あいまい
「……寒い」
三月特有の強い風に背中を押されながら街頭を歩いていると、思わずそんな言葉が口から零れ落ちた。
暦の上では春ですが、寒さは続きそうです。
今朝見たテレビのアナウンサーの言葉を思い出す。
出かける前にそれを聞いておきながら、もう一枚着込んで来なかった自分の不用意さを悔いる。
昨日は暖かかったので油断してしまったのだろうか。しかしまあ、春というイメージほどは暖かくなく、かといって厚着をするほど寒くも無い、そんな実に中途半端な季節だった。
何も半端なのは季節だけってわけでもなくて。
つい先日、俺は無事中学校を卒業したばかりだった。そして間近には高校の入学を控えている。
中学生でなければ高校生でもない。自分自身、そんなどっちつかずの存在だ。いや、正確にはまだ中学生だという事は理解はしているが。
春休みをだらだらと過ごしている。といえばまあ、聞こえはいいのだろうが、そんなに休み自体長いわけでもない。そのうえネガティブな自分にとっては、高校生活という新しい環境への不安で、やはりどこか落ち着かない。
かといって自分ではそれを解消する術を持たないのだ。
だから、せっかくの休みのはずなのに、ずっともやもやとさせられたままだった。
少なくとも今日こうして、幼馴染に会うまでは。
●
体を丸めながら歩く俺のすぐ横で、一人の少女が共に歩を進めている。
日向縁、俺の幼馴染である。
小学校以来の付き合いで同い年。
つまりは俺と同じ中学卒業したてのあやふや人間。
置かれた立場としては全く同じものであるはずなのに、彼女の足取りはとても軽やかなものだった。俺とは対照的に、まるで跳ねるように歩いていく。
それは俺が羽織っているペラペラのアウターと、いかにもお高いコートの差、ってだけでも無さそうだった。
縁は普段通り、笑顔を浮かべながら歩いている。まるで悩みなんかとは無縁かのように。
勿論そんなことはないってことぐらいは分かっているのだが。
「ご機嫌だな、縁」
後ろからそう俺が声を掛けると、ふわりとコートの裾を翻しながら此方へ振り向いた。
「えへへ。そうかなー?」
縁はにっこりと微笑みながら答える。元々垂れ気味の目尻は一層ふにゃりと下がっていた。
やはり、今日の彼女はどこか何時も以上にご機嫌であった。
「なんか良い事でもあったのか?」
「え? うーん……」
縁は難しい顔をしたままうんうんと唸り出す。
こちらとしては、そんなに大層な質問をしたつもりはないけれど、律儀に答えを出そうと試みている。
しかし散々考えた末、縁は「分かんない」と言って表情を崩すだけであった。
「あー、でもねでもね」
「ん?」
「優ちゃんとお出掛けするの久しぶりで嬉しいかも」
横から覗き込む様にして、縁は言う。
予想外に飛んできたど直球ストレートに、俺は冷えた頬に熱がこもるのを感じた。
「……唯の家に行くだけだろ」
「えー。唯ちゃんち嫌い?」
照れ隠しの俺のその発言に、縁は若干ずれた問いを投げ返す。
「いや、別に嫌いじゃないけどさ。というか、しょっちゅう行ってるし、そんな大袈裟なもんじゃないだろ」
「それはそうだけどー」
縁はむー、と頬を膨らませながら言う。
そして自分の伝えたい言葉を整理するように、しばらく時間を置いた後に縁は続ける。
「……えとね、ふたりだけで何処か行くのって久しぶりだから、何か新鮮て言うか嬉しいな、みたいな?」
みたいな、とか言われても正直よく分からない。
というかさっきといい、面と向かって恥ずかしいことを言うのは本当に止めて頂きたい。そう切に願う。
無意識なのはよく分かっているが、聞いてるこっちは妙にこそばゆい。幼馴染とはいえ変に意識してしまう。
しかし、そんなこちらの内心など察するはずもなく、縁は暫くにこにこと笑っていた。
●
「はー。卒業しちゃったんだよね、私たち」
唯の家もあともう少しといった所まで来たころ、隣にいた縁は今までとは変わって、少ししんみりとした口ぶりで言った。
「どうした? 藪から棒に」
