きみとなら、きっと、飛べる気がしてた。

1 / 1
屋上ミクロコスモス

 屋上委員会。

 

 高校に入り、特にやりたい事も無かったわたしは、ふと眺めた委員会募集のポスターの、その五文字が目に付いた。

 

 

「あ、こんにちは」

 

 

 暗く、長い階段。

 

 目指した光の中に、人がいた。

 

 委員会なので、当たり前と言えば、当たり前。

 

 

「あなたが、新入りさん?」

 

 

 でも。

 

 その、穏やかな茶髪のひとは、どこと無く。

 

 

「ようこそ、屋上へ~」

 

 

 お噺の中の存在のようで、そこにいるのが何か、不思議な感じがした。

 

 

 

 

 

「結局、何をする委員会なんですか」

 

 

 あの出会いから、既に十分。

 

 

「んー?」

 

 

 転落防止用の柵にずっとへばりついたままのひとに、聞いた。

 

 

「その名の通り、屋上委員会だよ」

 

「わからないです」

 

「だよね」

 

 

 不毛な問答だ。

 

 

「まー、有り体に言えば、屋上の環境の維持」

 

 

 有り体というか、それしか無かった。

 

 

「ほら。屋上って、結構汚いじゃん?」

 

 

 言われて見渡せば、確かにそうだ。

 

 各所にはよくわからない染みがこびりつき、いつかの雨に浮いたままの水溜まりにはボウフラが湧き、鳥のフンはあちこちに落ちている。

 

 

「それを綺麗にするのが、体裁上のおしごと」

 

「後は、用も無く来た人を追い返すとかかな」

 

「なるほど」

 

 

 体裁上の、ということは。

 

 

「やってないんですね」

 

「まあね」

 

 

 この惨状を見れば、嫌でも分かる。

 

 

「いいんだよ、これで」

 

 

 かじりついていた柵を背に回して、そのひとが天を仰ぐ。

 

 

「なんで屋上が汚くなるか、わかる?」

 

 

 その分だけ無駄にもったいぶった問いに、即答する。

 

 

「掃除するひとがいないから」

 

「言うね」

 

「事実ですし」

 

「事実が正解とは限らないの」

 

「んな馬鹿な」

 

 

 結局、自分に都合が良い答えを正解にしてるだけじゃないか。

 

 

「じゃあ、外にあるからですか」

 

「中だって汚くなるよ」

 

「あなたの部屋がそうだから」

 

「何故バレたし」

 

「それっぽいなと」

 

「初めて言われたけど」

 

「言う人がいなかったんでしょう」

 

 

 よくも初対面の相手に、こうも失礼な口が叩けると、自分でも思う。

 

 でもそのひとは、首を捻って笑うだけで、何も言わなかった。

 

 

「で、結局正解は」

 

 

 痺れを切らし、直接聞いてしまう。

 

 

「んー、あのね」

 

 

 答えを考えていたのかいないのか、そのひとはしばらくしてから言った。

 

 

「ばしょって大体、使う人がいなくなると、どんどん汚くなるでしょ」

 

「だからこうやって、何となしにそこで過ごすだけで、誰もいないよりは、ちょっぴり綺麗になる」

 

「だからここのしごとは、こうするだけ」

 

 

 そのひとはぐでーっと柵にもたれると、そのまま床までずり落ちる。

 

 

「認められるんですか、そんな委員会」

 

「需要はあるからね、このご時世」

 

「嫌な隙間産業」

 

「隙間に付け込むしごとなんて、大概やなもんだよ」

 

 

 言ったきりそのひとは、汚い床に転がって寝息を立てはじめてしまった。

 

 

 

 

 

「あれ」

 

 

 横から聞こえた、声の方を見やる。

 

 

「まだいたの?」

 

 

 辺りにはすっかり、夜の帳が降りていた。

 

 

「活動時間を聞いていなかったので」

 

「えーっ、起こしてくれれば答えたのに」

 

「悪いかなって」

 

「へんなこだな」

 

 

 今の間に少し反省していたわたしは、あなたにだけは言われたくないという、その台詞を噛み殺した。

 

 

「んー、まあ、いつだって良いんだけど。一応おしごと的に、皆が帰るまでってことで」

 

「活動日は」

 

