パラサイト・ルーム   作:涼宮田之介

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第五話:免罪符を打ち砕け

 

 ――心地良いまどろみから目覚めた時、最初に感じたのは違和感だった。

 

 少しずつ鮮明になっていく世界が映し出したのは、見慣れない部屋の床。あたしはそこに横たわっている。蛍光灯の強い光が鬱陶しくて思わず目を細めた。ここはどこだろう?

 ……意識がまだぼんやりとしていて考えがまとまらない。

 

 とりあえず、起きて顔でも洗ってこよう。

 あたしはそう考えて寝ぼけ眼を擦ろうとした――はずだった。

 

 手が動かせない。背中に回したまま、ビクともしない。

 

 途端、意識が急速に覚醒していく。そうだ、あたしはあいつの部屋で――、

 

「よお、お目覚めか?」

 

 聞きたくなかった声が部屋に響く。

 あたしは全身の血の気が失せていくのを明確に感じていた。本能がけたたましく警鐘を鳴らして訴えている。本能が告げるまま反射的に逃げ出そうとしたけれど、意に反して思うように体は動かない。訳も分からずあたしは身をよじり、そこでようやっと自分の体の異変に気づく。

 

「っ――! ん、ぐ……っ!?」

 

 あろうことか、あたしは手足を縛られて床に転がされていた。咄嗟に悲鳴を上げようとしても何かで口を塞がれていてくぐもった声が漏れるだけ。舌を突っ張っても口元に張り付いていてちょっとやそっとじゃ取れそうにない。舌先で触れてみた感じ、多分粘着テープだと思う。1枚だけなら時間はかかるけど取れるかも知れない。

 手足を縛めているものが紐かテープかは見えなかったけど、とにかく何かしらの道具で両手足が拘束されていてまったく身動きがとれない。かなりキツくまとめられていて自力で抜け出せるかどうか怪しいところ。

 

「気分はどうだ? 暴れられるとめんどくせーからちっとばかし拘束させてもらったがな」

 

 抜け出そうともがくあたしの前に、そいつはちっとも悪びれた様子もなしに現れる。文句も言えないあたしは、ただ強く睨みつけることしかできない。

 

「は、思ったより反抗的じゃねえか。つっても、そんなツラ出来んのも今のうちだぜ」

 

 性悪女はそう言ってしゃがみこむと、前触れもなしにあたしの髪を掴んで無理矢理目を合わせた。鋭痛に顔を歪めて叫ぼうとしても、テープに阻まれて声にならない。

 

 ――怖い。

 これから何をされるかを考えるだけで体が震える。とっくに目尻には涙が浮かんでいて、小突かれるだけで決壊しそうだった。痛みには慣れてるけど、暴力だけはダメ。引っぱたかれたり殴られでもしようものならあたしは泣くことしかできなくなる。

 あたしは弱い生き物だ。こんなふうに拘束なんかしなくても頬を叩かれるだけで抵抗できなくなる。これは経験則だ。下手に抵抗すればもっと酷いことをされたから、それが体に染み付いてしまっている。

 

 そんなあたしの何もかもを見透かしたように、彼女は蒼の瞳を爛々と輝かせながらこっちを覗き込んでいた。その瞳の奥で何を考えているのかなんて、あたしには到底わかりっこなかった。

 

「てめえにはこれからたっぷりと“上下関係”を叩き込む。私が良いと判断するまでサンドバッグになってもらうぜ」

 

 それはあたしにとって死刑宣告に等しかった。強ばっていた体の硬直がほどけていく。いつの間にか、震えも止まっている。自分の身に起きていることのはずなのに、どこか他人事のように思えていた。たぶん、恐怖が先行するあまり一周回って冷静になったんだろう。何回か、こういう経験はあったから。

 

 ――――ああ、なんか、もういいや。

 

 ふいに全てがどうでもよく思えた。この部屋に入った時点でこうなる運命だったんだ。結局、悪いのは全部あたし。いじめられるのも全部、全部全部あたしが原因。

 でも大丈夫。痛いのは嫌だけど、死にはしないだろうから。耐えてればそのうち解放される。後はまた呼び出されるまで平穏に過ごせていれば、それでいい。

 

 ふっ、と体を脱力させる。力む必要なんてない。どうせ動けないし。それにあたしはこれからただのサンドバッグとして扱われる。サンドバッグは抵抗しない。

 いつまでリンチされるんだろ。一時間くらい? こいつが満足するまで? いや、あたしが気絶するまで止まらないかも。嫌だなあ。

 

