そんなわけで今日から活動再開していきます~
明くる日、勉強会はつつがなく進んでいた。
我がグループにおける記念すべき一回目の参加者は軽井沢と、彼女が連れてきた松下に佐藤の二人。なんでも私のグループに閑古鳥が鳴きそうなことを考慮して、軽井沢が予め声をかけていたらしい。おかげさまで待ち惚けを食うことなく始められたのだが、松下はともかく佐藤はあまり気が乗らないのか居住まいが悪そうに問題を解いていた。
「おい佐藤、そこ間違ってんぞ」
きゃいきゃいと大層ご盛況な様子の平田グループを横目に、佐藤へそう指摘してやる。相変わらず平田の女子人気は凄まじい。軽井沢も人徳の差ならば決して劣ってはいないのだが、やはりイケメン男子には勝てないらしい。放課後になるや否や、大半の女子連中は挙って彼を中心として教室の一角に不可侵領域を作り上げてしまった。そこに溢れた者は歯噛みしながら恨めしそうに遠目から彼らの様子を眺めている。
「ここと……ここも間違ってる。チャレンジ精神旺盛なのは殊勝な心がけだが、基礎が出来てねえのに応用問題なんざやるもんじゃねえぞ」
「う……そ、そうだよねー」
気まずそうにぎこちない対応を見せる佐藤に、私は嘆息を吐く。
「ほら、ちょっとノート貸せ」
やたらとカラフルに色付けされたノートを受け取り、懇切丁寧に解説していく。解らない箇所を解るまで付きっきりで教えるのはあまりに非効率で、結局のところ当人が解る箇所からなぞっていくのが最も効率が良い。佐藤が理解している範囲まで遡り、そこを起点として解説したほうが最終的な手間が減るのだ。ちんぷんかんぷんな問題をその位置から徹底的に勉強させられるより、こうやって基礎から辿っていったほうが本人も気が楽だろう。
「――ってのがこの公式の使い方だ。これを応用したのがさっきの問題なわけだが、見た目はややこしいが中身は至ってシンプル。そこまで難しい問題じゃねえよ。試しに解いてみろ」
「う、うん。わかった」
一通り説明を終え、確認がてら先ほど躓いた箇所を再度解かせてみる。すると佐藤はさっきまでの悪戦苦闘ぶりは何処へやら、何の苦もなくあっさりと解答を導き出した。
「やりゃあ出来んじゃねえか。理解が早くて助かるぜ」
「ね? 言ったでしょ佐藤さん。こいつ教えるの上手いって」
「うん。めっちゃ丁寧で分かりやすかったー」
軽井沢の援護もあって佐藤からの評判も上々。こちとら講師役を任されている以上、引き受けたからには最低限の仕事はする。事前に軽井沢から『あんまり高圧的な態度を取らないように』とも厳命されていたのでそのへんも割かし気にしていた。まったく、これではどっちの立場が上かわかったもんじゃない。
「なんかさー、久我さんのこと勘違いしてたかもしんない。もっとこう、須藤くんみたいなバリバリの不良かと思ってたもん」
「あー、それわかるな。自己紹介の時とか平田くんにガン飛ばしてて怖かったしね」
だよねだよねと盛り上がる佐藤と松下。
あの頃は意図的に不良を演じていたわけではなく、割と素で過ごしていたので今と比較してもだいぶ棘がある物言いと思考をしていた。まだ中学気分が抜けていなかったせいもあるだろう。尤も、今となっては軽井沢に感化されたのかは定かでないが、自分でも驚くほど丸くなったなと実感している。少なくとも、荒んだ中学時代を鑑みればこうしてクラスメイトを交えて仲良く勉強会など到底信じがたい出来事だ。それに幾ら作戦とは言え誰かの下につくことになるとは思ってもみなかった。
――でも、まあ、居心地は悪くねえんだよなあ。
かつての自分からは想像もつかないような平和ボケした思想に、我ながら驚かされる。環境が変わるとこうも影響があるのか……。それとも――、
「そういえば、軽井沢さんと久我さんって知り合いなの? なんだかお互い知ってる風だったけど」
松下の問いかけに、私たちは顔を見合わせる。アイコンタクトを交わすと用意していた設定を持ち出して軽井沢がこれに答えた。
「中学の同級生なのよ。と言ってもクラスは別だったし特別親しかったわけじゃないけど、まあ、色々あってつるむようになったってわけ。まさか同じ高校に進学してるとは思わなかったけどね」