「毎日、来たいとき」

 

「わかりました、では帰ります」

 

「ん。またね~」

 

 

 階段へと翻り、ふと意識の隅に窺えば、そのひとは既に二度寝の構えをしていた。

 残業手当は、出ないだろう。

 

 

 

 

 

「うわっ、なにこれ!」

 

「あ、どうも」

 

 

 その声を聞くのは昨日ぶり、視線をやる必要も無い。

 

 

「まさか、きみがやったの?」

 

「ええ、まあ」

 

 

 一面に太陽の煌めきを映した屋上。

 

 そのまん真ん中に、わたしはモップを両手に立っている。

 

 

「毎日使うなら、綺麗にはしたいでしょ」

 

「マメだねぇ」

 

「仕事ですから」

 

 

 わたしの一言をしてもバケツの雑巾一つ手に取らず、そのひとは床に体育座り。濡れてるんだけど、いいのだろうか。

 

 

「散水ホース」

 

「園芸部に借りました」

 

「なんでわざわざ……」

 

 

 別に、できたんだから何だっていいだろう。

 そう思いながら、柵の目に張った蜘蛛の巣を、人差し指で裂いた。

 

 

 

 

 

「そういえば」

 

「んー?」

 

 

 わたしが汗水垂らして掃除を一段落着けるまで、そのひとはずぅっと、遠くの山を見つめていた。

 何も変わらないようだが、飽きないんだろうか。

 

 

「あなたはなんで、この委員会を?」

 

「あー、それかぁ」

 

 

 それかぁ、なんて言って、如何にもその問いを待っていたように、言葉はすぐに出てきた。

 

 

「私、縛られるの、嫌いなんだ」

 

「はあ」

 

 

 わかるような、わからないような。

 そんな感情を、その一音にかいまぜにする。

 

 わたしのそんな気持ちをいっそ楽しんでまでいて、このひとはこうも回りくどい言い回しをするのだろう。

 意地が悪い。

 

 

「別に誰がやってもいいしごとを、ずっと前から今まで、ただ慣例的にやってる委員会なんて、興味なかった」

 

「だから、つくったの」

 

 

 とりあえず、こんなふざけた活動が脈々と学校に根付いてきたもので無かっただけ、わたしは安堵した。

 

 

「だからほんとは、人なんて来なくてよかったんだけど」

 

「だから、あんな」

 

「そうそう」

 

 

 わたしの見つけたポスターは、掲示板の隅っこ、五センチ平方を慎ましやかに占拠していた。

 もの珍しさに足を止める者はあれ、そのちっこい文字を解読するまでの労力は、これまで誰も持たなかったらしい。

 

 

「わたしは、邪魔でしたか」

 

「んや、そうでもないよ」

 

 

 その顔はまた、朗らかに綻ぶ。

 

 

「きみ、へんなこだしね」

 

 

 笑い返す気には、ならなかった。

 

 

「まあ、そういうわけ」

 

「要するに、他の何かに定義された存在になんて、なりたくないのだ」

 

「そうですかね」

 

 

 浮かんだ疑問を、そのまま溢した。

 

 

「わたしはむしろ、誰かにわたしを、定義してもらいたい」

 

 

 そのひとはわかりやすく目を丸くしてくれるので、ちょっとおもしろい。

 

 

「その方が、安心します」

 

「何も知らない誰かが、勝手に君を、こうだって決めつけるんだよ?」

 

「意外と人の方が、わたしを見えているものなんですよ」

 

 

 やけに神妙な顔をして、そのひとは黙りこくる。

 がっかりしたのは、初めて見るその顔が、すぐにいたずらっぽい笑みに変わってしまったこと。

 

 

「じゃ、やっぱり君は、へんなこだ」

 

「それは嫌です」

 

「わがままだなぁ!」

 

 

 何がそのひとをそれまでに愉快にさせるのかは、わたしにはわからなかった。

 

 

 

 

 

「やっほー、…………あれ」

 

 

 鼻をぐずぐず言わせながら階段を登ってきたわたしに、振られた手が止まる。

 

 

「風邪?」

 

「花粉症です。薬、飲み忘れちゃって」

 

「ありゃま」

 

 

 平気そうなそのひとを見ていると、何故だろう、果てしなく恨めしく思えてくる。

 

