パラサイト・ルーム   作:涼宮田之介

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最近忙しくて投稿頻度が落ちてきましたが作者は元気です。

ちょっと詰め込みすぎて長めになりましたがご了承くだしあ……


第二十二話:はじめての交渉

 

 放課後。私は渋る軽井沢を引きずってとある場所に来ていた。

 

「うあぁめっちゃ緊張する……」

「いい加減腹くくれ軽井沢。根性見せろ」

「そ、そう言われても……やっぱあたしには荷が重いって!」

 

 食い下がる軽井沢に、私は堪らず嘆息する。

 ここまで連れてきたは良いものの、肝心の軽井沢が中々踏ん切りをつけられずその場からテコでも動こうとしなかった。せっかく閃いた赤点組救済の打開策を披露してやったにも関わらず、道中のうちに彼女の覚悟が決まらなかったのでこうして手間取っているというわけだ。

 

「これも必要な経験と割り切れ。それに私がやるより軽井沢がやったほうが箔が付くってもんだ。最低限フォローもしてやる」

「そうだけど! そうなんだけどぉ……」

 

 肩に手を添え諭してみるが、軽井沢の決心は固まらない。彼女も頭では理解しているつもりなのだろうが、分かっていても抵抗が有るようだ。否、分かっているからこそか。

 

 私としても無理難題を押し付けている気はない。むしろこれくらいは出来てもらわないと後々支障を来す。良い機会だし、そう思っていたのだが……よもやここで足踏みすることになるとは思わなんだ。

 

「さっきも言ったが、これが最善策なんだよ。お前は経験を積めるし実績も手に入れられる。須藤たちも赤点は取らない。なんならクラスの平均点も爆上がりだ。入手元の信頼度も高い。……軽井沢は難しいことのように捉えてるのかもしれねーが、やること自体は単純でリスクも無い。何も気負うこたぁねーんだよ」

「久我……」

 

 改めてそう諭してやると、軽井沢は少し驚いた風な顔をして、それからふっと柔らかく微笑を浮かべてみせた。私にはまだ見せたことのない心からの微笑みに、何故だか胸の内側が暖かくなるのを感じる。

 

「あんたが言うなら、そうかもね。……うん。わかった。やってみる」

 

 軽井沢はこう告げて軽く深呼吸を挟む。ほどなくして呼気を整えた彼女の面持ちから、不安の色は霧散していた。表情もどこか晴れ晴れとしていてまるで憑き物が落ちたかのよう。

 

 毅然とした意志の強さを感じさせる佇まいはまさに“リーダー”たるに相応しい。存外早く統率者の風格が出てきたなと、私は軽井沢の成長を喜ばしく思った。

 

 迷いを振り払った軽井沢は、扉の前に立ち私に一度頷いてみせる。私もそれに応え、扉をノックする彼女の一歩後ろに付く。

 

「――――どうぞ」

「失礼します」

 

 応答する男の声に従い、私たちは“生徒会室”へ足を踏み入れた。

 

 ――事の発端は休み時間に遡る。

 

 

 

 

 

 

「――せ、生徒会長と交渉しろぉ!?」

 

 驚愕のあまりオウム返しで叫ぶ軽井沢の声が虚しく空に響き渡る。

 

 昼休みを経て、授業を一時限挟んだ休み時間に私は軽井沢を連れて屋上に足を運んでいた。

 

 昼時は賑わいを見せるこの場所も、10分しかない授業の合間とあって立ち寄る生徒は皆無。誰にも聞かれず邪魔もされない。放課後の特別棟と並ぶここならば、作戦会議するには打って付けのスポットと言えよう。ちょっとやそっと叫ぼうが問題ない。

 

「無理無理無理! 無理だって! あんたの指示でもそれは流石に無理っ!」

「んだよ軽井沢。私は別に無謀な要求をしてるつもりはないぞ。お前でも可能だと判断したからこうして指示を出してんだよ」

「そりゃ久我が生徒会長のこと知らないからでしょ? あの人はあたしの手に負えないっての。あんたがやんなさいよね」

「ああ? なんだ。お前生徒会長について何か知ってんのか?」

「前にちょこっと噂程度に聞いたのよ。ほら、先月に部活動説明会があったじゃない? その時に生徒会長の挨拶があったみたいで、無言で突っ立ってるだけで新入生を黙らせたって話。一年生の間じゃ結構有名よ。噂によると相当な堅物みたいだし、そんな人相手に取引持ちかけるなんて何言われるかわかったもんじゃないわよ。大体、交渉なんてやったことないし……とにかく! そういうわけだから今回ばかりは無理!」

