パラサイト・ルーム   作:涼宮田之介

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第八話:癒えない傷跡

 

 翌朝、日課のジョギングを終えて朝食(激辛麻婆豆腐弁当)を味わっていると、テーブルに置いていた携帯が通知音を鳴らす。確認してみると軽井沢から個人チャットが届いていた。弁当を食べつつ、片手間にやりとりを交わす。

 

『ちょっと、朝起きたら口座に3万ポイントも入金されてたんだけど?』

『なんだ要らないのか? じゃあ返せ』

『いる! でもなんの説明もなしに大金入ってたらビビるでしょ普通』

『クラスの奴らと友好関係を築くからには、付き合いでなにかと金が入用だと思ってな。だから少し分けてやったまでだ。それにお前、初日から散財してたしな』

『そうだけど……』

『なら素直に受け取っておけ』

『わかった。けど、あたしに3万も渡して久我は来月まで持つわけ?』

『問題ない。そもそも私のポイントじゃねえ』

『は? どういうこと?』

『夕べ、上級生のバカどもから巻き上げた』

『なにしてんのよ! バレたら大事(おおごと)になるでしょうが!』

『心配すんな。抜かりはねえ』

『頼むわよホントに……』

『それと学校のシステムについて裏付けも済ませておいた。詳細は後で送っておく』

『あー、じゃあDクラスが不良品の集まりってのもホントなわけね』

『そうらしいな』

『てゆーか裏付けってどうやったの?』

『上級生には箝口令が敷かれていてな。簡単には口を割りそうになかったもんで、ポイントで強引に情報を買った。ちなみに情報元はポイントを巻き上げた奴らだ』

『そいつらが嘘ついてる可能性は?』

『その場合は奴らが長期間の停学or退学になるだけだ。どっちにしろクラスポイントに大きく響くから下手な真似はできねえのさ』

『なによクラスポイントって』

『それも含めて後で送る』

『わかった』

『他に用はないな? ないなら履歴を消しておけ』

『言われなくてもわかってるってば』

『ならいい』

 

 メッセージのやり取りを終え、携帯を閉じる。途中から連絡に意識が行っていたせいで弁当がすっかり冷めてしまっていた。半分ほど残ってはいるものの、わざわざ温め直すのも億劫になって結局そのまま食べ終える。やはり好物は多少冷えていても美味いもんだ。

 

 身支度を済ませた私は部屋を出る前に洗面台の前に立つ。

 

 昨晩しこたま殴られたおかげで頬はくっきりと痣を浮かび上がらせ、痛々しく腫れ上がっていた。「お前殴られたな?」と詰問されても言い逃れできないくらいの有様である。明らかに歯痛で生じたレベルではないのでまず間違いなく喧嘩を疑われるはず。クラス内での私の評判は今のところ不良(?)だが、これを見せれば小括弧が外れることだろう。立派な不良女子高校生にランクアップというわけだ。

 

 クラスへの評価を確信しつつ、私は怪我の処置をすることなく部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 コンビニに立ち寄って今日の分の菓子類を補充してから遅めの登校を果たした私は、目論見通りクラスから腫れ物扱いを受けていた。比較的席が近い連中は触らぬ神に祟りなしといった様子であからさまに見向きもせず、それ以外のクラスメイトたちは遠巻きにひそひそとあることないこと吹聴しているようだった。お優しい櫛田も戸惑ってはいるものの、昨日の警告が脳裏を過ぎったのか様子を窺うに留めている。

 

「美しくない顔をしているねえデビルガール」

 

 机に足を乗せ、爪の手入れをしていた高円寺がやおら口を開いた。突然の暴言とも取れる発言に周囲のクラスメイトがぎょっと目を剥く。

 

「そのニュアンスは誤解を招くからやめてくれ高円寺」

「はっは、それは済まない。私としたことが配慮が足りなかったようだ。それよりも、君のそれは意図したもの(・・・・・・)かな?」

「まあそんなとこだ。デカめの野良犬に思いのほかじゃれつかれてな。よっぽど遊んで欲しかったらしい」

「ふぅむ。ならば、私が代わりに調教しておこうじゃないか」

「それには及ばねえよ。得るものも有ったしな。……つか、心配してくれてるのか?」

「もちろんだとも。君は私が認めた友人なのだからねえ。それに――女性を殴るのは、美しくない」

 

