悪意があって言ったわけじゃないとは思う。普段の刺々しい物言いも彼女の素だろうし、今の発言だって穿った言い方をしてるけど、久我はそう思われても仕方ない行動を取っていたからあながち暴論とも言い難い。

 

「ひでえ言い草だな。私がカンニングしたとでも? あの程度のテストで? おいおい笑わせんなよ、中学で真面目に授業受けてりゃ猿でも解ける問題だったろうが」

「その中学で真面目に授業を受けてなさそうだったから懐疑的に見ているのよ」

「ならそいつはとんだ誤解ってやつだ。私はこれでも立派な優等生ちゃんだったんだぜ?」

「到底信じられないわね。寝言は寝てから言ってちょうだい」

「仮にもクラスメイトだろ。ちったあ信用してもらいてえもんだな」

「ただのクラスメイトでしょう。あなた個人は信用に値しないわ」

 

 のらりくらりとした態度を続ける久我に、堀北さんも容赦無く突き放す。まさに水と油。二人の相性は犬猿の仲さながらに悪く、応酬を傍観するクラスメイトたちの目には彼女らが決して相容れない存在であることが明白に映っていることだろう。

 

 でも、あたしはそうは思わない。

 

 どうしてなのか、久我が堀北さんに向ける視線は先ほど前の敵意はどこへやら、一転してどこか楽しそうな――否、嬉しそうとも取れる爛々とした光を宿していたからだ。久我が本心から悪感情を抱いていたら明確な敵意を顕にして彼女に詰め寄っていたはず。なのに、手を出さず舌戦に留めている。カメラの手前、暴力行為は控えているのか、それとも何か別の理由があるのか……。

 

 もしかしたら、堀北さんは久我にとっての好敵手と認められたのかもしれない――。

 

 ふと湧いたそんな推察は、思いの外小気味良く腑に落ちた。

 久我と過ごしているうちに分かったことだけど、あいつは基本的に他人を見下してはいるけど上昇志向があるヤツに限ってはその限りじゃない。燻ったままどん底から這い上がろうともしない人間が嫌いなだけで、上を目指す人間、そして上に立つ優れた人間を好んでるんだと思う。でないとあの自由人な高円寺くん相手に仲良くしてるわけがない。言っちゃあなんだけどね。

 

 だから、堀北さんを優秀な人間だと捉えた久我は彼女を好意的に見ている。

 

 そう考えればしっくりきた。

 ……単純に彼女の毒のある言動が気に入っただけかもしれないけど。

 

「信頼に値しない、か。随分と手厳しいこと言ってくれるじゃねえの。だがよ、そういうお前はどうなんだ? 自分が信頼されるような人間だってか?」

「愚問ね。他人にどう思われようと私には然して関係のないことだもの」

「くく、そうかそうか。私も全く同意見だ。存外似た者同士らしい」

「勝手に一括りにしないでもらえる? 不愉快だわ」

「まあそう言うなって。嫌われもん同士仲良くやっていこうぜ」

「お断りよ。目障りだから失せなさい」

「へえ……だったら実力行使でどかしてみろ。てめえとやり合うのも面白そうだ」

「野蛮人の発想ね。付き合う義理もないわ」

「そっちに無くともこっちにはあんだよ。……それともなんだ? 軟弱な優等生サマはビビって喧嘩もできませんってか? 口だけが達者なら最初にそう言って欲しいもんだぜ」

「悪いけれど、見え透いた挑発に乗るつもりはないわ。とは言え……そうね、あなたのようなタイプの人間には一度しっかりと灸を据えた方が良さそうかしら」

 

 しつこく絡んでくる久我に嫌気が差したのか、すっと立ち上がった堀北さんは完全に目が据わっていて臨戦態勢が整ってしまったのは誰の目からも明らかだった。不穏な緊張感は一気に高まり、すぐにでも喧嘩に発展しそうな様相を呈している。

 

「おい堀北――」

「綾小路くんは黙ってて」

 

 堀北さんの隣に座る綾小路くんが見かねて窘めようとするも、けんもほろろに突き返され彼はやむなく悄々(すごすご)と引き下がった。

 もう少し粘って欲しかったけど、人畜無害そうな綾小路くんにそれを要求するのは酷かな。と言っても平田くんや櫛田さんが出張ってきたところで抑えられないだろうし、流石にそろそろ仲裁しないとね。

 

 張り詰めた剣呑な空気の中、あたしはわざと大きく嘆息した。

 当事者の二人も、成り行きを怖々と見守っていたクラスメイトたちの注目も一気に集めて、シミュレート通りのセリフを吐く(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「ちょっと久我。その辺にしときなさいよ」

