パラサイト・ルーム   作:涼宮田之介

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第十八話:“裏”櫛田

 また明くる日の放課後、綾小路から堀北グループ瓦解の知らせが齎された。

 

 聞く所によると、あまりにも無知無能な赤点組の惨状に堀北が痺れを切らしてこっ酷く罵ったのだとか。売り言葉に買い言葉の末、須藤を筆頭に池や山内、そしてたまたま参加していた沖谷という生徒も堀北の元を離れて行ったらしい。参加に漕ぎ着けた櫛田は最後まで赤点組を救おうとしていたようだが、それが彼女の本心かどうかは定かではない。

 

 ともあれ、勉強会の最中にこんな話を聞かされては手もつかなくなるわけで、またもや集まった佐藤と松下らと共に駄弁りタイムが始まる。今日は平田たちも早めに解散していて、他のグループも勉強会を終えて帰宅済み。教室には焦らずのんびりとテスト勉強を進める私たちしか残っていなかった。日も落ちかけ、もうじき下校時刻になろうとしている。

 

「堀北さんにも困ったもんね」

 

 やれやれと嘆息する軽井沢。危惧していた事態が起きて頭を悩ませるハメになったのだから、その心中は決して穏やかじゃないだろう。

 

「そうかあ? 一度バックレたド低脳どもが勝手にキレて文句言ってるだけだろ? 私からしてみりゃ堀北の方がよっぽど不憫に思えるがな」

 

 口が寂しくなったので、ブレザーのポケットからグミの袋を取り出し、果汁入りのグミ(グレープ味)をもぐもぐと咀嚼しながら本心を口にする。

 

「く、久我さんって結構ズバズバ言うタイプだよね……」

「しかも割と容赦ない……」

「事実を言ったまでだ」

 

 引き気味の佐藤と松下に、私はグミを食べつつ端的に言った。

 今回の件に関しては、向上心の欠片もなく怠惰を貪ってきたバカどもにようやっとそのツケが回ってきただけのことであり、堀北はそんなアホどもの愚行を叱責したに過ぎないのだ。まあ、綾小路伝手に聞いた話なので会話の詳細な内容はわからないが、ともかくとして私は堀北の肩を持つ腹積もりだった。次に顔を合わせたときは心労を労わってやろう。

 

「んで、どうすんだよ」

「どうするもこうするも、流石にクラスから退学者なんて出せないし介入するしかないでしょ。……とは言ってもあたしが声をかけたってあの三人は集まらないだろうし、そもそも堀北さんだって見放した三人を今更連れてこられても却って迷惑じゃない? どーすりゃいいのよ」

 

 中々に面倒な案件が舞い込んできた軽井沢は、ぐでーっと机に突っ伏して嘆く。これもクラスのリーダーである以上、こういったトラブルは付き物と割り切ってもらうしかない。

 

「ひとまず、今日のところは解散しようぜ。テストまで猶予もあるしな。焦るこたねえよ。それに最悪、ポイントで釣って勉強させれば済む話だ」

「……それもそうね」

 

 答えを急いたところで私たちに出来ることには限りがある。こういうのは外野がとやかく諭すより、結局は当事者たちが歩み寄ったほうが溝も埋まるし禍根も残らない。尤も、低脳どもと堀北の相性は最悪だ。心境の変化は元より、第三者の手助けが必要なのも事実。その役目は、櫛田辺りが適任だろう。彼女なら頼まずとも進んで担ってくれるはずだ。

 

 手早くノートを片して、私たちは廊下に出る。凝り固まった肩をぐるぐると回しながら、一際大きなあくびをしてみせた。

 

「なに、寝不足?」

「まあな。テスト範囲の絞込みがまだ済んでねえんだよ」

「ふーん、手伝ったほうがいい?」

「結構だ。お前はテストの点を落とさないように勉強しとけ」

「はいはい」

 

 軽井沢とそんな他愛ないやり取りをしながら階段を下りていく。部活動の生徒くらいはまだ残っているかもしれないが、それ以外の生徒はほとんど帰宅したようで、下駄箱に着いても誰ひとりとしてすれ違うことはなかった。

 

