真のガチ勝負に拘る高校生格闘家が真のガチ勝負に身を投じる話です。

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ガチの闘いがそこにある

 かつて無敗を誇っていた最強の格闘家・司馬亮平――そんな彼が、一度だけ敗北を喫したことがある。たがそれは、リングの上ではない。挑戦を受けた三日後の夜、相手陣営の刺客により路上で叩き伏せられてしまったのである。夕闇に紛れた完全なる不意打ち――しかし、彼は負けを認めた。

 そのときの司馬の言葉は、いまでもすべての格闘家たちの心に深く刻み込まれている。

『戦うと宣言した瞬間から戦いは始まっている。油断した私の負けだ』

 格闘の道を志した者であれば、その言葉を忘れることはない。常在戦場の精神を、決して――

 

 私立武芸館高校――二年連続で全国高等学校格闘技選手権大会を制した最強の高校生・野沢清彦が所属する拳法部がそこにある。違法組織によって鍛えられ、喧嘩の果てに病院どころか墓の下へと送られた者も数が知れない。リングの上であったとしても、ひとたび相対すれば無事では済まされないだろう。そんな常識を外れた凶暴な男と手合わせを願う者など先ずいない。

 だからこそ、その少年はやってきた。

 九州に敵なし――格闘大会中学生の部を三年連続優勝で飾ってきたという。格闘家の父を持ち、物心ついたときから格闘技の世界に身を置いてきた天才児・神堂兼人――そんな彼の実力をもってしても、野沢には決して勝てぬと皆が止めた。師匠である父親さえも。しかし、若き格闘家が、それに耳を貸すことはない。

 神堂兼人にとって、いまの格闘界隈のすべてが不満だった。彼の他に、真面目に取り組んでいる者がひとりもいない。精神の鍛錬だの、フィットネスだの、好きでやってるだけだの――闘う前から負ける理由を探している。そのような連中など、本気で格闘技と向き合っている彼の敵ではなかった。ゆえに、目指したのである。本気でぶつかり合うために、修羅の世界へ――彼はひとり上京してきたのだった。

 神堂の野望は果てしない。先ずは、主将たる野沢を叩き潰す。そして、武芸館拳法部を率いて自分が優勝旗を手にする――ゆえに入学早々、彼は拳法部の門戸を叩いた。

「頼もーーーーーッ!!」

 そんな力強い雄叫びをもってしても、道場に声は響かない。戦場を満たすのは怒号、そして、衝突音――三〇人はいるであろう部員たちに腑抜けはひとりたりともいなかった。すべてが一騎当千の強者――さすがは武芸館だと神堂は気を引き締める。

 闘気を漲らせた新入生は、コソコソと迂回することはない。乱取りの只中を、堂々と突き進んでいく。最初は構うことのなかった部員たちも、さすがに異変に気づき始めた。それが決定的になったのは――

「よう、アンタが――」

 写真で見ていたので知っている。稽古場の奥で置物のように鎮座しているその男は――最強と謳われる男・野沢清彦である。しかし、思っていたようなオーラはなく、予想に反して弱々しい。だからこそ、神堂は面食らってしまった。その隙に、三年生たちが部外者を取り囲む。