 

「あー、見て。山もあんな黄色い」

 

「くちゅっ……嫌なもの見せないでくださいよ!」

 

「あはは、ごめんごめん」

 

 

 鞄から箱ティッシュを引き摺り出し、乱雑に一枚取った。

 

 

「にしても、そこまでひどいんだ」

 

 

 同じく鞄に下がったビニール袋に、それを放り込む音は、実に不快。

 

 

「花粉症って、体に入ってきた花粉を、勝手に攻撃しちゃうんだって?」

 

「何をされるでもないのに、迷惑な話ですよ」

 

「まあ、そうだねぇ」

 

 

 見下ろした園芸部の庭を、ネモフィラが埋め尽くしている。

 美しいものを、美しいと思えないまでに、気分が悪いのを自覚するだけだった。

 

 

「いやあでも、わかんないよ」

 

 

 こういう唐突に意味ありげな事を言い出す時、大抵大した事を口走らないのは、この一ヶ月でわかったことだ。

 

 

「例えば、放っておいたら体内で受粉して、おなかから花が生えちゃったり」

 

「小学生ですか」

 

「入り込んだ花粉に体内細胞が感化されて、からだが日に日に植物になっちゃう!」

 

「本の読みすぎでしょう」

 

 

 それ見た事か。

 

 

「さしずめあなたは、笑い草ですか」

 

「ひどいな」

 

「すみません」

 

 

 悪癖というのは、どうも治らない。

 

 

「まあ、例えさ」

 

「何事にもいろいろ、そういう裏があるかもしれないものだよ」

 

「何にでも意図の介在を疑うのは、疲れますよ」

 

「めんどうくさいのとおもしろいのは、裏返しだからね」

 

 

 おもしろがっているのか。

 やっぱり、恨めしい。

 

 

「勉強とか、まさにそう」

 

「嫌いそうですもんね」

 

「なんでもお見通しだなぁ」

 

「明け透けなひとは、疲れなくて好きですよ」

 

「えっなに、告白?」

 

「なんでそう思えるんですか」

 

 

 春は出会いの季節。

 どうせこのひとみたいに、皆陽気に浮かれ倒すから、そう思うのだろう。

 

 そして、こんな陰鬱な思考に陥るのも、ぜんぶ花粉のせいだ。

 そう悪態を吐くと、どうあっても悪者扱いされる花粉が、少し可哀想にも思えてきた。

 

 

「くちゅっ……くちゅっ」

 

「四……五回目!」

 

 

 でもやっぱり、花粉は悪だ。

 

 

 

 

 

「あっっついねぇ」

 

 

 右手の傍ら、そのひとはすっかり日の光に融けてしまっている。

 鉄板の上で、スカートがじりじりと焼けていた。

 

 

「すいか切ってきたんだけど、食べる?」

 

「いただきます」

 

「よしきた。種はこれで取ってね」

 

 

 そのひとはやっぱり、爪楊枝で入念に種を取り除くタイプだった。

 

 わたしは面倒なので、種ごと噛み砕いてしまう。

 

 

「時折、思うんです」

 

「なに?」

 

 

 園芸部の庭には、この季節の象徴たる向日葵。

 …………いつ植え替えたんだ?

 

 

「皆が部活とか頑張ってるときに、こうやってのんびりしてるのって」

 

「何か、良くない気がして」

 

「こんな委員会で、いいんかいってやつだ」

 

 

 

 

 

「うん、私が悪かった」

 

 

 んー、と、そのひとは唸ってから。

 

 

「やっぱりきみ、まじめだよね」

 

 

 まじめじゃなさそうな人に言われても、言葉の意味が半減してしまう気がする。

 

 

「まあ、そんなものだよ」

 

「世界ってのは、バランスだからね」

 

 

 運動部の掛け声が、どこか、遠くに聞こえた。

 

 

「ああやってがんばる人がいる分、私たちがサボるのさ」

 

 

 結局これ、サボりなのか。

 

 

「でも、世の中にはきっと、もっとサボってる人がいますよね」

 

「そうだとしたら、わたしたちがサボる分、頑張らされる人がいるってことじゃあ」

 

「ものごとを悪く捉えなーい」

 

 