 

 臆病風に吹かれた軽井沢は珍しく命令を突っぱねた。たかだかお堅い生徒会長に何をそんなにビビってるんだか。

 

 口を一文字に閉ざし、そっぽを向く軽井沢。どうにかして彼女を説得しないことには始まらないのだが、少々骨が折れそうだ。

 

「あのな。交渉っつっても過去3年間の過去問(・・・)を買い取るだけだ。そいつがありゃ楽に試験をパスできる。使わない手はねえだろ」

「過去問って……確かに問題の出題傾向くらいは分かるかも知れないけど。もし今年のテストから傾向を変えてきたら意味ないじゃん」

「いいや、私の読みが合ってりゃ傾向は変わらないはずだぜ」

「……ヒントは有った、ってこと?」

「ご名答」

 

 やはり軽井沢はそこそこに頭の切れる女だ。咄嗟の判断力に長けているというべきか。最近、それも磨かれつつある。私は気を良くしながら言葉の続きを上機嫌に語った。

 

「小テストの問題。覚えてるか? 最後の三問だけ妙に難しかったよな」

「え? ああ……そうね。全然解けなかった。……それが?」

「気になって後から調べたんだがな。あれ。どうやら高校二、三年で習うはずの内容だったんだよ。そんなもん入学したての一年生に解けるわけがない」

「なるほど……通りで難しいわけね。けど、そうなると学校側は生徒に解かせる気のない問題を出したってことでしょ? 学校の不手際ってのも考え難いし、何か意図があるのかも」

「それだ。あの小テスト自体が学校側の仕掛けたヒントだったんだよ」

「テスト自体が?」

 

 首を傾げる軽井沢に、私は指を立てて説明を追加する。彼女のことだ。もう一欠片与えてやれば自ずと答えにたどり着けるだろう。

 

「仮にだ、これまでの小テストで今回と寸分違わない問題が出題されていたとしたら、どうなると思う?」

「あっ! そっか。過去問があれば満点取れるじゃん!」

 

 合点が行った軽井沢はぽんと手のひらを叩く。

 

「そういうことだ。つっても、ヒントはもう一つあったがな」

「もう一つ? そんなんあったっけ……あ、もしかしてまた茶柱先生がなんか言ってた?」

「ああ。前に中間テストの話をしたろ。その時、あいつはこう言った。『お前らが赤点を取らずに乗り切れる方法はあると確信している』とな。相変わらず含んだ物言いをしやがる。ヤツは聖職者としては最悪だが、それでもクラスを受け持つ担任だ。赤点組の成績がどれだけ悲惨かは誰よりも把握している。だが退学者を出さず試験を突破する方法があると、茶柱は確信を持って啖呵を切った。ヤツはあの時点で示していたのさ。抜け道の存在をな」

「それが過去問ってわけね」

 

 予想だにしない範囲の変更によって、正攻法では須藤たちが点数を伸ばすのは困難になったが、お優しいことにこの学校はきっちりと退学を回避するための手段が確保されているようだ。今回は過去問の存在がそれに当たる。

 

 これは憶測の域を出ないが、もしかするとポイントを使って退学すら免除できるのかもしれない。相当の高額には違いないだろうが、あながち荒唐無稽な話でもあるまい。或いは進級、卒業すらも実現させてしまうであろう可能性の塊だ。もっと言えば――――個人を退学に追いやることも不可能ではないはず。そうなれば、この学校におけるポイントとは私が考えている以上に付加価値のある代物と言えよう。

 

「まあ、過去問の必要性は分かったわよ。――けど! それとこれとは話が別! さっきも言ったけど、こういうのは久我がやんなさいよね!」

 

 ここで話が振り出しに戻る。

 