 

 声のトーンを落として、これまた予定通りに久我をぎろりと睥睨する。

 

「……怒んなよ、私だって本気じゃねえ」

 

 バツが悪そうにそっぽを向く久我の変わりように、クラスメイトたちは理解が及ばず困惑に押し込められていた。心なしか堀北さんも驚いたとばかりに目を丸くしている。

 

「大体、その誰彼構わず喧嘩売る悪癖なんとかならないわけ?」

「性分だから諦めろ、としか言えねえな。お前も分かってんだろ」

「直せないならせめて自重して。クラスメイト相手なら尚更よ」

「……それは“命令”か? それとも“お願い”か?」

「“命令”に決まってるでしょ。……なに? まさかこれっぽっちで借りが返せるなんて思ってないでしょうね」

「んなこと思ってねえよ。つーか、ちゃんと私なりのやり方で恩義に報いるってこの間も言っただろうが」

「じゃあ従って」

「仕方ねえな……。わーったよ、気が済むまでこき使え」

「言われなくてもそのつもりだし」

 

 不貞腐れたように、渋々と席に座る久我。突如顕になったあたしたちの関係性を目の当たりにしたクラスメイトは未だ動揺の渦中に居るようだった。……本当は立場逆なんだけどね。

 

 あたしたちがこの場で示すのは“久我緋乃は軽井沢恵に対して大きな借りがあり、恩を返すべく従っている”ということ。

 

 これにより、あたしは久我を唯一御する人間だとアピールできる。クラスのみんなからもこれまで以上に一目置かれるわけだ。

 

 ふう、と息をついて声のトーンを戻す。

 

「堀北さんごめんねー。久我も悪い奴じゃないんだけど、ひとまずこの場は水に流してやってくれない? 後であたしからもキツく言っておくからさ」

 

 この通り! と軽く頭を下げて頼み込むと、堀北さんは重たい嘆息を吐いて「今度から手綱はちゃんと握ってちょうだい」と苦言を呈された。暴れ馬呼ばわりされた久我はムッとした表情を作っていたけど、これ以上突っかかる気配はない。

 

「それより話を戻すのだけれど、本当に彼女に講師が勤まるのかしら?」

 

 堀北さんが抱く尤もな疑念にあたしは首を縦に振る。

 

「ああ見えて意外と頭良いんだよね。教え方だって、きちんと解らないところから丁寧になぞってくれるし、理解できるまで付き合ってくれるから結構面倒見も良いのよ?」

「……実際に見たような言い方をするのね」

「そりゃあ、まあ。今でも久我に勉強教えてもらってるし」

 

 そう言うと何人かの生徒は信じられないとばかりにあたしと久我を見やる。クラスの中心人物がのけ者の不良と親しくしてたら誰だって困惑するに決まってるよね。おまけに明確な主従関係まで公になったから、事情を知らないクラスメイトたちからすれば奇妙な関係にも程がある。

 

「百歩譲って彼女が勉学に優れていたとして、それでも彼女のグループに入りたがる生徒なんて果たしてどれだけいると思う?」

「んー、最悪あたしと久我でマンツーマンかな」

 

 余程の物好きか強心臓の持ち主でない限りは関わり合いたくないだろうし。その点あたしはもう慣れたから四六時中久我と向き合いながら勉強だってできる。いや四六時中は流石に持たないけど。

 

「幾ら勉強が出来ても、粗暴極まる不良な時点で寄り付く人間は皆無でしょうね。尤も、赤点を回避するための最終受け入れ先ぐらいには最低限機能するんじゃないかしら」

 

 堀北さんナチュラルに毒吐き過ぎじゃない? やっぱ久我のこと絶対許してないってこれ。

 

 ……ともかく、あたしとしても一個だけ聞き捨てならない点があった。

 

「不良って……久我のヤツなんかしてたっけ? いや、サボりとかは結構してたけど」

「それもあるでしょうけど、決め手は喧嘩じゃないかしら。不良云々の噂が出回るようになったのはその直後だったもの」

「喧嘩? ……あー、あれね。喧嘩じゃないんだって。というかフツーに被害者みたい」

 

 あたしが証言してもなお懐疑的な視線を向けてくる堀北さんに、皆にも聞こえるよう事件のあらましを語る。

 

「なんかね、夜になっても寮の近くで騒いでる上級生がいて、それを注意したら二人がかりで寄って集ってリンチされたらしいのよね。割と派手にやられたんだけど、相手側も後から『学校に報告されたらやばい』ってなって示談金で済ませたんだってさ。でしょ?」