「――気に入らねえ」

 

 早く終わらないかな、なんて考えていたから少し反応が遅れる。性悪女はあたしを殴るでもなく、心底侮蔑したみたいに怒った顔をしていた。

 

「てめえのその目は、負け犬の目だ」

 

 顔が触れそうなくらいの距離で、性悪女はあたしと目を合わせてそう吐き捨てる。

 あたしは目を背けられなかった。出来なかった。

 

 だって、彼女の瞳の奥にあたしと同じ闇を観たから。

 

 その時あたしは確信した。ああ、こいつもあたしと同じだったんだ、って。

 惹きつけられるように、あたしは彼女の淡い瞳を眺める。

 

「負けることが当たり前か? 勝てないからそれでいいのか?」

 

 彼女の問いかけが凍りついていたあたしの心に染み込んでいく。

 

「弱者であることを免罪符にしてんじゃねえ。いつまで被害者ヅラして現状に甘んじてるつもりだ?」

 

 免罪符。その単語は清々しいくらいに腑に落ちる。あたしは弱い生き物だから、あたしはいじめられっこだから――そんな都合の良い言い訳を使い回して、その場凌ぎで生きてきた。何かに縋ってないと、生きていけなかったから。

 

 でも、先の見えない暗闇の中でひとりぼっちで歩き続けてきたあたしの前に、一筋の光が差し込んだ。

 

 それは誰も“軽井沢恵”を知らない隔絶された理想郷。まるであたしのために神様が用意してくれた舞台。

 

 この場所ならやり直せる――そう思った。

 

「お前は成り上がろうとした。くそったれな過去を引きずりながら、それでも這い上がろうとした」

 

 彼女はまるで、自分のことみたいにあたしを奮い立たせる。彼女の言葉が、厚い氷塊に閉ざしていたあたしの心を急速に溶かしていく。どうしようもないくらい感情が揺れ動いて、とめどなく涙が溢れた。

 

 乱暴な手つきで口を塞いでいたテープが剥がされ、彼女はしっかりとあたしを見据えて問いかける。

 

「思い出せよ軽井沢。てめえを突き動かした根源はなんだ?」

「あたし、は……あたしは――――」

 

 応えるように、ずっと心の奥底に秘めていた想いを叫ぶ。

 

「――普通の学校生活がしたかった……っ!」

 

 友達と何気ない会話をして、テストが何点だったとか、放課後どこ行くだとか、そんな他愛もない会話がしてみたかった。あたしはいつも孤独だったから、誰かが何気なく送っている日常が羨ましく思えていた。

 ごく普通の日常は、いつだってあたしの手が届かない場所にある。地獄の渦中に囚われている囚人がどんなに檻の中から手を伸ばしても、絶対に届かない。それが分かっていたから、余計に辛かった。

 

 だから、せめて高校生活くらいは普通の学生で居たかったんだ。ただ皆と同じ“普通”を共有したいだけで、それだけで他には何もいらない。

 そのために、あたしはツギハギだらけの心に仮装をした。

 例え自分を偽ってでも、願望を叶えるためならなんだってする覚悟は済ませてある。

 

 平穏を脅かされそうになったら、なりふり構わず誰かに寄生してでも守り通す。寄生虫にだってやってやる。

 

 あたしは、あたしのために戦う。

 

「くはっ――ああ、それさえ言えれば上出来だ」

 

 彼女は嬉しそうに顔を綻ばせ、まるで垢抜けた美少女みたいな笑みを見せたかと思えば、鷲掴んでいたあたしの髪を無遠慮にぱっと離す。当然、受身も取れずにフローリングと軽くキスをする羽目になった。うぐぇ、と潰れたカエルみたいな声を絞って肺に取り込んだ酸素を吐き出す。ぞんざいに扱われて、じろりと性悪女を睨むけど本人はどこ吹く風だった。

 彼女はやおら手を伸ばし、あたしの両手足を縛めていた拘束を解く。どうやら拘束具として使っていたのはどこにでもある結束バンドのようで、もう必要ないとばかりにそのままゴミ箱へシュート。

 

 改めて椅子にふんぞり返った彼女を、ちょっぴり痕が残った手首をさすりながら見やる。

 

「さて、軽井沢。お前に魅力的な提案をしてやろう」

「……なによ」

「私の下に付け」

「…………断ったら?」

「ぶん殴る。……冗談だ。間に受けんなよ」

「あんたが言うと冗談に聞こえないわよ……」

 