 頭を叩かれた。

 

 

「どうせみんな、私たちがこうしてるなんて、知りもしないんだからさ」

 

「活動自体はしてるんだし、人によっては、私たちもがんばってるように思えるかもしれない」

 

「がんばってるように見える人だって、その人からしたら、自分のやりたいことしてるだけだったり」

 

「誰ががんばってるか、サボってるかなんて、人次第なんだよ」

 

 

 屁理屈みたく言って、やっと、穴だらけの西瓜に口をつける。

 

 

「つまり私たちは、サボっていながらも、解釈によってはがんばっている」

 

「プラマイゼロってこと」

 

「通りますか、そんな暴論」

 

「いわゆる、なんとかーの猫ちゃん」

 

「それ絶対違いますよ」

 

 

 ふと、どうでもいいが、食べる程に味の薄くなる西瓜は、話の油には向かないと思った。

 

 

「そういえば、部活ってやってないんですか」

 

「んー、やってない。委員会とだいたい同じ理由」

 

「なんでそっちは作らなかったんですか?」

 

「委員会活動の方が、予算で落としやすいからねー。あーすずしい」

 

 

 携帯扇風機に、髪がなびく。

 

 これが頑張っているようには、とても見えない。

 

 

 

 

 

「あれ?」

 

 

 突然、頭を撫でられた。

 

 

「髪、切った?」

 

「先月末に」

 

「やっぱり。そうだと思ったんだー」

 

「………………」

 

 

 毎日こう駄弁るばかりだと、いい加減喋ることも無いのだろう。

 

 未だ、外は暑い。

 

 

「きみの髪って、すごい黒いよね」

 

 

 晒した首の裏を、そのひとの手の甲が触れる。こそばゆい。

 

 

「きれい」

 

「そうですか」

 

 

 庭は、ダリアの海と化していた。

 ……もう何も言うまい。

 

 

「濡羽色、だっけ。やっぱり憧れるなぁ」

 

「わたしも、あなたの髪は、好きですよ」

 

「やーん、お世辞はいいよぅ」

 

 

 自分は褒め殺しておいて、こちらが心底から褒めたのを茶化されるのは、良い気分ではなかった。

 

 

「この時季は少し、怖いんですよね」

 

「あー、ハチさんか」

 

 

 一度、ここにも巣ができた事があるらしい。

 嫌な話を、まあ楽しげに話すものだ。

 

 

「仲良くなれるかなーとか、思ったんだけど」

 

「結局怖くなって、次の日には撤去してもらっちゃった」

 

 

 否。

 

 

「やさしくないよね、私」

 

 

 楽しげでは、なかった。

 

 

「仕方ないですよ」

 

 

 優しさは大抵、返らない。得てして、裏切られるものだ。

 皆、それに甘えるから。

 

 

「でも」

 

「例えばですけど」

 

 

 こうしてそのひとの話の腰を折るのは、初めてだったかもしれない。

 

 

「わたしが、蜂になったら、どうしますか」

 

 

 きっと、そのひとの変なところが、伝染ってしまったのだろう。

 

 

「え?」

 

「蜂じゃなくてもいい。とにかく、あなたに、害を及ぼしかねない存在です」

 

 

 顔の熱を誤魔化す言い訳のように、そう付け足す。

 

 

「或いは、今だって、そうかもしれない」

 

 

 そのひとは、しばらく、何も話さなかった。

 

 唸る事もせず、ただ、空の一点を見つめていた。

 

 

 

 

 

「わかんない!」

 

 

 果てしなく長い時間に感じたのが、しかし、一瞬のように。

 最後に出た一言は、それだった。

 

 

「きみがそうなるところ、想像できないや」

 

「じゃあ」

 

 

 言ってしまってから、かなり後悔した。

 

 

「やっぱりあなたは、優しいひとです」

 

 

 

 また、沈黙が漂う。

 

 

 顔を見られなかった。

 そのひとの、そういう顔を知るのが、どこまでも恐ろしかった。

 

 

 

「あはは」

 

「私、そういうの、嫌いなんだけどね」

 

 

 

 知っている。

 だからわたしは、怖いんだ。

 

 

 

「もう」

 

 

 途端、肩に乗る温もり。

 

 

「そんな怖い顔、しないでよ」

 