「奇妙な縁ってやつだな。つーかお前、最初私のこと気づいてなかっただろ」
「いやしょうがないでしょ、髪染めてるなんて聞いてなかったし。あたしの中で久我のイメージは黒髪なの」
嘘と真実を綯い交ぜにして、偽りの関係に信ぴょう性を持たせる。互いに口裏を合わせ、それとなくぼかして伝えれば無闇に詮索してくる輩も居まい。現に松下と佐藤も疑うことなく耳を傾けていた。
「そーゆーわけだからさ、二人も久我と仲良くしてやってよ。こいつあたし以外に高円寺くんぐらいしか話し相手いないから」
「りょーかーい。じゃあ連絡先交換しよーよ。これ私の番号ねー」
「なら私も交換してもらおうかな」
かくして佐藤と松下の連絡先を手に入れた私。こちらから連絡することはほぼ無いに等しいが、クラスメイトの連絡先は持っておいて損はないだろう。
流されるままクラスのグループチャットにも招待され、とりあえず参加しておく。どういうノリで参加の旨を伝えればわからなかったので一言『うぃっす』とだけ書き込むと、軽井沢が呆れたように嘆息する。すると矢継ぎ早にクラスメイト連中から怒涛の挨拶が返ってきた。レスポンス早すぎだろお前ら。ちょっと怖いわ。
「もうちょっと愛想良くしなさいよね」
「んなこと言ったってどうすんだよ。絵文字でも付けるか?」
「…………あー、やっぱいい。あんたそういうの似合わないわ」
「そうかよ」
空気が完全に弛緩してしまったので、休憩がてら各々が携帯をいじって時間を過ごす。初日から根を詰めすぎて後半に息切れするよりかは、適度に息抜きしながらそれぞれのグループに合ったペースで進めていくのが吉だろう。佐藤は少し怪しいがそれでも赤点は回避できるくらいの学力はあると見極めたし、松下も多少詰まるところはあっても学力的に問題はなさそうだ。中間テストまではまだ3週間もある。まだ焦るような時期じゃない。
「――ちょっといいか?」
不意に訪れた珍客に私たちは揃って携帯の画面から顔を上げた。
覇気のない男だ。ぬぼーっとした人畜無害そうな面構えでこちらを見下ろしている。一切合切敵意の感じられない表情の裏にあるそれすらも読み取らせない無気力さ加減に、私はどこかちぐはぐさを覚えていた。一見すると無害そうな男だが、相対すると言い知れないおぞましさにも似た何かを肌で感じる。
名も知らぬ男子生徒に、私は本能が告げるままに警戒心を剥き出しにしてしまっていた。
「えっと、綾小路くん? どうかした?」
対応したのは軽井沢だった。突然の呼びかけにも無碍に扱わず、人当たりの良い笑みを浮かべて応対するその姿はまさに人格者と言えよう。
「あー、少しトラブルがあってな。堀北のグループなんだが……」
綾小路、と呼ばれた男子はバツが悪そうに頭を掻きながら言う。
「堀北さんの? 何か揉め事?」
「揉め事というか、それ以前の問題だ。……三馬鹿がバックレた」
「ええっ!?」
まさかの初手ボイコットに、然しもの軽井沢も驚き半分呆れ半分の入り混じった声を上げる。佐藤と松下も「ないわー」と赤点組の暴挙を嘆く。
「大方、三人で示し合わせたんだろうな。図書館でやるつもりだったんだが、待てど暮らせど来る気配がない。試しに連絡を取ってみたら『めんどくさい』って池と山内には突っぱねられた。須藤は例の如く部活だ」
「め、めんどくさいって……赤点取ったら退学なんだけど?」
「一夜漬けで切り抜けられると本気で思ってるらしい」
「バ――」
バカじゃないの? と喉を出掛けたそれを寸前で飲み込んだ軽井沢。その気持ちは痛いほどわかる。だが敢えて訂正するのなら“バカじゃないの?”ではなくて“バカ(正真正銘)”だ。自らの進退がかかっているというのに何故これほどまでに楽観的でいられるのか甚だ疑問である。彼らの辞書に危機感の文字は無いのだろうか。
「はあ……事情はわかったけど、堀北さんは?」
頭を抱えた軽井沢が綾小路に訊ねる。
そも、グループの責任者が事態の説明に現れない時点で性格に難があるのは透けていた。プライドの高そうな堀北のことだ、軽井沢に泣きつくようなマネはせず事態の収拾に動いているのだろう。