 佐藤たちと適当に駄弁りながら靴を履き変えようとしたとき、私は重大な事実に気づく。

 

「あ、グミ忘れてきた。ちょっと取ってくるわ」

「え? いやグミくらい明日にしなさいよ」

「ダメだ糖分がないと死ぬ。それにあれ結構美味かったから気に入ってんだよ」

「あんたほんと甘党ね……」

 

 呆れ気味の軽井沢と二人を残し、私は足早に階段を駆け上がった。人っ子一人いない廊下に踵を返し、教室へと戻る。

 

「お、あったあった」

 

 机の上に置きっぱなしになっていたグミの袋を回収し、大事にポケットへしまう。その際、一粒摘んで口に含む。グレープの爽やかな甘みが口内に広がり、ほっと一息吐く。ともあれミッションコンプリート。あまり待たせるのも悪いので早く軽井沢たちの元へ戻ろう。

 

 駆動を続けるカメラの前で堂々と廊下を走るわけにもいかないので、早歩きを維持して廊下を歩く。自分でも律儀だなとは思うが、些細な事で減点されてはたまったもんじゃない。まったくもって面倒なシステムを採用してくれたものである。

 

 学校の特異なルールに辟易としながら、階段の踊り場に差し掛かったとき、不意に見覚えのある背中を目撃した。

 

「綾小路……?」

 

 これはまた、なんとも珍しい。こんな時間に校舎に残って何をしているのだろうか。彼が何か部活動に所属しているという話は聞き覚えがないし、案外私と同じく忘れ物を取りに来たのかもしれない。

 

 そう結論づけて何となくその背中を見送ると、彼はそのまま階段を上がっていった。教室に用があったわけではないらしい。トン、トンとリズム良くやや抑え気味の足音を鳴らして綾小路は止まることなく階段を上がっていく。ふと興味が湧いた私は、綾小路という人間の観察も込めてその足取りを追う。

 

 三階を過ぎても彼が足を止める気配はない。このまま行くと屋上だが、平時、昼時は昼食をとる生徒用に解放されているものの、放課後になると安全面から施錠されているはず。それを知ってか知らずか、綾小路の足音は屋上へと向かっているようだった。彼が屋上の合鍵でも所持しているのなら話は別だが、一生徒がそんな代物を持っているとは思えない。益々、彼の行動の謎が深まるばかり。

 

 やがて、足音が止まる。

 

 階段の中腹で立ち止まるとは思っていなかったので、思わずちょっぴりつんのめった。ぺた、と咄嗟とは言え階段に手を付いたせいで綾小路に気づかれ、困惑したような視線が向けられる。もしかしなくても、綾小路からしてみれば前触れもなしにクラスの女子が跡をつけてきたわけで――つまるところ、私はストーカーの容疑者ということだ。……めちゃくちゃ気まずい。

 

 誤解だ、と口に出そうとして、その前に綾小路は自分の口元に人差し指を当てた。静かにしろ、ということらしい。

 

 ジャスチェーの後、綾小路は息を殺して手すり付近から顔を覗かせて何やら様子を窺い始めた。まるでストーカーか何かのような行動に、私は小首を傾げずにはいられない。この先には屋上へと続く扉しかないはずなのだが、誰か居るのだろうか?

 

 私も可能な限り気配を押し殺し、綾小路の隣まで忍び寄ると彼と同じようにそっと顔を覗かせてみる。すると、一人の女子生徒が扉の前に立っているのが見えた。

 

 ――櫛田だ。

 

 屋上の扉の前で、何をするでもなくじっと立っている。

 こんな人気のない場所で待ち合わせでもしているのか? とも脳裏を過ぎったが、なんとなく違うような気がする。何がどう、とは形容しがたいが、強いて言えば逢い引きというには程遠い雰囲気なのだ。存外、ラブレターでも貰ってこれから告白されます的な展開が待ってるのかもしれないが……そうなると私たち無粋者は差出人と鉢合わせる事になる。

 

 綾小路には悪いが面倒事になる前に大人しく立ち去るべきか、と思慮していると、不意に櫛田が手にしていたカバンを足元に置いた。すると――、

 

「あ――――ウザい」

 