「お前、どこのモンだ?」

 ひとつ返答を誤れば、上級生たちは一斉に襲いかからんと殺気を漲らせている。だが、それに神堂は上気していた。この空気こそ、自分が求めていたものだと。

 ゆえに、高らかに宣言する。

「俺の名は神堂兼人、今日からこの武芸館拳法部の主将となる男だ!」

 これには、少々部屋が静まり返るも――クックッと笑いが漏れてくる。

「ああ、そういえばそんな時期だったか」

 身の程知らずの新入生がやってくる――春はそんな季節であると。

 この対応は、神堂にとって予想の範疇であった。ゆえに構える。ここにいる全員を叩き伏せれば文句はないはずだ。

 そんな神堂の闘気を感じ取ったからこそ、その男が前に出る。

「いいだろう。勝負は結果がすべてだからな」

「てか、アンタ誰だよ」

 闘いを挑みに来た野沢ではなく囲んでいたひとりから声をかけられ、神堂は訝しむ。後輩からタメ口を叩かれても、その先輩が眉ひとつも動かすことはない。

「俺は拳法部副将の菅島だ」

 その看板に偽りはなさそうだ、と神堂は感心していた。この男は――かなりデキる――これで副将ということは、やはり主将は絶大なる実力を秘めているということらしい。

 相手が乗り気であるため、神堂はわかりやすい形で話を進める。

「そこの主将様と一戦交えて、勝った方が主将ってことでいいな?」

「ああ、試合は明日の放課後夕方四時、この稽古場で一本勝負だ」

「俺はいますぐやってもいいぞ」

 逸る神堂を菅島は一笑に付す。

「栄えある武芸館高校拳法部の主将の座を賭けた勝負だぞ? そこらの喧嘩と一緒にするな。それとも、相手にコンディションを整える間を与えては勝てないと踏んだか?」

 菅島の挑発に部員たちは嘲笑で追い打ちをかけるが、神堂もまた、ニヤリと笑みで突き返す。わざわざ自ら言い訳の余地を排してくれたのだから、挑戦者にとっても望むところだ。

 ゆえに、ここでこれ以上話すことはない――踵を返した。そんな背中に、菅島は最後の忠告を下す。

「不戦敗なら怪我せずに済むぞ。試合開始時に不在ならば負けたことにしておいてやるから、怖くなったら逃げるがいい」

 わははは、と男たちの豪笑が鳴り響く。しかし、神堂にはそれが心地良かった。自分を侮った者たちが驚天する様を明日には見られると思えば。

 

 しかし――

 

「勝者、野沢!」

 試合当日、審判の宣言を聞いて神堂はがくりと膝を突く。とはいえ、菅島は想像以上の健闘に、素直に感心していた。

「さすがは九州一と呼ばれた男だ。俺たちの目に狂いはなかったらしい」

 だが、その一言は神堂を驚愕させる。目に狂いはなかった――それはつまり、以前から目をつけられていたことを意味する。

「まさか……いや、いつから……?」

 すべては手の平の上だったのか――だが、納得できるものではない。それどころか――菅島の言葉は、神堂はるか上を行く。

「お前ほどの実力者を、我々がチェックしないわけがあるまい。好物はカツサンド……だろ?」

「!?」

 すべての始まりは六時限目の授業の後、腹を下してトイレにこもったところからと思っていた。個室に入ったところで襲撃に遭い、ピストルのようなもので何かを両足に撃ち込まれたのである。平時であれば、的を絞らせないようにして逃げるなり、距離によっては反撃に出たり――いくらでもやりようはあった。しかし、不運にも腹痛を抱えてズボンを下ろしたところに、隣の個室の壁を乗り越えたその上から――思えば、ひと部屋を残して使用中だったのも、仕組まれていたことだったのかもしれない。

 不思議なことに、神堂の身体に目立った外傷はなかった。しかし、両足に力が入らない。どうやら麻酔銃だったようだ。だとしても、試合を捨てては逃げたと思われてしまう。それだけは格闘家としての矜持が許さない。己の誇りを支えに震える膝を奮い起こし、どうにか稽古場まで向かっていたのだが――そこに待ち構えていたのは副将たる菅原――と、彼の率いる三年生六人。神堂は道を開けろとばかりに殴りかかるが、痺れた足では拳打も冴えない。やはり時間までに辿り着くことはできず――まさにいま、道場の方で勝ち名乗りが上げられた。神堂は野沢に敗れたのである。他の挑戦者たちのように、戦うことなく。

 だだの体調不良であれば、己の管理不届きとして納得できたかもしれない。だが、昼休みの購買にひとつだけ残されていたカツサンドさえもが罠だったとしたら――!

(きたね)ぇぞ、貴様ら……!」

 正々堂々戦えば、三年相手であっても負けるつもりはない。ゆえに、その戦いから逃げた――主将を逃すように仕向けた副将を神堂は睨みつける。だが、当の副将は一顧だにすることはない。