 

 真横にあったその顔は、いつものように、笑っていた。

 

 

「きみがそう言うのなら、そうなのかもね」

 

「わたしは、そんな」

 

「きみはなんでも、お見通しだから」

 

 

 遠山が、紅く色付いている。

 

 再三の静寂は、何となく、心地よかった。

 

 

 

 

 

「ううー、寒いなぁ」

 

 

 マフラーに包まれたそのひとが、頻りに手を擦る。

 

 山に囲まれた中には、雪は滅多に降らない。代わりに、風が吹く。

 耳が痛かった。

 

 

「充電式の毛布、持ってきたんだ。こっちおいで」

 

 

 その日は、真夜中まで活動していた。

 

 

「校門、もう締まってますよ」

 

「だいじょーぶ。秘密の抜け道、確保してあるから」

 

 

 人によってはロマンも感じるかも知れない状況で、もし学校で盗難が起きたらこのひとのせいだなと、わたしは夢の無いことを考えていた。

 

 

「冬は好き?」

 

「まあ、相対的には」

 

「私はそんなにかな、すぐこう暗くなっちゃうし」

 

 

 庭には、ローズマリーが植わっている。こんな時季でも、活動しているらしい。

 

 

「でも、晴れが多いのは、いいよね」

 

「ほら」

 

 

 指差した先の景色に、息を呑む。

 

 無限に広がる、濃紺。

 

 いっぱいに、散りばめた、銀。

 

 

「綺麗でしょ」

 

 

 思えば、夜空を最後に見上げたのは、いつだったか。

 眼前にあるのが、普段、頭上の彼方にある空とは、思えなかった。

 

 

「あれ、何座でしょうか」

 

「んー?知らない」

 

「えー」

 

 

 このひとにテンプレートを期待した、わたしが馬鹿だった。

 

 

「そんなの、いいじゃない」

 

「綺麗なものを、綺麗なままで見ようよ」

 

 

 言われて、それもそうかなと思った。

 

 二人して、しばらく、それに見入っていた。

 

 

 

 

 

「これだけでも、わたし、ここに入ってよかったなって思います」

 

 

 本心から、そう漏らした。

 

 

「ほんと?」

 

「はい」

 

「委員長冥利に尽きるなぁ」

 

「委員会としては、まだどうかと思ってますけど」

 

「相変わらず、歯に衣着せないねえ」

 

 

 そのひとも変わらず、子どもっぽく微笑する。

 

 

 

 ただ星空を見たいなら、別に、こんな狭い屋上でなくてもいい。

 

 

 でも。

 それでも、ここで見るのが一番だと。

 

 

 そう思えた。

 

 

 

「あ」

 

「蜜柑も持ってきてるんだ、いるよね?」

 

「よくそれでお咎め貰いませんよね」

 

「おハコの秘技なのだ」

 

 

 とっくに、毛布の電池は切れていた。

 

 それでも、暖かい。

 

 

 

 

 

 思えば、あの日。

 

 

「おはようございます」

 

「あ……おはよ」

 

 

 そのひとの顔は、朝からどこか、暗かったような気がする。

 

 

 

「先輩は、二年生でしたっけ」

 

 

 そのひとが年上だと、はっきり認知したのは、つい最近になってからだ。

 同じ学年に見掛けないので、薄々、そんな気はしていたが。

 

 

「まあ、そうかな」

 

「かな、って」

 

 

 その日は、卒業式だった。

 百を数える卒業生は皆、体育館の中。在校生は一部を除いて、休みだ。

 

 

「空、綺麗ですね」

 

「うん」

 

「晴れてよかったです」

 

「うん」

 

 

 屋上は、不気味なくらい、静かだった。

 

 

 

 

 

「怖いんだ」

 

 

 突飛な一言。

 

 

 

 わたしから背けられた顔は、かつて無いほど、哀しげで。

 

 

 

「私、縛られるのは嫌い」

 

「でも、もしいきなり、私を閉じ込めていたものが」

 

「繋ぎ止めていたものが、なくなっちゃったら」

 

「私、どうしていいか、わからない」

 

 

 

 わたしは、何も言えなかった。

 

 

 

「半端なんだよ、私」

 

「自由なふりして、結局、いつも何かに寄りかかってる」

 