 高円寺の言葉に、私は思わず目をぱちくりとさせる。彼のポリシーはさて置き、高円寺は『私が認めた友人』と口にした。そう、友人。友人である。なんというか……ちょっと感動している。なにせ人生で初めての友人なのだから、そりゃあ嬉しくもなるわけで……。あ、ヤバいめっちゃニヤケそう。堪えろ私、浮かれるな私。

 

「おや、なにか良いことでもあったのかね?」

「……さあな」

 

 勘の鋭い友人の問いかけに、私はそっぽを向いた。せめてもの抵抗だ。彼なら感情の機微も容易く悟ってしまうのは想像に難くない。

 

 HRまでの暇つぶしに携帯をいじっていると、軽井沢が席を立つのが見えた。ちら、とこちらを一瞥するとそのまま廊下へ消えていく。少しして携帯にチャットの通知が届いた。軽井沢からだ。

 

『上級生からカツアゲしといてめっちゃボコられてない?』

『カメラの前で一発殴られるだけで良かったんだが、少し焚きつけすぎた。けど、このツラならいかにも喧嘩しましたって感じだろ?』

『まあね。皆もあんたを不良だと思ってるし、疑う余地もないでしょ。実際、佐倉さんみたいな気の弱い子は久我のこと怖がってるわよ』

『誰だ佐倉って』

『桃色の長髪でメガネかけた女の子』

『知らん』

『でしょうね』

 

 携帯から視線を外し、クラスを見渡してみると軽井沢の言う桃色の長髪が特徴の女子は直ぐに見つかった。メガネもかけており十中八九彼女で間違いないだろう。どこか怯えた様子で本に目を落としているが、集中できていないのか時折周囲に視線を配っていた。地味で目立たない、というよりは目立たないために地味であろうとしているようにも見える。中学時代もあの手のタイプはクラスに何人かいた覚えがあった。

 

 再び手元の携帯が振動したので視線を戻す。

 

『話変わるんだけど、5限目の水泳サボっていい?』

『私はお前に模範的な生徒を演じろと指示したはずだが?』

『そうだけどさ……』

『じゃあなんだ生理か?』

『違う! そうじゃなくて、さっき男子が集まって女子の胸の大きさがどうとかで賭け事してたのよ。オッズ表まで作ってたんだから! ほんっと信じらんない! こんな奴らと一緒に泳ぐとかなんの拷問よ!?』

『流石男子高校生。脳みそと下半身が直結してるってのは本当だったか。……で? それが嫌なら止めさせればよかったじゃねえか。女子の総意ならバカどもも引き下がるだろうに』

『一応角が立たないように伝えたし、それで男子も納得はしたみたいだけど実際はどうだか……』

『オッズ表まで作ってんならそう簡単には止まらねえか』

 

 チャットを送信して、ふと考える。軽井沢が水泳をサボりたい理由はこれだけだろうか?

 

 付き合いこそまだまだ短いが、彼女が見た目や言動とは裏腹にある程度の論理的思考の持ち主だというのは把握しているつもりだ。

 

 だからこそ、軽井沢が暗に「男子の視線が気になるからサボりたい」と口実を持ち出したことに疑念が湧き上がる。ちょっとばかし筋の通っていない話だ。もし彼女が何か不都合を隠しているのなら早いうちに吐かせておくべきだろう。杞憂であればいいが、重要な局面で致命的な弱点が露見しても困る。

 私は画面に指を走らせた。

 

『軽井沢、今のうちに白状しろ。お前がサボりたい理由はそれだけか?』

 

 返信はすぐには返ってこなかった。しばらく待って、ぴこんと通知が鳴る。

 

『脇腹に傷がある。みられたくない』

 