 低く、重たい声音が耳に届く。苛立ちと侮蔑が入り混じった酷く攻撃的な声色は、間違いなく櫛田の喉から発せられていた。

 

「マジでウザい、ムカつく。死ねばいいのに……」

 

 虚空に向けて暴言を吐く櫛田の姿に、私は己の見立てが間違ってなどいなかったことを知る。誰にでも優しい櫛田桔梗は偽りの虚像で、今この場で荒び本性を曝け出すこいつこそが本来の櫛田桔梗なのだ。その事実を、私も、綾小路も目の当たりにしていた。

 

「自分が可愛いと思ってお高く止まりやがって。どうせアバズレに決まってんのよ。あんたみたいな性格の女が、勉強なんて教えられるわけないっつーの」

 

 まるで呪詛じみた言の葉を紡ぐ櫛田。彼女が悪意の矛先を向けているのは、内容から察するに堀北だろう。何をどうすればこれほどまでに恨みを買うのかは知ったことではないが、なんにせよこれはチャンスだ。元から櫛田は気に入らなかった。ここで生殺与奪の権を握っておくのも悪くない。

 

 私は携帯を取り出してマナーモードに切り替えたのを確認すると、画面を操作しカメラを立ち上げる。そして手すりの上からレンズを覗かせてこっそり録画を開始。綾小路が何やら言いたげな表情をしていたが、これを咎めてくることはなかった。

 

「あー最悪。ほんっと、最悪最悪最悪。堀北ウザい堀北ウザい、ほんっとウザいっ」

 

 怨嗟をぶちまける櫛田の姿を、カメラ越しに眺める。にしてもおかしな話だ。堀北を毛嫌いし嫌悪感を募らせているのであれば、何故櫛田は綾小路の誘いを受けて勉強会に参加した? こう言ってはなんだが堀北の性格上揉め事を起こすのは容易に予見できたはず。にも関わらず、手伝いを引き受けた挙句こうして文句を垂れている。櫛田の行動はちぐはぐで論理的とは言い難い。何か思惑があってのことなのだろうが、生憎と櫛田の思想に興味はこれっぽっちもない。

 

「軽井沢もムカつく。あのクソギャル、ちやほやされやがってウザいんだよ。大体、私が一番人気者になるはずだったのに横取りしやがってクソっ、クソっ。なにがリーダーよ調子乗んなボケがっ」

 

 怒りの矛先は堀北だけに留まらず、軽井沢にも向けられる。尤も、逆恨みも甚だしい身勝手極まりない主張であり、完全なとばっちりを受ける軽井沢へ私は同情を禁じえない。反感を買わないような立ち振る舞いを徹底させていたつもりだったのだが、よもや目立つだけで妬んでくる輩がクラスに居るとは思わなんだ。

 

 恨み辛みを吐き出す櫛田にほとほと呆れ果てていると、よっぽどストレスが溜まっていたのか櫛田は足を振り上げて思い切り扉を蹴り飛ばす。静まり返った校舎にその音はよく響いた。本人も想像以上の音量にハッと我に返り、身を固めて息を潜める。

 

 一連の暴言を聞かれていないかと、櫛田が半身振り返る直前、私はギリギリで携帯を引っ込めてその場にしゃがみこむ。見つかれば面倒事は避けられない。そんな直感が働いて考えるより先に体が動いていた。

 

「……ここで……何してるの」

 

 その冷ややかな問いかけは私ではなく、手すりから覗き込んだ態勢のまま硬直する綾小路へのもの。逃れられないことを悟ったのか、観念した様子の綾小路は階段を上がって踊り場に出る。一瞬たりとも、私には目を合わせなかった。

 

 ――こいつ、私に注意が向かないよう惹きつけてるのか。

 

 そう理解するのに然程の猶予も要らなかった。

 

「ちょっと、道に迷ってさ。いや、悪い悪い。オレはすぐに立ち去るよ」

 

 明らかな嘘っぱちを述べて、綾小路は悪びれた素振りを微塵も顔に出さず櫛田を見据えた。彼の心境を知る由はないが、私は与えられた使命を全うするかの如く会話を録音し続けることにした。流石にレンズを向ける余裕はなかったものの、音声だけならば手にした携帯が容易く記録してくれる。私はただ、気配を殺すだけでいい。二、三段ほど階段を降りて隠密に徹する。