「呆れて帰った。あれは完全に見放したな。……と言っても、オレまで放り出す訳にはいかないからこうして報告に来たわけだが」
そう言って嘆息する綾小路にはうっすらと哀愁すら漂っている。恐らく、あの堀北に振り回される日々を送っているに違いない。意外にも苦労人らしい一面が垣間見え、私は警戒のレベルをひとつ落とす。
「講師役の人には何かあればあたしに連絡してって言ったんだけどなあ」
「堀北のことだからプライドが先行して報告できなかったんじゃないか? まあ、後でオレからも言っておくよ」
「うん、お願いね。それよりもあの三人をなんとかしないと。流石に一夜漬けでテストを受けさせるわけにもいないし」
「そのことなんだが……ひとつ考えがある」
切り出す綾小路に軽井沢が食いつく。私も彼がどう対処するのか興味があった。
「ほんと?」
「ああ、櫛田を使う」
「櫛田さんを? ……ああ、そういうことね」
櫛田と聞き、軽井沢が合点が行くと同時に私もその魂胆に気づく。
「須藤はともかくとして、池と山内は櫛田を餌に釣れるはずだ。彼女が適当な約束をでっち上げて勉強会に誘えば自分たちから参加するだろう」
「確かに、確率としては高そうだし無難じゃない? 櫛田さんに頼み込まれたら多分断れないでしょ」
「池たちの性格を考えればそうだろうな。ただ……」
「ただ?」
言い淀む綾小路。少し迷った素振りを見せて、溜め息混じりに白状した。
「櫛田が誘うのなら、彼女が勉強会に参加してないと不自然だ。池たちのモチベーションにも関わってくる。けどそうなった場合堀北が難色を示しそうでな……」
意外な二人の不仲が発覚し、私は内心驚いていたが軽井沢たちにとっては周知の事実らしく然程驚いた様子はない。改めて考えると、櫛田と堀北、二人は水と油のような関係だろう。承認欲求の塊とプライドの塊。相容れない反発し合う性質の人間同士、良好な関係を築けるはずもなかった。
「……そんなに仲悪いの? 櫛田さんがやけに塩対応されてるとは聞いてたけどさ」
「ちょっと前に櫛田の提案で彼女を手引きして、堀北を騙す形で仲良くなろうとしたことがあったんだが……失敗した」
むしろ騙し討ちしてまで仲良くなろうとする櫛田の執着が末恐ろしいまである。何故そうまでして関わろうとするのか、堀北にも同情の念が湧いてくる。私だったら一発ぶん殴ってるところだ。
「なるほど。それで険悪な雰囲気ってわけね」
「堀北からの一方的なものだけど、まあそういうことだ。とりあえず、池たちの赤点を回避するためにも堀北には堪えてもらうしかない。……邪魔して悪かった。後はこっちでなんとかするよ」
「いいっていいって気にしないで。それより、何か進展があったらあたしの方に連絡して。あ、綾小路くんとは連絡先まだだったよね? ちょうどいいから交換しない?」
「ああ、わかった」
軽井沢と連絡を交換して(何故か少し嬉しそうだった)綾小路は教室を去っていった。
「あっちのグループも大変そうだな」
所詮は他人事なので気楽なものだが、私はこう呟かずには居られなかった。うんうんと佐藤と松下の二人も同調してくる。
「とにかく、今は綾小路くんに任せるしかないわね」
軽井沢はそう判断して、募る気苦労に嘆息した。万事、何事も易易と円滑には動いてくれないものである。彼女も思い通りにいかない歯がゆさを身に染みて感じているだろう。
とはいえ、今の私たちにできることは吉報を待つことだけ。綾小路の働きに期待して軌道修正を願うばかりだ。
「気を揉んでても仕方ないし、そろそろ再開しよっか」
よし、と口火を切った軽井沢にダラけきった佐藤が抗議する。
「え~もうちょっと休憩しようよー」
「……ねえ久我、佐藤さんがもっと勉強したいってさ」
「そうかそうか、なら明日はたっぷりと問題集を用意しておくから覚悟しておけ」
「や、やります、やらせていただきます」
私が美少女らしく微笑んで見せると、佐藤は頬を引きつらせながら懇願した。尤も、まだテスト範囲の絞込みが済んでいないので個別に問題集を用意している
「……私も大人しく勉強しよ」
慌ててテスト勉強を再開した佐藤を尻目に、松下も巻き込まれまいとシャーペンを手にとった。