初めてのマレビトの外からの視点の話
物心ついてからしばらくの悟天から見えるマレビトと、周りの大人から見えるマレビトは、少しばかり乖離があったように思う。周囲の大人や兄はマレビトという男のことを“頼りになる人”として見ていたけれど、悟天からすれば誰も彼も騙されているのではと、一瞬ながら思ってしまう程度に、マレビトは頼りなく見えた。
後から思い返しても、この感想は的外れではないように思える。
悟天は初めて会ったとき、マレビトのことが怖かった。青白い顔色、会いに行けばかなりの確率で挿さっている点滴、注射針を挿しすぎて変色した皮膚、常に衣類からほんのりとかおる薬の匂いに時折混じる血の匂い、目の下にうっすらと浮かぶ隈───。
まだ幼く、社会だとか世の中の理とだかというものをよくわかっていなかった悟天に、“死”とはどういうものかを、五感全てを使って突きつけてくるような、そんな人だった。
だから悟天は、マレビトのことが怖かった。
「悟天さ、ちっちゃい頃、俺のこと怖かっただろ」
「まあ、そうだけどさ」
マレビトは回復した。遺伝子の病気だったのでドラゴンボールでも生きている間に病気を治すことは不可能だったが、一度死んで肉体を失った状態になり、その後生きるための肉体を再構成する際にようやく遺伝子をあれこれできるようになり、それから生き返るというちょっと煩雑な過程を経て、ようやくマレビトは病人ではなくなった。
今、悟天はマレビトに何かと世話になっている。兄の悟飯はピッコロを師と仰いでいるのだが、悟天は自分の師匠が誰かと聞かれたら、マレビトと答えるだろう。
当時の話になったきっかけはよく分からない。
雨の音を聞きながら雑談していたら、自然とそんな話題になった。
「あの時のマレビトさん、幽霊の方が元気そうだったよ」
「そりゃあ、死んでボロボロの肉体から解放された幽霊と、ボロボロの肉体で必死に呼吸してる病人じゃ、前者の方が元気だろうよ」
「死んだ後、楽になった?」
「うん」
「そっか。じゃあ、あの時は引き止めないで早めに死んだほうが良かった?」
「いやあ、どうだろ。あの時の会話がないと生き返るの止めてたかもしれないから、結果オーライなんじゃないかな。俺もう嫌気性症候群じゃなくなったし」
「でもしょっちゅう寝込んでるじゃん」
「虚弱体質までは治せなかったから仕方ない」
つい、とマレビトが肩をすくめて、熱いほうじ茶を入れた湯呑みを手渡した。当時のマレビトは、体調が悪いと手が震えてお茶すらろくに飲めなかったのだという。
悟天の父が母とマレビトの病状について話すときはいつも暗い雰囲気だったように思う。なるべく二人きりの時に話してたから詳しいことは知らない。ただ、兄がマレビトの容態についてこっそり窺っていたから、両親もそれを許容していたから、悟天の耳にも自然と、そういう会話の内容は耳に入った。
ことん、と保温ポット、堅焼き煎餅が悟天の前に置かれる。ご自由にどうぞという言外の意図を正しく受け取って、悟天は遠慮なくバリバリと堅焼き煎餅を頬張った。
「お父さんも兄ちゃんも、みんなマレビトさんの病気に気付けなかったのはどうして?」
「俺が健康を知らなかったからじゃないかな。嫌気性症候群とは生まれた頃からの付き合いだろうし、俺自身はこの肉体しか知らないから」
「それだと色んな肉体に入った人がいるみたいな言い方だね」
「実際いたんだよ、ギニュー特戦隊っていうボディチェンジできる奴が。もしかしたら今後似たような敵が出てくるかもしれないな」
「覚えとく」
そこまで話して、会話の道筋がズレていることに気がついた。ずず、とお茶を啜って会話を一度中断させる。
ふと、昔の記憶を思い出した。その時、悟天はやはり父に連れられてマレビトの家を訪ねていて、父に頼まれて吸飲みの水を補給してきたのだった。透明な吸飲みに水を入れて、新しいタオルと一緒にお盆に乗せて、ドアをそっと開けた時の光景を見た時の衝撃は、なかなかのものだったように思う。
父がベッド脇に立っていて、マレビトはベッドの上で上半身を起こしていた。父が覆い被さるようにマレビトの上半身を抱きしめて、マレビトは落ち着かせるように背中をゆっくりとさすっていた。
その動きは、悟天がマレビトにやってもらったことのある手つきと、全く同じものだった。
父が随分と小さく見えて、しかし、体を離した時にはもう、いつもの父に戻っていた。
マレビトは小さい。父と比べたら一回りも二回りも小さい。それに加えて普段の雰囲気を見れば、何がどう頼りになるのかまるで分からなかった。何故、あの日の父が縋るようにマレビトを抱きしめたのか、とんと理解がつかなかった。
ブウが暴れ回った、あの日までは。
悟天が思うに、マレビトというのは、数多の鋼鉄の剣に混じった硝子の剣なのだ。切れ味は鋭いかもしれないが、脆い。しかし、鋼では分からないものが、透明な硝子には見えている。
昔のマレビトはきっと、硝子でありながら鋼に見えるように擬態していた。仲間外れが怖かったから。一度倒れてからその擬態も剥がれ、病気がなおった今も擬態をしていないので、とても脆く見えて仕方ない。
こんなことを口に出したら、マレビトは詩的な表現だと笑うだろう。誰のせいだと思っているのだか。
そんなことを考えながら、どんな話をしていたのか思い出す。そうだ、昔の今よりもっと病弱なマレビトの話をしていた。
「マレビトさんってさ、僕が遊びに来たとき、エネルギー吸ってた?」
「ああ、やっぱ気づいてたか」
「お父さんが僕たちを遊びに連れてきたの、マレビトさんのご飯の為だったんだね」
「同種族の健康な奴のエネルギー吸うと、やっぱ効率みたいなのが良くってさ。ほら、健康ならなんでも食べられるけど、体調悪いと食べられるものが限られるだろ?」
「ごめんよく分かんない」
「これだからサイヤ人は」
「マレビトさんだってサイヤ人じゃん」
「進化ツリー分岐してます残念でしたー」
けらけらと、何がおかしいのか、マレビトは楽しそうに笑った。
「サイヤ人から気をもらうと、それなりに体調も良くなってさ?点滴の数が減るんだよね。悟空がなるべく積極的に顔見せして、病院にも来て、悟飯や悟天を連れてくるようになったのもそれに気づいてからだったかな?
悟空、注射嫌いだからか知らないけど、俺の点滴見る目がすごくてさあ。自分が刺されるわけでもないのに」
「…………」
お父さんは確かに注射が嫌いだけど、そのときは点滴じゃなくて、注射針を挿しすぎて変色してしまった腕を見るのが嫌だったんだよ。
口に出そうとして、止めた。もうとっくに過ぎた昔の話だ。
外は雨が降っているので、これ以上湿っぽくなるのはごめん被りたかった。悟天の髪は父に似て癖があり、湿気で跳ね回るのだ。会話の中だけでも湿気はもう少し減らしたい。
「今度の誕生日会は元気で来てね?」
「ブルマのだろ?まかせろ」
多分寝込むな、と悟天は思った。
事実、マレビトは体調を崩したことで少しばかり遅刻して、ついでに知り合いと共にこの誕生日会に乱入してくることになるのだが。
この時の悟天には、あずかり知らぬことである。