「めんどくせえな……いいか軽井沢。これは決定事項、そんでもって命令だ。大人しく従え」

「んなっ!? お、横暴よ横暴!」

「あーうるせーうるせー。とにかく放課後までに覚悟決めとけ。ったく……ほら、時間ねえしとっとと戻るぞ」

「ちょっと待ちなさいってば! やんないから! 絶対やんないからね!」

 

 喚く軽井沢に背を向けて、私は一足先に屋上を後にした。

 

 

 

 

 

 

 ――――回想を終え、現在に至る。

 

 入室の許可が下り、少し身を強ばらせた様子の軽井沢の後に続いて部屋へ入る。厳かな雰囲気を感じさせる室内――職員室といい指導室といい私の苦手な空間にはやたらと縁があるな――には生徒会長を思しき怜悧な顔立ちの男子生徒と、明るい髪を左右で団子のようにまとめた女子生徒が作業をしていた。他の役員は出払っているのか姿が見えない。

 

「一年Cクラスの軽井沢恵(かるいざわ けい)です。こっちは同じクラスの――」

「紹介に与りました、久我緋乃(くが あけの)と申します。以後お見知りおきを」

 

 お得意の美少女フェイスを浮かべ、恭しく頭を下げた私に対し、軽井沢はまるで信じられないものでも見たかのようにあんぐりと口を開けたまま驚愕を隠そうともしなかった。思えば、彼女の前で優等生モードを演じるのは初めてのことだ。平時の私の素行を鑑みれば、衝撃を受けるのも分からなくはない。……にしても幾らなんでも驚き過ぎだろお前は。

 

 唖然と間抜けヅラを晒す軽井沢の背中をぽんと叩き正気に戻す。軽井沢がはっと冷静さを取り戻した矢先、正面に座す生真面目そうな男子生徒が口を開く。

 

「ほう。中々に面白い来客だな。――生徒会長を務めている堀北学(ほりきた まなぶ)だ。彼女は書記の橘茜(たちばな あかね)

「橘です。よろしくお願いしますね」

 

 橘と名乗った小柄な女子生徒は人懐っこそうな笑みを浮かべて軽く会釈をする。温和そうな気質の彼女と対象的に、堀北学なる人物は氷のように冷たく冷徹な印象を受けた。眼鏡の奥に有る、刀の切っ先を彷彿とさせる鋭く研ぎ澄まされた眼光は、彼が幾つもの修羅場を潜り抜けてきた歴戦の猛者の証。紛う事なき実力者の双眸に射抜かれ、軽井沢が萎縮してやしないか心配になるも、たじろぐ様子は見受けられない。まったく、豪胆なんだかそうでないのか……一度腹をくくると物怖じしなくなるタイプなのか? 彼女を完全に理解するのはもう少し先になりそうだ。

 

 それにしても“堀北”とはよく出来た偶然もあったものである。ポピュラーな苗字とは言い難く、私の知る堀北の身内と考える方が自然だ。見やれば、目元の辺りが似ているような気がしないでもない。なんとなく身にまとう雰囲気も仄かに“らしさ”を感じさせる。確認を取りたいところだが生徒会長相手に些末な質問をする立場ではないし、後日、堀北鈴音本人に訊ねてみるか。

 

「さて。立ち話も何だ。適当に掛けてくれ」

「失礼します」

 

 堀北会長に促され、私たちは二人掛けのソファに並んで腰を下ろす。ガラステーブルを一つ挟んで対面には会長が座る。彼は腰掛ける前に茶を出すよう橘へ伝え、指示された橘は嫌な顔一つせず給湯器からお茶を淹れ始めた。この従順っぷりから察するに、書記の橘とやらは会長に入れ込んでいるようだ。

 

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 御盆に湯呑を乗せてやってきた橘に軽井沢が会釈して礼を述べる。私もそれに続く。内心では軽井沢が礼儀正しく(ぎこちなさはあるが)出来ていることに安堵しつつ。

 

 橘も御盆を下げ同席したタイミングで会長は口火を切った。

 