「だから、開けたばしょに放り出されると、どこまでもちっぽけになる」

 

「よわっちいんだ」

 

 

 誰かが一度は、抱えるような悩み。

 

 

「だから」

 

「私にも、いつか来る終わりが、怖くて、こわくて___」

 

 

 それが、そのひとの口から吐き出されているのが、信じられなかったのかもしれない。

 

 

 

「__だけど、それでね。思うんだ」

 

 

 その先を聞く、不安感。

 いっそ、愚直になれば。

 耳を塞いで、そこから逃げ出してしまえば、良かったのだろうか。

 

 

「もし、私を縛り付けるものだけじゃない」

 

「この世界にある、あらゆるすべての柵から、解き放たれることができるなら」

 

 

 儚げな、笑み。

 

 わたしは、笑えない。

 

 

「不安も、何もない、ただ幸せだけが、あるんじゃないかって」

 

 

 

 次瞬。

 

 

 屋上の柵に、そのひとが、手を掛けた。

 

 

 

「____っ」

 

 

 引き留めようとした右手に、差し伸べられる。

 

 

「それで、ね」

 

 

 そのひとの、白く、細い指先。

 

 

「こんなこと、言っちゃいけないんだけど」

 

 

「私、臆病だから」

 

 

「だから___」

 

 

 

 その時、あのひとのつくった、せいいっぱいの笑顔は。

 

 

 

 

 

「私と一緒に、来てほしいんだ」

 

 

 

 

 

 たぶん、いちばん、きれいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それは」

 

 

 わたしは、押されるように、口を開く。

 

 

「わたしが、そうするべきだと」

 

「そういう事、ですか」

 

 

 なんで、そんな事を聞いたのだろう。

 

 

 そのひとが、一瞬、困ったような顔をした気がした。

 

 

 

「____ううん」

 

 

 少し長く、逡巡を挟んで。

 

 

 

「私の、わがままだよ」

 

 

 

 そして。

 

 

 

「なら」

 

 

 

 わたしは、どうしようもなく、臆病だった。

 

 

「お断りします」

 

 

 大切なものが、どこか、遠くへ行ってしまうのが。

 

 それが、ひどく、恐ろしかったのだ。

 

 

 

 そのひとは、震えていた。

 

 口を開こうとして、結んで、また開こうとして。

 

 行き場を失くした左手が、怯えたようにわなないて。

 

 仕舞いには、今にも、泣きそうな顔をしていた。

 

 

 

「…………そっか」

 

 

 それでも、最後の最後には。

 

 

「なら、しかたないよね」

 

 

 いつもみたく笑って、柵から手を離してくれた。

 

 

 

「ごめんなさい」

 

「いいのさ」

 

「だから、泣かないで」

 

 

 また、撫でられた。

 

 

「こっちこそ、変なこと言っちゃって」

 

 

 わたしは、首を横に振るだけだった。

 

 

 

「はぁぁ」

 

「分岐、間違えちゃったかなぁ」

 

「ゲームじゃあ、ないんですから」

 

「うん」

 

 

 春風が、頬に冷たく吹き抜ける。

 

 

「ごめんね」

 

「いえ」

 

 

 掠れた声。

 

 

「ただ」

 

「ん」

 

「これからも、あなたはあなたのまま、いてほしい」

 

「私のままの、私って?」

 

 

 それでも、振り絞って、言った。

 

 

「笑顔の素敵な、優しい、あなたです」

 

 

 

「あはは、そっか」

 

「うん」

 

 

「がんばるよ」

 

 

 

 

 

 がらんどうの心に、かすかな嗚咽を押し込める。

 

 

 次の日の屋上委員会には、わたし以外に、誰もいない。

 

 

 先輩は、三年生だった。

 

 

「………………」

 

 

 柵の向こうの空、縦横無尽に舞う鳥は、何を道標に飛んでいるのだろう。

 

 わたしには、わからなかった。

 

 

 

 園芸部の庭には、何も咲いていない。




深夜テンションで一晩のうちに書き上げようとして、眠気に負け、結局そこから二晩に分けて続きを書き足した作品

なのでいろいろと雑ですが、勢いと雰囲気だけで楽しんで頂ければ幸いです

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。