 

 教壇の上から久我に同意を求めた。嘘は言ってない。ただ、反撃した上に示談金と称した慰謝料を払わせてその金で有料の情報を聞き出したのが事件の真相。最初から仕組まれたものだったわけ。当然ながら、それを知らない生徒は揃って久我へ同情の含んだ視線を投げる。

 

「……言うなよ、それ」

「なんでさ。別にあんた悪いことしてないじゃない」

「まあ、な……」

 

 気恥ずかしさに耐えられないフリをして、久我は机に突っ伏した。……あんた将来女優にでもなったほうがいいんじゃない? ここまで来るとちょっと尊敬するんだけど。

 

「そういうわけだから、喧嘩じゃないし事件にもなってないってわけ」

「事情はわかったわ。だとしても、どうして学校側に報告しなかったの? 暴行されておきながら示談金で済ませるなんて随分とお人好しなのね」

「入学早々大事(おおごと)にしたくなかったんだって」

 

 あたしがこう付け足すと、徐々に皆も久我に対する評価を改め始める。

 

「実は久我さんって良い人なのかな?」

「ちょっと怖いけど、軽井沢さんもこういってるし……」

「ってゆーか久我ってよく見ると美人だよな。長谷部ほどじゃないにしろ胸もデカい!」

「バカ聞こえたらどうすんだバカ山内!」

「二回もバカって言うなバカ池!」

 

 一部の男子はともかくとして、クラスメイトの大凡の悪感情は拭われたはず。これからあたしの補佐として表舞台で動く以上、嫌われ者のままじゃ久我もやり辛い。だからこそ、こうして不良のイメージを払拭する機会を設けた。よくある不良がちょっと良い事をしたらやたら良いヤツに見えるあれを実行したわけだけど、その効果は上々みたい。作戦を聞かされたときは半信半疑だったけどね。

 

「……色々と言いたいことはあるけれど、無為に事を荒立てる必要もないわね。わかったわよ。彼女が講師役で私も異論はない。好きにしてちょうだい」

 

 ひとまず矛を収めた堀北さんは、そのまま素っ気なく話を終わらせると自分の席へ腰を下ろす。なにはともあれ、これで久我の心証は幾分もマシになったことだろう。後は当初の予定通りクラスのリーダーとして会議を進めていくだけだ。

 

 ひとつ肩の荷が降りて気が楽になったあたしは、程よくリラックスした状態で話を再開する。

 

「それじゃあ堀北さんの了承も得られたことだし、他のみんなも異論はない?」

 

 問いかけるとクラスメイトらは満場一致で首を縦に振った。

 

「おっけー。なら早速今日から……と行きたいところだけど、焦らずに明日の放課後からやっていこっか。各自好きなグループに集まって勉強してね。講師役の人は何かあればあたしに連絡して、すぐに対応するからさ」

 

 勉強、と聞いて未だに赤点組の数名は渋い顔をしていたけれど、退学しないためにも観念して大人しく勉強して欲しい。

 

「さて、と。勉強会についてはこんなもんかな。後は今後のあたしたちの身の振り方とか諸々の方針を決めちゃいたいんだけど、その前に一回休憩挟もうか。あ、部活ある人はもう行っちゃっていいからね~」

 

 今日中に決めてしまいたい二項目は済んだので、休憩がてら部活に所属している生徒を解放しておく。真っ先に教室を後にした須藤くんに続いて、三宅くんや小野寺さんといった数名の生徒が廊下に消える。

 

「じゃあ五分後に再開するから~」

 

 弛緩に浸るクラスメイトにあたしはそう呼びかけてほうと息をつく。何度やっても皆の前に立つというのはどうにも慣れない。今まで日陰者だったあたしがクラスのリーダーだなんて、我ながらどうかしてる。これも全部久我の策だけど、あたしはまだ久我が何を目的に動いてるのかを知らない。Aクラスに上がりたいのか、ポイントを稼ぎたいだけなのかすらも見えてこない。

 

 久我は一体、その先に何を見てるんだろう。

 

 あたしたちはこれからも主従関係が続いていくわけだし、そこら辺はちゃんと共有しておかないと。あたしはただいじめられない環境を作るために従ってるだけだけど、あいつは大層な野望を抱いてるかもしれないわけで……。

 

 ――案外ちっぽけな理由だったりしてね。

 

 益体もない思考に耽けながら、ちらほらと寄ってきたクラスメイトに無愛想な受け答えをする久我を見て、あたしはくすりと笑みを零した。





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