「では用件を聞こう。生徒会への加入を申し出ると言うのであれば追い返していたが、そういうわけでもあるまい?」

「はい。実は、堀北会長に折り入ってご相談があります」

「わざわざ俺に、か。良いだろう。言ってみろ」

「単刀直入に言いますと、一学期に行われたこれまでの中間テストの過去問を買わせて貰いたいんです。出来れば過去三年分ほど」

「ほう……過去問か。その様子だとテストの迂回路に気づいているな。だが生徒会長である俺に取引を持ちかけるとは、随分とリスキーだ」

「問題は無いはずですよ。ポイントのやり取り自体は学校の規則に何ら抵触していませんから。あた――私たちは堀北会長にポイントを譲渡して、過去問を貰うだけです」

 

 崩れた一人称を零すもすぐに立て直した軽井沢。今のところ臆することなく会長との交渉を進めている。これは私の出番は無さそうだな。

 

「確かに、お前の言う通りポイントでの取引に関して問題は無い。しかし、もし俺が欲深く傲慢な人間で、ポイント欲しさに偽の過去問を売りつける可能性は考慮しているのか?」

「か、会長はそんな人じゃありませんっ!」

「……橘。これは例え話だ」

「はっ!? す、すみません……」

 

 側近から真っ向の否定が入り、堀北会長は努めて冷静に眼鏡のズレを直す。見る限りでは橘とやらは思いの外、堀北会長に畏敬の念を抱いているようだ。

 

 仕切り直し、その間に言葉をまとめた軽井沢が意見を述べていく。

 

「これは私の主観なんですけど、堀北会長に限って下級生を騙す真似はしないと断言できます」

 

 啖呵を切る軽井沢に堀北会長は眼差しを鋭くする。

 

「ふっ、随分と高く見られたものだな。俺の人物像を把握できるほどの接点はないはずだが?」

「簡単な話です。生徒会長ともあろう方が、困っている下級生に詐欺行為を働けばそんな悪い噂はたちまち広まります。それこそ箝口令を敷かなければならないほどに。ポイントと築き上げてきた地位や名誉を天秤に掛けても、そこまでして騙し討ちするメリットがありませんよ。そもそも、自分の立場を貶めるような人間は生徒会長になってないでしょう。もっと言えば、あからさまな弱点を作るとは考えにくいんです。ここは良くも悪くも特殊な学校ですから、会長の地位を脅かそうとする輩は多いんじゃないですか? それに――」

 

 軽井沢は呼気を整え、一息に述べる。

 

「堀北会長が悪い人じゃないってことくらいは分かったつもりです」

「会って間もない人間を買い被り過ぎじゃないか?」

「私はそうは思いませんけどね。こう見えて、人を見る目は有るつもりです。それに橘さんも会長のことを心から信頼なさっているみたいなので」

「……なるほど。よく視ている」

 

 口角を緩める堀北会長の隣で、橘書記はうっすらと頬を赤らめていた。その顔には尊敬と言うよりかは恋慕の色が濃く滲んでいる。軽井沢も察しているのか温かい目で彼女を見ていた。堅物の会長を相手に淡い想いを成就させるのは、誰であっても困難を極めるに違いない。胃袋でも掴めれば手っ取り早いのだろうがな。他人の色恋沙汰にあまり興味はないが、堀北会長が落とされるのは見てみたい気もする。

 

 心の片隅で橘書記にエールを送りつつ、私は脱線した思考を戻す。

 

「良いだろう。過去問を売ってやる。100000ポイントで取引だ」

「たっ――――んんっ。分かりました。払います」

 

 テストの抜け道とは言え、過去問ごときに見合わない値段を提示され思わず軽井沢も抗議の声を上げかけたが(すんで)で堪えて事なきを得る。いやたっけえなおい――と私も思わなくはないが、生徒会長というネームバリューが付加価値として添付された貴重な代物だ。そう考えれば安く思え……いやたっけえなおい。高すぎんぞ会長。

 

「ほう、渋らないか」

「確かに少し値段は張ってる気がしますけど、幸い手持ちはあるので」

「それはクラスメイトの融資か? それとも久我からの譲渡か?(・・・・・・・・・)

 