 

「聞いたの……」

「聞いてないって言ったら信じるか?」

「そうだね……」

 

 わざとらしく靴を鳴らして櫛田が階段を降り、踊り場に立つ綾小路へゆらりと接近。その様子を階段下から見ていると、途端、櫛田は左腕を綾小路の首元にあてがい、彼の背中を荒々しく壁へと押し付けた。もはや皆の知る優しい櫛田桔梗の姿はどこにもない。

 

「今聞いたこと……誰かに話したら容赦しないから」

 

 耳にした者を底冷えさせるような冷淡な声色で櫛田は脅す。対する綾小路に怯えの色は見受けられない。思いの外豪胆な人間なのか、それとも櫛田を脅威と見ていないのか。真相はさておき、綾小路は表情を変えずに聞き返した。

 

「もし話したら?」

「今ここで、あんたにレイプされそうになったって言いふらしてやる」

 

 女の特権を振りかざし、そう啖呵を切る櫛田だが、残念ながら私がこうして録画・録音をしているのでそれは自分の首を絞める行為でしかない。綾小路は濡れ衣を着せられた哀れな被害者となり、櫛田は他人を貶め冤罪にかけようとした加害者になるわけだ。

 

「冤罪だぞ、それ」

「大丈夫よ、冤罪じゃないから」

 

 大した自信を含んだ物言いだったので、何をしでかすのかと思えば櫛田が素早く綾小路の手首を掴み、無理矢理手のひらを開かせるとそれを自分の胸元に押し当てた。痴女かと見まごうばかりの行動に流石に綾小路も焦ったのか手を引こうとしたが、敢えなく上から押さえつけられてしまっている。これが録画出来ていれば言い逃れできない証拠になったんだが、下手に発見されるリスクを犯すよりは、こうして最小限のリスクで録音しておくのが最善だと判断した。

 

「……お前、何やってんだよ」

「あんたの指紋、これでべっとりついたから。証拠もある。私は本気よ。分かった?」

 

 映像はないが音声なら証拠としてあるぞ櫛田。

 

「……分かった。分かったから手を離せ」

「この制服はこのまま洗わずに部屋に置いておく。裏切ったら、警察に突き出すから」

 

 櫛田はこう言うが、指紋というのはなんでもかんでも簡単に採取できるものじゃなかったはずだ。特に、ブレザーなんかは難易度が高いと昔テレビで見た記憶がある。保存方法だってきちんと管理していないと経年劣化で指紋が消えてしまうことも珍しくない。直射日光による紫外線の影響や、乾燥なんかにはめっぽう弱いのだとか。長期間保存しておくのなら尚更だ。

 

 冤罪に仕立て上げるにはお粗末な有様から察するに、櫛田も内心では慌てふためいていたのだろう。胸を揉ませたあの行動も、咄嗟に思いついて実行したに違いない。動揺していた――とは言えど、自分の胸を他人に揉みしだかせるのは如何なものだろうか。私なら死んでも御免被るがな。

 

「約束よ」

 

 満足したのか、櫛田は念を押して綾小路から離れた。……もういいか。

 私は十分な証拠が集まったと判断して、録画を終了する。途中からはほぼ録音だったが、証拠としてはこれで十分だろう。他者への暴言。綾小路への冤罪。そして櫛田桔梗という人間の本性。その全てがこの携帯に記録された。

 

 もうここに用はない。綾小路には後日それとなく礼を言っておこう。

 

 私は息を殺し、察知されないようそそくさと退散する。

 

「なあ櫛田。どっちが本当のお前なんだ?」

「……そんなこと、あんたには関係ない」

「そうだな……ただ――」

 

 背後で二人の会話は続いていたが、別に興味も湧かなかった。そんなことよりも、待たせっきりの軽井沢たちのほうがよっぽど気がかりだ。佐藤や松下は痺れを切らして帰っているかもしれないが、軽井沢はなんとなく残っていそうだし、間違いなく小言を言われるだろう。……連絡くらいしておくべきだったか。

 

 後悔先に立たず。重い嘆息を吐きながら、私は足早に校舎を引き返した。

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