 淡々とした文章を見て、腑に落ちた。ただ事故で負傷した傷なら大した問題ではなかったが、軽井沢の場合その傷は――間違いなく、いじめでつけられた傷跡だ。事故であればどれだけマシだっただろう。脇腹にある傷は彼女にとって過去のトラウマを想起させる呪縛に等しい。そんな代物を他人に見せるなど果たして誰ができようか。水着に着替える際に一瞬でも誰かに見られる可能性を考えたとき、軽井沢は強い忌避感を覚えたはずだ。

 

『わかった。好きにしろ』

 

 短い返答を送りつけ、携帯をしまう。返信はなかった。

 

 ほどなくして予鈴が鳴り、軽井沢が戻ってくる。友人たちに迎えられ何事もなかったかのように振舞った。

 

 しかし、その表情にはどこか陰りがあった。

 

 

 

 

 

 

 昼休みが終わり、とうとう水泳の授業が始まる。

 併設された屋内プールへ移動しDクラスの面々は男女それぞれの更衣室へ入っていく。私も同様に更衣室へ――入ることなく、その足でやたらとガタイの良い体育教師の元へ向かい授業を見学したい旨を伝える。適当に「生理です」と理由付ければ教師は詮索することなく了承した。もっとも理由はどうあれ教師側が拒むことはそうそうないだろう。表向きは放任主義なのだから。

 

 こうして授業に参加しないのも、全ては『不良』のレッテルを確実なものにするため。今度は遠慮なく遅刻するし授業中も居眠りするか携帯をいじり倒す。

 入学直後は真面目に授業を受けていたが緩い学校とわかって自重しなくなった――設定はこれでいく。

 

 体育教師に見学者用の建物の2階に上がるよう指示され、てくてくと歩いていく。道中、見学者であろうDクラスの女子が何人か足早に追い抜いていった。……そんなに怖いか私?

 

 階段を登って2階に上がると少なくない数の見学者(Dクラス女子)が揃っていて――メガネをかけた小太りの男子も一人だけいるが――その中には軽井沢の姿もあった。眼下には50Mプールが広がり、澄んだ水面は日光を反射しキラキラと輝いている。加えて屋内であり天候の影響を受けない抜群の良環境だ。

 だというのにやたらと女子の見学者が多いのは、軽井沢が言っていた賭け事が原因だろう。ほとんどの女子は男子からの好奇の視線を嫌がったというわけか。それくらいでサボるなよ――と言いたいが彼女らからしてみれば、男子たちの熱視線は嫌悪感以外の何物でもないだろうし、犯罪者予備軍に品定めされていると思えば情状酌量の余地くらいはある。

 

 現にプールサイドでは男子たちが女子の水着姿を今か今かと心待ちにしている――かと思ったのだが、

 

「――な、なんでだよ……これ、どういうことだよ!」

 

 男子のひとりが突然頭を抱え、その場に崩れ落ちる。断片情報から察するに女子の大半が見学してしまい賭けが不成立となり、オッズ表もただの紙切れになったことへの強い困惑……というよりかは、それ自体は瑣末であり実際はお目当ての女子の水着姿が見られなくて絶望しているようだった。やっぱ男子ってバカなんだな。

 

「巨乳が、巨乳が見れると思ったのにっ、思ったのにぃっ!」

 

 悲痛な叫びがプールにこだまする。キモ、と誰かが呟いた。私も全面的に同意である。

 この件に関わった男子の信頼は地の落ちたことだろう。男子を見下ろす女子の目はとても冷ややかだった。

 

 それから男子が謎の握手を交わしていたり、櫛田の水着姿に男子が歓喜している間に体育教師がプールサイドに現れる。

 

「よーしお前ら集合しろー」

 

 集合がかけられ授業がスタートする。その様子を見学者用の椅子に座って眺めることにした。悲しいかな誰も私の周りに座ろうとしない。

 

「見学者は17人か。随分と多いようだが、まあいいだろう」

 