 猛禽類を彷彿とさせる目つきが、私たちを射抜く。遊戯部での稼ぎは茶柱くらいしか知らないと踏んでいたがまさか堀北会長も耳にしていたとは。山崎伝手で情報が渡ったのだろうか。

 

「久我。お前は面白い生徒だな。入学早々、上級生から故意に(・・・)暴行を受け示談金を巻き上げ、五月には遊戯部において賭博を仕掛け多額のポイントを稼いだことはこちらも把握している。その上で聞こう。お前の目的はなんだ?」

 

 氷のような眼差しが向けられ、思わず背筋が伸びた。まさか、馬鹿どもからカツアゲしたことも筒抜けとは恐れ入る。出処は教師陣の誰か――まあ茶柱に相違ないだろう。この分だと中学時代のあれこれもリークされていそうだ。

 

 プライバシーの欠片もないな、と内心嘆息しつつも私は優等生モードを崩さずに答える。

 

「目的などと呼べるほど大それた野心はありませんよ。私はただ、軽井沢さんの助力になればと思いポイントを集めていただけに過ぎません。これから先、何かと物入りでしょうし。現にこうして有効活用させていただいてますから」

「……あくまで軽井沢の腹心、というわけか。まあいい。今はそういうことにしておこう」

 

 はぐらかした私の心情などお見通しと言わんばかりに告げ、会長は軽井沢へ視線を戻した。

 

「さて。話を戻すが取引だ。100000ポイントで過去問を買う――異論はないな?」

「はい。問題ありません」

「では端末から送金しろ。入金を確認した後、過去問の現物を渡す。コピーを取るなり好きにして構わん」

「ありがとうございます」

 

 端末を取り出した軽井沢は、慣れた手つきで指定された口座にポイントを送金する。それを確認した堀北会長も何やら端末を操作したかと思えば、ほどなくして軽井沢の端末が通知を鳴らす。

 

「えっ!? あ、あのポイントが送られてきたんですけど……これは?」

「驚くことはない。優秀な新入生に敬意を評して、俺からの小遣いだ。クラス運営に役立てると良い」

 

 彼女の端末を覗き込むと履歴には500000ポイントが入金されたログが残っていた。高い買い物だったが、それ以上のお釣りが返ってくるとは思わなんだ。お堅い生徒会長かとばかり思っていたが存外に太っ腹らしい。

 

「……こんなに貰っちゃって良いんですか?」

「構わん。俺に直接交渉を持ち込んできた初めての新入生だからな。遠慮するな」

 

 そう言われては軽井沢としてもこれ以上食い下がる理由はない。なんなら、口元が緩んでいる始末。舞い込んできた大金に夢を膨らませているようだが、個人的なあれやこれやで散財しないよう釘を刺しておかなければ。こいつはお洒落が趣味らしいからな。放っておくとブランド物の服を買いあさりかねない。

 

「過去問は資料室に保管してある。橘、彼女らの案内は任せるぞ」

「はいっ。お任せ下さい」

 

 じゃあ行きましょうか、と席を立つ橘に従い私たちも腰を上げる。すると、堀北会長は薄く笑みを浮かべて言う。

 

「今年の新入生は中々ユニークな生徒が多い。お前たちにも期待している」

 

 微笑む彼に一礼し、私たちは生徒会室を後にした。

 

 

 

 

 

 

「これが三年分の過去問です。コピーを取ったら捨ててしまっても構いませんよ」

「ありがとうございます。橘先輩」

「じゃあ私は生徒会の仕事がありますから。また何かあればいつでも訪ねてきてくださいね」

 

 資料室に赴き過去問を受け取った私と軽井沢は、とてとてと踵を返す橘を見送る。やたらと小動物味のある先輩だったな、と私は改めて思わずにはいられない後ろ姿だった。

 

 曲がり角の先へ橘の姿が消えた途端、緊張の糸が一気に解けた軽井沢が盛大に嘆息を吐く。

 

「はあぁぁ……つっかれた……」

「お疲れさん。お前にしちゃ上出来だったぞ」

 

 ぽんと肩を叩き苦労を労わる。素が出かけた部分はあれど、結果としては十二分の働きだ。これからクラス間闘争が激化するにつれ、他クラスのリーダーとの交渉は避けられない。今回の交渉は良い経験になるだろう。