 溜め息が漏れる。

 提案、なんて聞こえはいいけどこれはただの恐喝だ。端っからあたしに拒否権はない。

 

「一応聞くけど、あんたの下に付いてどんなメリットがあるわけ?」

「軽井沢恵というひとりの生徒を“勝ち組”の地位まで引っ張ってやる。過程で生じる荒事も私が片付けてやるよ。お前はスクールカーストの頂点に君臨し、誰からもいじめられることはない」

「……具体的には何をすればいいわけ?」

「そうだな。まず、お前にはDクラスのリーダーになってもらう。とにもかくにも話はそれからだ。何も気負うこたぁねえさ、お前は私の指示通りに動くだけでいい」

「い、いやいや無理に決まってるでしょ!? ずっと日陰者だった人間がクラスをまとめられるわけないわよ!」

「お前ひとりじゃ無理だろうよ。だが、私が指示するからには確定事項だ」

 

 足を組み替える彼女の声色には確信が宿っていた。こいつは本気であたしをクラスのリーダーに押し上げようとしている。確かにあたしだっていじめられないためにはなんだってする覚悟はあるけど、いきなりリーダーになれだなんてハードルが高すぎる。入学早々無理難題を吹っかけないで欲しい。……なんて泣き言を言っても一撃お見舞いされかねないのでこれ以上文句を垂れるわけにもいかない。暴力沙汰は勘弁願いたいからね。

 

「ま、大船に乗ったつもりでいろ。私としてもお前に潰れてもらっちゃ困るんでね」

「はあ……言っとくけどタイタニック号の二の舞は嫌だから」

「氷山くらい削っておいてやるさ」

 

 ……沈まないといいなあ。いや、ホント。

 

「そういうわけだから、お前には早速動いてもらうぞ」

「えっ、い、今から?」

「心配すんな。誰でもできる簡単なことだ」

「……なにさせる気?」

「勉強しろ」

「は?」

「正確には学力を向上させろ。狂気じみたカリスマでもねえ限りバカにリーダーは務まらねえ。求心力なんざ微塵も働かねえよ。リーダーに知能は必要不可欠だ」

「な、なによ人のことバカ扱いして!」

「実際そうだろ? 少なくとも、大人しく勉強できる環境じゃなかったはずだ」

「それは……そう、だけど……」

 

 的を射る指摘に、あたしは口ごもる。

 あの環境じゃ板書を取るどころか授業内容すらまともに頭に入ってこないし、家に帰っても疲れ果てて予習復習なんてせずに布団の中でひたすら自分の不幸を呪っていた。テストだって一夜漬けで突破してたから自分がどれだけ勉強できるのかもよくわかってない。下手すると小学生レベル……いや流石にそこまでは……でも強く否定できないのが悔しいわね……。

 

「私が講師として見てやるから、お前はまず勉強する習慣をつけろ」

「わかったわよ……でも、あんたって勉強できるわけ?」

「あん? 他人の勉強見るっつってんのにできねえ訳無いだろうが。そもそも、私はこう見えて努力家なんだ。勉強もスポーツもお手の物だぜ」

「へえ、意外」

 

 あんたのこと悪知恵ばっかり働く喧嘩っ早い不良だと思ってたー、とかいうと100%ぶっ飛ばされるのでひっそりと胸に秘めておく。

 

「今日のところはお前がどの程度の学力か見極めるに留める。一回部屋に帰って支度してからまた来い」

「はいはい――あ、そういえばまだあんたの名前知らないんだけど」

 

 よろ、と少しふらつきながら立ち上がったあたしはふと思い出してそう訊ねた。

 

「あ? なんだ、知らなかったのか? ……私もそこそこ有名人だったはずだがな。まあいい」

 

 含んだ言い方をするものだから、灰色の中学生活の中での記憶を探ってみたけど、彼女のような人物も名前も出てこなかった。本当に同じ中学だったのかどうかさえ疑わしくなってくる。

 

「久我緋乃」

 

 その名を聞いて、あたしは瞠目を隠せなかった。

 

 ――久我緋乃。

 転校初日から在籍するクラスを暴力で支配し、逆らったクラスメイト数人を転校にまで追い込んだ前代未聞の暴君。

 

「これから私たちは一蓮托生だ。よろしく頼むぜ」

 

 入学初日――あたしは、邪智暴虐の悪魔と契約を結んでしまった。




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 いいですね赤って。通常の3倍速そうです。何がとは言いませんが。
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