 どう考えても大半の生徒はサボりなのだがやはり教師はそれを咎めることはない。この時点でおかしいというのに誰も違和感を覚えた素振りはなく、疑問を疑問とすら思っていないようだった。

 

「早速だが、準備体操をしたら実力が見たい。泳いでもらうぞ」

「あの先生、俺あんまり泳げないんですけど……」

「俺が担当するからには、必ず夏までに泳げるようにしてやる。安心しろ」

「別に無理して泳げるようにならなくてもいいですよ。どうせ海なんていかないし」

「そうはいかん。今はどれだけ苦手でも構わんが、克服はさせる。泳げるようになっておけば、必ず後で役に立つ。必ず、な」

 

 聞こえてきた含みのある物言いに、担任の茶柱の顔が浮かんでくる。この学校の教師は伏線を張るのが趣味らしい。

 

 しかし、体育教師の発言は看過できない。

 泳げるようになっておけば役に立つ、と断言するからには何かが控えているはずだ。それに『夏までに』と時期を限定していることから恐らく夏休み辺りに学校側からアクションがありそうだな。もう少しバカどもから聞き出しておきたかったが、イベント事ともなればふんだくったポイントで買える情報料でもないだろう。彼らから巻き上げたポイントは決して多くなかった。

 やはりこの学校、とにもかくにもポイントが要る。他の稼ぎ方を模索しておく必要がありそうだ。

 

 準備体操を終え、50Mを軽く流して泳ぐよう指示された生徒たちがプールに入っていく。各々のペースで泳いでいくのを眺めながら、どうしたものかと思案する。

 真っ先に思い至ったのは、昨晩のように相手を挑発してこちらに怪我を負わせ慰謝料と称してポイントを要求する方法だが……万が一大怪我を負ってしまい入院生活を余儀なくされては、学校で軽井沢に直接的な支援が不可能になってしまうのでこれは没。

 次に思いついたのは部活動における賭け事だ。ポイントが生徒間で譲渡可能なシステムということを考えれば、ルール違反にもなんら抵触しない。それはDクラスの男子が証明してくれた。教室の監視カメラにも映っていただろうし、教師からお咎めがないのはすなわち黙認されているということだ。とはいえ……ぽっと出の私がいきなり賭けを申し込んでも成立するかどうかは疑わしいところ。部活動での賭け事に目をつけた時点で警戒されて当然だ。余程上手くカモを演じなければ承諾してくれないだろう。それになにより、日夜励んでいる上級生相手に私が勝算のある部活がどれほどあるというのか。運動能力にはそこそこ自信があるものの、バスケや水泳なんて授業以外で全く触れてこなかった。単純な運動性能でごり押せるほど甘くもないのは目に見えている。

 

 それらを踏まえて、私が十分な勝算を確信した上で挑めるのは――ギャンブルしかない。それもイカサマ有りで、だ。

 

 方法は決まった。後は入念に準備を整えるだけ。

 

 私が思慮に耽っていると、いつの間にやら男女別でタイムを競っているようだった。とっくに女子は終わっていたらしく既に男子がスタンバイしている。彼らの中には高円寺の姿もあり、私は当然だが彼を応援することにした。声には出さないが。

 

 緊張感が高まる中、スタートの合図が鳴ると同時に一斉に泳ぎ始める。やはりというべきか先んじたのは高円寺。見学席からでもわかる卓越した筋肉量はおよそ高校生男児のものとは思えない。荒々しくもどこか優雅さを兼ね備えた泳法に、二番手の男子とは5メートル弱の差をつけて勝利した。流石は高円寺といったところか。私の目に狂いはなかったわけだ。

 

 プールサイドに上がった高円寺は髪をかき上げ、見学席に向けて白い歯を零す。そんな彼に私も小さくグッドサインを作ってその功績を称えた。

 

 ……ところで、彼は何故ブーメランパンツを履いているのだろう。

 授業が終わってもなお、その疑問に答えが浮かぶことはなかった。疑問を放置したくはないが……あまり詮索する気にもなれなかった。きっと彼なりに理由があるんだろう。ほら、美しいとか。そんな感じのあれが。

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