「何を言う。試合が決まった時点から勝負は始まっているんだ。それを棚に上げて言い訳など、男らしくないぞ」

 その言葉は――武道の神様と呼ばれる司馬亮平のもの。当然、神堂とて知らないはずはない。しかし、それで納得できるかは別の話である。

「こんなことで勝って嬉しいのかよ!?」

 主将たる野沢はともかく、菅島はそれなりの実力者のはずだ。むしろ、副将との方が良い勝負ができるかもしれない。にも関わらず、一戦を交えることさえなかったのだ。

 しかし、それは解釈の違いだと菅島は言う。

「ああ、嬉しいとも。お前の身辺を調査して、購買部どころか部員総動員したのだからな。誤って他の誰かが下剤入りカツサンドを買わないように」

 すべてはひとりの男を配下に加えるため。大掛かりな計画だったのだから、失敗など許されるはずがない。だからこそ、姑息な手口に神堂は落胆する。

「正々堂々戦うつもりはねぇようだな……」

 大会二連覇中の高校だからどれほどかと期待してみれば、やっていることはただの裏工作とは。それでも、拳法部が神堂の実力を買っていることには違いない。

「何を言っている。遅刻は不戦敗だと最初から伝えておいたはずだ。お前は公正なルールに則って負けたんだよ」

 試合会場まで辿り着けなかったのはあくまで事故――それが菅島の言い分なのだろう。だとしても、試合に立てなかったことには違いない。

「下剤を仕込んだ挙げ句に麻酔銃とか……拳で勝負しやがれ……ッ」

 理解の悪い後輩を、呆れた口調で先輩は諭す。

「お前は何か勘違いしているな」

 実際に敗北を味わわせてやれば、身をもって理解すると菅島は考えていたのだが。

「我々拳法部は、拳と脚しか使ってはならない、というルールに従って試合に臨んでいるだけだ」

 仮にボクサーがやって来て、脚を使うのは卑怯だと訴えたところで、それに耳を貸す者はいないだろう。

「仮に、万全の俺とお前がタイマン張ったとする」

 菅島が構えたのに合わせて、菅島もまた構えた。麻酔はどうやら一時的なものらしく、いまなら一発殴ることくらいはできるだろう。しかし。

「――その際に、密かに仲間を潜ませておいて、後ろから援護してもらうのは卑怯だと思うか?」

「当たり前だ!」

 確かに――すぐ傍の木の幹の裏にわずかながら気配がある。麻酔の効きによっては加勢に出てくるつもりだったのだろう。

 怒りをさらに増す神堂に向けて、菅島は少し離れた地面を指差した。

「ならば、落ちている鉄パイプを拾って殴りかかることは?」

「何でお前はそんな卑怯なことしか考えられないんだよ」

 どこまでも腐りきった先輩に、神堂はまともに相手をする気さえ失せてくる。そんな若手に、さらなる一問が加えられた。

「では、息を整えるためにそこの木の裏に隠れることは?」

「…………」

 ここで、神堂は反論を思い留まる。少し離れた場所に身を潜ませるには、相手からの視線を外さなくてはならない。例えば、足払いで転倒させて、起き上がるまでに――

「フッ、少し考えたな」

 菅島は答えを求めていない。神堂が迷うこと――それが必要だった。

「鉄パイプも植えられている木も、そこにあったものを利用しただけ。この両者の間にどんな違いがある?」

 その問いに、神堂は答えられそうにない。ゆえに、菅島が言葉の意味を補足していく。

「おそらく、先程の鉄パイプも、生粋の喧嘩屋なら許容したことだろう。その場にあるものは何でも使うからな」

 拳法の試合ならいざ知らず、場外の喧嘩であれば、神堂にも堂々と素手で勝負しろとは言う気はない。さらに菅島は、意外な事実を暴露する。

「それに、そこの山田は剣道部だ。そんな山田に素手での勝負を強要して、勝ってお前は満足か?」

 どうやら、六人すべてが拳法部員ではなかったらしい。もし、神堂の足が万全な状態で殴りかかっていたら――もちろん、この場に加わっていたのならば誰にも文句は言わせない。しかし、素手の剣道部員を蹴り倒したところで、神堂が胸を張れるはずもない。

 つまりは、そういうことなのである。

「お前は試合後の取材に対して、負かした連中は言い訳ばかりで気に入らない、と訴えていたが――」

 戦い方に拘ってるから、本調子じゃなかったから、お前と違って本気でやってるわけじゃないから――そんな敗者の弁に、神堂は心底苛ついていた。しかしいまは、神堂自身が()()してしまっている。つまり、神堂の求めていたことは――