 

「んじゃ、早速答え合わせと行くか」

 

 軽井沢の手から過去問を抜き去り、ざっと目を通していく。するとやはり読み通りに一言一句違わず小テストと同様の問題が出題されていた。これをクラスの連中に暗記させれば赤点を出すことなく中間テストを乗り切れるわけだ。

 

「よし、使えるな。これさえあれば問題なく突破できるだろうよ」

「苦労して手に入れた甲斐があったわね」

 

 そう言ってほっと一息吐く軽井沢。今回の功労者は私ではなく彼女だ。この功績は、後ほどクラスメイトたちにちょっとばかし誇張して語ってやるとしよう。私は内心ほくそ笑みながら軽井沢へ過去問のプリントを返す。

 

「ってゆーか話変わるけど、さっきまでのアレ、なんなわけ?」

「ありゃ優等生モードだ。感想は?」

「違和感凄くて鳥肌立った」

「うっせえよ」

 

 好きでやってるわけじゃないし、自覚はあるのが悲しいところだ。

 

 教室に戻る道すがら夕焼けに染まる廊下を歩いていると、不意に軽井沢が訊ねてくる。

 

「ねえ。あのさ……ちょっと聞きたいんだけど」

「あん?」

 

 隣を歩く軽井沢はなんとなく言い辛そうに躊躇う素振りを見せながら、それでも有耶無耶にせず問いかけた。

 

「久我の目的、教えてよ。あたしを表に立たせてまでしたいことって、なに?」

 

 どちらともなく足を止めて向き合う。彼女の言葉に、どう返答したものかと逡巡する。言おうか、言うまいか。口にすること自体は容易い。しかし、軽井沢を変に不安がらせるのは本意ではなかった。かと言ってここではぐらかすのも憚られる。それは暗に彼女を信用していないと言っているようなものだからだ。私は――自分でも驚いているが、これでも軽井沢を信用し、信頼している。その彼女を裏切るような行為は、私の心に後味の良くないモノを残す。

 

 二律背反の狭間で、私は今までにないくらい惑っていた。

 

「――――ごめん。やっぱいい」

 

 口から出かけた言葉を何度も飲み込んでいると、どこか吹っ切れたような声色で軽井沢は質問を取り下げる。

 

「……聞きたいんじゃなかったのかよ」

「そうだけどさ。まさかあんたがそんな顔するなんて思ってなかったから、やっぱりやめた」

 

 言って、少し困った風に笑う軽井沢。彼女の見た“そんな顔”とは、一体何なのだろうか。堀北にも似たようなことを言われたばかりだから、余計に気になってしまう。

 

「なあ。私、今……どんな顔してた?」

 

 私らしくない、弱々しい声音で尋ねてしまったものだから、軽井沢もぎょっと目を剥いて驚きを顕にしていた。……本当に、らしくない。ここに来てから人間強度が下がった気がする。

 

 互いに沈黙し、奇妙な静寂に包まれた廊下。時折グラウンドから聞こえる運動部の掛け声だけが唯一だった。

 

 そんな中、おもむろに軽井沢は口を開く。

 

「そう、ね……なんていうか……『不安そうな顔』してたわよ。あんた」

 

 まるで子供みたいにね、と付け加える彼女に私はロクに返事もできない。実際にそうだからだ(・・・・・・・・・)。結局、あの頃から何にも成長しちゃいない。そんなこと、自分が一番よく分かってるってのにな。

 

 湧き上がる嫌悪感を抑えつけて、私はいつも通りのふてぶてしい表情を貼り付けると不遜な態度で言い放つ。

 

「――いつか、私が話しても良いと心の底からそう思える日が来たら、全部引っ(くる)めて教えてやる」

 

 調子を取り戻した私に、軽井沢も安心したのかくすりと小さく笑みを見せた。

 

「……うん。約束だからね」

「ああ。いつか、きっとな」

 

 未来の約束を交わした私たちは、肩を並べてオレンジ色の校舎を歩く。

 

 今だけは互いの仄暗い過去すらも忘れられるくらい、穏やかな時間が流れていた。

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