「なんかね、まだイマイチ実感わかなくって」
そりゃあ、俺だって未だにしっくりきていない。同意してやりたいところではあるが、卒業式で散々泣いていた人間が言う台詞か、という疑問の方が勝った。
日向縁という少女は非常に純粋な人間だ、そう昔から感じ続けている。
怒った所はほとんど見たことはないけれど、楽しいと感じたら笑うし、悲しいと感じたら素直に涙を流す。そんな少女だ。
だから縁は卒業式の最中、ずっとぽろぽろと涙を流していた。声こそ上げないものの、涙腺が乾く暇がないほどに。
対する俺は、一切涙は流さなかった。
他人から見てどうだかは知らないが、純真という言葉とは無縁だと自分では思っている。ましてや人前で泣くなんて、とてもじゃないが恥ずかしくて出来ない。
だから泣かなかったかというと、そうじゃない。正直言えば、場の雰囲気に流されて、だいぶ涙腺は怪しかった。
だが、隣で号泣する縁の姿を見たらそれも引っ込んでいた。つられて泣くのを通り越して、逆に冷静になってしまっていた。
「あんだけ泣いといて実感わいてないのかよ」
「あはは。ボロボロだったもんねー私」
当時とは正反対にケラケラと縁は笑う。
「……卒業したっていうのは何となく受け入れられたんだけど、高校生になるんだーって言われても何かピンと来ないんだぁ」
「あぁ、それなら分かるわ」
「高校生って、もっと大人な印象があったから。自分が思ってたよりもあんまり変わってないなーって」
確かに小さい頃は一つや二つ年が違うだけでえらく大人に見えたものだ。ましてや、それが高校生ともなるともはや別の生き物を見ているようだった。
しかし、いざ自分がその年齢になってみると、思ったよりも昔と変わっていないことに気が付いてしまう。
「……それにね」
「それに?」
縁はこちらを窺うようにしながら続ける。
「私ね、もしかしたら優ちゃんとゆずちゃんは別の学校行くかもーとか思ってたから」
「あー……」
俺と縁、ゆずこ、唯。それぞれ知り合った期間は違えども、今は仲の良い四人組だ。だが、その中でも学業の成績には多少の差があった。まあ、四人も居れば当然の話。そんなの何も勉強に限った話でもないわけで。
手前味噌ながら、俺とゆずこは他の二人よりも学力という面では若干ながら優っていた。だから縁が言わんとするように、進学先が別になるという可能性も無かったわけではない。
「まぁ、俺は近かったからあそこにしただけだけどな。あいつはどうだか知らんけど」
「そなの?」
「そーなの」
実際、通学の便利さが要因のひとつであったことは確かで。
しかし、他の三人と同じ高校に行きたいという願望があったこと自体も否定は出来なかった。
そして、背伸びをして上のランクに挑戦するという選択肢が存在していたということもまた事実であった。
ただ一つ言えることは、自分がレベルを落としたというよりも、むしろ彼女らが努力した結果だという事だ。
「……」
もしかしたらどこかのタイミングで、縁は別の学校に通うということを覚悟していたのかもしれない。結果的にそうならなかっただけであって、彼女からしたらその実感が欲しかったのだろうか。
勘繰りすぎかもしれないし、ただの自惚れたかもしれないけれど、ふとそう感じた。
「えへへー」
「……なんだよ?」
「また、同じ学校に通えるね」
縁は今日一番の笑顔を見せる。
直視できないほどにそれは眩しくて、自然と鼓動が高鳴った。
そして同時に、自分の中のつっかえを取り除いてくれたような気がした。
「……ほら、さっさと行くぞ」
「そうだね」だとか、「俺も楽しみだ」とか、きっとそんな風に言ってやればいいのだろう。
でもそんな言葉を口にするのは恥ずかしすぎて、曖昧な言葉でお茶を濁すことしかできなかった。
そしてそれを誤魔化すように、ほんの少し歩く速度をあげる。一瞬視界から消えた縁であったが、すぐに俺の横へと並ぶと、再び歩調を合わせるようにして歩くのだった。
縁ちゃんかわいいよ縁ちゃん。