「――結局のところ、お前はただ、()()()()()()()()()()()()()()なんだよ。自分が作った価値観、自分が納得できる基準を相手に押し付けてな」

 どんなに神堂が異議を唱えたところで、今日の勝負の結果が覆ることはない。

「客観的に証明できる勝利は、公正なルールで定められている。我々は、それに適うために()()()()()()を惜しまない……それだけのことだ」

 それが、対戦相手を試合会場まで辿り着かせない、ということなのである。

「お前の腕は、よく知っている。だが、それは子供のケンカごっこだ」

 そのような心構えでは、この戦場を生き抜くことはできない。

「ここからの闘いはすべて組織戦だ。それまでに何を積み重ねてきたの帰結で決まる」

 相手を調べ、知略を巡らせ、協力者を集め――そのすべてが、神堂を失望させる。

「こんなの……武道じゃねぇ……」

「自分の思い通りにならなくて不満か? しかし――」

 

 ――もう、お前も巻き込まれてんだよ。

 

 菅島の声色から甘さが消えた。空気が変わったのに気づき――神堂は大いなる異変が迫りくるのを感じる。

「今日、主将が新入部員と試合を行う情報は、あえて流しておいたから――」

 ――ドッ、ドドドド……ッ! メキッ! ゴバァ……ッ!!

 目の前の光景に、神堂はただただ呆気に取られている。つい先程まで向かおうとしていた拳法場に、フェンスを突き破ったダンプカーが乗り上げていたのだから。壁を割り、屋根を砕き、運転席は奥まで深々と突き抜けている。それでも、悲鳴ひとつ上がることはない。

「だから、お前を稽古場に行かせるわけにはいかなかったんだよ」

 もし神堂が道場に足を踏み入れていれば、間違いなくこの惨劇に巻き込まれていたことだろう。

「こんなの……()()()()()じゃねぇ……」

 もはや鉄砲玉としか思えない特攻に、神堂は唖然としてる。しかし、呆けていることは許されない。

「シャンとしろ。これだけでは終わらんぞ」

 ダンプカーの運転席から降りてきたふたりは襟口や袖に刺青を覗かせている。つまりは――そういうことだ。

 

 司馬亮平の敗北宣言――神の言葉とあれば、それに異を唱える者はいない。その結果、試合前の闇討ちが横行し――それに苦言を呈しようとした矢先に、司馬自身も()()に遭い、本当の意味での神となった。

 もはや格闘技に携わっているというだけでいつ誰に襲われるかわからない。試合自体が行われないのだから興行収入もままならず、格闘技を生業としていた者たちは次々と路頭に迷うこととなった。それを支えることとなったのが――まさに、()()()()だったのである。

 中学生――子供の習い事であればまだ許された。しかし、高校生ともなると――それより先は蛇の道。それでも神堂の父は――これまで信じて邁進してきた武道がこのような世界になってしまったことを認めることができなかった。それを、息子に伝えることができなかった。

 まっすぐに進んでしまったがゆえに、神堂兼人はいまここにいる。

「怪我は負わすなよ。話がこじれるからな」

 組長の息子が武芸館高校に入学――しかし、組長の息子だからといって肉体的に恵まれているわけではない。そのため、組の者や拳法部員たちを動員し――これはカタギのスポーツではない。裏世界の組織同士の抗争なのである。だとしても、拳法部員は表の人間だ。できる限り裏の人間と関わりたくはない。裏の人間を傷つけたとあれば落とし前が必要になり、その際には裏の人間に頼ることとなる。そうなれば、もう元の世界には帰れない。

「警察もこっちに向かってるはずだから、それまでどうにか凌ぎきれ」

「知るかよ! もう付き合いきれねぇ」

 菅島の一方的な指示に神堂は背を向けた。しかし、そんな彼に副将は厳しく一喝する。

「離れるな! ひとりで動くな! ()()()()()()()()()()()()()()()と言ったはずだぞ!」

 脅しではない――神堂は確かに感じた。『お前も巻き込まれてんだよ』――つまり、神堂は新入部員――武芸館高校拳法部の一員として認識されている、ということだ。大会三連覇を狙う野沢の配下のひとりとして。

「チ――クショウ……ッ!」

 後悔しながらも一分の隙もない神堂に、菅島は苦々しく笑いかける。

「お前が望んでいた本気の戦いだぞ。嬉しいだろう?」

「嬉しいわけあるかッ!」

 向かってくる不穏な男たちの胸元がギラリと光る。刃物を持ったふたりの男を怪我させないよう――どれだけ持ちこたえればいいのだろうか。いや、この場を乗り切ったところで、安心できる場所などどこにもない。

 

 それは――神堂が新たな『神』として讃えられることとなる一〇年先のその日まで。

 


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